賛同をいただいた方からのコメントを一部ご紹介します。

個人の特定に繋がる文言については削除しています。ご了承ください。

二次予防三次予防も大切だけれど、次から次へと似たようなケースが起こり、キリがないのではないかと暗澹としていました。一次予防としてカルチャーを変えるために、同じ危機感と志を持つ方々に連帯します。

心から賛同します。「被差別カテゴリーに属する人びとを貶め気軽に個人を中傷することを可能にしている文化こそ、むしろ言論の自由を脅かし、ひいてはマイノリティの生を脅かしている」ということに、研究・教育・言論・メディアにかかわるすべての人間は自覚的でなければならないと思います。

デジタル社会において、発言する機会をマイノリティから奪う行為はネット空間の破壊であり、現状では加害者に言論の自由を超越した言論の利益を与えています。今回の呼びかけは言論の自由を脅かすものではなく、連帯することで公平なネット利用実現に向かうと思い、賛同致します。

私も同じ研究コミュニティに属する人間として、今回の事態を深刻に受けとめており、強く責任を感じております。私たち研究者一人一人が、今回のことを自分たちの問題であるとともに学界の構造的な問題として捉え、真摯に自己批判し、再出発していかなければならないと思っております。

自分のこれまでの履歴を振り返っても、女性差別的な文化に加担してきているところは間違いなくあると思いますし、もしかすると今でもそうした傾向が残っているのかもしれません。それだけに、それこそ「中傷や差別的言動を生み出す文化から距離を取る」べく、このオープンレターに賛同し、また私と同様の全ての人々に賛同を呼びかけたいと思います。

いわれのない誹謗中傷に苦しむ女性を含むマイノリティの研究者のための明快な宣言をありがとうございました。ぜひ賛同させてください。修士課程まで歴史学を専攻していた身として、博士課程進学者が年々減少しているアカデミアにとって非常に悪影響を及ぼすものだと思いました。また、今回の件で何より残念極まりなかったのが、「(加害者が)一旦謝ったら(被害者)は矛を納めような」などといった、被害者に対する二次加害ともいうべき言説が、大学に籍を持つ男性歴史研究者たちから平然と発せられていたことです。アカデミアに内在するこうした無意識なハラスメント体質が顕在化したことは、優秀な学生が大学での研究者を目指す道を選ばなくなる理由の一つになりうるということを、直接的および間接的加害者たちは理解すべきだと思います。 さい。自分自身もなにか発言する度に中傷のコメントやメールや手紙が送りつけられて心が折れそうになることがあります。まずはこうした事実を明るみに出しておくことが重要ですよね。

呼びかけの文章を読み、この署名運動が、激しく同調圧力を強いながら孤立化を煽る時代背景によって、亢進していく差別と暴力の力動に、立ち止まって集団的に対抗しようとしている営みであると感じ、賛同したいと強く思いました。僕も現在、教育や研究に携わる身ではありますが、日々の寂しさや将来の不安、競争で負けてしまうかもしれない恐怖に苛まれています。こうした寂しさ、不安、恐怖が、気づかないまま憎悪へと変わっていて、差別や暴力に加担し続けたくはないと感じています。僕らの悲劇が少しでも減じられて、僕らの責任への応答が徐々に徐々に果たされ、穏やかな相互ケアの世界が次第に訪れますように。祈るように、賛同の意を表します。

研究開発職として大学、研究所、企業にて計10年程勤務しているものです。

研究関係では、今回は文科系の問題が起きましたが、理系では諸問題がSTAP細胞の小保方事件として大きく噴出してしまった経緯があり、思い出して心が痛みます。小保方事件は笹井先生の自殺という最悪の形での収束を迎えたため、今回のことでもどの立場のかたであれそのような事態にならないことだけ強く望んでいます。

理科系でもジェンダーアンバランスの問題や、女学生や女性研究者の体力ではついていけない過酷な実験や研究室生活に体を壊して辞めていく人たちをたくさん見てきました。友人がラボ内で倒れ、他の男性メンバーに無視されて置いたままになっていたこともあります。

女性が勝ち上がるには男性の権力者に取り入ったり媚びたりする変な必要が出ることが、小保方事件の一要因になっていたこともあり、そういう要素があるのも実際のところだと思います。

わたしが就活していた15年ほど前では、女性は妊娠出産するから大きな研究プロジェクトは取れないとか、研究職に採用されないとかも普通に言われていました。

女性の進学者が少ないのは、理系は女に合わないと言われるだけでなく、先輩たちのそういうつらい姿を見ているからです、そんなに大変な思いをしてまで研究の道に進む必要があるのか、ということで最初から選ばないんです。賢い人たちであるために。そういう現状を改善するまで、文科系でも理科系でも、研究の世界に若い女の人たちを招くことはできないな、と呉座さんの件で思いました

適切な指摘を迅速に公表して下さったことに感謝します。今回の件は人文系のアカデミアの中で大きな関心を呼んだ一方で、全体としてはより大きなジェンダー不平等を抱えている理工系のアカデミアからの反応は必ずしも大きくありませんでした。理工系分野への女性の進学を増やす試みは多くなされていますが、そのためには内部で無自覚に受け継がれている男性中心主義文化を省みることが必要であると、理学系研究者の一人として改めて感じました。

私は「外科に女はいらない」と面と向かって言われていた世代です。

今となってはそういうことは公の場で言えない空気になってきましたが、それでも、近年医学部女子受験生の入試差別が明らかになるなどまだまだ差別的な待遇は残っています。

そしてそういうことを指摘すると揶揄されるようなこともまだあると思います。特にTwitterではツイフェミと言われて不愉快なことがありますね。

賛同します。 特に、今回の件を見逃され続けてきたことには自分のような男性研究者の責任が大きいと思います。 連帯をしながら、私自身、できることを模索したいです。 

大学院生として、一連のできごとはとてもショックでした。しかし、毅然として不正義を明るみに出してくださった北村紗衣先生、声を上げてくださったアカデミアの方々に、たいへん励まされました。賛同するという形でしか抗議できませんが、不正義を見てみぬふりはしないでいたいと思う次第です。

若手で助教として大学に入った。バリバリ頑張ってくださいと言われるたび、私は北村先生のように強くはないので、目立たずひっそりしていたいと思ってしまう。少なくともメディアに注目されるような研究は怖いのでしたくない。しかし、こういった状況は脱却すべきなので呼びかけに賛同する。

テレビの現場では男尊女卑が当たり前過ぎて、気付かないまま差別的表現をしてしまうことも多くあります。

なかなか声を上げられないでいますが、少しづつでも変えて行く一助になれば。

呼びかけに賛同します

賛同いたします。差別という社会の問題は、個人から個人への攻撃を生みますが、これを結果だけを見て個人の問題にすり替えると日本の差別的な社会は何も変わらないと思います。今回の件も、攻撃を与える個人は、もはや個人の枠を遥かに超えて差別的な社会を背景に自信をも得て攻撃しており、その結果受ける被害は、個人の枠を遥かに超えて、差別的な社会を背負う形の極めて重たいものであり、これを個人の問題に帰結させる事が起こるならそれこそが、差別の象徴だと思います。

今回のことは、日本(特に前近代)を研究対象とする日本人の男性研究者(歴史、文学、思想)の多くが共通に抱えている問題として深刻に受け止めました。

今回中傷の的となった北村紗衣さんより少し上の世代に属する者として、憤りとともに一種の責任も感じています。私たちの世代の女性がそれぞれ属する共同体の中で差別を「上手に」受け流していたこと、そのようにしなければ生きられなかったとはいえそれに対して無反省だったことが、差別的文化を後の世代に引き継がせることになってしまったと思うからです。今、自分が何をできるのかを考えるこのような機会を与えてくださり感謝すると共に、強い気持ちを持って賛同署名させていただきます。

アカデミアの女性差別には多くの女性研究者が思うところあれど,特に理系は数の少なさ故,みな「わきまえて」おり,表に出る事が少ない現状です.今回の呉座先生の北村先生を始めとする女性差別的なツイートの一件,ある意味「ああ,アカデミアの膿が象牙の塔から漏れ出たか」という思い受け止めています.このような目に見える「判りやすい」女性差別を平然とやれてしまう人がアカデミアにもまだまだいるんだな,とガッカリすると共に,採用や昇任,学会でのインバイトや座長の女性の少なさなど,結果として数字には出て来るがその選考プロセス,ひいては女子学生の教育から始まる目に見えない差別は理系も深刻です.男女共同参画の仕事に関わるうち,日本の(少なくとも理系)アカデミアの衰退はホモソーシャル組織の継続と地続きの問題だな,と実感しております.

北村氏の学術的、人格的信頼性を不当に貶めたことに強く抗議します。同時に、日本社会に巣食う構造的性差別として普遍化することも、こうした特に女性への公開リンチを根絶するために必要と思い賛同します。

アカデミアに属する男性研究者がSNS上で女性に対する誹謗中傷を繰り返していた今回の問題に、深い衝撃を受けました。

私は中高一貫の男子校で教育に携わる立場ですが、男子ばかりが過ごす中でホモソーシャルな文化に染まりやすい環境の危うさも改めて認識しました。今なお厳然と存在する構造的不平等を認識し、ミソジニーを許さない価値観を共有していきたいと強く感じています。

素晴らしいステートメントと呼びかけ、ありがとうございます。私もTwitter上などで中傷を受け続け、いかにすべきか考え、微力ながら取り組んでおりますが、こうして連帯の動きが出てくると、力を得た気持ちになります。どうぞよろしくお願い申し上げます。

今回の声明に敬意と賛意を表するとともに、出版業界に身を置く者として、同時にシスヘテロ男性として、問題の是正に向けてひとつずつ取り組んでゆく所存です。

私は海外で大学教員をしていますが、人種や言語という不利な要因を差し引いたとしても、日本では今のような職につけなかったはずです。それは、オープンレターにあるように、『最初から「キャンセル」されている』属性であったことが決定的に大きかったと思っています。そのような悪条件の中でで戦い、声をあげ、存在を示すことでのちに続く女性やその他の排除された人たちの社会な参加を促す女性研究者たちに、心からの敬意を示すとともに、中傷や差別的言動を生み出す文化の抜本的な改革を求めます。

賛同者として連なっている方々のお名前を見て、息するのがちょっと楽になりました。知り合いはもちろん、会ったことのない方でも、仲間がどこかにいるんだと思うと救われます。ありがとうございます。

丁寧で、配慮に満ちたオープンレターをまとめてくださり、心より感謝申し上げます。今回のことについて、最も納得のいく文章でした。現在、代表を務める学会でもハラスメント防止ガイドラインの制定に入っています。このオープンレターも会員に共有しながら、制定していきたいと思います。

アカデミックな分野における構造的な問題のありようを丁寧に記述した「呼びかけ」を拝読し、自分自身が日々感じてきた小さな引っ掛かりを言語化する助けをいただいたように感じました。心より賛同します。さまざまな意味で弱い立場に立たされている知人・友人・同僚などとともに、まずは言語化という地道な実践をしていきたいと思いました。

この問題を個人の責任に押し込めず、特に日本の(ネット)社会に蔓延る風潮として捉え、丁寧に課題解決への糸口を示されたところに賛同します。またハードルの低い「距離を取る」という手段の例示にも、誰一人無関係な人間はいないという強いメッセージを受け止めました。

性差別的な言動をして来なかった、また、性差別的な言動に抗してきたとは言えないと反省します。私を批判する方もあるでしょう。それでも、呼びかけの趣旨に賛同し、これからの言動、ことに、研究、教育における目当てとしたいと思います。

20数年前、学部学生であったときに、研究室内において深刻な女性差別を受けたことがあります。そのときは声を上げられませんでしたが、今こうして差別的な文化を脱するための大きな声が上がっていることに勇気づけられます。今は女性差別という旧すぎる文化を脱する最後のチャンスだと思います。連帯していきましょう。

研究・教育・言論・メディアのいずれにも属していないのですが、レターの内容に共感したため、賛同を表明させていただきます。

今回は特定の方に対する悪質なネット上の攻撃という、分かりやすい形で問題が表出していますが、女性差別的な文化を放置しておくと、これからも女性に対して、また性差別に反対する者に対して、明に暗に不利益や被害が出ることは間違いありません。

これは私が関わってきた芸術、文化、また映画などの制作分野も概ね同じようなことが言えるはずです。

学問や芸術の分野で差別が解消されることは、必ず各分野の発展を促すと信じています。今後も具体的な取り組みを期待いたしますし、何らかの形で貢献したいと思っています。

このオープンレターの内容はもちろんんこと、この動き自体に勇気づけられました。大学業界は、教員だけでなく職員も男性中心の世界で、有期雇用の職員はそのほとんどが女性です。そのような有期雇用の女性たちが、無期雇用の男性職員を支える構図にへきえきとしています。そしてこの有期雇用の女性職員のストレスのお世話をするのが無期雇用の女性職員に求められている状況です。本当に変えなくてはと強く思っていたときに、このような機会があり賛同させていただきました。

ただの学生ですが、賛同します。自分は大学という場が好きで、そこで働く先生方をとても尊敬していました。しかし、今回、尊敬していた人々が、簡単に差別的な発言をし、他者の尊厳を奪うような行いをしていたことに大変ショックを受けました。また、大学で教育を担い、人間社会を豊かにする研究を行ってるはずの多くの人々が、女性の尊厳やそれに関わる運動を軽視し、馬鹿にしていることにも深い落胆を覚えます。学部生の間でも、SNS等で女性蔑視を行う情報を発信したり、女性であってもそうした女性蔑視を内面化してしまっている人も見受けられるように思います。SNS上で女性差別的な言動を見たり、友人がそうした話をするたびに、私は凄まじい違和感と、反論できない情けなさに襲われます。誰もが自由に研究できる学問の場を守るためにも、女性差別、ひいては人間の尊厳を守るこの運動は賛同すべきだと思いました。学問の場で教育を行う立場の人々が女性差別あるいはそういった思想を持っていれば、当然女性は自由に研究することを抑圧される可能性があります。確かに言論・表現の自由は大切ですが、その自由のために他者の自由あるいは尊厳が奪われてはなりません。他者を抑圧する自由は自由ではなく、暴力にすぎません。学問の場がそうした暴力を根絶し、あらゆる人に開かれ、自由や尊厳が当然のように守られる場になることを切に願います。

30年以上テレビ局に在籍しています。「これは女性を貶める表現なのでは」と指摘しても、表現の自由を盾に「観て楽しむ人もいる」という反論にかき消されます。不快に思った視聴者から苦情が来ても同じです。テレビ朝日が報ステCMの件で報道局長を厳重注意しましたが、これも、喉元過ぎれば熱さを忘れるになるのではないでしょうか。テレビ業界は、ジェンダー平等について一部の一時的な流行のようなものだと捉えている節があり、問題は根深いです。よほどのショックを受けない限り、テレビ業界の空気を変えることは難しいのではないかと深く憂慮しています。

呉座氏による中傷や揶揄、および、それを呉座氏と北村氏の対等な喧嘩と見做して抗議の声を押さえようとした一部研究者の動きに怒りを覚えました。それと同時に、過去に自分がそのような振る舞いをしたことがなかったか、他者への中傷をネタとして消費することを常に拒否できてきたかという点について反省もしました。言論の自由を担保しつつ他者の人権や尊厳を損なわない、より健全な社会の形成を目指し、ここに賛同致します。また、美術史研究者として、社会的イメージ(心象)がどのように形成されそれがどのように人の言動に影響を与えうるかについて常に意識しながら研究・教育・その他の言論活動に携わりたいと思います。

性差別的な発言や振る舞いが、決定権や資金を握る立場の人間や組織に許されてしまうことは、舞台芸術の世界でも多々起こっています。また芸術の場合では、作品の評価や美意識の問題と、性差別的な伝統的思考とが結びつき、問題をさらに難しくしていると考えます。また、女性による女性へのパッシングと言った、制度的性差別も問題視するべきかと思います。私も色々な場所で声をあげていまが、劇場や組織によってはそう言った声さえも、聞かなかったことにされ、外部からの援護射撃が欲しいです。

私の所属する小さな組織(雑誌編集部やその周辺)でもたくさんの小さな無意識の、ゆえにとても骨身に重く響く性差別が、残念ながら日常的にたくさんあります。そうした差別をする人は、それが差別ではなくて当然で、しばしば正義とさえ思っているようでさえあります。誰がかそういった扱いを受けていると気づいた時には疑問の声をあげ(できない時もありました)、自分がターゲットになったときには何度も推敲を重ねた抗議とお願いのメールを送り、これまでも仕事を続けてきました。でもそういった小さな声は返事すらもらえないことも多く、また返事が来ても巧妙に問題をすり替えられていることもありました。体が動かなくなり、寝込んでしまうことも何度もありました。そうした行為は文字通りの暴力です。人を人ではなくしてしまいます。私の知っている範囲ではありますが、メディアの内部は密室的になりやすく、そこはいまだ封建的で誤った性差社会のケースが多いと思います。女性だから男性だからではなく、互いに同等の尊厳を持つ一人の人間として向かい合う、そんな当たり前のことを心より望んでいます。

差別をゆるさない、暴力を許さない、そのシンプルな思いからこの呼びかけに賛同をしたいと思います。とはいえここに名前が並んでいる人たちと私とは意見が違う部分も正直あります。また、私も含め、ここに名前を連ねているメンバーは性差別と抗いつつも、性差別を全く行なっていないというわけでもありません。しかし、差別行為や、差別行為者(それは名前がはっきりわかっている呉座氏のみならず、その呉座氏の周りの匿名の「取り巻き」のような人たちも含まれます)に対し、あまりにこの日本社会では許容されすぎている現実を目の当たりに、このままでいいわけがないという思いに駆られ、賛同の呼びかけに遅まきながら答えようと思いました。長文失礼いたしました。