Pinned Tweet植村恒一郎@charis1756·Jun 27, 2019私の論文「人間の身体の美しさについて ー バーク、カント、そしてシラーへ」(『群馬県立女子大学紀要 第40号』2019年2月)が、レポジトリーにアップされました。下記から、どなたでもPDFでダウンロードできます。 https://gair.media.gunma-u.ac.jp/dspace/handle/10087/12590…232185Show this thread
植村恒一郎@charis1756·30mなるほど、仰ることが分りました。私の言う、コンテクストを炙り出すという意味での「批判」は、「自分が受け入れないもの」についても、「自分が受け入れるもの」にについても、当然、検討を加えなければなりません。Quote Tweetとり@agreyheron · 36m私は「叩く」という意味で批判という言葉を使ったのではありません。「自分が称賛するものにも隠れた構造的問題があるのではないか、それは検証しなくてよいのか」という意味での批判です。"自分が受け入れるものには検討を加えなくて良いのか?" という意味です。 twitter.com/charis1756/sta…1
植村恒一郎@charis1756·39m「批判」というのは叩くこととは違います。「言語は、つねに他者によって<引用>される運命にあり、同じ文章でも違ったコンテクストに置かれれば違った意味が立ち現れる」から、逆に、テクスト批判によって他者と自己の各々のコンテクストを炙り出せる。これが「批判」の意味で、デリダ的な発想です。Quote Tweetとり@agreyheron · 49m批判が機能なら、むしろ自分が称賛し素晴らしいとする対象についてこそ積極的に批判、隠蔽された権力構造が隠れていないか詳らかに検討しなければならないのではないか、と、思ったりする。「自分が受け入れられるものには検討を加えない」というところに人文学=活動かい!との失望を受けているのでは。 twitter.com/charis1756/sta…11
植村恒一郎 Retweeted平野啓一郎@hiranok·3hフーコーの影響力を強く感じるのは、数多の引用や言及に触れた時よりも、寧ろ、未読だった彼の本を読んで、どこかで目にしていて、またいつの間にか自分もそうなっていた一つのものの考え方の出所が、正にここだったと気づく時。匿名化されるほどの一般化。16111
植村恒一郎 Retweetedsaebou@Cristoforou·3hただ、「こういう交渉をして成功しました」みたいな体験談はけっこうシェアしたいと思ってる。書きたいことを書かせてくれない出版社、非効率な運用をやってる学会、どこもいろいろ交渉したら改善してくれることがありますよ。1780Show this thread
植村恒一郎@charis1756·6h[今日のうた] 夢の逢ひは苦しかりけり覚(おどろ)きて掻き探れども手にも触れねば (大伴家持『万葉集』巻4、「夢の中で貴女に逢ったのはつらかったよ、はっと目が覚め、手を伸ばしてひたすら周囲を探ったけれど、貴女に触れないのだから」、恋人の大友坂上大嬢に送った歌)1
植村恒一郎@charis1756·6h[今日の絵] Henry Nelson ONeil : Pleasant Dreams, 1852 ヘンリー・ネルソン・オニール(1817~80)は、イギリスの画家で風俗を多く描いた、この少女は眠っているが「楽しい夢」というタイトル、物語を読んでいるうちに寝込んで、その夢を見ている、「眠る女」の絵には「夢」というタイトルが多い1
植村恒一郎@charis1756·14h「立小便云々・・」って、呉座氏のテニュア停止のことですか? それは日文研の処分の妥当性の問題であって、OLの問題ではありません。そもそもOLは呉座氏を批判しているのではなく、呉座氏がそこで「活躍」したホモソーシャルな文化を批判しているのですから。Quote Tweetぶる@GoldSarcophagus · 15hReplying to @charis1756そういうことを咎められているのではありません 立ち小便をした人間に対して、罰金1000万円を課するような真似を咎められているのですよね 人文学の模範的遂行であれ、社会上の各種プロセスとの調停なしに行えば、不当な人権侵害を招くし、それは容易に想像しうると言われているのではないですか?12
植村恒一郎@charis1756·15h人文学は理系の学問とは違います。理系の学問は、客観そのものを認識するために、人間主観というバイアスを極力排除します。それに対して人文学は、人間を「価値を創り出す存在者」として捉え、価値を生み出す人間とはいったい何かを知ろうとします。だから両者の方法論はまったく違います。Quote Tweet夢猫@masaharu19759 · 15h人文(humanities)は学ではないが、人文学であるなら、「学」の意味は分析(構造)と解析(論)だわな そもそも、①覚える②考える③悩む④悟る⑤理解する、を経ないで、①②だけで「試験の点」が取れて合格するから、それを理解したと錯覚している者達が多いから、こう言う似非学者が跋扈するわな(ホジ twitter.com/charis1756/sta…32
植村恒一郎@charis1756·16h初耳?人文学の核心は「言語はつねに他者によって<引用>される運命にあり、同じ文章でも違ったコンテクストに置かれれば違った意味が立ち現れること」の自覚にあります。逆にテクスト分析により他者と自己のコンテクストの差異が分る。これが人文学における「批判」の意味で、デリダ哲学の核心です。Quote Tweetたっくん(習い事送迎運転手)@Ttakkuunn · 16h『人文学というのは、哲学が特にそうであるように、批判の機能がその核心です』 初耳ですわ twitter.com/charis1756/sta…12
植村恒一郎 Retweeted森岡正博@Sukuitohananika·16h「奨学金の返済をチャラにしろ。そのすべてをだ。」バニー・サンダースQuote TweetBernie Sanders@BernieSanders · Apr 5Cancel student debt. All of it.734
植村恒一郎@charis1756·17hええ、自分の文章ですもの。同じ批判に対しては同じ版論をするわけだから、何度も使うのは当然です。デリダはそれを「引用」と呼びます。言語の本質は、繰返し「引用」されることにあります。他者による「引用」であれ、自己による「引用」であれ。Quote Tweetまりにゃ@mayimbesasson · 17h同じ文章コピペしまくってますね twitter.com/charis1756/sta…14
植村恒一郎@charis1756·17h人文学の核心は、「言語は、つねに他者によって<引用>される運命にあり、同じ文章でも違ったコンテクストに置かれれば違った意味が立ち現れること」の自覚にあります。逆にそれによって他者と自己のコンテクストの差異が分る。これが人文学における「批判」の意味で、デリダ哲学の核心でもあります。Quote Tweetまりにゃ@mayimbesasson · 17hあれを見て批判機能が正常に現れていると本気で思ってるなら日本の人文系は滅びた方がいい。 twitter.com/charis1756/sta…12
植村恒一郎@charis1756·17h人文学が「批判」であるのは、語られた/書かれた言葉を問題にし、その発話がどのようなコンテクストでなされたかを解明し、炙り出すからです。オープンレターの内容は、呉座氏等ツイッターで遊んだ人々の発話を、ホモソーシャルなコンテクストとして読み解きました。だから、人文学の模範的遂行です。Quote Tweetまりにゃ@mayimbesasson · 17hあれを見て批判機能が正常に現れていると本気で思ってるなら日本の人文系は滅びた方がいい。 twitter.com/charis1756/sta…14
植村恒一郎@charis1756·17h人文学が「批判」であるのは、語られた/書かれた言葉を問題にし、その発話がどのようなコンテクストでなされたかを解明し、炙り出すからです。オープンレターの内容は、呉座氏等ツイッターで遊んだ人々の発話を、ホモソーシャルなコンテクストとして読み解きました。だから、人文学の模範的遂行です。Quote Tweet紙魚@silver_fishes · 18h中身や手法がどんなでもとにかく批判さえしておけば機能を果たしたことになる人文学、楽チンでうらやましい twitter.com/charis1756/sta…385
植村恒一郎@charis1756·18h人文学の核心は、「言語は、つねに他者によって<引用>される運命にあり、同じ文章でも違ったコンテクストに置かれれば違った意味が立ち現れること」の自覚にあります。逆にそれによって他者と自己のコンテクストの差異が分る。これが人文学における「批判」の意味で、デリダ哲学の核心でもあります。Quote Tweet紙魚@silver_fishes · 18h中身や手法がどんなでもとにかく批判さえしておけば機能を果たしたことになる人文学、楽チンでうらやましい twitter.com/charis1756/sta…13
植村恒一郎@charis1756·21hつまり、ある文章を誰かが発話すると、別の誰かがそれを聴くわけですが、話し手と聴き手はコンテクストが違うから、話し手がその文章に込めた意味とは違った意味が、聞き手には立ち現れる。これが、人文学の根底にあるテーゼです。23Show this thread
植村恒一郎@charis1756·21h人文学の核心は、「言語は、つねに他者によって<引用>される運命にあり、同じ文章でも違ったコンテクストに置かれれば違った意味が立ち現れること」の自覚にあります。逆にそれによって他者と自己のコンテクストの差異が分る。これが人文学における「批判」の意味で、デリダ哲学の核心でもあります。Quote Tweetエドワード不合理@ikikiyatteiki · 21hReplying to @charis1756 and @usovich批判が核心なのは結構なのですが、もしかして他に機能はないのでしょうか植村先生223Show this thread
植村恒一郎 RetweetedKOMIYA Tomone@frroots·23hレターも出してからしばらくはそれほどの反発はなくて、「憶測」だらけの攻撃が増えだしたのは雇用問題が報じられてからなので、何らかの「ネタ」をもとに生じるcyber bullyngなコミュニケーション(と女性差別的文化の結びつき)というレターが指摘した問題が結局繰り返されてるんですよね。Quote Tweetおきさやか(Sayaka OKI)@okisayaka · Apr 5オープンレター自体は女性差別的な文化を無くそうという本当にシンプルなものでしたが、この一年間に生まれた臆測の数々から、見知った秩序が揺らぐということに対する人々の動揺のすさまじさを垣間見た気がしています。Show this thread281142Show this thread
植村恒一郎 Retweeted竹村俊助/編集者@tshun423·Apr 540年ほど生きてきて気づいたのですが「落ち着いたら〇〇をしよう」と言うときの「落ち着く」タイミングは、ほぼやってこないので、やりたいことあったら、なるべく早くやっちゃうのがいいかなと思います。4015.6K44KShow this thread
植村恒一郎 RetweetedHASU 蓮@tajhonhada·Apr 6Replying to @charis1756 and @kambara7失礼します。私は子ども達の入学式、卒業式の国家斉唱は立ちませんでした。緊張しましたがやるしかない。運動会は楽でした。みんな立っていますから視線は違う方向で。1人の子どもの大学の入学式では日の丸はなく、これだよねっと思った記憶が。フォローさせていただきました。312
植村恒一郎@charis1756·Apr 6ずいぶん以前ですが、私も娘の入学式のとき、夫婦で起立しませんでした。というか、開会の起立とともに、すぐ斉唱だったので、あわてて座ったのを覚えています(笑)。全体主義って、そういう世界ですね。Quote Tweet弁護士神原元@kambara7 · Apr 6娘の入学式。 国歌斉唱で起立しないのは俺だけでしたね。校長は日の丸にいちいち礼をする。なるほど全体主義ってこんな世界だね。 マルコの台詞を一つ。 「ファシストになるなら豚の方がマシだ」Show this thread32045
植村恒一郎@charis1756·Apr 6もし貴方が「人文界に失望した」とすれば、それは貴方の人文学観が誤っているのだと思います。人文学というのは、哲学が特にそうであるように、批判の機能がその核心です。オープンレターは、人文学がそのあるべき機能を発揮した、素晴らしい成果だと思います。Quote Tweet魚か@naakass · Apr 5いや本当に、学徒として私も学んでおりました人文の世界の先生がたって自分如きには及びもつかない素晴らしい知の巨匠たちばかりとこれまで信じておりましたが、そうした自分の見知った秩序が完全に揺らいだ悲しい一年でありました。同じく人文界に失望を感じた人々の動揺の凄まじさも想像に難くなく。 twitter.com/okisayaka/stat…1217822
植村恒一郎@charis1756·Apr 6御意。オープンレターは、まったく当然のことしか主張していないのに、オープンレターに対して怒る人があれほどいることに、私も驚きました。Quote Tweetおきさやか(Sayaka OKI)@okisayaka · Apr 5オープンレター自体は女性差別的な文化を無くそうという本当にシンプルなものでしたが、この一年間に生まれた臆測の数々から、見知った秩序が揺らぐということに対する人々の動揺のすさまじさを垣間見た気がしています。Show this thread16
植村恒一郎 Retweetedおきさやか(Sayaka OKI)@okisayaka·Apr 5オープンレター自体は女性差別的な文化を無くそうという本当にシンプルなものでしたが、この一年間に生まれた臆測の数々から、見知った秩序が揺らぐということに対する人々の動揺のすさまじさを垣間見た気がしています。6121227Show this thread