2022.04.09
# 政治政策

51年間地下に潜行「中核派」84歳最高幹部が初告白「新左翼運動とは何だったか」

対談 清水丈夫×田原総一朗(前篇)
田原 総一朗 プロフィール

連合赤軍事件と赤軍派のハイジャック事件

田原 連合赤軍の連中は、「総括」という名のもとで仲間たちを12人も殺しました。あの連合赤軍について、清水さんはどうとらえていますか。

清水 1950年代末からの運動の中で、弾き飛ばされたごく少数の人たちが連合赤軍事件を引き起こした。そういう認識です。

田原 なんで弾き飛ばされたんですか。

清水 大衆運動をきちんと組織することができない。革命運動についていけない。だから自分から吹っ飛んでいってしまったのです。

田原 つまり中核派から見れば、連合赤軍の連中は怠け者ということですか。

清水 ええ、怠け者です。武力だとか銃だとか爆弾といった道具を使って、自分たちの特徴を必死で表そうとした。自分たちが左翼だということを自己確認し、外部に示すために、銃だの爆弾だのと没頭していったのです。彼らの亜流である赤軍派の連中は、航空機を乗っ取る事件も引き起こしました。

田原総一朗氏 Photo by Shinya Nishizaki田原総一朗氏 Photo by Shinya Nishizaki

田原 1970年3月の「よど号」ハイジャック事件ですね。

清水 「連合赤軍事件や赤軍派の暴走が新左翼運動の終末を表す」なんて言う人がいるが、とんでもない。我々に言わせれば、彼らがやったことなんて我々の革命運動には全然影響していません。ごく少数の人たちが引き起こした特殊な運動のせいで、我々の運動が誤解されてはたまったもんじゃない。

田原 「総括」の名のもとで、12人もの仲間をリンチ殺人した事実は日本中に衝撃を与えました。連合赤軍事件によって革命は幻滅へと変わり、全国の学生運動はほとんど解体していきます。なんで中核派と革マル派は、あの事件に影響されることなく今も活動を続けているのですか。

 

清水 カクマルはどうか知りませんけど、少なくとも我々はあの事件からは全然影響を受けていません。組織で運動できなくなって弾き飛ばされて、勝手に自己運動している。彼らの存在は、左翼から必然的に生み出されるものでは絶対ありません。

田原 つまり、本来の革命路線から弾き飛ばされた亜流が、連合赤軍であり赤軍派だったというわけですか。

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