「英国国教会、ソニーの殺戮ゲームに激怒。法的措置も辞さず」の続報。マンチェスター大聖堂の内部がプレイステーション3用の銃撃戦ゲーム「レジスタンス」に使用され、ただでさえ若者の銃犯罪に神経を尖らせている教会側が激怒、対するソニー側はあくまで架空のゲームであり、射殺されるのは怪物(と人間)と反論していた問題ですが、英国ではついに国会で取りあげられるまでに発展したようです。
マンチェスター選出の労働党Tony Lloyd議員が下院での質疑に採りあげたもので、発言内容は:「自社の著作権が侵害された場合、ソニーのような大企業は即座に法的手段に訴えるでしょう」。「ソニーが銃による暴力を称賛するゲームの一部としてマンチェスター大聖堂の画像を利用したことは単に悪趣味であるだけでなく、英国国教会、ひいては大企業がこのような行為に及ぶことは不適切であると考える国民を極めて強く侮辱するものです。首相はどのようにお考えですか」。
ブレア首相の答弁:「仰るとおりだと思います。このような製品を販売する企業が相応の責任感を持ち、またほかの人々の感情に配慮する感受性を持つことは非常に重要であり......利益を上げるという内部的な責任と同様、より広い社会的責任を理解することが重要であると考えます」。
とまあ、国会といっても国内世論が沸騰とか政治上の争点になったというわけではなく、質問という形で議員それぞれが言いたいことを言い、首相もそれなりに「まったく仰るとおりですはい」と答える、という牧歌的な日常風景の一コマのようです。
今後の問題は、1. 神聖な聖堂内を銃撃戦ゲームに使用したことへの謝罪。 2. 製品の販売中止、回収。または教会内部を損壊しつつ殺し合いをする場面の変更あるいは削除。 3. 問題のゲームによって得た利益から、18歳~30歳を対象とした反銃犯罪教育資金への寄付。 4. マンチェスターの銃犯罪と戦うグループへの支援。という教会の主張にソニーがどう応えるか。
GTAシリーズのように露骨に(銃)犯罪がテーマのゲーム、あるいはポスタルシリーズのように悪趣味であることに意義があるゲームならまだしも、架空の1951年を舞台に連合国兵士が怪物から人類を守るために戦うゲームなのだから「銃による暴力を称賛するゲーム」はいかがなものか、という主張は十分に理に適っているものの、現実に銃犯罪に苦しむ付近住民や信徒に対して「床は血まみれだし死体がゴロゴロ転がってますけどSFですから」と説明して納得してもらえるとも思えず、少なくとも銃撃事件のあった学校をゲームの舞台にしてしまうような意味での不謹慎の誹りは免れないところです。
一方、英国でもプレイステーション3が伸び悩むソニーにとってみれば、不謹慎でも醜聞でもとにかく話題になったほうがまだマシというのも事実。ここはひとつ「ゲームはあくまでゲーム」。「レーティングは守っており、良識のある大人の娯楽に過ぎない。」「テーマは銃犯罪ではなく、怪物と戦う兵士の姿を通じて勇気や自己犠牲の精神を表現したもの。」「われわれには表現の自由があり、他人の感情を傷つけようが知ったことではない。」「死体もでないようなゲームはそもそもゲームではない。」「次はバッキンガム。」「ジョン・ウー最高。」「アナーキーインザUK。」といった主張で煙に巻きつつ、国教騎士団を差し向けられない程度に引き伸ばすのが策ではないでしょうか。
[via Joystiq]
マンチェスター選出の労働党Tony Lloyd議員が下院での質疑に採りあげたもので、発言内容は:「自社の著作権が侵害された場合、ソニーのような大企業は即座に法的手段に訴えるでしょう」。「ソニーが銃による暴力を称賛するゲームの一部としてマンチェスター大聖堂の画像を利用したことは単に悪趣味であるだけでなく、英国国教会、ひいては大企業がこのような行為に及ぶことは不適切であると考える国民を極めて強く侮辱するものです。首相はどのようにお考えですか」。
ブレア首相の答弁:「仰るとおりだと思います。このような製品を販売する企業が相応の責任感を持ち、またほかの人々の感情に配慮する感受性を持つことは非常に重要であり......利益を上げるという内部的な責任と同様、より広い社会的責任を理解することが重要であると考えます」。
とまあ、国会といっても国内世論が沸騰とか政治上の争点になったというわけではなく、質問という形で議員それぞれが言いたいことを言い、首相もそれなりに「まったく仰るとおりですはい」と答える、という牧歌的な日常風景の一コマのようです。
今後の問題は、1. 神聖な聖堂内を銃撃戦ゲームに使用したことへの謝罪。 2. 製品の販売中止、回収。または教会内部を損壊しつつ殺し合いをする場面の変更あるいは削除。 3. 問題のゲームによって得た利益から、18歳~30歳を対象とした反銃犯罪教育資金への寄付。 4. マンチェスターの銃犯罪と戦うグループへの支援。という教会の主張にソニーがどう応えるか。
GTAシリーズのように露骨に(銃)犯罪がテーマのゲーム、あるいはポスタルシリーズのように悪趣味であることに意義があるゲームならまだしも、架空の1951年を舞台に連合国兵士が怪物から人類を守るために戦うゲームなのだから「銃による暴力を称賛するゲーム」はいかがなものか、という主張は十分に理に適っているものの、現実に銃犯罪に苦しむ付近住民や信徒に対して「床は血まみれだし死体がゴロゴロ転がってますけどSFですから」と説明して納得してもらえるとも思えず、少なくとも銃撃事件のあった学校をゲームの舞台にしてしまうような意味での不謹慎の誹りは免れないところです。
一方、英国でもプレイステーション3が伸び悩むソニーにとってみれば、不謹慎でも醜聞でもとにかく話題になったほうがまだマシというのも事実。ここはひとつ「ゲームはあくまでゲーム」。「レーティングは守っており、良識のある大人の娯楽に過ぎない。」「テーマは銃犯罪ではなく、怪物と戦う兵士の姿を通じて勇気や自己犠牲の精神を表現したもの。」「われわれには表現の自由があり、他人の感情を傷つけようが知ったことではない。」「死体もでないようなゲームはそもそもゲームではない。」「次はバッキンガム。」「ジョン・ウー最高。」「アナーキーインザUK。」といった主張で煙に巻きつつ、国教騎士団を差し向けられない程度に引き伸ばすのが策ではないでしょうか。
[via Joystiq]