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管理人さま
2月半ばより ゆんくさんにショスタコーヴィチ鑑賞の手ほどきをして頂いております。
こちらの掲示板を使わせていただいてから、二人の会話で占領された具合で、
他のお客様が書きこみ難い雰囲気になっているのではないかと案じております。
申し訳ありません。
>リストやベルリオーズが引用した旋律そのものは、チェラーノが
考えたかどうかは別として、チェラーノと同時代のものと推定。
驚きました。そんなに古くから伝わるものでしたか。
「ディエス・イレ」の旋律ははキリスト教世界の人々の血肉となっていたのでしょうね。
他にも作曲家が引用する哀愁の旋律の源流は古歌に行きつくのかも知れません。
>○(美術も含めて)この時代は「死の芸術の世紀」であった。
どれをとっても、「物静かな安息を願う心と、悲哀のヴェールをまと
い、天上の光を乞い求める霊魂のための祈りであって、死の恐怖はど
こにも感じられない。
正にその時代、ボスの地獄絵図は化け物屋敷を覗く楽しみで、死の恐怖など何処へやらです。
17世紀、ルーベンスの「最後の審判」も大迫力ですが、裸体を克明に描く事で地獄の恐ろしさが薄れている気がしますし、20世紀のエゴン・シーレ・・生と死が隣り合わせ、もしくは密着しています。
ペストに戦禍、先祖代々大量死を見つめざるを得なかった人々にとって、トリスタンにもある「死の憧憬」は「生の執着」と合わせ鏡だったのかも知れないと想いました。
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