山城国梅ヶ畑>大突山
大突山は、白砥と南北に走る谷を挟んだ山の頂上付近に表大突山が位置し、菖蒲谷に向かって貫通した間府が裏大突山と呼ばれ、とても長い坑道を持ちます。中山と同じく加藤鉱山として特級間府として有名。
総長160-180mほどで、裏大突に向かって登って掘っており、山の頂上の真下をとおり菖蒲谷の巣板口の上に出ます。
歴史は古く、鎌倉の世より続く古参の間府。
巣板の勢いは表大突がかつては強く、天井に近い巣板は刀剣用途石としても重宝された時代がありました。
菖蒲谷一帯と並び内曇砥石の始祖でもあると思います。中世古刀の時代にはこれらのものしかなかったのでしょうから、今日見ることが出来ないのも納得できます。
これは、京都高雄で長年研ぎ士をされている方より、親方が取り戻したもの。
地元の研ぎ士様でさえ数丁しか持ってません。
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表大突山の方ほど柔らかめな板が主力でしたが、取り尽され最近良く知られる硬い浅黄色の板は、坑道100m近く行ったところの、丁度おやまの頂上下の風の当たらぬところでおおどれしたもの。
この辺りのあいさのカラスも人気ありです。薄板ばかりなのが難点。
昭和になって、5.6年間掘り続けて裏大突に抜ける際に硬板が良く取れたと聞きます。
ひとつ、巣板は標本用に手元にありますが、天井ならではというべき風化が進み、表面近くはポソポソになっちゃってます。
しかし、菖蒲谷近くに貫通した間府からは当然巣板の勢いも増し、菖蒲染みたものが産し、良く知られた大突というには微妙な違和感があるかと思います。
白砥と大突を隔てる谷より
表大突山を望む。
親方が最近お直しした
表大突山の間府。鎧組み
裏大突は埋めました。
歴史は、菖蒲谷と並びとっても古く、中山より古いといわれてます。
良く知られる大突は白砥に近接する間府より裏大突よりのもので、とても白い浅黄色の板が主力。
とんでもなく硬いものからやっぱり硬いものと、硬くて細かいもの尽くしです。
あいさまでが良くとれ、これは薄板で飛びカラスが良く舞っている、皆がほしがる大突の特級品種。
何丁か誂える機会がありましたが、タマラン品質を持つものばかりでした。
以前鏨で、この大判のまま美しく開いた、大突の原石。→参照
560x480x42/23Kgと12mmほどの板に分かれました。
原石大判のままこのような素行を見せるものは、非常に稀有な石となります。
無論、どこをとっても極上を冠するにふさわしい砥石となります。
とても美しい水浅黄。取り敢えず軽く面付け。
一枚目画像左斜辺が石の方向となります。裁断はこの斜辺と平行に行わなくてはなりません。
黒いわずかな当たらない筋で裁断すれば24型に本取れます。私にはカットする勇気がありません。
いかがでしょう??
500x500x30-14/14kgの大突の石
ひときわ白いです。六分ほどのところで、あがってきてますので、板厚実質五分が二枚。
取り敢えず面付けしたもの。
しいたけと共に写る大突の原石。厚さも2寸までが手一杯。
今年の秋に、沢山クヌギを切ってまた菌を植えたいですね!