1 レヴナンツ

 実質百年前に滅んだその国を、在りし日の名前で呼ぶ者は、大陸にはいない。

 南と東を峨々たる山脈に囲まれ、北と西を海に囲まれた他国との国交が一切ない国。恵まれた点は鉄鋼資源が豊富であるということくらいで、交通の要衝にもならなければ特別目を引く特産物もない、半ば放っておかれた国。

 百年前、第二皇子アドラ・エドウィンは技術革新による銃器の誕生を酷く憂慮し、魔界への門を開き、そこに住まう魔物を配下に置こうと考えた。しかしそのあまりにも浅薄浅慮極まる浅知恵は恵みをもたらすはずだった思考を絶望のどん底に叩き込んだ。

 魔物の侵攻である。

 魔界から現れた赤き目の怪物は、一斉に人類に牙を剥いた。理由はわからない。ただそういう生物だったから、というほかない。

 アドラは死に、皇帝一族は東南部辺境に退避。魔物対抗組織『ヴァルキュリア』を発足して魔物と徹底抗戦したが、人知の及ばぬ圧倒的な力を持つ魔物を前にヴァルキュリアは撤退を繰り返し、とうとうその組織自体もいくつかの勢力に千切れ、各地へ散った。

 他国はこの事態に際し、己の国の防備を固めるばかりで救援を送ろうとはしなかった。どの国も対岸の火事だと思い、手を貸さなかったのである。

 魔物侵攻から百年。


 夜の明けないその土地は、ただ血塗られた地、『アケルダマ』とだけ呼称される。


 それでも、その土地で抗う者はいた。

 旧リレータ帝国現皇帝メテオラ・エドウィンと彼率いるヴァルキュリア――そして、魔物に対抗するため魔物と人の間に産ませた相子『レヴナント』。

 現皇帝率いるヴァルキュリア東南支部は対魔物殲滅部隊『レヴナンツ』を発足。

 人間と魔物の間に生まれ、望まぬ戦いに放り込まれる彼らを、人々は見て見ぬふりをした。

 ある者は軽蔑を。

 ある者は憐憫を。

 ある者は畏怖を。

 そして、ある者は敬意を。

 だがそんなものはレヴナンツには関係ない。

 彼らには彼らの意思がある。


 彼らの矜持は、彼らの中で、確かな意味を持ち、そこにあり続ける。


 これは血塗られた土地で滑稽な舞踏を繰り広げる、亡霊たちの物語。


     ◆


 帝暦五九七年 年明けから三日 旧リレータ帝国東南部――


 天賦は、望まぬ者に宿ってしまうことがある。

 学術、運動、人間性、カリスマ、魔術、戦闘――、

 レナード・クローヴァイスもまたその一人だ。ただの魔物ではない、特殊な魔物――最上級の魔人の血を引いて生まれた。この世に二人と――いや、三人といないレヴナントだ。

 彼は望まぬ愛でこの世に生を受け、父の魔物は人間と交わったことにおぞましさを感じ逃亡。母は悪魔の子供を産んだと嘆いて自殺。兄はヴァルキュリアを裏切って、魔物の帝王となった。兄の件は言っても誰も信じないが、レナードにとってはそちらの方が都合がいい。ヴァルキュリアが魔物の頭がいるとわかれば面白がって手出しをする輩は多いだろう。人間の浅知恵で勝てるとは到底思えないが、自分の目的のため、いらぬ手出しをされるのは好ましくない。

 レナードは人の気配の失せた夜の街を、一頭の狼と歩く。青い月明かりに照らされた一人と一頭はどこか寂しそうに、孤独を埋め合わせるように歩いている。

 彼は背中に巨剣を背負い、その上から黒く丈の長い外套を纏う。

 少しでも刀身を隠すように黒革の背嚢を背負っているが、問題は得物だろう。巨剣だ。剣と表現するのも憚られるほど、実に長大。刃渡りは百三十センチ。柄を含めればさらに長く、全長は百八十センチある。肉厚段平の片刃だが、刀身の半ばまでが両刃になっている。背丈一七六センチのレナードが扱うには巨大と言っても差し支えあるまい。

 外套の下には金属鎧。黒い鎧と肩当て、ガントレット、脚甲。靴底はあらゆる悪路を走破できるよう頑丈なつくりをしている。兜はない。

 右腰に全長を七十七センチにまで銃身とストックを切り詰めた短銃身ソードオフ・ショットガン。元が一メートルを超す銃だったので、これでも十二分に短銃身だ。そして左腰には馬鹿げた口径のリボルバー拳銃。どちらの銃も漆黒。

 黒で塗り固められた、闇を擬人化したような威容。

 さもありなん。レナードは髪も黒く、油で固めたわけでもあるまいに短く切りこまれた髪は前髪を除いて他は刺々しく天に向かって毛先を伸ばしている。ただ海の底のように蒼い目だけが、闇の中で幽鬼のように存在を主張する。

「調査員の捜索か。どうせ死んでる」

「ええ。ですが遺品だけでも持ち帰りましょう。それが今後の攻略作戦の決め手にもなりかねませんからね」

 男に応じるのは狼。驚くべきことにその狼は当たり前のように人語を口にし、落ち着いた女性の声で応じる。

 頭の先から尾の先まで二メートル。体高は九十センチ。腹側は白く、背中側は青銀色。目は魔物特有の赤い目をしており、彼女はそもそも自然が生んだ獣ではなく、魔物である。わけあってレナードと行動を共にする、彼のパートナー、ラウラだ。

 石畳と、石造りの家々。曇ったガラスは外や内から割られ、道にガラスの欠片が飛散していることも珍しくない。脚甲の底でパリパリと乾いた破砕音がするのにも慣れた。

「ラウラ、匂いはするか?」

「薄らとですが……これは、移動してますね」

「移動? 死んでないのか」

「どうやら生きているようです。ですが再生力も血清も尽きている頃でしょう」

 血清とはレヴナンツに支給される、所謂医療道具だ。魔物の血液由来の物質で作られたそれは常人が使おうものなら拒絶反応で悶死するが、レヴナントなら傷を急速に回復させる効果を得られる。一本二十回使える蒸気式圧搾注射器が一人一つ支給されているので、当然レナードも持っているし、使ったことがある。魔物のラウラには不要なので与えられていない。

「調査員が血清を使い切るなんて余程のことだぞ。大物がいるのか」

「どこかに潜んでいる気配はあります」

「面倒だな……」

「いいじゃないですか。武者修行にはなります」

「俺はブシでもサムライでもない」

「使っているものはまさにブシやサムライ……いえ、騎士のようですよ」

「ブシもサムライも騎士も銃は使わない」

 レナードはそう吐き捨て、手にしていた、先ほど倒した魔物を焼いた肉を齧った。レナードの魔術は振動で、ラウラは雷。炎使いはいないが、雷で火を熾すことはできるのだ。おかげで面倒な手順を踏まずにそこらで気軽に焚き火ができる。火災が起こらないように注意しなければならないが、石造りの街ではそうそう延焼など起きないし、仮に起きてもここには焼ける住民などいない。

 侵攻してきた魔物を気にせず悠々と生活できるほど人間の神経が図太いなら、ヴァルキュリアもレヴナンツも生まれるまでもなくリレータ帝国は滅んでいただろう。

 現在は周辺から血の土地を意味するアケルダマと呼ばれるこの地では、百年にも及ぶ戦争が続いている。

 人と人――とも言えるだろう。魔物の中には人と遜色ない外見と思考力を持つ魔人がいるのだから。だが、魔人は潜在的に人間への強い殺意を持つ。融和は不可能だ。

 硬く、獣臭い肉を咀嚼しながら、レナードは街を歩く。

 と、

「います」

「わかってる」

 レナードはソードオフ・ショットガン『ダブルセブン』を抜き、片手で構えた。装弾数は七発で、中型獣狩猟用のショットシェルが入っている。

 家屋の木製の扉を粉砕し、四つん這いの獣と人を足して二で割ったような化け物が現れた。

「コボルトか」

 犬と人を掛け合わせたような魔物は二種類いる。一種類はコボルト。犬の特徴の方が色濃く出た、百センチ近い体高を持つ獣人。もう一種類はグールという、人に近しい動きをする化け物だ。どちらにせよ雑魚と称されるカテゴリーなので、初陣ならまだしも戦闘経験を豊富に積んだレナードが今更苦戦する相手ではない。

 コボルトが五頭、人が通るのを待ってましたと言わんばかりに現れ、唸る。

「ラウラ、左の二体を殺れ。食ってもいい」

「わかりました」

 犬の魔物は吠えながら突進。レナードは右手に握ったダブルセブンの引き金を引き、散弾を浴びせる。頭が粉々に砕け、黒々とした赤い血が飛び散る。

 銃を回転させ、レバーをコッキング。スピンコックという技法だ。レバーアクション特有の片手で扱う銃術。

 ラウラが左側の二体に飛び掛かる。バチリ、と青い電光が爆ぜ、牙と爪が雷を帯びる。

 残光を引きながら振るわれた雷の爪がコボルトの肉を引き裂き、一撃で喉を深々と抉る。電気的刺激でハンマーのような硬さを得た尻尾で殴りつけると、喉を裂かれたコボルトは血の絨毯を敷きながら吹っ飛び、ぴくりとも動かなくなる。

 もう一体が撤退しようと下がるが、その頃にはもうラウラが後ろから飛び掛かり、鉄をも砕く強靭な顎で頭部を骨ごと噛み砕いた。

 あっちはもう心配ない。

 左右から打ちかかってくる犬に、レナードはため息混じりに左のホルスターからも銃を抜いた。六四口径の超大口径大型リボルバー『ゴアハウル』。最早拳銃というのもおこがましいほどの、掌サイズの大砲ともいうべき銃だ。

 両方の引き金を引く。腕に馬鹿げた衝撃が駆け抜けるが、折れたりひびが入ったりといった様子も、銃身があらぬ方向に向くということもなかった。

 爆音が空に吸い込まれ、二体の魔物が昏倒する。

「気配はまだ消えてません。まだまだ来ます」

「弾の無駄だな」

 レナードは独りごちるように呟き、銃をしまう。代わりに取りだしたのはあの剣だった。

 鞘から抜くと、それが異様な剣だとわかる。いかなる鋼から鍛造したものか、その刀身は夜を固めたかのような漆黒をしているのだ。柄も黒い。重く、硬く、決して折れない。傷つき歪んでも“再生する”。

 五年前に貰ったこの剣は、巷で言う所の魔剣というやつらしい。持つ者に災いをもたらす悪魔の剣だという。

 銘は『ダーインスレイヴ』。異界で血を吸い尽くす剣につけられた名前らしい。

 無骨な巨剣を手に、レナードは前に進んだ。

「魔物の匂いはこの先からします」

「広場か?」

「ええ。奇襲が無駄だとわかったのか、真正面から数で押し潰すつもりでしょう」

 数の優位は絶対だ。

 千人の軍隊を相手にしたら、一万の軍勢を叩きつければ楽に勝てる。極端な話、どんな戦術も武器も、数の前にはかなわない。互角か多少数字が前後している程度なら戦略次第で勝利も見えるだろうが、あまりにも圧倒的に数字の差が出ると戦いにすらならない。

 だがそんなものは、人間の戦略想定だ。

 レヴナンツの戦術思想は少数精鋭。冗談抜きで一対千を想定しているのである。事実、レナードには今までに千体を超す軍勢をたった一人で斬り伏せた実例がある。四年前、ラウラと出会うきっかけにもなった戦いだ。

 剣の名称も相俟って、仲間内では『千人斬りの羅刹』と言われることもある。戦闘狂みたいに思われていそうであまり好きになれる肩書きではないが、それがレナードが秘める戦闘能力の圧倒的な高さを物語っているのも事実だ。

「数はわかるか?」

「二百はいるでしょう。全てグールだと思いますが……迂回しますか?」

「いや、斬り伏せる」

「言うと思いましたよ。レナードといると、本当に疲れます」

 呆れたようにため息をつくライカの背中を優しく撫でる。

「嫌ならここでお座りして待ってるか?」

「冗談言わないでください。というより、私を犬扱いしないでください。私は誇り高き、千人斬りの羅刹の愛狼あいろう。狼なんですから」

「広義にゃ犬だろ」

「違います! あんな、餌のためなら性器までおっぴろげる下品な生き物と一緒にしないでください! あなただって猿と同じと言われたら怒るでしょうに」

「悪かったよ、誇り高き俺の狼さん。……さて、冗談は置いておいて。大きくなった方がいいんじゃないか?」

「ええ」

 そう言うなり、ラウラの体がみるみる巨大になる。二メートルあった体は四メートル近い巨体に変化し、体高はレナードの身長を大きく上回る。二メートルはあるか。重さは何百キロあるだろうか。量ったことがないのでわからない。

「お前、やっぱデカい方が迫力があっていいな」

「褒めてもらえてなによりですが、この状態では食費がもの凄いことになりますよ。通常形態ですら厄介なんですから、普段は小型犬並みの大きさでいるべきですね。もうお腹が空いてきましたし」

「魔物を食え。お前もレヴナンツも喜ぶ」

「魔物の肉は不味いんですよ。少量でも牛や豚や鶏のほうがいいです」

「そんな高価なもん俺たちには滅多に回ってこないがな」

「ええ。働きもしない皇帝と貴族のものですからね。たまに寄越したと思えば横柄に働けだの国に奉仕しろだの。馬鹿馬鹿しい。私は以後一切レナード以外のために戦うつもりはありませんので」

 魔物の気配が近い。そのとき、銃声がした。レナードは撃っていない。

「調査員かもしれません」

「そうだな。じゃあ、俺のためにひと暴れしてくれ」

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AKELDAMA 百竜呑ライカ @9V009150Raika

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