teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

【重要】teacup. byGMOのサービス終了について
 <思いやりのあるコミュニティ宣言>
 teacup.掲示板は、皆様の権利を守りながら、思いやり、温かみのあるコミュニティづくりを応援します。
 いつもご協力いただきありがとうございます。

 投稿者
  題名
  内容 入力補助 youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]


Re: エリアスベルク

 投稿者:ふる@管理人  投稿日:2012年11月15日(木)00時39分21秒
返信・引用
  > No.290[元記事へ]

ゆんくさん、ご教示ありがとうございました。
名前からしてユダヤ系という感じはしますし、英語版wikiはソースの無いことは書か
ないという感じですが、たぶんゆんくさんの推理が当たっているのでしょう。

> エリアスベルクが振っていたのは、放送局のオーケストラ(後のレニングラード・フィル.二軍オケの方)であって
> ムラヴィンスキーが振っていたレニングラード・フィルは彼と一緒にノボシビルスクに疎開していた筈...
> 戻って来たからと言ってレニングラードから追われる理由が解りません...

 英語版wikiをみると、放送局オケの指揮者であると同時に、レニングラード・フィル
の第2指揮者でもあったように読めます。そうだとしても、たしかにレニングラード・
フィルから追われるのならわかりますが、ドサ回りになったというのは理解できません
ね。

 ムラヴィンスキーに対するショスタコの評価が高くないような記述が「証言」に出て
きますが、ひょっとしたらエリアスベルク「追放」問題と関係があるのかもしれません。

 音楽的にはどうかと思って、エリアスベルクの7番、聴いてみました(演奏時間72分
03秒)。
 粗削りなところはありますが、普通の演奏で冗長に感じる2楽章、3楽章が飽きない
で聴ける数少ない演奏ではないかと思いました。包囲下の饑餓都市で本当に振った経験
がなければできない演奏、というのか、気迫を感じますし、決して音楽的に質の低い指
揮者とは思えません。
 
 

エリアスベルク

 投稿者:ゆんく  投稿日:2012年11月14日(水)23時47分34秒
返信・引用
  ふる@管理人さん

1).2)については私も不勉強な上更に文献等を読んでいないので解りません m(T_T)m

只、エリアスベルクに関して私の知っている範囲で御答えしますと...
彼はユダヤ系であった事、後にノボシビルスク・フィルと7番の録音を残した事。
(但し、工藤さんのwebページによりますとレニングラード・フィルになっていますが真偽は不明)
フリッツ・シュティードリー(4番の初演を途中で降りた指揮者)や、クルト・ザンデルリンクの様にナチ政権を
逃れて亡命して来た人と違って、彼の場合はソ連に生まれ育ったユダヤ系の様です。
この事はwikiには触れられていませんでした。日本版wikiは、指揮者の名前すら載っていませんでしたね...

1つ疑問が...それは、「ムラヴィンスキーが、疎開地から戻って来てレニングラードから追い出された」のくだり
エリアスベルクが振っていたのは、放送局のオーケストラ(後のレニングラード・フィル.二軍オケの方)であって
ムラヴィンスキーが振っていたレニングラード・フィルは彼と一緒にノボシビルスクに疎開していた筈...
戻って来たからと言ってレニングラードから追われる理由が解りません...

そう言えば、ムラヴィンスキーが7番を振ったのは大分後ですよね?

レニングラードでの初演と、彼がユダヤ系あった事の何らかの因果関係があるのではないかと...?
私見で申し訳ないです。
 

7番:市内初演70周年

 投稿者:ふる@管理人  投稿日:2012年11月14日(水)14時49分29秒
返信・引用
  Waltrauteさん、ゆんくさん、皆様

 活発なご議論ありがとうございます。ものすごくご無沙汰中の不良管理人
です。7番の包囲下レニングラード初演(1942年8月9日)70周年の演奏会が
今年の夏にあったようで、そこからたぐって行き、下記の疑問に突き当たり
ました。
1)スネアドラム:飢餓状態であの曲、とくに第1楽章を叩き切ることがどう
 してできたのか。ロシア語サイトの機械翻訳によると、遺体安置所で指を
 動かしているのを誰かが見つけて助け出したのが、後に初演にかかわった
 ドラム奏者だったとか。感動的ですがあまりによくできた話。
2)上演中、なぜドイツ軍は攻撃しなかったのか。ロシア語のサイトにそれら
 しい説明(攻撃の代わりに「撮影」しようとした)があるのですが、意味
 不明で読めません。
3)指揮者エリアスベルク:なぜ晩年不遇をかこつことになったのか。
http://en.wikipedia.org/wiki/Karl_Eliasberg
↑ここをみると、終戦後、レニングラードに戻ってきたムラヴィンスキー
 に「追い出され」「ドサ回りの指揮者となった」
とあります。エリアスベルクを題材にした小説があり、2013年1月にペー
パーバックの新版がでるというので
http://sarahvquigley.com/folio_img.asp?id=61
予約注文しておきました。
4)ショスタコの伝記映画に7番のレニングラード初演当時の生き残り(一説
に22名)が演奏するシーンがあり、振っているのはエリアスベルクらしい。
上記wikiの記述をみると、1964年、22年ぶりに当時の関係者が集まったとあ
るので、その時の撮影かと思われます。この演奏会には作曲家も臨席したと
いう説もありますが、真偽不明。

*基本文献を参照せずに書いていますので、かなり初歩的な議論かもしれま
せん。乱筆ご容赦を。
 

同時代の作品

 投稿者:Waltraute  投稿日:2012年 7月16日(月)22時09分55秒
返信・引用
  > No.286[元記事へ]

ゆんくさん

しばらく体調を崩してショスタコーヴィチから遠のいていました。


>私は他に同じ時代に生きた作曲家の作品を年代をキーワードにして聴き比べします。
> これは、ショスタコーヴィチだけに限ってではなく、他の作曲家でも同じ事です。
> 音楽はその時代を反映しています。

今、ブルックナーの9番を聴いていますが、マーラーの影響というより1番(巨人)にそっくりな処が出てきますね。精神活動の「時代」でしょうか。


> その後、ミーチャはしっかり御返しをしました。その話は御存知でしょう?

バビ・ヤールの第2楽章(ユーモア)にバルトークの「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」を引用したのですね。
動画で「2台のピアノ・・」を聴いて、主題の引用と分かりました。
ユーモアが刑場に向かう音楽で引用したのは、「いや、従ったふりだけさ」と言いたかった。
またその前に「イギリスの詩人の詩による6つの歌曲」の「処刑前のマクファーソン」で引用したそうで(この動画は見つけられなかったのですが)やはり「処刑」の歌とは、相当意識していたのでしょう。


> チェコ音楽の研究評論家の先生が、映画「大いなる西部」からの引用だと仰っていたのを思い出しました。

ドミソ遣いの大らかさや屈託のなさが、いかにもアメリカ的です。
「スキヤキ」の大ヒットも、こういう下地があったからでしょうか。
それと「大いなる西部」冒頭の♪ドシドソラソミソの繰り返しが馬車の疾走を想わせますが、
ここもマルティヌーのつむじ風のような冒頭に似ています。
ただし「大いなる西部」は1958年で、マルティヌーの6番は1953年ですから引用は反対では?



> 私がこの曲(マルティヌー)を聴いた時に、ドヴォルジャークの9番のエンディングが思い浮かびました。
>
> アメリカでは、演奏家に恵まれクーセヴィツキ.オーマンディ.セル.ミュンシュと言ったビックネームが
> 彼の作品を紹介しました。
> しかし、望郷念は強かった先人に習い「新世界」が今や私の居場所となってしまった祖国に帰れないなのでしょう。
> 聴いていて、虚しさを感じます。

なるほど、そういう受け止め方もありますね!

 

Re: これ、どう聴きますか?

 投稿者:ゆんく  投稿日:2012年 7月 8日(日)21時26分16秒
返信・引用
  > No.285[元記事へ]

Waltrauteさん

レスが出来ず申し訳ないです。

> 素晴らしい!!熱心に研究されているんですね。専門家に直接質問できるなんてステキです。
> でも専門家の見解は解釈の一つに過ぎません。
> ゆんくさんの御指摘は、ショスタコーヴィチと同じく苦難の時代を生きた作曲家達を考える上で重要だと思います。立派な音楽史研究です。

別に研究でも何でもありません...
私の聴き比べは、他の人達と大分違っています。
普通、聴き比べと言うと同じ曲を演奏家を替えて聴きますが、私は他に同じ時代に生きた作曲家の作品を年代をキーワードにして聴き比べします。
これは、ショスタコーヴィチだけに限ってではなく、他の作曲家でも同じ事です。

音楽はその時代を反映しています。

前スレで書いた、トゥビン.マルティヌー共に6番は、1953年に書かれていますね。
それと、ミーチャの9番とプロコフィエフの5番が同じ1945年に...

>> マルティヌーは当然の事ながら、ショスタコーヴィチの音楽をアメリカの地で知っていた筈です。

> Wikiに
> 後年は望郷の念が作風に反映し、自分の名前から取った音名象徴や、愛聴したドヴォルザークの「キリエ」などの引用が増えてくる。
>
> とありました。ならば、DSCHも早くから気付いていたと考えられますね。
> シ♭からのDSCH音型は、楽器の遣いかたもショスタコ10番にそっくりです。
> また、仮に、作曲時にショスタコ10番やDSCHの意味を知らなかったとしても、初演は1955年だから書きなおす時間は十分ですよね。

書き直した可能性はあると思います。その辺りは文献を読みましたが出て来ませんでした。

>> 共産主義の象徴として、DSCHを使ったと考えても違和感はないでしょう。
>> バルトーク遣った事とある意味共通していますね。
>> 当て付けで、ショスタコーヴィチは良い標的にされてしまった感ですね。

> 小太鼓を伴う暴力的なDSCHを「受難者=ショスタコーヴィチ」の意味にはとれませんね。

象徴でしょうね...

>ところで、バルトークは普段から口の悪い人だったらしいですが、「口を極めて罵倒した」のは「ショスタコーヴィチの7番」とハッキリしている事なのでしょうか・・。
> ま、ショスタコーヴィチの立場では、そういう受け取られ方の方が却って有り難たかったでしょう。

その後、ミーチャはしっかり御返しをしました。その話は御存知でしょう?

>> マルティヌーの3楽章のエンディングは、聴かれましたか?

> 最初から聴いてみました。
> http://www.youtube.com/watch?v=c9yUgDVoicM
>
> 1楽章 03:01 と06:04の「上を向いて歩こう」にちょっと笑えます。
> つむじ風が竜巻となって近づく様子が浮かびますが、不穏な響きが明るく結ばれるんですね。0:59も終結部も。

全曲を御聴きになったのなら、御指摘下さった1楽章 の部分は西部劇映画音楽風のフレーズに気付いたかと想います。
チェコ音楽の研究評論家の先生が、映画「大いなる西部」からの引用だと仰っていたのを思い出しました。

初演者.そして曲を献呈された、ミュンシュの演奏ですね。
Wikiには、曲を書いた経緯が好い加減になっていますね。
マルティヌー自身の「ミュンシュが好きで、彼の為に"幻想"と名の付く曲を書きたかった」の本人の話が出て来ていません。

>> あの終結部にも、相当強いメッセージが込められていると思います。

> シェヘラザード4楽章は「難破」→「シェヘラザードの動機」→「終結」で、
> 「お話の続きはまた明日」という物語を知っているから理解できますが、普通の交響曲だと「あれ?もう終わり?」と中途半端な感じを受けます。
> この曲も、やはりショスタコ8番の「終わりのない物語」を意識しているのでしょうか。

私がこの曲(マルティヌー)を聴いた時に、ドヴォルジャークの9番のエンディングが思い浮かびました。

アメリカでは、演奏家に恵まれクーセヴィツキ.オーマンディ.セル.ミュンシュと言ったビックネームが
彼の作品を紹介しました。
しかし、望郷念は強かった先人に習い「新世界」が今や私の居場所となってしまった祖国に帰れないなのでしょう。
聴いていて、虚しさを感じます。

> ただし、ドヴォルザークのレクイエムの何曲目かも同じような終わり方ですが、どうなんでしょうか・・・。

「レクイエム」を聴き直さないといけませんね。
 

Re: これ、どう聴きますか?

 投稿者:Waltraute  投稿日:2012年 6月26日(火)20時15分33秒
返信・引用
  ゆんくさん

> この曲は以前、外語大の亀山学長にも勧めました。
> 反応の返事は来ませんでしたけど...
> その後、芸大であったシンポジウムで進行役の学者先生に質問した所
> DSCHではなく、ドヴォルジャーク:「レクイエム」から来ている
> と、回答を頂きました。

素晴らしい!!熱心に研究されているんですね。専門家に直接質問できるなんてステキです。
でも専門家の見解は解釈の一つに過ぎません。
ゆんくさんの御指摘は、ショスタコーヴィチと同じく苦難の時代を生きた作曲家達を考える上で重要だと思います。立派な音楽史研究です。

私もドヴォルザークのレクイエムは初めてです。美しく敬虔な祈りと「救済」の熱望を感じました。


Antonín Dvořák ? Requiem
http://www.youtube.com/watch?v=aPxHEN9lXCU&feature=related
所々聴いたようなところがありました。
「ローエングリン」のオルトルートが叫ぶ「ヴォータン・・・」や、1:21:59 からのテノールが「ラインの黄金」で、フライアが解放された時のフローの呑気な歌にそっくりで、面白いものです。
メゾは、あの奔放なカルメンを歌ったガランチャで、姿が見えないのが残念。
バスのロベルト・ホルが衰えました。低調です。


冒頭から 実音ファソ♭ミファ(♪ミファレ♯ミと聞こえる)で、この「クロス音型」が全体に散りばめられています。
15:35から迫力の「怒りの日」で、つづく「不思議なラッパ」、17:45からトランペットが ★シ♭から始まる♪ミファレ♯ミ音型

DSCH音型は、オケの何処かにさりげなく入っているのかも知れませんが、少なくとも目立った形では出ていませんでした。
「レクイエムの引用で自然にDSCH音型になった」というのは少し無理があると思うし、
むしろ、不思議なラッパ、シ♭からのクロス音型をDSCHに変化させたと考える方が自然ではないでしょうか。


> マルティヌーは当然の事ながら、ショスタコーヴィチの音楽をアメリカの地で知っていた筈です。

Wikiに
>後年は望郷の念が作風に反映し、自分の名前から取った音名象徴や、愛聴したドヴォルザークの「キリエ」などの引用が増えてくる。

とありました。ならば、DSCHも早くから気付いていたと考えられますね。
シ♭からのDSCH音型は、楽器の遣いかたもショスタコ10番にそっくりです。
また、仮に、作曲時にショスタコ10番やDSCHの意味を知らなかったとしても、初演は1955年だから書きなおす時間は十分ですよね。


> 共産主義の象徴として、DSCHを使ったと考えても違和感はないでしょう。
> バルトーク遣った事とある意味共通していますね。
> 当て付けで、ショスタコーヴィチは良い標的にされてしまった感ですね。

小太鼓を伴う暴力的なDSCHを「受難者=ショスタコーヴィチ」の意味にはとれませんね。

ところで、バルトークは普段から口の悪い人だったらしいですが、「口を極めて罵倒した」のは「ショスタコーヴィチの7番」とハッキリしている事なのでしょうか・・。
ま、ショスタコーヴィチの立場では、そういう受け取られ方の方が却って有り難たかったでしょう。


>マルティヌーの3楽章のエンディングは、聴かれましたか?

最初から聴いてみました。
http://www.youtube.com/watch?v=c9yUgDVoicM

1楽章 03:01 と06:04の「上を向いて歩こう」にちょっと笑えます。
つむじ風が竜巻となって近づく様子が浮かびますが、不穏な響きが明るく結ばれるんですね。0:59も終結部も。

>あの終結部にも、相当強いメッセージが込められていると思います。

シェヘラザード4楽章は「難破」→「シェヘラザードの動機」→「終結」で、
「お話の続きはまた明日」という物語を知っているから理解できますが、普通の交響曲だと「あれ?もう終わり?」と中途半端な感じを受けます。
この曲も、やはりショスタコ8番の「終わりのない物語」を意識しているのでしょうか。

ただし、ドヴォルザークのレクイエムの何曲目かも同じような終わり方ですが、どうなんでしょうか・・・。



 

Re: これ、どう聴きますか?

 投稿者:ゆんく  投稿日:2012年 6月25日(月)17時08分8秒
返信・引用
  > No.283[元記事へ]

Waltrauteさん

> 6番は1953年作曲だそうですが、何月ごろでしょう。

今迄色んな文献を、見てましたけど完成月までは載っていないのです...
10番より先か? が、気になるんでしょう。私も気になります。
この曲は以前、外語大の亀山学長にも勧めました。
反応の返事は来ませんでしたけど...
その後、芸大であったシンポジウムで進行役の学者先生に質問した所
DSCHではなく、ドヴォルジャーク:「レクイエム」から来ている
と、回答を頂きました。

ドヴォルジャークについては検証していないので、何とも言えませんが...

> チェコもナチスドイツの後はソ連に支配されるという大変な歴史を歩んできました。

生きて祖国の地を踏む事が出来なかった、作曲家の望郷の念は強いです。
マルティヌーは当然の事ながら、ショスタコーヴィチの音楽をアメリカの地で知っていた筈です。
共産主義の象徴として、DSCHを使ったと考えても違和感はないでしょう。
バルトーク遣った事とある意味共通していますね。
当て付けで、ショスタコーヴィチは良い標的にされてしまった感ですね。

マルティヌーの3楽章のエンディングは、聴かれましたか?
あの終結部にも、相当強いメッセージが込められていると思います。
 

Re: これ、どう聴きますか?

 投稿者:Waltraute  投稿日:2012年 6月24日(日)21時04分49秒
返信・引用
  ゆんくさん

> http://www.youtube.com/watch?v=_lWTeTxZw7M&feature=related
> 6:06~

これは、驚きました! シ♭から始まる「変形DSCH」ですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%95%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8C%E3%83%BC

チェコもナチスドイツの後はソ連に支配されるという大変な歴史を歩んできました。

6番は1953年作曲だそうですが、何月ごろでしょう。
 

Re: 1番とトリスタン

 投稿者:Waltraute  投稿日:2012年 6月24日(日)20時49分24秒
返信・引用
  ゆんくさん

> いよいよ、ビンゴでしょうか?

6番と3番、それにヴィオラソナタが・・・。
6番も2回聴きましたが、プレストだけザンデルリンクの楽しそうな指揮ぶりが見たくて、御紹介いただいた動画に切り替えています。(笑)

> ショルティも晩年になって、ショスタコーヴィチを録音し始めましたが時遅しと感じてしまうのは私だけでしょうか?

何故晩年までとっておいたのでしょうね?
カラヤンが10番しか振らなかったは、曲の隠れた意図を感じ取って敬遠したのかも知れないと想っています。

> 私にとっての10番は、古いけどミトロプーロス/NYPOですね。
10番は廃盤のようですね。5番をYoutubeで聴けましたが、いい演奏でした。

> スケールが違うでしょう。
スケールというと、1番についてはよく分からないのですが、1楽章主題の弾みっぷりなど曲の若々しい魅力たっぷりで、聴いていて楽しいのは断然ザンデルリンク盤です。

> 只、音楽に身を浸せば良いのです。
1番は9番とともにそれが出来る有難い曲です。
こちらでお話をするようになって、貧弱なレパートリーが大分広がりました。
ラフ1番も、プロコ1番(5番とカップリングで聴きました。なんだかんだでCDが増えています)も侮れませんね。
1番は、全てがそこにある「原点」でなかなか好いモノです。

 

これ、どう聴きますか?

 投稿者:ゆんく  投稿日:2012年 6月24日(日)18時35分16秒
返信・引用
  Waltrauteさん 又々、ミーチャ以外の作曲家の作品で申し訳ないのですが、 10番に関連して... http://www.youtube.com/watch?v=_lWTeTxZw7M&feature=related 6:06~  

レンタル掲示板
/38