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「着メロ」の話題で思い出したことがあります。それは2007年11月末のことです。この時,私が世話になっている研究所で,研究所の名称に名を付けられたニコライ・I・バビロフの生誕120年を記念した国際シンポジウムが開かれ,そこにフランスの種子屋さんの代表が参加していました。私はまんざら無縁な人ではないので,日曜日に一緒にエルミタ-ジュに行きました。
午後2時過ぎだったか,突然彼の携帯電話の「着メロ」が鳴り出しました。その「着メロ」が,ディミトリ・ディミトリエヴィチのバイオリン協奏曲の導入部分だったのです。その後は話が弾んで,彼はバイオリンを弾きご子息はチェロのプロとのことでした。おまけに彼の母上は,10歳の時ウクライナからルーマニアを経てパリに亡命,長じてフランス人と結婚,彼と兄弟を生んだとのことでした。ちなみに彼はロシア語は駄目でした。
「着メロ」の話しから,こんなことを思い出しました。そして滞在中のある晩,わが連れ合いのチケットを廻して,大ホールでテミルカーノフ指揮のチャイコフスキーの第6番を聴き,感じるものがあったとのことでした。
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