|  | 胸中の仏界である感謝の境界は常に教えを説いて、数億という迷える人々をさとりへ導いてきました。 
 感謝の境界は常にこの世にいるとはいっても、いろいろな神通力を用いて、煩悩ゆえに感謝の境界に目覚めていない人には、たとえ胸中にいたとしても姿を見せることはありません。
 人々は、感謝の境界が死滅したと思って、各地で舎利を供養し、誰もが皆、恋い慕い渇望し、仏を敬う気持ちが生まれるのです。
 
 人々がまさに信仰心を起こし、ひたすら仏に出会いたいと願って自分の命も惜しまないほど素直に柔和な心なら、そのとき、私は諸天善神たちとともに胸中にある霊鷲山に仏界の姿である感謝の境界を現します。
 
 感謝の境界はそのとき人々に語り折伏します。
 他の境界に、仏をつつしんで敬い、その教えを信じよろこぶ者がいるならば、感謝の境界は同様にその境界の眷属のために究極の教えを説くのです。
 
 あなたがたはこれを聞かずに、ただ感謝の境界が死滅したものと思いこんでいます。
 感謝の境界から見れば、迷える人々は、海のように深い苦しみの世界に沈んでいます。
 
 だからこそ、感謝の境界はわざと姿を見せないでいて、渇望させ、人々に仏を敬う気持ちを起こさせるのです。
 そして仏を恋い慕う気持ちになったときに感謝の境界の姿を現し、教えを説くのです。
 
 全世界が猛火で焼き尽くされるようなときでも、感謝の境界のこの世界観はやすらかで、天人や人々で常に満ちあふれてます。
 庭園のなかの林やたくさんの建物はさまざまな宝もので飾られており、また木々には美しい花が咲き、果実がたわわに実り、人々が楽しく過ごす場所となってます。
 諸天たちは鼓を打ち鳴らし、常に伎楽を舞い、曼茶羅華の花を、仏をはじめ多くの人々の上に降らせています。
 
 感謝の境界のこの清らかな世界観が壊れることはないにもかかわらず、迷える人々は、世界は焼きつくされ、憂いや恐怖、さまざまな苦悩などで満ちあふれてしまったと思っているのです。
 これら、感謝の境界に反した人々は、悪しき行いによって、たとえどんなに長い歳月が過ぎようとも、仏・法・僧という三宝の名さえ聞くことはできません。
 いろいろできる限りの良き行いを積んだ恩恵を受け、柔和で素直な心を持つ者は皆、感謝の境界がこの我が胸中にいて教えを説いていることがわかります。
 
 あなたがた智慧ある者は、このことに疑いをもってはなりません。
 疑いを永遠に断ち切ってしまうべきです。
 感謝の境界の仏智は「広宣流布」の真実であり、嘘いつわりはないのです。
 
 感謝の境界もまた、世の人々の父として、いろいろ多くの苦しみや悩みから救う者です。
 愚かな人々は煩悩ゆえに感謝の境界に反し、感謝の境界は実在してるのに死滅したといいます。
 常に仏に会えるというのでは、おごりの心が生まれ、いい気になって、五欲(財欲・色欲・飲食欲・名誉欲・睡眠欲)にとらわれ、悪道(三悪道)に堕ちてしまうでしょう。
 感謝の境界は、常に仏道修行してる人と、そうでない人を見きわめ、救済すべきところに応じて、それぞれのために仏智や現象で教えを説いているのです。
 
 いつもいつも感謝の境界は、思いを新たにしています。
 人々を究極のさとりである感謝の境界に導き、ただちに感謝の境界にさせるにはどうすればよいか、と。
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