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(無題)

 投稿者:山田 実メール  投稿日:2007年12月14日(金)17時37分50秒
返信・引用
   6日付けの報告で抜けたことがありました。それは1903年の地図では,マラト通り9号棟ではなく,ニコルスク通り9号棟でした。つまりディミトリ・ディミトリエヴィチは,ニコルスク通り9号棟で育ち,ニコルスク通りを歩き回ったことになります。もっともいつからマラト通りになったのかは私は知りませんが,私が借りているアパ-ト,マヤコフスキー通り3号棟も,この詩人が30年に自殺したあと,何年かしてナジェジダ通りから替わっているわけですから,作曲家がマラト通りとなった頃まで,住んでいたとは思えないのです。(少しこじつけ気味です)
 きょう14日,つくばのノバ・ホールでペテルブルクの室内合奏団が演奏会を開きます。この合奏団は,最近までムゥソルグスキー劇場といっていたミハイロフスキー劇場のメンバーによるもので,いまも相変わらずレニングラード国立オペラ・バレエ劇場と称して,バレエやオペラを日本で演じている劇場のグループによるものです。この劇場は,ソビエト時代はマールィ劇場と言い,かなり前衛的であったそうです。たとえばディミトリ・ディミトリエヴィチのオペラ「鼻」を初演しています。
 
 

(無題)

 投稿者:山田 実メール  投稿日:2007年12月 6日(木)22時46分40秒
返信・引用
   12月5日に帰国しました。やはり記念室は閉じたままでした。ちなみに10月下旬にここピーテルで第6番を指揮した井上道義さんは,その合間をぬって訪れたとおっしゃっていました。
 このほか,とくに新しいことは報告できません。ご容赦下さい。
 

D.D.Sch.記念室の続報

 投稿者:山田 実メール  投稿日:2007年10月26日(金)00時02分53秒
返信・引用
   「10月に開く」とあった記念室に行きました。やはり開いていませんでした。そこで劇場芸術博物館(310-1019)に電話しました。やはりロストロポーヴィチの死去が響いていて,「12月には開ける」との返事でしたが,あまり当てにはなりません。そしていつの間にか,「10月に開く」とあった公告が,取り去られていました。またマラト9号棟の壁に,あらためて「1914年から1933年まで,D.D.ショスタコーヴィチはここに住んで仕事をした」という鉄板が,架けられていました。
 また手に入れた1903年のペテルブルクの市街地図によると,これまで推測していたとおり,隣りの7号棟は教会の印で示されていました。1938年の写真では,7号棟のところは工事中の塀で囲われていたことから,教会があったのだろうと推測していましたが,今回それを確認できました。
 第3に,ディミトリ・ディミトリエヴィチは若いときにチェカ(のちのKGB)に呼びつけられました。親しかったトゥハチェフスキーについての尋問だったとあります。しかし難を逃れました(詳しくは「わが父ショスタコーヴィチ」にある。この書は邦文と英語版があるそうだが,なぜかロシア語版はない)。このことは30年代後半と推測されます。ところが今回,ソビエト時代KGBが使っていた建物を詳しく調べました。1932-33年建立ですから,D.D.が尋問されたのは,この建物の1室だったと確信できました。
 第4に,井上道義さんが11月27日に,ショスタコーヴィチ大ホールでASO(ディミトリエフが首席指揮者の方。ちなみに1942年第7番を封鎖下のレニングラードで演奏した楽団。テミルカーノフが首席の方はZAO)を相手に,第6番を演奏します。11月に入って,井上さんが一連の交響曲を日比谷公会堂などで演奏しますが,その楽団はASOです。
 11月5日からまたピ-テルです。つぎの帰国までに,新しいことが判りましたら,帰国後に報告しましょう。
 

地名のこと

 投稿者:山田 実メール  投稿日:2007年 9月10日(月)13時07分7秒
返信・引用
   9月3日付けの小生の記事で,「ペテルスブルグ」はおかしいとしたことで,「そうでもないよ。ドイツ語読みでもそうなる」とのご指摘を受けました。まさにその通りでした。以後心掛けましょう。小生は,固有名詞はできるだけその元のところでの音読を大切にしているものですから,あのように書いてしまいました。その昔,合衆国に行っていた友人が「マオ・ツオゥ・トンが死んだ」と聞かされて,「誰のことか?」と聞き返し,毛沢東に思い及ばなかったと反省していたこともありました。以上私論です。  

山田さんの

 投稿者:ふる@管理人  投稿日:2007年 9月 4日(火)13時54分35秒
返信・引用
   ピーテル訪問記、いつも楽しく拝読しています。
 とりあえず木製にしておいて、あとで石碑に建て替えるということをいつま
でも覚えておく、というメンタリティがあるのですね。

 ここのURLは発見しにくいですね。試みに「ショスタコーヴィチ会議室」で
ググってみたら旧会議室に行ってしまいました。旧会議室の「移転先」の暗号
がわかればここに辿りつけるわけですが…teacupは荒らし対策がしっかりして
いるのでそろそろ公開しようかとも思っています。
 

ロストロポーヴィチの墓

 投稿者:山田 実メール  投稿日:2007年 9月 4日(火)11時56分24秒
返信・引用
   6月初め,モスクワを訪れてノヴォジェヴィチ修道院の墓地に行きました。墓地の中央通りの中ほどの交差する右角の先に,ロストロポーヴィチの墓があり,その手前にはバレリーナ,ウラノワが眠っています。つまり道を挟んで向き合っています。なお墓碑はまだ木製のロシア正教の十字架で,いずれしっかりした石碑になるでしょう。墓の周辺には花が一杯で祈る人も多くいました。
 道を挟んで反対側少し入ったところにボリス・エリツィンの墓がありました。心持ち祈る人は,チェリストの墓よりも少ないようでした。しかし飲み助だった人らしく,ウォトカの瓶らしいのが並んでいました。
 この墓地は観光名所らしく,園内に入ると手渡される地図には英語版とロシア語版とがあります。しかし前者にはおおよその場所しか記入されていず,確実なのはロシア語版でした。
 

ショスタコーヴィチ記念室のこと

 投稿者:山田 実メール  投稿日:2007年 9月 3日(月)17時49分59秒
返信・引用
   7月下旬までピーテル(ペテルブルク。某日吉田秀和さんがFMの番組で,ペテルスブルクと言っていましたが,「ス」は不要です。スとするならば,英語風の読み方でピ-タースバーグ,Saint Petersburg です。皆様もご注意下さい)に居ました。その中からの報告。
1)記念室はまだ公開されていませんでした。入り口の扉に「この町の人たちと関心を持たれる方へ。記念室は,2007年10月に開きます」とありました。もちろんロシア語だけです。9月12日から向こうですので,次回帰国時には,やっと報告できるでしょう。
2)マリインスキー劇場のコンサート・ホールに行きました。劇場から歩いて5分とは掛からないでしょう。入り口正面の上の方(かなり上)に,ロシアの作曲家の青銅色の胸像が並んでいます。もちろんディミトリ・ディミトリエヴィチはありました(眼鏡でそれと判る)が,ほかの人たちをとことん確かめることはできませんでした。
 ホール内は日本のサントリー・ホールと同じ形式で,演奏ステイジの背側にも席があります。なお廊下に同じ形式の世界の14ものホールの写真が並べてあり,設計者が同じなのかも知れません。しかし音響効果には配慮したらしいですが,お客のことはほとんど考慮していません。ステイジ背側の座席に行くのに,ステイジ脇の席の人たちを全部立たせないと,たどり着きません。また出入り口が極端に少なく,取り越し苦労する日本人としては,「火事になったら・・・」と案じてしまいました。
 以上取りあえずの報告です(じつはホーム・ペイジのアドレスを消してしまったので,
貴鵬亭さんとつくばの知り合いから教えて頂くまで,投稿できませんでした。お許し下さい)。
 

ご無沙汰失礼

 投稿者:ふる@管理人  投稿日:2007年 8月19日(日)15時08分16秒
返信・引用
  みなさま、残暑お見舞い申し上げます。
 店主(管理人)不在中、貴重な書き込みありがとうございます。
ペレストロイカで帰国を果たした生前のロストロポーヴィチ夫妻に、当時の
NHKモスクワ駐在員がインタビューした番組がベータのテープに入っていて
(きっとどなたかからお借りしてダ*ングしたのでしょう)、過日久々に観
た、というぐらいです。ばたばた日々が過ぎ、文化とは無縁のネタ涸れ状態
です。
 

サロン「ロシア・アヴァンギャルド」御案内

 投稿者:ドンスコワ  投稿日:2007年 6月 4日(月)22時09分46秒
返信・引用
  第11回 例会は、6月28日(木) 18:00-20:30
テーマは、「画像で観る絵画、デザイン、建築の旅―モスクワ、ペテルブルグ―」
会場は、日ソ会館(東京ロシア語学院、小田急線 経堂駅 5分)
参加自由で、資料代500円
問い合わせ先は、サロン「ロシア・アヴァンギャルド」電話:03-3429-8231・日本ユーラシア協会の梶山様へ。
内容は、美術館・博物館収蔵の美術やデザイン、現存する建築物の主要作品をスクリーン上に映し出しながら解説するものだそうです。
作品鑑賞と参加者相互の意見交換を楽しむそうです。BGMにはプロコやタコの音楽が流れるとか、、、
 

訂正

 投稿者:山田実  投稿日:2007年 5月 9日(水)19時03分47秒
返信・引用
   4月30日の小生の報告に誤りがありました。それはD.D.の墓石に刻まれているのは,D,Ee,C.Hではなく,D,Es,C.Hでした。ご免なさい。  

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