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6日付けの報告で抜けたことがありました。それは1903年の地図では,マラト通り9号棟ではなく,ニコルスク通り9号棟でした。つまりディミトリ・ディミトリエヴィチは,ニコルスク通り9号棟で育ち,ニコルスク通りを歩き回ったことになります。もっともいつからマラト通りになったのかは私は知りませんが,私が借りているアパ-ト,マヤコフスキー通り3号棟も,この詩人が30年に自殺したあと,何年かしてナジェジダ通りから替わっているわけですから,作曲家がマラト通りとなった頃まで,住んでいたとは思えないのです。(少しこじつけ気味です)
きょう14日,つくばのノバ・ホールでペテルブルクの室内合奏団が演奏会を開きます。この合奏団は,最近までムゥソルグスキー劇場といっていたミハイロフスキー劇場のメンバーによるもので,いまも相変わらずレニングラード国立オペラ・バレエ劇場と称して,バレエやオペラを日本で演じている劇場のグループによるものです。この劇場は,ソビエト時代はマールィ劇場と言い,かなり前衛的であったそうです。たとえばディミトリ・ディミトリエヴィチのオペラ「鼻」を初演しています。
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