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ショスタコ10番1楽章

 投稿者:Waltraute  投稿日:2012年 6月10日(日)22時06分47秒
返信・引用
  さて、10番3楽章の周辺から、交響曲9番でジダーノフ批判を浴びたが、それでもスターリン批判を込めて作曲したのだろうと舵を切って、1楽章からもう一度聴いてみました。

ショスタコ10番の冒頭とリストのファウスト交響曲の冒頭は確かに似ていますが、そもそも、ファウスト交響曲の冒頭は「ファウスト博士」というより「思索・悩みの動機」と捉えた方がいいような気がします。
この感覚は、大昔観たグノーの「ファウスト」の解説が影響していますが、リストもやはり同じでしょう。
Gounod: Faust - Introduction (Overture)
http://www.youtube.com/watch?v=eWuTEBMBRIc&feature=results_video&playnext=1&list=PLB937D5E9576C651B
金管・コントラバスとヴィオラの旋律が半音混じりの降下と上昇が混じり合い、複雑です。

ファウストは人生と神を哲学しつづけて老いたものの、何ら答えを見出せず、全てが無駄であったのを悟って毒杯を煽ろうとしました。だけど美人を見れば簡単に悪魔に魂を売る程度です。
よく言われるのはファウスト=悪魔ですね。

しかし、ショスタコーヴィチのコントラバスの動機はより深く、途中で「怒りの日」が入ります。

金管・木管・弦などぶつかり合う悲惨な姿の後、オーボエで現れる「変形怒りの日」がいやに軽い調子なのが不思議でした。
反行型の♪ミーーファファミ ミソソミ は「死」の反対の「生」として、
この部分を生と死についての「考察」と捉えると納得です。
肉体的なモノか、作曲家としてか、ソ連の終わりか、その辺りははっきりしませんが、客観的な考察だから「死」も現実の痛みや悲しみが無い。それが軽妙でトボケている理由だと思います。

クライマックスはショスタコーヴィチの「感情」と捉えました。
♪ドシドラが「怒りの表情」で奏されます。ここでも反行型がありますが、1楽章は「怒りの日」だらけですね。
ドラやチューバの後でチャイ6を想わせる♪ファーーミーーで脱力。

また木管が軽い感じで変形怒りの日、弦がそれをなぞった後、少し光明が見え、ピツィカートで気分が変わり、「死」と「生」が曖昧になる。
さらにチャイ6を想わせる和音が3回出て、次は

♪ドーードーー{ドーシラレーラ シラシドーラ} と14番に出てきそうな物悲しい旋律、
ベト9に似た繋ぎで明るい展開を期待させ、Vnやチェロが平和を取戻す。

個人的には、1楽章を「生と死の悩み→考察→感情→諦念」と捉えて理解できました。

それからも、コントラバスは相変わらず下でうごめいていますが、Vnが浄化し、ピッコロ・弱いドラムで閉じます。
この辺りも(私が「勝手にシェヘラザード」と副題を付けた)8番と同じく、なにか無理に閉じた感じで、完全に話が終わっていない気がします。
 
 

ショスタコーヴィチ10番再考

 投稿者:Waltraute  投稿日:2012年 6月 6日(水)22時14分52秒
返信・引用 編集済
  5月14日のレスです。

>>それも、3楽章だけ...終結部でタムタムが鳴った後にピッコロでDEsCH(レミドシ)が被って来る所は、エリミーラの死を痛んで泣いているミーチャの姿?

>そういう感じですね。

という事で、エリミーラへの情熱がこの交響曲を書かせたのかと想うと「人間らしい」とは思いつつ違和感があり、曲への興味を失っていたのですが、聴きなおして考えが変わりました。

先ず、エリミーラは若くして亡くなったのだろう、と漠然と思っていましたが、こちらのサイトによると・・長生きしてる!!
http://www.c-komatsu.com/j_kyo55m.html
>エルミラ・ナジロヴァ(1928-)が、1990年夏ショスタコーヴィッチからの多数のラブレターを初めて公にして明らかになった。手紙には、第10番の作曲過程、本楽章のホルンの音型が彼女であること等が情熱的に述べられている。
(中略)
『大地の歌』のホルンの冒頭の音であるのは明白で、音型が「人生は暗く、(そして)死も暗い」という歌詞と連関していることに皆気がつくことを作曲家は予想していたに違いない。それが目くらましとなって、エルミラへの慕情は二重に護られていたわけである


と、小松長生氏の解説が一般的に広まっているのでしょうが、私は、もしかしたら反対なのではないかと想います。理由は、
♪ミラミレラ は12回出てきますが、
5回目と6回目は♪ミラミレミラ で
「大地の歌」冒頭の♪(ミラーーーミィレミラ)ミーーー そのものです。

エリミーラに「ホルンの音型が貴女だ」とわざわざ書いて送ったのは、周囲に「大地の歌」を引用したのは、ホルンの付く歌詞の肝の部分を「スターリンが)生きようが死のうが、(我々の)人生は暗い」と言いたかったのではないか、と疑われても言い訳できるアリバイではないでしょうか。

http://homepage3.nifty.com/t-yoshimatsu/~data/BOOKS/Thesis/shostako10.html
「ただ人間の感情や情熱と言ったものを表現したかったのだ」とのみ語り、

http://www.sym.jp/i/data/Shostak/sym10.html
この10番で初めてDSCHの意味を公開したのは、エリミーラへの手紙を補強したのではないかと想います。

こう考えると、3楽章最後でDSCHが泣く意味がハッキリします。


 

プロコフィエフ5番とショスタコ4番

 投稿者:Waltraute  投稿日:2012年 6月 5日(火)16時28分9秒
返信・引用
  ショスタコーヴィチの10番と造りが似ているというプロコフィエフ5番を動画で聴けました。素晴らしい演奏で、コンセルトヘボウのボックスに入ってないのが残念です。
で、10番との比較の前に、色々と気になった処があるので・・

Prokofiev: Symphony No.5 - Dudamel/RCO(2009Live)
http://www.youtube.com/watch?v=HEvZ5OqE2fk&feature=related

1楽章の10:44からの「F」の連打が「教会の鐘」のように聞こえたのですが、2楽章の15:25からの♪ドシラミー 、3楽章の26:05から「H」の連打がピアノなので、1楽章の「F」も多分そうなのでしょう・・・スコアで確認できますか?

以前、ザンデルリンクのショスタコ5番の実演でピアノが凶暴だったと書きましたが、その時「教会の鐘(カリオン)の乱打」と感じました。
異常事態発生を知らせる半鐘のようなものではないかと・・。
演奏会場にカリオンの持ち込みは難しいのでピアノで代用したのではないか、と想像しましたが、今までお訊ねする機会を逸してました。


それから、プロコフィエフ5番のWiki情報ですが、
「1941年にヒトラー率いるドイツ第三帝国が独ソ不可侵条約を一方的に破棄してソ連に攻め入る現実を見て、かつてない祖国愛に目覚めたという。そして作曲家として何らかの形で祖国に貢献する道や方法を考え始め、こうした状況下で生まれた」「作曲は1944年」ということで、ショスタコ7番と同時期ですね。
(※ショスタコ7番は1度サラッと聴いただけで、まだ感想は書けません)

で、あれ?と思ったのは、プロコフィエフ5番4楽章の40:07からのカノンがマーラー1番の1楽章の(♪ド↓ソ↑ドレミファソー)に似ており、40:50からカッコウ(?)4度降下音が5回出てきます。

私が勝手に「カッコウの正体見たり」と副題を付けたショスタコ4番の作曲は
1935年から1936年にかけてですが、世界初演は1961年。

もし、ショスタコーヴィチとプロコフィエフがマーラーの1番を模したのだとすれば、偶然でしょうか?
 

Re: トゥビン6番とショスタコ8番.シェヘラザード

 投稿者:Waltraute  投稿日:2012年 6月 3日(日)11時48分20秒
返信・引用
  > No.264[元記事へ]

ゆんくさん

> 音そのものではなく、フレーズの歌わせ方。

そういう事ですね。党から絶賛された5番の謎かけ?

> オマージュとまで、考えつきませんでしたね...
> 私が、1番に考えたのは祖国エストニアを統合したソ連に対する抗議。
> ソ連の体制の象徴として、ショスタコーヴィチのフレーズが使われたとしたら
> スターリンの亡くなった年に、態々ああ言う曲を発表したのは他ならぬそう言う事だと思います。

仰るとおり、反ソ連共産党の立場でのオマージュだと思います。
亡命せずソ連で名声を得たショスタコーヴィチを世界中の作曲家が注目していたと想うのですが、トゥビンは「同志!」の意味を込めたのではないでしょうか。
そして、何かの拍子にトゥビンの6番を知ったショスタコーヴィチがチェロ協奏曲1番に取り入れたのなら、これは往復書簡と同じです。
バーンスタインが9番を取り上げたコンサートといい、芸術家は作品を通じて意思疎通出来る素晴らしいものだと思いました。


> 実は、その事についてパパ・ヤルヴィ(ネーメ)に直接伺った事があります。
> その時は、ショスタコーヴィチの影響が強い曲と言う事で質問をしましたが...
> マエストロは「御前、面白い事を言うね!」と言った上で、ショスタコーヴィチとトゥビンの作曲家としての根本的な違いを
> 説明して下さいました...「ブルックナーとマーラー位違う」とそして最後に「しかし、政治的に同じ様な環境下で生きて来たから
> 共通点はあるでしょう」と答えて下さった。

流石ゆんくさん!!
私は・・・ヤルヴィという名前もごく最近知ったのです。前もワーグナーばかり聴いていたし、別方面にのめりこんで10年ぐらい音楽から遠ざかっていました。極くたまに息抜きに手持ちの曲を聴きましたが、CDを新たに買うようになったのもごく最近です。
Wikiでみたらロシア出身で、エストニアで活躍した指揮者なんですね。相当レパートリーの広かったようで、何か1枚くらい持っていてもいいのに、皆無です。
「ブルックナーとマーラー位違う」と言われても私のレベルだとチンプンカンプンですが、具体的にあのフレーズを伝えたら反応が違ったかも知れませんね。


> 以前、日本で演奏して欲しいとリクエストしたら、「あの曲はダークな曲だよ」とメロディーの一節を口ずさんでいました。

「あの曲」とは6番ですよね。日本でお客を一杯にするには無理かな~。


> ミーチャの10番もそうですが...ミーチャの場合はプロコフィエフに対するオマージュの要素もあるのではと考えました。
> (プロコフィエフの5番と造りがそっくりです。)

教えて頂いたマーラー10番を聴かせて頂いてその影響の大きさが解りましたが、プロコフィエフもですか。
5番は動画で探してみます。で、またショスタコ10番も聴かないと・・。


> >  もしかして、5楽章は、シェヘラザードの「延々と続く物語り」なんじゃありません?
> と考えると、意味が逆になりますね! 戦争は終わるどころか?...
> いや、別な意味での戦争?

砲弾飛び交う戦争は終結しても、人民の苦しみ・嘆きは「千一夜」よりつづく・・・ではないかと想います。あのVnの引っ張りの長さ!!
 

マーラーとコルサコフとショスタコーヴィチ

 投稿者:Waltraute  投稿日:2012年 6月 2日(土)21時44分38秒
返信・引用
  マーラーの10番を聴きました。フライブルクのコンサートホールだったんですね。
フライブルクは大聖堂内に施された、古代宗教に基づく「グリーンマン」見たさに訪れましたが、目的を果たした後旧市街を歩いたものの、このホールの存在は知りませんでした。

ところで、10番は初めて聴きましたが良い曲ですね。ショスタコーヴィチより余程分かり易いです(笑)
あれ?と思ったのが、しきりに出てくる「サロメの動機」で、Wikiの解説によると、この時アルマの不貞に悩んでいたそうなので、どうせこの辺りに関係するのだろうと想いながら聴きました。でも、狂おしいほどの不協和音や皮肉も嘲笑でさえ、最終的にマーラー自身、「愛」「許し」で救われていますね。
5楽章の終結部がショスタコ8番に似ているのか気になりましたが、楽器の遣い方など常識的といえば常識的で、極く穏やかに静かに消えてゆく。

ショスタコ8番はVnが「G」を最後まで持続させます。
間に弦のピツィカートなど他の楽器が入る処は15番と似ていますが、15番では打楽器に意識が向かうのに比べ、8番は、その前の短いけど情緒的な旋律があるせいか、細々と引き延ばされたVnに「も」意識が向かいます。
ここも独奏Vnが余韻を残すシェヘラザードと似ていると思います。
 

トゥビン6番とショスタコ8番.シェヘラザード

 投稿者:ゆんく  投稿日:2012年 6月 2日(土)21時17分16秒
返信・引用
  Waltrauteさん

2つのレスに対してまとめてのレスです。

> 交響曲第5番の1楽章冒頭ですか?
> ♪ラファーーミソ♯ーーーソ(ナチュラル)レーード♯ラーー で
> 8番の1楽章冒頭は
> ♪{ドーーーシ♭ドーーーーラ}ドーー↑ラ♭ソーー
> で、リズム以外に類似点は無いような気がするのですけど・・・。

音そのものではなく、フレーズの歌わせ方。

>また、ちょっと訂正です。
> ショスタコ8番4楽章は (実音で)♪ラ♭――ソ―ラ♭シ― に間違いないのですが、
> トゥビン6番3楽章冒頭は(実音で)♪ラ―ソ♯ラシ♭―― で、シに「♭」を抜かしていました。
>
> ですので、ショスタコ8番を ♪ド--シードミ♭ーー と置き換えると、
> トゥビン6番は ♪ド-シドレ♭ー になり
> 「ミ♭」と「レ♭」1音の違いでした。申し訳ありません。
>
> トゥビンが何調で書いているのか不明ですが、五線譜におけるオタマジャクシの場所は同じではないか、という気がするのですね。

そこが、解れば...

> 作曲年順に並べると、
> ショスタコ8番 1943年 同年初演
> トゥビン6番  1953年 (スターリン没)

ショスタコ10番  1953年

> ショスタコ、チェロ協奏曲1番 1959年 同年初演
> なので、
>
> >そして、何故あのメロディーを使ったのか? それが何を指し示すのか?
>
> の答えが、ショスタコ8番のオマージュであり、示すものは戦争やソ連の体制への怒りだと想ったのですが、他にも何かあるようですね。

オマージュとまで、考えつきませんでしたね...
私が、1番に考えたのは祖国エストニアを統合したソ連に対する抗議。
ソ連の体制の象徴として、ショスタコーヴィチのフレーズが使われたとしたら
スターリンの亡くなった年に、態々ああ言う曲を発表したのは他ならぬそう言う事だと思います。

実は、その事についてパパ・ヤルヴィ(ネーメ)に直接伺った事があります。
その時は、ショスタコーヴィチの影響が強い曲と言う事で質問をしましたが...
マエストロは「御前、面白い事を言うね!」と言った上で、ショスタコーヴィチとトゥビンの作曲家としての根本的な違いを
説明して下さいました...「ブルックナーとマーラー位違う」とそして最後に「しかし、政治的に同じ様な環境下で生きて来たから
共通点はあるでしょう」と答えて下さった。
以前、日本で演奏して欲しいとリクエストしたら、「あの曲はダークな曲だよ」とメロディーの一節を口ずさんでいました。

ミーチャの10番もそうですが...ミーチャの場合はプロコフィエフに対するオマージュの要素もあるのではと考えました。
(プロコフィエフの5番と造りがそっくりです。)

> 5楽章は取りとめが無いというか中途半端な気がして、今日もよく分かりませんでした。
> が・・・
>
> > しかし、戦争は完全には終わってはいませんよ。
> > なのでしょうね...
>
> というのを聴衆に感じさせるためなら、納得です。

>  もしかして、5楽章は、シェヘラザードの「延々と続く物語り」なんじゃありません?

と考えると、意味が逆になりますね! 戦争は終わるどころか?...
いや、別な意味での戦争?

> 1楽章で私が「老婆の繰り言」みたいに感じたイングリッシュホルンも、何故トリスタン3幕の冒頭みたいに簡潔にしなかったのかと思いましたが、
> あれも聴衆の感覚に訴えようとしたのでしょうね。
> 4楽章の(好きな楽章ですが)長すぎる?戦場跡の描写(心象風景かも知れませんが)もです・・・。
>
>
> > 10番のクック版は御聴きになられていないと想いますが
>
> マーラーは苦手で10番は何版も未聴です。ショスタコーヴィチも15番から入ったのが正解でした。
> 4番から入門したら・・・恐らく次が無い!!(爆)

それは、幸いでした...
 

シェヘラザードとショスタコ8番

 投稿者:Waltraute  投稿日:2012年 6月 1日(金)23時28分7秒
返信・引用
  もしかして、5楽章は、シェヘラザードの「延々と続く物語り」なんじゃありません?
シェヘラザードは♪ミーーーレミレ・ドレド・シドシ・ラドミ・ソファ♯ミミーー

5楽章は♪ドレドー シドシー ラシラー で一杯ですが1音上げると

♪レミレ ドレド シドシ ですよね。

他にもショスタコ
♪ドレドー ドレドー ドレドー シレファー
♪レミレー レミレー レミレー シレファー の動きは

シェヘラザードのレミレ・ドレド・シドシの2度の上下を3回繰り返した後に5度上る(ラドミ)を想わせます。


 

Re: トゥビン6番とショスタコ8番

 投稿者:Waltraute  投稿日:2012年 6月 1日(金)22時20分50秒
返信・引用
  ゆんくさん

>シュターツカペレ・ベルリンで聴きに行く予定が
> 爺さんのキャンセルで、パァー・・・その時のチケットは未だに取ってあります。

晩年はキャンセルが多くて、私のような者が生で聴けたのは本当に幸運でした。
あれからまた思い出しましたが、ぶらあぼの方、私に「聴きなさい!」と勧めて下さった(電話口で「ザンデルリンクですよ!」と声が裏返ってた)のは良いけど、チケットの手配にすごく苦労されたようです。だから必要書類一式が我が家に届くのがギリギリでした。


> これ又、変形怒りの日...と捉えましたか?
> 5番の冒頭との類似が指摘されています。・・・となると、5番の出だしも?

交響曲第5番の1楽章冒頭ですか?
♪ラファーーミソ♯ーーーソ(ナチュラル)レーード♯ラーー で
8番の1楽章冒頭は
♪{ドーーーシ♭ドーーーーラ}ドーー↑ラ♭ソーー
で、リズム以外に類似点は無いような気がするのですけど・・・。


> アダージョからアレグロの主部へ移り、進軍ラッパよろしくトルコ行進曲のパロディのが出て来て...

あれ、やっぱりトルコ行進曲ですよね!!!本当にこういう処はいたずらっ子みたいです。


> 語りの部分ですね、11番の4楽章「警鐘」でも同じ遣りをしています。

11番・・・・・すっかり忘れてしまった(汗)


> > 2楽章は軍隊の描写でしょうが、何故かそれほど元気がない。
> 戦意高揚とも言うべきか? スケルツォ。

先ほど聴いて、党の描写かも知れないと思いました。
華々しい成果を誇りたいけど、実はそれほどでもない・・・。


> ショルティ/CSOの来日公演で、2ndVnのパートを永遠とダウンボウイング(下げ弓)だけで弾かせた話を聞きましたね。
> これこそ、地獄...

作曲家が弦主体の曲(楽章)をあえて弾き難い♭系で書くのは、奏者に緊張感を与える目的、と書いてあるのを読みましたが、ショルティがVn奏者をキーーーッとさせたという事ですね。さぞかし腕が・・。


> > つづく4楽章、冒頭にドラの後のトロンボーン?♪ラ♭――ソ―ラ♭シ― から始まる処でハッとしました。
> > 音を確かめたら、トゥビン6番の3楽章冒頭♪ラ―ソ♯ラシ―― と半音違うだけです。

また、ちょっと訂正です。
ショスタコ8番4楽章は (実音で)♪ラ♭――ソ―ラ♭シ― に間違いないのですが、
トゥビン6番3楽章冒頭は(実音で)♪ラ―ソ♯ラシ♭―― で、シに「♭」を抜かしていました。

ですので、ショスタコ8番を ♪ド--シードミ♭ーー と置き換えると、
トゥビン6番は ♪ド-シドレ♭ー になり
「ミ♭」と「レ♭」1音の違いでした。申し訳ありません。

トゥビンが何調で書いているのか不明ですが、五線譜におけるオタマジャクシの場所は同じではないか、という気がするのですね。

> 順番から言えば、トゥビンが先ですね。
> トゥビンはショスタコーヴィチを知っていたでしょうが、ショスタコーヴィチがトゥビンを知っていたかは?...

4月24日の
>あの6番と言う曲は、トゥビンの11曲のシンフォニーの中でも異色の作品です。
スウェーデンで亡命生活を余儀なくされた彼が何故、あの様にな曲を書いたのか?
そして、何故あのメロディーを使ったのか? それが何を指し示すのか?

作曲年順に並べると、
ショスタコ8番 1943年 同年初演
トゥビン6番  1953年 (スターリン没)
ショスタコ、チェロ協奏曲1番 1959年 同年初演
なので、

>そして、何故あのメロディーを使ったのか? それが何を指し示すのか?

の答えが、ショスタコ8番のオマージュであり、示すものは戦争やソ連の体制への怒りだと想ったのですが、他にも何かあるようですね。



5楽章は取りとめが無いというか中途半端な気がして、今日もよく分かりませんでした。
が・・・

> しかし、戦争は完全には終わってはいませんよ。
> なのでしょうね...

というのを聴衆に感じさせるためなら、納得です。
1楽章で私が「老婆の繰り言」みたいに感じたイングリッシュホルンも、何故トリスタン3幕の冒頭みたいに簡潔にしなかったのかと思いましたが、あれも聴衆の感覚に訴えようとしたのでしょうね。
4楽章の(好きな楽章ですが)長すぎる?戦場跡の描写(心象風景かも知れませんが)もです・・・。


> 10番のクック版は御聴きになられていないと想いますが

マーラーは苦手で10番は何版も未聴です。ショスタコーヴィチも15番から入ったのが正解でした。
4番から入門したら・・・恐らく次が無い!!(爆)

動画有難うございました。
明日にでも聴かせて頂きます。
 

Re: トゥビン6番とショスタコ8番

 投稿者:ゆんく  投稿日:2012年 6月 1日(金)19時19分8秒
返信・引用
  Waltrauteさん

> 8番、ザンデルリンク指揮、ベルリン響の演奏を真面目に聴きました。

これも、爺さんの得意曲でした...シュターツカペレ・ベルリンで聴きに行く予定が
爺さんのキャンセルで、パァー・・・その時のチケットは未だに取ってあります。
(因に代役は、ビシュコフ...絶対聴きたくない!! (爆) 勿論、渡航はしませんでした。)

> 変形怒りの日でいきなり始まる曲なんですね。耳に厳しい処はありますが、興味深い曲です。

これ又、変形怒りの日...と捉えましたか?
5番の冒頭との類似が指摘されています。・・・となると、5番の出だしも?

アダージョからアレグロの主部へ移り、進軍ラッパよろしくトルコ行進曲のパロディのが出て来て...

> 1楽章、中ほどのドラの後、弦のトレモロの上でオーボエ?イングリッシュホルン?ソロが続きますが、
> 旋律がちっとも頭に入らなくて老婆の繰り言のような「行き場のないやるせなさ」だけが伝わります。

嵐のドラムロール(私が勝手に言っている)頂点の部分から一気に、コールアングレ=イングリッシュホルンのソロですね、
途中寄り添う様にオーボエ・ソロも絡んで来ますが再び、コールアングレ・ソロに戻ります、その間弦楽器はピアニシモで持続音形...

> それを弦が優しく慰めるような場もありますが、全体として「悲鳴」「哀しみ」の楽章という感じを受けました。

語りの部分ですね、11番の4楽章「警鐘」でも同じ遣りをしています。

> 2楽章は軍隊の描写でしょうが、何故かそれほど元気がない。

戦意高揚とも言うべきか? スケルツォ。

> 3楽章は、同じ音型をひたすら繰り返す弦の動きが「ニーベルングの動機」のような脅迫観念というか、
> 何かに突き動かされているようで、正しく統制下の人民・兵士かと。
> ブンチャブンチャのリズム(後拍)の上でトランペットや小太鼓が出てきますが、
> 2楽章といい、絶対に軍隊をからかってるでしょ、と言いたくなる妙な感じです。

無機質な、機械的な運動、果てしなく続く...そして又、嵐のドラムロール。
ショルティ/CSOの来日公演で、2ndVnのパートを永遠とダウンボウイング(下げ弓)だけで弾かせた話を聞きましたね。
これこそ、地獄...

> つづく4楽章、冒頭にドラの後のトロンボーン?♪ラ♭――ソ―ラ♭シ― から始まる処でハッとしました。
> 音を確かめたら、トゥビン6番の3楽章冒頭♪ラ―ソ♯ラシ―― と半音違うだけです。
> トゥビンはショスタコーヴィチの8番のオマージュで6番を作曲し、ショスタコーヴィチがお返しにチェロ協奏曲に取り入れた・・・なんて考えられませんか?

Waltrauteさんは、本当に良く気付きますね!
順番から言えば、トゥビンが先ですね。
トゥビンはショスタコーヴィチを知っていたでしょうが、ショスタコーヴィチがトゥビンを知っていたかは?...

> コントラバスの葬送行進曲の上で多くの魂が浮遊してる感じで、多くの亡骸がうち捨てられたままの戦場跡を想い浮かべます。
> それにしてもこの楽章ちょっと長い・・。

得意のパッサカリア、バロック時代の技法を態々使っていますが、聴き込むと奥が深い。
低弦の繰り返される旋律の上を転がる様に点描の様な変奏が流れて行きます。

> 5楽章は、まだ何だかよく分らないので、もう少し聴きこんでみます。

ファゴットのソロから活気を取り戻しますが、此処にも又、嵐のドラムロール。
Bs-Clのコミカルなソロ.飛んでいるVnソロと来てVcのアットホームなソロが出たと思ったら、もうエンデング?
弦楽器ピアニシモで浄化を表わし、戦争が終わる暗示でしようか? 汚れていた空気が澄んで行く?
しかし、戦争は完全には終わってはいませんよ。
なのでしょうね...

マーラーを御聴きになられないWaltrauteさんは、10番のクック版は御聴きになられていないと想いますが
この10番のクック版は、8番と楽章構成が似ています。アダージョから始まり2つのスケルツォを経て再びアダージォ。
ふたつのアダージョには、頂点でトッティの不協和音がに来る所は、8番における嵐のドラムロール...
http://www.youtube.com/watch?v=IDT-hAGoUTs&feature=related
 

Re: またもや「カッコウ」

 投稿者:Waltraute  投稿日:2012年 5月31日(木)16時34分47秒
返信・引用
  > No.259[元記事へ]

ゆんくさん

>長年掛けての改訂と言うよりかは、初演までの時間全く手を着けなかった筈は無いだろうと考えます。

初演延期の理由は一つだけではないようですが、最初は前衛的でも体制批判はそれほどじゃ無かったのに、改訂する内に毒が入った可能性もありますね。カエターニ盤、探してみます!


> マーラーは1楽章からだから、あれは葬送行進曲ではありませんね...

マーラーの1番は3楽章にも密かにカッコウが出てきます。
私のはショルティ/シカゴ響の1枚だけですが、3楽章の3分くらいから、ファゴットなど木管合奏で
♪ソォドォレェミッドッミー ドォミィファソッドッソー の直後、
ピッコロの4度下降音が4回出てきます。確か・・・♪ドソ ラミ ラミ ラミ
このドソのソ とラミのミはかき消されて聞こえないのですが、次のラミ ラミからの推測です。(スコア欲しい)

4楽章でも12分近く、ファンファーレみたいな旋律を2本のフルート?がチョコマカ奏しますが、その1本が♪ドソードソーの4度下降音です。

こんな風に目立たないように忍び込ませたと言う事は、楽章間の統一だけでなくカッコウに何かの意味を持たせたかったのではないでしょうか。


ショスタコーヴィチ4番
> 1楽章の段階で、かなり変化している様なんですが...?

カッコウの現れ方を整理すると・・・
1楽章は最初、ピッコロで2度とも♪ミッドッの3度
その後ヴァイオリンやオーボエ?で4度になり、オーボエ?はカッコウを意識する音色で4回繰り返す。

3楽章、葬送行進曲を終えた後、http://www.nicovideo.jp/watch/sm16639818
5:24からの低弦★♪ミッドッ♯ミッドッ♯ レミファソファソ ミドッ♯ から
ドに♯が付くが、冒頭はカッコウ
カッコウが音を変えながら何度も繰り返され、暴れた後で
ミド♯(ECis)か? ミレ♭(EDes)か?同じ音で統一される。
この同じ音で統一された時が「正体」がはっきり分った時じゃないかな?と。


> カッコウがギャオスになった...(ギャオスは鳥じゃないよと、突っ込みが来ますね(爆))

肉食のギャオスに変身です!!
 

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