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寄り道も楽し

 投稿者:Waltraute  投稿日:2012年 4月27日(金)21時10分54秒
返信・引用
  ゆんくさん

>では、他の作曲家で「7音丸ごと引用」で、真面目に「最後の審判」「直接の死」「追悼」他「宗教色の強い作品」はあるのだろうか?
> それで、そういう作曲家が居ないのなら、・・・うんちゃらかんちゃら・・・

妄想否定の材料が早速見つかりました!
マンフレッド交響曲、スヴェトラーノフの動画で全曲聴けました。
良かったです・・・カラヤンで聴いてみたいです。
この7音は「最後の審判」と感じました。ただし、大岡裁きならぬチャイコ裁きで地獄に堕ちない。
チャイコスフキーが味のある仕事をしています。

♪ドシドラシソラーとのばし♪ドーレドシラソーで受けて「怒りの日」♪ドシドラシソララ の不安定を解消し、明るく落ち着いた雰囲気に。
次に♪ドシドラシソラシ の繰り返し ♪ドシドラ・・ドラドラ・・と力を失い♪ソーミーソソーと明るく結んで「ド」の主和音ピツィカートで閉じています。
なんという美しさ! 「安らかな死」、「天に召された」感じです。

マンフレッドはキリストの教えに逆らう行為を繰り返し、僧院長に教会との和解を勧められたのにそれを断って死にました。
にもかかわらずチャイコフスキーは音楽で救ったんですよ!!
こんな処にもチャイコフスキーとキリスト教の関係がうっすら浮かぶ気がします。
チャイコフスキーは性的マイノリティと言われています。これが本当ならばカトリックに認められない存在でした。

ロメジュリはこちらを参考に聴きましたが分りませんでした。明日また聴いてみます。
http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/ca5ad7988fc98ee819e6b1897892f4a5

チャイコフスキー組曲
>バロック時代にあった組曲を意識していたのではないかと、「メヌエット」とか「ジーグ」の部分が「エレジー」になったり「主題と変奏」になったり、
>シンフォニーとは別なジャンルで何かを開拓しようと模索していた。

なるほどです。
しかし何故でしょうね。音楽にどこか哀しさがつきまとうのは。

>ラフマニノフの場合は、オーケストラ作品の殆どと言って良い程出て来ます。

「7音まるごと引用」も「4音」も出てくるのですか・・・
ラフ2はザンデルリンク盤を求めました。
交響的舞曲op45は動画で探せたらいいのですが・・。

>ショスタコーヴィチの場合は、共産主義国家によって民衆に地獄がもたらされた...?
>「死」よりも辛い、終わり無き地獄と考えたら...

粛清・強制収容所で死んだ多くの人々、餓死した多くの人々、生き残ってもこの世の地獄に間違いないですね。

 
 

ラ・フォル・ジュルネにおけるショスタコーヴィチ

 投稿者:ゆんく  投稿日:2012年 4月27日(金)17時39分23秒
返信・引用
  ラ・フォル・ジュルネ音楽祭でのショスタコーヴィチ関連プログラムは以下の通りです。

http://www.lfj.jp/lfj_2012/artist/detail/comp_5.html
 

Re: 寄り道ばかりで・・

 投稿者:ゆんく  投稿日:2012年 4月27日(金)16時03分51秒
返信・引用
  Waltrauteさん

> 「死」と書くことで「死」だけに意識がいきがちですが、様々な死の「追悼」や、歌詞どおり「最後の審判」は当然ですね。

「最後の審判」と言うのは、死後、神の御裁きを受ける意味ですよね...
ダンテの「神曲」よろしく、ロダンの「地獄門」ですよね。
子供の頃に言われた「閻魔様の裁きを受ける」...地獄へ行くか? 極楽浄土へ行くか?

>http://hayes.cside2.jp/ds/ds12.html
> ↑で、ショスタコーヴィチの「7音丸ごと引用」は揶揄やギャグで、「ドシドラ4音」は直接「死」に結び付く例が少なすぎるから、
>ショスタコーヴィチにとっての「4音」は「死の象徴ではない」と結論づけています。

拝見しました、「死」と言うキーワードに捉われ過ぎています。
「死」=終わり と考えると行き詰まってしまう...

> 前述のとおり、幻想交響曲の7音は初出こそ金管で立派ですが、すぐにパロディになり真面目な扱いではありません。
> ですから、ベルリオーズとショスタコーヴィチだけ取り上げれば「7音」は揶揄アイテムと言えるでしょう。
>
> では、他の作曲家で「7音丸ごと引用」で、真面目に「最後の審判」「直接の死」「追悼」他「宗教色の強い作品」はあるのだろうか?
>と疑問が湧きました。
>
> それで、そういう作曲家が居ないのなら、先に挙げた理由
> ・下手な宗教曲になってしまいそうだから避けた
> ・安易な引用は作曲家としてのプライドが許さなかった、
> ・或いはその両方
>
> の他にも(私見ですが・・・常に既存を壊して新しいものを創作する芸術家は革新や反体制に傾く宿命)から、
>作曲家が教会・宗教をどう見ていたかを想像しました。
>
> 教会の仕事はキチンとこなしても、根に宗教界・権威への反発があり、「7音引用」の場合は揶揄やギャグに走り、
>逆に「死の象徴」や「終末思想」の作品には4音しか遣わなかった・・・・のではないか?
>
> 一方、共産主義国家に生きるショスタコーヴィチの場合、圧政や宗教弾圧に対しての反発で(革新派は常に体制批判)、
>宗教の象徴7音を揶揄やギャグにして党の批判を免れたが、真面目な「最後の審判」「死」「追悼」の表現には、
目立たないように4音を遣った・・・・のではないか?

その作曲家が生きた時代によって宗教観の違いは繁栄されると思います。
ベルリオーズの場合は、ストーリーの流れからして恋人を殺しの罪で処刑される訳ですから、当然地獄行きですよね。
ショスタコーヴィチの場合は、共産主義国家によって民衆に地獄がもたらされた...?
「死」よりも辛い、終わり無き地獄と考えたら...止めときましょう。

> 結果的に「7音まるごと引用」は揶揄やギャグが殆ど・・・・ではないか??などと考えていました。

丸裸で使うか?、コーティングして使うか?、色々だと思います。

> 知っている作品が極端に少ない上、素人がやる禁じ手、推論の上に立った推論(というより妄想の上の妄想)ですから、
>反対例がいくつあってもおかしくありません。
> 挙げられた作品を徐々に聴いて確かめたいと思います。

少ないと言うより、1つの作品をしっかり掘り下げて聴いておられるのが解ります。
徐々に増やして行けば良い事で、逆に沢山知っていても気付かなければそれ迄です。

> >只、チャイコフスキーの組曲3番とか、サン=サーンスの3番を聴いて何れだけの人が「死」を意識するのでしょうか?
>
> チャイコ組曲3番を動画で探しました。4曲目ですね。
>http://www.youtube.com/watch?v=AwPVifj4Zx0&feature=relmfu
> 3:53からの弦が「ドシドラシ」の5音。しかし続いて金管まじりで「7音まるごと引用」です。
> 確かに「死」を想う音楽ではありませんね~。「エレジー」とか「憂鬱なワルツ」とか、全体からは何となく分る気もしますが、
>いきなり「死」と結ぶより、不幸な生涯を送った繊細な作曲家の「悲哀」と捉えた方が正しいような気がします。

「エレジー」とか「憂鬱なワルツ」と言うタイトルに余り捉われない方が良いと思います。
結構、チャイコフスキーはこのタイトルを使っていますから=繊細な作曲家の「悲哀」と言うのはどうでしょう?
4番と5番のシンフォニーの間に書かれた4曲の一連の組曲は、表題的なものを意識して作っていたとは思えないんです。
バロック時代にあった組曲を意識していたのではないかと、「メヌエット」とか「ジーグ」の部分が「エレジー」になったり「主題と変奏」になったり、
シンフォニーとは別なジャンルで何かを開拓しようと模索していた。
しかし、結果的にはシンフォニーを戻った訳ですね。

> チャイコフスキー研究家によると「ロメジュリ」、「3番組曲」、「マンフレッド」、「眠りの森の美女」の6曲ワルツ、
>それにVn協奏曲3楽章の主題 ♪ドー|{ドシドラシ(レ)ソ}が「6音引用」。
> 「マンフレッド」は「7音丸ごと引用」だそうですが、これはCDも持っていません。

「マンフレッド」は、youtubeで見付かるでしょう。主人公は地獄へ堕ちる訳ですから当然使うでしょうね。

> 「ロメジュリ」は明日聴いてみます。

意識して、聴き直してみます。

> ラフ1は「4音」のオンパレードですが、1番だけではピンときません。「鐘」も聴いてみます。

15番の絡みで"交響的舞曲op45"を聴く方が良いでしょう。
NDRの演奏会でリスト「Totentanz」(死の踊り).パガニーニ主題による狂詩曲.交響的舞曲と言うプロがありましたが
実に良く考えられたプログラムだと思いました。
NHK-FMでも放送されましたが、リストのエンディングと交響的舞曲のエンディングがシンクロしていて、生で聴いて見たかったです。

ラフマニノフの場合は、オーケストラ作品の殆どと言って良い程出て来ます。
交響詩「死の島」op29(アーノルド・ベックリンの絵画「死の島」からインスピレーション)
2番op27と3番op44のシンフォニー.「パガニーニ主題による狂詩曲」op43
それこそ、作曲家の癖と言った方が良いかも...それとも自分の作品であると言う署名?

アマ・オケで良いから、一夜の演奏会で12番とラフ1をプムグラミングする試みを遣って欲しいのですが
演奏する側にとっては、相当な負担になるので却下されるでしょうね...

> サンサーンス3番は♪休{ドシドラシ}ドミ♭ミレドシ|ドラドシラ♯ソ・・(小節線不明)
> 聴きもらしがなければ「5音」引用で、宗教色強く「最後の審判」の雰囲気です。

1楽章から、弦楽器トレモロ風に表れて来ますし、金管楽器でも強奏されます。
これは、教会を連想させるオルガンまで付いて来ますから...

> バルシャイの交響曲全集の未聴は相変わらずです。
> 1,3,4,6,7,8,9,10で11も一度だけです・・。
> 10番を先にというお話ですが、寄り道が多くて中々進みません。(汗)

寄り道は、意外な発見をしますよ。
 

氷山の下

 投稿者:Waltraute  投稿日:2012年 4月27日(金)13時15分18秒
返信・引用
  ゆんくさん

>「描かなくても言いたい事は伝えられる」
そういう事ですね。

もう一歩進めると、「怒りの日」7音丸ごと引用したら、聴き手の受け取り方は限定されますが、4音の仄めかしだから「怒りの日」本来の意味より幅広い意味を感じる事ができるのでしょう。

↓に長々と書きましたが、展開しやすい、など作曲上の理由を除いても、7音引用より4音引用の作品の方が圧倒的に多いでしょうし、またその多くが「何らかの悲しみ」を伴うと想像しています。それは作曲家個人につきまとう悲哀も含めて、色々です・・。

勿論、作曲家・作品によっては「偶然」を否定できないものもあるでしょうが、ショスタコーヴィチは意識して遣っているとしか思えません。

大体、14番の1・10番を聴いて「たんなる偶然」「癖」とは、どういう感性?
実はここが一番不思議でした。
ショスタコーヴィチのファンにオペラやリートに馴染みがない人が多いのでしょうか?
確かにイタオペにはブンチャッチャ式のアリアの伴奏もありますが、この時代、作曲家がどれだけ精魂傾けてオケに表現させていることか・・・。
 

Re: のようなもの...

 投稿者:ゆんく  投稿日:2012年 4月27日(金)00時06分9秒
返信・引用
  Waltrauteさん

つまり、言いたかった事は、「全て描かなければならない」と言う事ではない。
「描かなくても言いたい事は伝えられる」と言う意味を込めて仙厓の絵を例にしてみました。
「音楽は、数学ではない」と仰った貴方の言葉は真さにそのものズバリです。
数学的要素は必要ですが...白黒はっきりさせるとか、◯◯◯が正解です と言うものではありません。
そう言う、根本的なものが解っていない人達が多い事に只々虚しさを感じます。
 

Re: のようなもの...

 投稿者:Waltraute  投稿日:2012年 4月26日(木)23時17分16秒
返信・引用
  ゆんくさん

『猫ニ似タモノ』『指月布袋画賛』面白いです!
管理人様の得意分野ですが、なんと日本語は味わい深いのでしょう。
芸術は鑑賞者の想像力で解釈が広がるからこそ、芸術なんですよね。
「模したもの」で指を天に・・・
さすが、解説者です。


 

補足します

 投稿者:Waltraute  投稿日:2012年 4月26日(木)22時31分15秒
返信・引用
  ↓のリンク先の方は、

ショスタコーヴィチが「7音丸ごと引用」した作品は揶揄やギャグだから、ベルリオーズのように直接「死」と結び付けていない。
「怒りの日」に対するショスタコーヴィチの感覚はその程度のものだった。

というニュアンスで書いておられるので、他の作曲家も「7音丸ごと引用」では同じようなものではないのかな?と気になったのでした。
ベルリオーズも「死」を表したとはいえ、完全に茶化してますからね。
 

寄り道ばかりで・・

 投稿者:Waltraute  投稿日:2012年 4月26日(木)22時16分49秒
返信・引用
  ゆんくさん

>「死」の言う表現よりも「最後の審判」と言う言い方をしています。

「死」と書くことで「死」だけに意識がいきがちですが、様々な死の「追悼」や、歌詞どおり「最後の審判」は当然ですね。


>ベルリオーズ以外の人達の作品で思い当たるものを調べましたが、大概がベルリオーズ以降なんですね。
リストの「Totentanz」(死の踊り)も着想は1838年.完成が1849年、1853.59年と改訂していますから後。
チャイコフスキーの組曲3番は1884年、サン=サーンスの3番は1886年...マーラー、ラフマニノフ勿論言うまでもなく。
「火の鳥」(1910年)「春の祭典」(1913年)にも使われていますね。


要領を得ない質問で御面倒をおかけしました。m(__)m
http://hayes.cside2.jp/ds/ds12.html
↑で、ショスタコーヴィチの「7音丸ごと引用」は揶揄やギャグで、「ドシドラ4音」は直接「死」に結び付く例が少なすぎるから、ショスタコーヴィチにとっての「4音」は「死の象徴ではない」と結論づけています。

前述のとおり、幻想交響曲の7音は初出こそ金管で立派ですが、すぐにパロディになり真面目な扱いではありません。
ですから、ベルリオーズとショスタコーヴィチだけ取り上げれば「7音」は揶揄アイテムと言えるでしょう。

では、他の作曲家で「7音丸ごと引用」で、真面目に「最後の審判」「直接の死」「追悼」他「宗教色の強い作品」はあるのだろうか?と疑問が湧きました。

それで、そういう作曲家が居ないのなら、先に挙げた理由
・下手な宗教曲になってしまいそうだから避けた
・安易な引用は作曲家としてのプライドが許さなかった、
・或いはその両方

の他にも(私見ですが・・・常に既存を壊して新しいものを創作する芸術家は革新や反体制に傾く宿命)から、作曲家が教会・宗教をどう見ていたかを想像しました。

教会の仕事はキチンとこなしても、根に宗教界・権威への反発があり、「7音引用」の場合は揶揄やギャグに走り、逆に「死の象徴」や「終末思想」の作品には4音しか遣わなかった・・・・のではないか?

一方、共産主義国家に生きるショスタコーヴィチの場合、圧政や宗教弾圧に対しての反発で(革新派は常に体制批判)、宗教の象徴7音を揶揄やギャグにして党の批判を免れたが、真面目な「最後の審判」「死」「追悼」の表現には、目立たないように4音を遣った・・・・のではないか?

結果的に「7音まるごと引用」は揶揄やギャグが殆ど・・・・ではないか??などと考えていました。

知っている作品が極端に少ない上、素人がやる禁じ手、推論の上に立った推論(というより妄想の上の妄想)ですから、反対例がいくつあってもおかしくありません。
挙げられた作品を徐々に聴いて確かめたいと思います。


>只、チャイコフスキーの組曲3番とか、サン=サーンスの3番を聴いて何れだけの人が「死」を意識するのでしょうか?

チャイコ組曲3番を動画で探しました。4曲目ですね。
http://www.youtube.com/watch?v=AwPVifj4Zx0&feature=relmfu
3:53からの弦が「ドシドラシ」の5音。しかし続いて金管まじりで「7音まるごと引用」です。
確かに「死」を想う音楽ではありませんね~。「エレジー」とか「憂鬱なワルツ」とか、全体からは何となく分る気もしますが、いきなり「死」と結ぶより、不幸な生涯を送った繊細な作曲家の「悲哀」と捉えた方が正しいような気がします。

チャイコフスキー研究家によると「ロメジュリ」、「3番組曲」、「マンフレッド」、「眠りの森の美女」の6曲ワルツ、
それにVn協奏曲3楽章の主題 ♪ドー|{ドシドラシ(レ)ソ}が「6音引用」。
「マンフレッド」は「7音丸ごと引用」だそうですが、これはCDも持っていません。
「ロメジュリ」は明日聴いてみます。

ラフ1は「4音」のオンパレードですが、1番だけではピンときません。「鐘」も聴いてみます。

サンサーンス3番は♪休{ドシドラシ}ドミ♭ミレドシ|ドラドシラ♯ソ・・(小節線不明)
聴きもらしがなければ「5音」引用で、宗教色強く「最後の審判」の雰囲気です。

バルシャイの交響曲全集の未聴は相変わらずです。
1,3,4,6,7,8,9,10で11も一度だけです・・。
10番を先にというお話ですが、寄り道が多くて中々進みません。(汗)
 

のようなもの...

 投稿者:ゆんく  投稿日:2012年 4月26日(木)19時37分6秒
返信・引用
  Waltrauteさん
某サイトのスレにあった「模したもの」と言う言葉が、私の中で引っ掛かっておりましたが氷解しました。

さて、臨済宗の僧侶・仙厓の絵で『猫ニ似タモノ』と言う作品がありますが、
本人は虎のつもりで描いた様ですが、そのコミカルな顔はどう見ても虎には見えません。
では猫か? と問われたら、あんな大きな猫はいないと想うでしょう...
虎と言うタイトルにせず、『猫ニ似タモノ』にしたのにはある種の洒落ではないかと思います。

もう1つ『指月布袋画賛』と言う絵がありますが、布袋様が指す空には月は描かれておりませんが、
その先に月がある事を暗示しています。
しかし、その月は満月なのか? 半月なのか? 三日月なのか? 解りません。
見る人の想像に任せられています。

引用についてあれこれ考えて来ましたが、音楽にも同じ事が言えると思います。
ジャンルの違う話で、無理矢理でしたか?...
 

未聴の曲...

 投稿者:ゆんく  投稿日:2012年 4月25日(水)22時06分5秒
返信・引用
  Waltrauteさん
バルシャイの全集で、未聴の曲は何曲になりましたか?...
11番が今一つの様でしたら、10番を先に聴いて見て下さい。
焦らず、徐々にですよ。
 

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