第五福竜丸事件を批判する思いで制作されたという「ゴジラ」は、
その後怪獣映画としてポピュラーとなる。
必ずと言って良いほど、ゴジラは、高度経済成長の成果を破壊し
て回る。新幹線、東京タワー、黒四ダム、etc.。逃げまどう民衆
は近代以前の大八車に家財を積んでたりする。
このパターンが受ける理由があるのだろうかと長年考えていて、
岸田秀の共同幻想論や岡田斗司夫の文化批評などに触れるうちに
ふと思い当たった。
この映画は、高度成長がうまく行きすぎたことに潜在的不安を
感じていた日本人の琴線に響いたのではないか。具体的には核戦
争に巻き込まれてすべてが終わる…というイメージが。
だからこそ、水爆実験によって生まれたゴジラが日本の近代イ
ンフラを壊して回り、その映像をみた観客は安心した気分になれ
たのである。戦争映画や暴力シーンをみることで、人間の粗野な
本能の発現がむしろ抑制されるのと似ている。
高度成長はじつは砂上の楼閣だった…人々の不安は的中。最初
は四大公害が警告を発し、オイルショック、バブル崩壊、金融危
機を経て、原発災害というとてつもない怪獣がとどめを刺した。
自衛隊ヘリの放水がチャチに見えたのも映画そっくりである。
かつての経済白書的にいえば「もはや(インフラの整った)
近代国家ではない」。だが、一度でも衣食足りて知った礼節が、
とくに東北の人々において、簡単には失われていないことを救
いに思う。
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