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<R15> 15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。

「あなた様こそ、まごうことなき聖女」と言われましても、私はニセモノ聖女です。

 村人たちはぬかるみの中で泥を巻き上げ無邪気にはしゃいでいた。


 例年であればとっくに雨季だというのに、雨が降らない年だった。貯水池が枯れ、川は干上がった。

 村人たちが干害を覚悟した時、奇跡は起きたのだ。


「雨だ……恵みの雨だ!」

「奇跡だ、奇跡が起こったぞぉぉぉ!」

「うおぉぉぉ! これなら冬を越せるッ‼」


 歓声が沸き起こる中、一人の老人が歩み寄る。

 貧しそうな村でありながら、年代物だがしっかりした衣服を身に着けている。この村の長だ。


「村をお救いいただきありがとうございます! この度はなんとお礼を申せばいいか……」


 感動にむせび泣く老年を前に、私は内心困惑した。


 私の名前はフェイフェイ。

 16歳。女の子、兼――


「あなた様こそ、まごうことなき聖女……!」


 ニセモノ聖女である。



 事の顛末を振り返るに、きっかけは、顔も知らない父の死だった。

 母に私を身ごもらせるだけ身ごもらせて、自分は旅の踊り子にひとめぼれして家を捨てたクズオブクズ。そのうえロクでもないところに多額の借金を私に残して天へと旅立ちやがった。二度死ね。


 私は辺鄙な教会の見習いシスターである。

 大金なんて用意できるはずもない。

 借金を取り立てに来た黒服にそう告げると「10日間だけ待ってやる。それができなきゃお前の容姿を売る」と言われた。理不尽が過ぎる。


 当然、父のような股間で物を考えるサルどもに、母譲りの容姿を売るなんて御免である。


 だから、お世話になっている教会の神父様に事情を説明してどうにかならないかと乞うてみた。だけど返ってきたのは「力になってあげたいのは山々なんだけど」というやんわりとした拒絶だった。

 神父様はもとより、娯楽とは無縁。

 誰かの笑顔が一番の幸せだからと清貧に甘んじるぐう聖だった。

 神父様の手元にあるお金は雀の涙で、到底借金を返せる額ではなかったのだ。


 だけど、神父様は「なんとかなるかもしれません」と何かを思い立つと、そのなけなしのお金でどこかに電報を入れた。

 どうやら仕事を斡旋してくれるらしいけれど、10日で全額揃えられるかな。

 仮にそろえられたとしてもブラックな仕事しかおりてこなそうで怖いんだけど。


 さて、使者がやってきたのはその日の夜のこと。

 背広を着た紳士が、夜の闇を背負って玄関口に立っている。

 彼は私の容姿を頭から足まで見分すると、頷いてから落ち着いた声を放った。


「聖女の代役を務めてくれるというのは貴殿だな? 心より感謝する」


 ……は?



 怪しさ満点。夢いっぱい。

 持ちかけられたのは、本物の聖女の代わりに国中の教会を巡礼するお仕事でした。


 すわ聖女様の身に何かあったのかと問えば、お勤めが嫌で逃げ出したらしい。男を連れて。


「聖女ってなんでしたっけ」

「我々もほとほと手を焼いていたところです」


 紳士が言うには聖女の特徴は銀色の髪と青い瞳。

 くしくも私と同じである。

 おまけに教会でシスター見習いをしていた私は、ちょっとした聖属性の魔法も使える。

 先方が聖女の代役に求める人物像とピッタリ合致したため、大慌てで王都からこの僻地まで馬を飛ばしてきたらしい。


 私に要求されたことは単純で明快。

 本物の聖女が捕まるまでの間、代役として方々を巡ること。

 ただそれだけのことで、父が私に押し付けた莫大な借金を肩代わりしてくれるという。


 なーんか、出来すぎじゃない?


 どうにもきな臭い。

 そう思い「あとで『口封じです』とか言ってサックリ殺されません?」とか「実は全部でまかせで本当は人買いだったり?」と探りを入れてみたのだけれど、ことごとく空振りに終わってしまった。


「神に誓って、命を懸けてフェイフェイ様をお守りすると約束いたしましょう」


 これは、あれだね!

 清く正しく生きる私に涙した女神さまが手を差し伸べてくださったに違いない!

 おお、神よ! 感謝いたします!


「ドブネズミが!」

「どの面下げて戻ってきた!」

「立場をわきまえろ!」


「えぇ……」


 馬を駆り、王都に向かった私を待っていたのはそれは見事なお迎えでした。


 よくよく考えてみれば公務をほっぽりだしてどこぞでイチャコラやってる女。

 蛇蝎のごとく嫌われているのも納得できる。

 というか、事前に予測できたことかもしれない。


 あー。

 なるほどね。

 妙に羽振りがいいわけだ。

 銀髪に青い瞳なんて探せばいそうな人間をわざわざ辺境から見繕ったのは、王都では悪女の身代わりなんて誰もやりたがらなかったからなんだろう。


 ジト目で紳士を睨むと、彼はコホンとひとつ咳払いした。


「貴殿が替え玉というのはごく一部の物しか知らない極秘事項ゆえ、くれぐれも正体がバレぬようお気を付けください」

「それでこのヴェールですか……」


 顔の大半を覆う薄布越しに、呆れ声を零す。


(完全に貧乏くじだよね……)


 やっぱりうまい話には裏があるじゃないですか。

 ふぁっきゅー神様。

 つらい、つらいよ人生。泣きそう。


 いやまあ、泣いてる暇なんて無かったんだけどさ。


 夜通し馬を走らせて王都に来たばっかりだっていうのに、今度は馬車に揺られて西へ向かうことになった。

 悪路を進むものだから腰に響くのなんの。

 そのうえ同乗した騎士様にめちゃくちゃ睨まれていてるから気が滅入るのなんの。


「ふん。二度逃亡できると思うなよ」

「騎士団副団長殿。セレスティア様はこの通り、心を入れ替え公務を全うしていただけるとのことです。そうですよね?」


 この人騎士団の副団長かい。

 道理でただモノじゃない雰囲気だと思ったよ。

 不興を買ったら殺される。

 そう思った私は使者の言葉にブンブンと首を縦に振った。


「ハッ。人の性根はそう簡単には変わらん」


 私は曖昧に笑みをこぼしながら頬をかいた。

 人そのものが変わってるんですけどね。


 気まずい雰囲気のまま、馬車に揺られ続け。

 日も高くなったところで最初の街に到着した。

 あああ、疲れたあああ。

 もうやだ、休みたいよぉ。


 ――べちゃ。


 完全に気を抜いた状態で馬車から降りたところに、泥団子を放り投げられた。

 見ればやせ細った男の子が鬼の形相でこちらを睨んでいる。


「帰れクソ聖女! お前が税金を食い潰すせいで俺たちは飯もロクに食えねえ! この村にお前の居場所なんてねえんだよ!」

「そうだそうだ!」

「一昨日きやがれってんだ!」


 少年に同調するように、町のあちこちからブーイングが上がる。辛辣ぅ。めげそう。


(でもなぁ……お金貰って、聖女様のフリをして祈りをささげるって約束しちゃったからなぁ)


 気乗りしないけど、約束は約束だ。

 給金に見合った労働はこなそう。


「申し訳ございません……一昨日に来るのはできませんが、できる限りのことはさせていただきます」

「は? てめえ何を言って」


 私はその場で片ひざを折り、一人指を絡める。

 刹那、広場の中央に若葉の香りを連れた風が巻き上がった。風の中心では地面がボコボコと盛り上がり、そこから一本の樹木がニョキニョキと頭角を現す。


「ななな⁉ なんだこりゃぁ⁉」

「世界樹、と呼ばれる樹木です。豊穣の加護がございます。……こんなことしかできませんが」

「十分だ! すっげえ! すげえよ! 聖女ってのはこんなこともできたんだな!」


 ごめんなさい私聖女じゃないんです。

 ちょっと聖属性魔法が使えるだけの、ただの村人なんです。


「あ、あの」

「ん?」


 おずおず、といった声がした。

 顔を向けてみれば先ほどのやせ細った男子がこちらの顔色を窺っている。


「ご、ごめんなさい! さっきはひどいことを言っちゃって!」


 クソガキが。

 謝れば何でも許されるわけじゃねえぞ。

 ああん?


 と、いう思いは内に秘めてスマイルを浮かべる。


 落ち着けー?

 私は聖女。むやみやたらに暴言吐かない。


「大丈夫。でも、気を付けてね? 時に言葉は、言われた相手以上に自分が傷つくこともある。今キミが苦しいって思ってるようにね? だから、もうこんなことしないって、お姉ちゃんと約束できる?」

「うん……っ、うん!」

「ふふ、みんなのために必死だったんだよね? もう大丈夫。強がらなくていいんだよ。泣きたいときは泣いていいんだよ」

「うわあああん! ごめんなさいぃぃぃ!」


 格付け完了。

 これでこの町での安全は保障されたかな。

 はー、適当な宿に泊まって寝よ。


 と思ったら後ろから腕を掴まれた。

 副団長だった。

 今度は何?


「俺はあなたを誤解していた」

「はあ」

「民衆の苦しみに涙する心も、祈りの奇跡も、子供に道を示す姿も、どれをとっても理想の聖女だ!」


 理想の聖女だ! だってさ。ウケる。

 偽物なんだよなぁ。


「王国騎士団副団長ライネル、あなたの盾となり、剣となることを誓いましょう」


 そういえばこの人だったら、泥団子が私にかかる前にどうにかできたのでは?

 もしかして、対処できたのにわざと見逃した?

 そう思ったらなんかムカついてきたんだけど?


「では、もし私が聖女でなければ?」


 だから、意地悪な聞き方をした。

 副団長は返答につまった。


 彼の言葉は結局、あなたが理想的な聖女だから護ると決めましたと言っているようなものである。

 だったら、その前提が無かったら?

 護る価値もない人間だとでも言いたいのですか?

 それはまあご立派な騎士道精神ですね。


「いずれ、答えが出ましたらお教えくださいませ」



 遠征に出かけるたび、私は冷たい悪意を向けられた。言葉で「出ていけ」と言われる程度ならマシな方で、ひどいときには石を投げられることもある。


 皆何かしら聖女に不満を抱えていた。

 中には婚約者を聖女に略奪されたと訴えて来た人もいた。

 さすがにそれは私にはどうにもできないかな……。


 逆に、それ以外の悩みは大体解決できたと思う。


 干害に悩む地域があれば雨を呼んだ。

 流行病に苦しむ村落があれば癒やして回った。

 魔物の巣窟に怯える集落があれば浄化魔法をぶっぱした。


「おい聞いたか? 聖女様の話」

「なんだ、また何かやらかしたのか?」

「ちげえよ! 聖女様が祈りをささげた地方は万事好転するって噂だよ!」


 だからだろうか。

 旅を終える頃には、少しずつ人々からのあたりも柔らかくなっていた。

 聖女ロールを頑張った甲斐がある、というものだ。


「もうすぐ旅も終わりますが、本物の聖女様は見つかりませんでしたね」

「そうですなぁ」

「確認ですが、代行を務めるのは旅が終わるまで、でよろしいんですよね?」

「フェイフェイ様さえよければ、今後も続けていただきたいところです」

「冗談」


 背広を着た紳士は「残念です」と口にした。

 本心で言っているように思えたけれど、多分気のせいだと思う。

 だって私は辺鄙な教会のシスター見習い。

 本職の聖女と比べれば、聖魔法の力だって見劣りするに違いない。


 本音は本物の聖女に職務を全うしてほしかったはずなのだ。

 だけど私に直接言うわけにもいかないから、労いの意味も込めてそんなことを言ったのだろう。

 おべっかとか、お世辞とかいうやつである。

 悪い気はしない。


 最後まで公務を全うしよう。

 改めて気を引き締め、最後の町で祈りを捧げ、私は再び王都に戻ってきた。

 長かった旅もこれで終わり。

 ようやく私は自由を取り戻せるんだ!




「あんたが私を騙る偽聖女ね? のこのこと姿を見せるなんていい度胸じゃない」


 ……王都の中央広場。

 人のごった返すその場所に、女が立っていた。


 銀の髪、青い瞳。

 私とよく似た特徴を持つ女性だ。


 一目見て、放たれた言葉の意味を処理して、理解した。

 ああ、この人が本物の聖女。

 セレスティア様なんだ、と。


 でも、どうしてこの場に?

 それこそ、私が聖女の替え玉として活動していたことを表沙汰にする行為である。

 いったい何の意味があるというの?


「聖女の名を騙り陥れようとするのは重罪よ。王国騎士団! 彼女を捕らえて!」

「……は?」


 何が、なんだか、わからなかった。

 聖女の名を、貶めた?

 私が?


 どうして、なんで。

 私は一生懸命やってきた。

 何がいけなかったの?


「きゃあっ!」


 手を後ろで掴まれて、石畳に顔を押し付けられる。

 痛い。口の中から鉄の味がする。

 わけが分からない。

 どうしてこんな仕打ちを受けなければいけないの?


「おかしいと思ったんだ! 俺たちの村に来てくれた聖女様は心優しい人だった! うわさに聞くような悪女とは大違いだった!」

「聖女を騙る偽物が聖女様の悪評を流していたんだ!」

「国家転覆を狙う工作員の仕業だって噂もあるぞ!」


 ……四方八方から、罵声が降ってきた。

 旅をする中で何度も聞いたののしりだ。

 だけど、明確に違う部分もある。


 旅をする中で聞いたそしりは、セレスティアに向けられたものだった。だから、どこか他人事のように受け流せた。

 だけど、今、受けているのは。

 言葉の矛先を突き付けられているのは。


「――っ!」


 喉を鳴らした。歯を食いしばった。血がにじむくらい強く拳を固めた。


(……はめられた)


 理解したとたん、胃に冷たいものが落ちた。

 しゃくりが喉を登ろうとするのを必死で抑え込んだ。


 ――残念です。


 旅の終わり際、背広の紳士が言った言葉。

 あれはもしかして、後始末しなければいけないという結末を憂いての言葉だったのではないだろうか。

 芽吹いた猜疑心が、水も光もなくひとりでに育つ。


「……うそ、つき」


 口封じしないって、言ったのに。

 私はそれを、信じたのに。


 裏切られた。騙された。

 騙され続けていた。


 怒りの感情はある。

 だけどそれ以上に、自分が情けなかった。

 偽りだらけの旅の中で、唯一素顔を見せられる相手だと思っていた。心を許せると思っていた。

 思っていたのは、自分だけだとも知らず。


 惨めだ。

 自嘲の笑みがこぼれる。


「処刑台の用意を! 大罪人に天罰を!」

「「「うおおおおおおおお!」」」


 体に、力が入らなかった。

 私が、何をしたんだろう。

 何が私にできたんだろう。

 できる限りのことはしてきた。

 これ以上、私に、何ができたというんだ。


「前へ出ろ」


 ……王都では、罪の真偽も調べずに断罪が行われるのか。


 いや、セレスティアが手回しをしたのか。

 真実が明るみに出れば困ると知って、不都合な事実が発覚する前にことを急いだんだろう。

 だったら、ここでみっともなく騒ぎ立てるのも一興、だけど。


(……ああ、もう。つかれちゃったや)


 思い返せば、最悪の人生だった。

 早くに両親を亡くし、教会に拾ってもらってからは祈りを捧げ続けてきた。

 人一倍、救われることに執着する人間だったと思う。

 誰よりも、信仰心は強かったと自信をもって言える。


 祈ったんだ、祈ったんだよ、必死に。

 だけど、その結果が、この惨状だというのなら。

 私は何のために生まれたの。

 生きることに、何の理由があるというの。


 もういい、もう、疲れた。

 だから、終わりにしよう。


「……さようなら、クソったれな人生」


 呟いて、一歩前に出た。

 その時だった。


 どさり、と。

 すぐ後ろで何かが倒れる音がした。


 無意識に、反射的に振り返る。

 そこに、私を睨む騎士団の男がいた。


「さよならなんて、させねえよ」


 ……副団長の、ライネル様だった。


「ライネル! 気でも触れたか⁉ 貴様の職務は、そこの罪人に罰を下すことだろう‼」

「そうだな。それが騎士団副団長に命じられた任務だ」

「だったら――」

「だったら、俺は騎士団をやめる」


 ライネル様は私を抱き寄せると、槍の石突を地面につきたてた。鋭い音が広間に響き渡り、ただそれだけのことで喧騒がピタリとやむ。


「てめえらおかしいとは思わねえのかよ! どうして彼女の話を聞こうとしない⁉ なぜ自分の目で真実を確かめようとしない‼ 節穴だ……テメエらの耳も目も、全部全部ただの飾りか‼ 捨てちまえよ‼」

「ライネ――!」

「動くなジジイ。俺がしゃべってんだよ」


 身の毛もよだつ剣幕だった。

 誰一人として、声を発することもできない。

 その威圧が、今度は私一人に向けられる。


「テメエもテメエだ。潔く死のうとしてんじゃねえ」

「……うるさい」

「反論もできないウジ虫にそう言ってもらえて光栄だね! 祈りをささげるときの悠然とした態度はどこへ行った! テメエは胸を張っていればいいだろうが!」

「うるさい、うるさいっ、うるさい‼」


 不安とか、恐怖とか、いろんな感情がないまぜになって、心に蓋ができなくて。


「どうすれば良かったっていうのよ! 誰も頼る人がいなくって、本当のことを打ち明けられる相手もいなくなって、私一人に、何ができたっていうのよ!」


 ……意味なんて、無いのに。

 癇癪を起こしても、彼に当たっても。

 何一つ、問題は解決しないのに。


「――前に、言ってただろ。『では、もし私が聖女でなければ?』って」


 荒げた息を整える。

 荒ぶる感情を呼気と共に吐き出す。

 熱い、喉が焼けそうだ。


「すまなかった」

「……え?」


 そんな折、突然かけられた言葉に、思考が止まる。

 謝った? 彼が? どうして?


「考えるまでも無かったんだ、本当は。答えは最初から、決まっていたはずだから」

「やめて」

「だから、改めて言うよ」

「うるさい、うるさい!」


 私は両手で耳を塞いだ。

 その先を聞いたら、築いてきた心の壁が崩れてしまう気がしたから。


 だけど、ライネル様はそんな私の腕を軽く耳から離した。

 そのまま、面と向き合わされる。

 まっすぐな瞳が、こちらを覗き込んでいた。


「何者でもなくなっちまったけど。俺が、あなたの盾となり、剣となることを誓いましょう」


 ……そんなの、ずるい。


「ライネル様の言う通りですぞ、フェイフェイ様」


 その時、人垣をかき分けて一人の男が表れた。

 ボロボロの背広を着た老人だ。

 体中にあざがあり、ニッと笑って見せた口からは欠けた歯並びの様子が見て取れる。


「お、おい。あの背広の男」

「ああ、聖女様と一緒にいたお方だ」

「でも、どうしてあんなにボロボロなの?」

「それより、あちらの聖女様をフェイフェイ様と呼びかけたってことは――」


 にわかに広場がざわめき立つ。


「よお、遅かったな」

「すまない。いろいろと手間取ってしまってな」


 ライネル様と、背広の紳士が笑みを浮かべる。


「……どうして、来たんですか?」


 彼の身に何があったかは、わかった気がした。

 私より先に、セレスティア様から干渉を受けていたんだ。

 そう考えれば、満身創痍の様子にも合点がいく。


 でも、聞きたいのは、そんなことじゃなくて。


「最初に誓ったはずです。フェイフェイ様を殺させはしない、と」


 こみあげる熱い何かを、私は飲み込んだ。

 ……騙されてなんていなかった。

 たった一言で、全部分かった。


 また、広場に集まった人たちが騒ぎ出す。


「なあ、もしかしてなんだけどさ、俺たちの村に来て祈りを捧げてくれてたのってフェイフェイ様なんじゃね?」

「どういうこと?」

「だってさ、おかしいだろ。俺たちが見た聖女様が、自分を騙る偽物がいたからってこんな大々的に処刑しようとするか? ちぐはぐすぎるじゃねえか」

「そう言われると……」

「でも、だったら聖女の悪評を流していたのは?」

「例えばなんだけど、悪行はセレスティア様の身から出た錆。過去を清算するためにフェイフェイ様が立てた手柄をかすめ取る計略なんだとしたら?」

「何それ! 非道にもほどがあるでしょ!」

「最低最悪の醜女じゃない!」


 ざわめきは、徐々に徐々に波紋を呼んでいく。


「ちょ、ちょっと待って! 待ちなさいよ! 私がセレスティアなのよ⁉ 私が本物の聖女なのよ⁉ おかしいじゃない! 早く私を騙る偽物を殺しなさいよ‼」


 セレスティアは声を上げるが、火に油だ。

 民衆は確かな核心ににじり寄っていく。

 やはりセレスティアは凶悪だと話し合う。

 自分たちがよく知っている、極悪非道な聖女そっくりだ、と。


「さて! 皆の衆!」


 背広の男性が声を張る。


「皆が察しておるように、皆の暮らしに寄り添ってくれたのはここにおるフェイフェイ様である!」

「うおおおおおおぉぉぉぉ――‼」

「そんなフェイフェイ様を貶め、あまつさえ命まで奪おうと計略を立てたのは誰だった‼」

「セレスティアァァァァァ!」

「罪の在りかはどこにある‼」

「セレスティアァァァァァァァァァ――!」


 沸き立つ民衆。

 足を止めていた騎士団が、動き出す。


「ちょ、ちょっと何をする気! 私は聖女なのよ‼ 汚らわしい手で触れないで‼」

「手を汚したのは、貴殿も同じであろう」

「な、何を――」

「公務放棄、脱税、着服、略奪愛。その他多数の余罪があなたにはかけられている」

「な、なん、で――」


 ひきつった笑いを浮かべるセレスティア。

 彼女を取り囲む騎士団の一人が呟いた。


「詳しい話をお聞かせ願おう。元聖女様」

「あああああああぁぁあぁぁぁぁあぁぁぁぁ‼」


 広間に、セレスティアの声が乱反射した。


「ほっほっほ。さて、フェイフェイ様。困りましたなぁ。これでは聖女が不在になってしまいます」


 好々爺然としてそばにやってきたのは、ボロボロになった背広の紳士だった。


「……もしかして、最初からこれを狙って?」

「はて、何のことでしょうな。それで、どうでしょう。もしフェイフェイ様さえよければ、聖女を続けていただけませんかな?」


 したり顔を浮かべる紳士を前に、私は内心困惑した。


 私の名前はフェイフェイ。

 16歳。女の子、兼――


「あなた以上に、聖女にふさわしい方はおりますまいて」


 本物の、聖女代行である。



 その日の夜、私はライネル様に呼び出されて王都の中央広場に向かった。昼はあれだけ人でごった返していたこの場所も、今となっては寂しい噴水が月明かりを照らし返すばかりだ。


 いや、そこに人はいた。

 ライネル様だ。


「申し訳ございません。お待たせいたしましたか?」

「いや、俺も今来たところだよ」

「そうですか……?」

「ああ、そうさ」

「……」

「……ごめん。本当はいてもたってもいられなくて、ずっとここで待ってた」


 やっぱり。

 人に頼れと言っておいて、自分は見栄を張ろうとするのはどうかと思いますけどね。

 と、口に出すとライネル様は「そうだな」や「そうだよな」と声をくぐもらせました。


 それから、片ひざを折り、騎士の礼を執り、私の目をじっと見つめた。


「俺が、あなたの盾となり、剣となる。だから、その、なんだ」


 どうにも歯切れが悪い。


「……何か、見返りでも?」

「そうじゃない……、いや違わないんだけど、そうじゃなくってだな。ああ、もう!」


 その瞳から、悩みの色が消える。

 覚悟を決めた騎士の双眸が、私を見ていた。


「フェイフェイ! 俺の隣を一緒に生きてくれ‼」


 ……言葉の意味を理解するのに、時間がかかった。

 理解すると、急に顔が熱くなった。


「……もしかして、名前を呼ぶの、ためらってましたか?」

「う、うるさい。そういうフェイフェイこそ、顔が赤いんじゃないか?」


 もう、本当にうるさい人だなぁ。

 なんてことを考えながら――

 私は向かい合う形から、彼の横に並んでしゃがみこんだ。


「こんな私で、よろしければ」


 空には、翳りない月が浮かんでいた。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


もし、本作を気に入っていただけましたら、↓にあるブクマや☆☆☆☆☆から評価・応援のほどよろしくお願いいたします。

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