「なんとも言えない華がありました。それはリンクの中でも外でもでした」
とお答えになりました。そう、なんとも言えない華。これは高橋さんの言葉からも十分に彼の人を惹きつける魅力がわずか小学2年生の羽生選手に備わっていたことがわかります。
—すごい人気だったんですね。お姉さん方には人気ありそうですね。あんだけ可愛いんですから。
「お姉さんたちから可愛がられて、お兄さんたちからも可愛がられて、同世代の男の子たちからは慕われていましたし。2年生ながら、低学年の子に慕われていました」
高橋さんの言葉のフィルターを通じて、その時の羽生選手の様子が手に取るようにわかります。
「鬼ごっこやかくれんぼもやっていましたが、当時流行っていた『笑う犬の冒険』(フジテレビ系)という番組があって、それを真似して、みんなの前でショーをしていました」
羽生選手がバラエティ番組を見るというイメージがないから、新鮮ですねと問うと、
「まあ、小学2年生ですもん、まだまだ」
ごくごく普通の小学2年生のゆづくん。
でもスケートで、オリンピックとなると話は変わってきます。
ーその頃から負けん気でした?
「ありましたね。やるからには絶対にオリンピック優勝すると決めてましたし、身近な人にも憧れつつ、プルシェンコにも単純に憧れるというよりも、自分から似せに行くという感じというか、とても身近にプルシェンコのことを感じている感じがしました」
—オリンピックで金メダルか〜、すごいなあって思いませんでした?
「でもそこに不自然さがなかったんです。みんな本当に当たり前だと思っていたから、誰も笑ったりすることは私が見る限りではなかったですね。そもそもスケートは当時、ダブルジャンプしかやっていなかったんですが、ダブルサルコーでもセンスが違っていました」
小学2年生にして、その強さ。そしてそれをきちんと見ていたナルちゃん。すごい。
—センスが違うとは?
「ジャンプのセオリーでいうと、まず上に上がってからしめて、回っておりるんですが、今の4回転技術で求められるような回りながら上がって行くようなやり方を無意識のうちに、多分、自然に体がそういう動きをしたり。ジャンプ自体がかっこよかったんですよね。同じジャンプをやっていても」
—2年生でそれだけの技術があるって天才ですね。
「都築先生も、私と比べて“ゆづはすごい”って言っていました」
これを今日、テレビ東京で放送されたエキシビション前、都築章一郎先生が、羽生選手へ労いの言葉をかけられた姿、それを聞いた羽生選手の表情。羽生結弦という人はたくさんの人に愛されて、羽生結弦という美しいスケーターであり続けてくれているんだな、そう感じました。
「でも、食欲で食べているというよりは、興味で食べている感じですね」
—どんな味なんだろうとか、そんな興味ですかね。
「そうだと思います。面白いから食べるとか、そんな印象を受けました」
ー食に興味はあるんですね、かわいいなあ。
「かわいいですよね」
食べることに興味がないわけではない。食べ物には興味があるけど、食が細いのかな。彼の栄養トレーナーを取材した身からするとものすごい画期的なコメントです。
この他にも高橋さんがが怪我していた時に、治療器具のコードがぐちゃぐちゃになっているのをみて、羽生選手は自分が愛用していたイヤホンクリップを”はいこれあげる”とさりげなく渡してくれたことも教えて頂きました。
高橋さんもおっしゃっていましたが、羽生選手はあまりに人の気持ちがわかりすぎるのではないかと。
私はこう問うてみました。
ーすごい優しいですね! その頃、まだ10代でしょうし、そんなに人の気遣いができるなんて。
「もしかしたら、人の気持ちがわかりすぎてしまうのかなと思いました。子どもらしいんですが、子供らしさの中にみんなが喜ぶようなことをやっているなって思いました。それはすごいなって思う一方、たぶん、だからこそ、人と一緒にいる時に必要以上にエネルギーを使ってしまうんだろうなと思いました」
—それはどんな時に感じました?
「試合のラウンジとかで、普段、そんなにはしゃぐような子じゃないのに、はしゃいだらみんな喜ぶから、はしゃいでみたりとか。エキシビションの練習でも疲れているだろうに、みんながゆづが踊り出すと喜ぶの、わかっているから踊ったりとか。サービス精神もあるんでしょうが、無理してやっているところもあると思います」
—それは子供の頃から?
「子供の頃から気を使うタイプだとは思いました。ストレートにものは言うんだけど、人が傷つかないようにものを言ったりとか。もともと語彙力が高かったからと思います」
—今でもアイスショーの舞台裏を見ると、後輩たちに気を配ったりしていますし。すごく繊細なイメージがあります。それは高橋さんからみてどうですか?
「どうですかね。傷つきやすいかもしれませんが、傷つき方のカバーのしかたが常人と違うというか。例えば私だったら、傷ついて何もできなくなってしまうんですが、悲しくなったりとか。ゆづの場合は、それを力に変えていくんですよ。だから本当に傷ついているのかな?って思うんですが、そうやって、自分の力に変えちゃうことができるからこそ、周りにもうちょっと(彼も傷つくんだってことを)理解してほしいなとは思います」
—精神力が強いですよね。昔から?
「強いですよ〜。まず本番に劇強いです。本番でドキドキして、人にみられると萎縮してしまう人が多いんです。大概は“失敗したらどうしよう”って思って、ちょっとだけ萎縮してしまうんですが、ゆづの場合は私が知り合った2年生の頃から、本番になると普段以上の力を出すんです。今、私、コーチをやっていて、教え子に指導する時に、“試合では普段の80パーセントも出せないから、普段の練習を120パーセントやりなさいっていうんです。それはゆづには当てはまらないと思っています」
—その強さはなんでしょうか?
「持って生まれたものもあると思います。ただ、努力もしていましたね。足りているところもしっかりとカバーしていったり。自分をきちんと分析していて、課題を自分の納得いくように解決していくので、基盤が熱いというか。ちょっとやそっとじゃぶれない。怪我しても、“この怪我は今までの自分の練習を覆すほどの怪我ではない”と思えるぐらい、練習以外、自分がおろそかにしそうなところもしっかりとやっている」
羽生選手は人に気を使いすぎるところがあるんだなと思います。
大会期間中、コーチ不在のことで、冷たい記事を見ることもありました。
これは私が覚えているエピソードですが、2019年のスケートカナダで、羽生選手はとある男性を見つけて「あっ!」と表情を明るくし、すぐにその男性のところにちょこちょこと駆け寄り、深々と頭を下げます。深々と頭を下げる様子があまりにも羽生選手らしいなと思って、思わずカメラにおさめてしまいました。
多分、あのメガネさんですね。
羽生選手を見るといつもこう思います。どうしてそんなに全力でできるんだろうと。それは何によりも彼の持つ優しさからなんですね。
たくさん背負うものもありましたし、何も言わない彼に対して、いわれなき言葉をかける人たちもいます。羽生選手は傷つかないわけではない。むしろたくさん傷ついてきていると思うのです。
それを何も言わないで、後輩のことを「守る」と発言する羽生選手。どれだけ本人は傷ついてきたのか。
だからこそとは言いませんが、羽生選手の強さは守る気持ちからくるのだと思います。
それは最大、何か。
スケートです。彼が最も愛するフィギュアスケート。それを守るために彼はずっと戦い続けた。
それを高橋さんのインタビューをした私は、そう感じたのです。
最後に私はこう問いました。
—私たちが若い頃にやってきた頃を諦めたっていうか・・・。
すかさず高橋さんはこう答えます。
「諦めたっていうよりも、どれもこれもスケートを超えなかったんでしょうね。スケートを超えるものに会えないほど、スケート愛が強い。私もスケート好きですが、彼のスケート好きさには足りないと思いますね」
羽生選手のスケートに幸あれ。それは世界中のあなたを愛する人たちの願いです。