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Re: 管理人さんへ

 投稿者:ふる@管理人  投稿日:2012年 4月25日(水)21時59分51秒
返信・引用
  > No.178[元記事へ]

ゆんくさん
 Waltrauteさんとのやりとり、興味深く、またお二人の造詣の深さに
脱帽しつつ、拝読しています。
 当方、演奏家でも何でもありませんので(笑)、コメントはご容赦下さ
い。プロの演奏家なら、楽器に触る前、譜読み・分析の段階で、特徴の
ある音型の意味を考えたりするのでしょうね。その時に気づくかどうか、
気づいたとしたらそれが演奏に反映するのかどうか。いろいろなケース
がありそうです。
 
 

管理人さんへ

 投稿者:ゆんく  投稿日:2012年 4月25日(水)19時33分26秒
返信・引用
  御忙しい処、大変申し訳ないですが一連のレスにコメントを下されば幸いです。
楽器を弾く側の立場からの見解が聞きたいです。
 

Re: 7音の揶揄

 投稿者:ゆんく  投稿日:2012年 4月25日(水)19時08分25秒
返信・引用
  > No.176[元記事へ]

Waltrauteさん

> あそこで貼ったブログで、
> 「ハムレット」と「クロコジールによる5つのロマンス」作品121の中の「泣き寝入り」のドシドラシソララ7音が揶揄的だったり、
>ちょっとしたギャグ」とありました。
>
> そして「ショスタコーヴィチにとって「ドシドラシソララ」をベルリオーズのように直接的な「死」の象徴として使うという手法は,
>もはや古臭すぎてもはや真面目に使うことのできないものだったのである。」 と続いた訳ですが、
>
> それに対して、私は「完璧な「怒りの日」でおちょくったなら、真面目なところで引用する時には他の作曲家も散々つかった、
> ありふれた音形に見せかけなきゃ色んな意味でマズいんじゃないですか?」と書きました。
> 色んな意味とは・・体制に真意がバレたり、不謹慎な作品と誤解される、ということです。

「死」の言う表現よりも「最後の審判」と言う言い方をしています。
「死」には変わりないのでしょうが...「死」には色んな死に方がありますよね。
 自ら死ぬのか、他人によって死がもたらされるのか、事故によるものなのか、天災によるものなのか...
 全て「死」として結びつけている事こそが、逆にこじつけではないかと思うのですが。

> 「ハムレット」と「クロコジール・・・」は未確認ですが、ベルリオーズの幻想交響曲(1830年)の
> 怒りの日の扱いはパロディで滑稽ですね。

「クロコジールによる5つのロマンス」は私も未聴です。申し訳ない...

> ♪ドシドラシソララの7音を用いて真面目に「死」を表現した作曲家はベルリオーズ以前も以降も一人も居ないのでしょうか?
> もし居ないのであれば、
> ・下手な宗教曲になってしまいそうだから避けた
> ・安易な引用は作曲家としてのプライドが許さなかった、
> ・或いはその両方
> かと想像しますが如何でしょう。

それに関しては、明確な見解が出せません...
ベルリオーズ以外の人達の作品で思い当たるものを調べましたが、大概がベルリオーズ以降なんですね。
リストの「Totentanz」(死の踊り)も着想は1838年.完成が1849年、1853.59年と改訂していますから後。
チャイコフスキーの組曲3番は1884年、サン=サーンスの3番は1886年...マーラー、ラフマニノフ勿論言うまでもなく。
「火の鳥」(1910年)「春の祭典」(1913年)にも使われていますね。

只、チャイコフスキーの組曲3番とか、サン=サーンスの3番を聴いて何れだけの人が「死」を意識するのでしょうか?
今まで、そう言う意識して聴いた事がないので...
あるアマオケにいる友人がコンサートのライナーノートで「ラフマニノフは『ディエスイレ』の意味を知らずに使っていた」
と言う事を書いていて、絶句してしまった経験がありました。
真相は解りませんが、絶えずラフマニノフが「死」を意識していたか? と言ったらそれは無いと考えますよね。
黛敏郎さんの頃の「題名の無い音楽会」で、番組制作関係者がオリジナルのグレゴリオ聖歌を聴いて
「ベルリオーズの盗作だ」と言った話がありましたが、オリジナルを喰ってしまいう位ベルリオーズは世に知らしめたと言う事なのでしょうね。

> 最初に聴いた瞬間にブラ1に繋がったのは、音楽の記憶の引き出しが少ないからでしょう。
> だから想像も出来ないほどの多くの作品に接した研究家にそんな指摘をする人がいないのだと想います。

引き出しが多い少ないではなく、その事に気付くある種の嗅覚だと思います。

某サイトでは馬鹿らしくて書く気にならなかったのですが、引用についてのショスタコーヴィチにまつわるエピソードを紹介します。
只、元ネタの資料が手元になので不明な所があるので御了承下さい。

ロストロポーヴィチがある演奏会でショスタコーヴィチのある曲を演奏しました。
終演後、ショスタコーヴィチがロストロポーヴィチにとある作曲家の作品からの引用がある事を
伝えたそうですが、ロストロポーヴィチは解らなかったそうで、ショスタコーヴィチはその箇所をメロディーを歌って教えたそうです。

『ディエスイレ』の事ではありませんが、ロストロポーヴィチ程の大演奏家をもっても気付く事が出来ない訳ですから
我々の様な、凡人がそう易々と気付く事が出来るとは思わない方が良い と思っていたくらいの方が良いのでしょうね。

> コンセルトヘボウの箱も未聴盤がいくつかあって焦っています。

焦らないで、聴きましょう。
結構、聴きものが入った御得なBOXですから...テンシュテットのマラ5とかベルグルンドのシベ4とか。

> ミチョランマは嫌いなので。(笑)

私は、積読状態ですね...

> ザンデルリンクのブル3(これ、良かったです!)の後にアルフォンス・ディーぺンブロック
>という聞いた事もない作曲家の「夜への賛歌」が入っていて、これは儲けものでした。
> シャイーの指揮で深々としたアルトの歌が素晴らしいです。

ディーペンブロック、マーラーと同世代のオランダの作曲家ですね。
「夜に寄せる賛歌」はデッカにも録音していてマラ7とカップリングで出てましたね。
後期ロマン派の作曲家で知られていない人が多いですから...私はショスタコーヴィチ以外ではこの時代の作曲家を好んで聴いています。
シベ4もその内、あの世界観が解る様になりますよ。
嗚呼ーザンデルリンク/コンセルトヘボウの15番が聴きたい!!
 

7音の揶揄

 投稿者:Waltraute  投稿日:2012年 4月25日(水)15時08分34秒
返信・引用
  ゆんくさん

あそこで貼ったブログで、
「ハムレット」と「クロコジールによる5つのロマンス」作品121の中の「泣き寝入り」のドシドラシソララ7音が揶揄的だったり、ちょっとしたギャグ」とありました。

そして「ショスタコーヴィチにとって「ドシドラシソララ」をベルリオーズのように直接的な「死」の象徴として使うという手法は,もはや古臭すぎてもはや真面目に使うことのできないものだったのである。」 と続いた訳ですが、

それに対して、私は「完璧な「怒りの日」でおちょくったなら、真面目なところで引用する時には他の作曲家も散々つかった、ありふれた音形に見せかけなきゃ色んな意味でマズいんじゃないですか?」と書きました。
色んな意味とは・・体制に真意がバレたり、不謹慎な作品と誤解される、ということです。

「ハムレット」と「クロコジール・・・」は未確認ですが、ベルリオーズの幻想交響曲(1830年)の怒りの日の扱いはパロディで滑稽ですね。
♪ドシドラシソララの7音を用いて真面目に「死」を表現した作曲家はベルリオーズ以前も以降も一人も居ないのでしょうか?
もし居ないのであれば、
・下手な宗教曲になってしまいそうだから避けた
・安易な引用は作曲家としてのプライドが許さなかった、
・或いはその両方
かと想像しますが如何でしょう。


>シンクロしてますね...
>頭の中で音楽が鳴る人って、そう言う事が出来るんですよね。

最初に聴いた瞬間にブラ1に繋がったのは、音楽の記憶の引き出しが少ないからでしょう。
だから想像も出来ないほどの多くの作品に接した研究家にそんな指摘をする人がいないのだと想います。


>トゥビンの全集買わせなくて良かった...完全に消化不良を起こしてしまいますから。

コンセルトヘボウの箱も未聴盤がいくつかあって焦っています。
ミチョランマは嫌いなので。(笑)
ザンデルリンクのブル3(これ、良かったです!)の後にアルフォンス・ディーぺンブロックという聞いた事もない作曲家の「夜への賛歌」が入っていて、これは儲けものでした。
シャイーの指揮で深々としたアルトの歌が素晴らしいです。

 

Re: チェロ協奏曲は未聴でした

 投稿者:ゆんく  投稿日:2012年 4月25日(水)00時30分30秒
返信・引用
  > No.174[元記事へ]

Waltrauteさん

> ゆんくさん
> こちらで勉強の機会を与えて頂いて感謝です。

そっ、そんな、とんでもないです...

>>チェロ協奏曲1番の緩徐楽章でホルン・ソロでモノローグ風に吹かれる旋律
> 是非聴いて確かめてみます。
>
>>誰もその様な指摘はしていません
> あくまでも私の妄想です。

他人に対しては妄想だと言い、自分のしている事も対して変らないのに想像だと言う
何とも都合の好い話ですね...

> ブラ1は、つづいて
> ♪ソ|{ドーシド|ラ}ーソド|レミファミド|レードソ|レミ【ファミレ】|レミ【ファミレ】|レミファミシ|ドーラー・・・ですが、
>
> 12番のライトモチーフBは♪{ドーシド|ラ}【ファミレ】|ドレミファソ|♭ラーソミ
> と【ファミレ】がハマりこんでいるので、つい・・・。

シンクロしてますね...
頭の中で音楽が鳴る人って、そう言う事が出来るんですよね。

>  シンポジウムのお話ありがとう御座いました。

本来は、此処で報告しなければならない話でしたが、機会を逃して今頃になってしまいました。

> 「説得力のある論拠」というのも、同じ土俵に立った者同士で通じる話です。
> ですから「追いつめた」と言われても、あら、またこの手の人が出てきちゃったわ・・・と呆れるだけで、
>  怒る気にもなりませんでした。

他スレで「過疎った原因」をあれこれ検証しているスレが有ったのですが読んで大笑い...

*>俺様一番で通を気どったり、見苦しい初心者叩きをするようになったが
*>それが空威張りと誰にでもわかるようなお粗末ぶりなため...

*>同じ土俵に立ってないから、互いの主張を述べるだけで論戦など成立しようがないのに、
*>それに気付かずに完璧に言い負かした気になって勝利宣言する人がどの板にも必ずいますね。

だからね、最初から説得する気等無いのですよこちらは...
なのに、自分では論破ールームしているつもりなんですよね。

> 12番はスコアまで手に入れましたが、オタマジャクシが細かくて苦労しています。
> 11番はサラッと聴いただけで、曲の良さが解りませんでした。
> 12番をもう少し聴きこんでからにしたいと思います。道は長いです。

11番も革命を題材に扱っていますが、12番とは又、性格が違う曲なのでちょっと骨が折れますね。
シュトラウスの交響詩の様に例えられますが、息が長い曲のでなかなか形が視えて来ません。
12番との大きな違いは、使われている素材が多い事です。
焦らず、ゆっくりと消化して行って下さい。
それよりも、トゥビンの全集買わせなくて良かった...完全に消化不良を起こしてしまいますから。
 

チェロ協奏曲は未聴でした

 投稿者:Waltraute  投稿日:2012年 4月24日(火)23時26分43秒
返信・引用
  ゆんくさん
こちらで勉強の機会を与えて頂いて感謝です。

>チェロ協奏曲1番の緩徐楽章でホルン・ソロでモノローグ風に吹かれる旋律
是非聴いて確かめてみます。

>誰もその様な指摘はしていません
あくまでも私の妄想です。
ブラ1は、つづいて
♪ソ|{ドーシド|ラ}ーソド|レミファミド|レードソ|レミ【ファミレ】|レミ【ファミレ】|レミファミシ|ドーラー・・・ですが、

12番のライトモチーフBは♪{ドーシド|ラ}【ファミレ】|ドレミファソ|♭ラーソミ
と【ファミレ】がハマりこんでいるので、つい・・・。

シンポジウムのお話ありがとう御座いました。
「説得力のある論拠」というのも、同じ土俵に立った者同士で通じる話です。ですから「追いつめた」と言われても、あら、またこの手の人が出てきちゃったわ・・・と呆れるだけで、怒る気にもなりませんでした。

12番はスコアまで手に入れましたが、オタマジャクシが細かくて苦労しています。
11番はサラッと聴いただけで、曲の良さが解りませんでした。12番をもう少し聴きこんでからにしたいと思います。道は長いです。
 

Re: 早速ですが...

 投稿者:ゆんく  投稿日:2012年 4月24日(火)21時35分20秒
返信・引用
  Waltrauteさん
レスどうも有り難う。

> > トゥビンの6番も必修です。時間が御座いましたら聴いて下さい。
> 今、入手できる6番は交響曲全集の輸入盤のみですね。ヤルヴィ指揮です。
> 5枚組なのが悩みですが、カートに入れました。

又もや、余分な出費をさせてしまい申し訳ございません...m(_ _)m
今は、バラ売りが無いのか?...
と書いていたら...ゆつべで見付かった様で何よりです。
「あれを聴け」「これを聴け」では丸で「この壺を買いなされ」と変らなくなってしまいますね(爆)
トゥビン御聴き頂いたら、解ると思いますが3楽章の頭です。
楽器の使い方が、真さにショスタコーヴィチです。
チェロ協奏曲1番の緩徐楽章でホルン・ソロでモノローグ風に吹かれる旋律がそれです。
トゥビンは1953年にあの曲を書きました。つまりスターリンの死んだ年です。
あの6番と言う曲は、トゥビンの11曲のシンフォニーの中でも異色の作品です。
スウェーデンで亡命生活を余儀なくされた彼が何故、あの様にな曲を書いたのか?
そして、何故あのメロディーを使ったのか? それが何を指し示すのか?

> 5番のカルメン「ア・モール」で、フルートとホルンのカノンが男女の愛という指摘に驚きました。
> 昔の恋人か家族愛かについて、私はブログ主さんの考え方に共感を覚えます。
> また、「愛」の現れ方の解説にも目を見張りました。
> 14番のローレライに一瞬出てくる魔法使いの弟子もそんな感じですね。
>
> 2年ほど前でしたか、ネット仲間から政治動画に5番4楽章冒頭を使った感想を求められました。
> 「ハバネラ=気をつけろ!」と解説したブログを探してあげた処、
>偶然、動画の主旨に合致したのを非常に喜んでくださいました。

これに関しては、「名曲探偵アマデウス」で亀山先生が仰っていましたね。
「騙されるな」「私は、この革命を信じない」とまで見解を述べていました。

> 関連本も読んでおらず想像のみですが、気難しげな風貌に似合わぬお茶目さんのように想えますし、
>「隠さねばならない事情」とともに、知的作業を楽しんでいた面もあるように感じます。
> また人間の心ほど移ろいやすいものはなく、金太郎飴のような人は居ませんから、
>初期の作品における引用の意味は、幅をもって考える必要があるような気もします。

そうです。同じ素材を初期に使った場合と後年に使った場合、
必ずしも同じ意味を持つと考えるのは、単純過ぎます。

> > だから、決して私達の見解がおかしい訳ではありません。
> レパートリーの狭さは誰にも負けない私ですが(←変な処で胸を張る)詞と音楽の関係で、
>13・14番の怒りの日を「作曲上の単なる癖」とか「むしろショスタコーヴィチに限って引用ではない」とする説は
到底納得できません。

その説を言っている人が誰なのか? 私には解ります。Msさんの所で書いてあったシンポジウムでの発言者がその本人です。
その人の説では、「引用とは一言一句変えられていないものしか認めない」と言う発言でその時の進行役の学者先生と真っ向から対立していました。
私自身、この2人とも面識がありその後別なシンポジウムでも話を伺っていますが...私は進行役の学者先生の見解の方が音楽学者としてまともだと思いました。
その先生曰く「騙し絵みたいなもの」と仰っていましたが、的を射た見解だと思います。
「作曲上の単なる癖」と言う方が無理矢理過ぎて笑ってしまいます。

*>自説を展開するために、ショスタコの音楽を恣意的に歪めて利用してないか?
何故、自説の為にショスタコーヴィチの音楽を利用しなければならないのか?
その必然性? 逆に何故そう言う発想が出て来るのか?

*>岡本さんはショスタコーヴィチの専門家でもなんでもありませんから...
これレスが出た時は噴飯モノでした、絶対そう言うレスが付くだろうと想像していましたから...
多分、岡本さん以外の名前が出ても「彼奴は、専門家ではない」と言うレスが付くと思います。

*>どちらが正しいのかを決めるのは難しいでしょう。
どちらが正しいと、決める必要などあるのでしょうか?

*>でも、真実に近づこうとする 自由だってあるのです。
*>どちらが真実に近いのか。私は、説得力ある論拠を出した方だと思います。
これに関しても、どちらが正しいか? 決められないと言いつつに真実に近づこう等と寝ぼけた事を言ってます。
一体何が真実なのかも解らないのに、何を仰っているのか?
アムンゼンやスコットの南極点捜索じゃあるまいし、きちんとした座標がある訳でもないのに
自分の言っている事に矛盾を感じていませんね。
丸で自分こそが、真実に近づいたとでも想っているんでしょうかね?

新説が出て来るのは世の常ですが、全てそちらに傾いてしまう事に危ないものを感じます。
某サイトの住人共は完全に洗脳されています。ああなってしまうともはや学問でも何でもありません。
一種のカルトです。
だから「頭がおかしいだ」の「狂っているだ」の言い出す輩が出て来る訳です。

それと、トゥビンの6番に関しては誰1人レスを着けていない事。
変だとは思いませんか?

考えられる事は2つ、1つは全くその作品を知らない。
もう1つは、知っていても敢て言わない...説明が出来ない。

最後まで、激せず紳士な振る舞いに徹した貴方の対応に敬意を表します。

> それと、レパートリーの狭い私だけの感覚でしょうが、
>12番のライトモチーフB♪ドーシド|ラファミレ|ドレミファソ|♭ラーソミ で、
>ブラームスの1番4楽章♪ソ|ドーシド|ラーソド|レミレミド|レーレ(小節線不明)を思い出してしまいます。
>オーケストレーションが似ているせいかも知れません。
> ブラ1をクッションに第九(二短調)を連想させたかった?などという説は・・・何処にもないですね。

恐れ入りました...誰もその様な指摘はしていません。
御承知の通り、ブラ1はベト5.9の呪縛から産まれた名作です。
敢て、第九をそのもの使わず、ブラ1で仄めかした(誘導した)と言う考え方は有りだと思います。
そっくりそのものを使わず、それらしきものでも、それを聴けば何を指し示しているのか連想させる事が
重要だと思います。
だから「ディエスイレ」とは言わず「人類の夜明けのテーマ」と書いたのですが...

引用と言うのは、それだけ奥が深いと思います。

騙し絵で、思い出しましたが「モナリザ」ですが、見る方向によって「笑っていたり」「泣いていたり」に見えるそうですが、
能面も叱り、光の当て方で「笑っていたり」「泣いていたり」に見える...
見る人によって見え方が違う、しかし、作者はそれが「笑い顔」なのか「泣き顔」なのか答えを残してはいません。
 

名前を間違えました(恥)

 投稿者:Waltraute  投稿日:2012年 4月24日(火)20時32分20秒
返信・引用
  トゥヴィン ×
トゥビン  ○
 

トゥヴィンの交響曲第6番

 投稿者:Waltraute  投稿日:2012年 4月24日(火)20時29分24秒
返信・引用
  ゆんくさん

何と動画が見つかり、全曲聴けました。よってカートから外しました(笑)
3楽章はこちらです。
http://www.youtube.com/watch?v=mmxRjoZv49U&feature=player_embedded

主題をほんの少し変えてショスタコーヴィチが15番4楽章のトゥッティで引用しているんですね。馴染みのない作曲家、トゥヴィンの人生をおおまかに知っただけでも「必修」の意味が解りました。
3楽章全体を支配する悲痛な声も力を失って静かに消えますが、最後まで解決しないのに対して、ショスタコーヴィチの15番ではイ調の主和音で閉じられます。
これが「遺言」(ショスタコーヴィチの死生観)だと想いますが、トゥヴィンの社会への嘆きはまだまだ尾を引くという事ですね・・・。

 

Re: 早速ですが...

 投稿者:Waltraute  投稿日:2012年 4月24日(火)00時06分28秒
返信・引用
  > No.165[元記事へ]

ゆんくさんへのお返事です。

はい、御紹介のサイトは以前工藤さんのHPから飛んで、ラフ1の引用も興味深く読ませて頂きました。

5番のカルメン「ア・モール」で、フルートとホルンのカノンが男女の愛という指摘に驚きました。
昔の恋人か家族愛かについて、私はブログ主さんの考え方に共感を覚えます。
また、「愛」の現れ方の解説にも目を見張りました。
14番のローレライに一瞬出てくる魔法使いの弟子もそんな感じですね。

2年ほど前でしたか、ネット仲間から政治動画に5番4楽章冒頭を使った感想を求められました。
「ハバネラ=気をつけろ!」と解説したブログを探してあげた処、偶然、動画の主旨に合致したのを非常に喜んでくださいました。

関連本も読んでおらず想像のみですが、気難しげな風貌に似合わぬお茶目さんのように想えますし、「隠さねばならない事情」とともに、知的作業を楽しんでいた面もあるように感じます。
また人間の心ほど移ろいやすいものはなく、金太郎飴のような人は居ませんから、初期の作品における引用の意味は、幅をもって考える必要があるような気もします。


> だから、決して私達の見解がおかしい訳ではありません。
レパートリーの狭さは誰にも負けない私ですが(←変な処で胸を張る)詞と音楽の関係で、13・14番の怒りの日を「作曲上の単なる癖」とか「むしろショスタコーヴィチに限って引用ではない」とする説は到底納得できません。

> トゥビンの6番も必修です。時間が御座いましたら聴いて下さい。
今、入手できる6番は交響曲全集の輸入盤のみですね。ヤルヴィ指揮です。
5枚組なのが悩みですが、カートに入れました。


それと、レパートリーの狭い私だけの感覚でしょうが、12番のライトモチーフB♪ドーシド|ラファミレ|ドレミファソ|♭ラーソミ で、ブラームスの1番4楽章♪ソ|ドーシド|ラーソド|レミレミド|レーレ(小節線不明)を思い出してしまいます。オーケストレーションが似ているせいかも知れません。
ブラ1をクッションに第九(二短調)を連想させたかった?などという説は・・・何処にもないですね。



 

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