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多分日本人の殆どが忘却しているだろう、日中戦争から仏印進駐そして太平洋戦争に突入した原因の一つ。
統制派の領袖、永田鉄山軍務局長を皇道派の相澤中佐が旧市ヶ谷の陸軍省本省で惨殺。
そして
86年前の今日は226事件が起きました。陸軍皇道派青年将校が世界大恐慌以降の特に農村の惨状に心を痛めて、昭和維新を唱え政界の重鎮を殺害、大雪の東京に戒厳令が引かれ、海軍横須賀鎮守府の米内長官は即座に艦船を間髪入れず東京港に着艦させ海軍陸戦隊が上陸した。
昭和天皇は激怒され「朕自ら討伐の先陣に立つ」とまでおっしゃられた。
友軍相打つの危機。
陸軍反乱軍は鎮圧され、軍法会議の元陸軍刑法においてお一人を除いて安藤大尉以下銃殺刑に処された。
皇道派は粛清され統制派の時代を迎え日本が泥沼のアリ地獄に堕ちていく。
両親は敗戦を物心ついた子供の時に日本の敗戦を迎えた。お袋は敗戦の玉音放送を聴いている。
その世代もあっという間に76歳以降です。もう日本での戦争を直に経験した人たちがいなくなれば
戦後の戦争をしらない我々が責任を持って後世に伝えないといけない。
創価信濃町徒食職員がロシアからどのくらい写真展でマージン貰っているか知らない。平和ボケでミザルイワザルキカザルの徒食の連中。聖教新聞電子版を見てこの宗教屋が役立たずだと言うことが痛いほど分かる。
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