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追記

 投稿者:みーちゃの子供達  投稿日:2019年 1月13日(日)20時27分0秒
返信・引用
  番組のエンドロールで、山田さんが此処で書かれていた、池上みどりさんの名前と、
ダスビターニャ音楽監督.長田雅人さん、アマオケ.アウローラ管弦楽団が出ていました。

そして、そのアウローラ管弦楽団は5月11日に7番を演奏します。
http://www.avrora.me/home.html
 
 

御礼

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 1月12日(土)17時18分1秒
返信・引用
  みーちゃの子供達さん>
 ご報告有難うございました。蔵出しエピソードがあったのですね。興味深いところです。
山田実さん>
 ヒトラーがアストリアホテルで祝賀会を予定していたというエピソード、以前ご教示いただいていたのを思い出しました。その日が8月9日だというのをすっかり失念しておりました。初演当時としてはまさにその日を選んだということですね。ご教示有難うございました。
p.s.
 旧臘の書き込みに「ナチスのホロコースト」と記しましたが、数々のジェノサイドのうち、ナチスがやったのを「ホロコースト」と呼ぶのであって、「ナチスのホロコースト」というと「火事が燃えてる」「頭痛が痛い」的表現になるというご教示を、さるお方からいただきました。
 

8月9日

 投稿者:山田 実  投稿日:2019年 1月11日(金)11時11分21秒
返信・引用
   8月9日。それは様々な側面があると言えるのですね。
 何人かの知人にはお渡ししたのですが,私は1999年の1月26日にペテルブルクの大ホールで第7番を聴いたルポルタージュを,ペテルブルクから「筑波の友」というタウン誌に投稿しました。「五十五年目の第七番」という表題でした。この時の演奏会はふつうの演奏会でなく,ベテランとか言う団体主催の演奏会で,この曲だけでした。なおその55年前の1月27日に,レニングラードの封鎖は解除されたそうです。
 そこにも書いたことですが,1941年の8月9日にヒトラーは,この町の高級ホテルのアストリアで占領記念祝賀会を開くことにしていたそうです。そこには日本大使が宿泊する部屋などの図さえありました。そのホテルには,その図は1990年頃までは掲示されていたそうです(1986年夏に泊まったときには気が付きませんでした)。
 私が言いたいのは,1年前のヒトラーの野望の日に合わせて,1942年に包囲下で第七番の演奏会を開いたという事実です。
 

松が明けてしまいましたが...

 投稿者:みーちゃの子供達  投稿日:2019年 1月 8日(火)20時49分33秒
返信・引用
  玉木宏 音楽サスペンス紀行 『ショスタコーヴィチ 死の街を照らした交響曲第7番』の感想を。

2時間枠の番組で色々詰め込んだ感がありましたが、知られていないエピソードが幾つかありましたね。
特に印象に残ったのは、ショスタコーヴィチ自身が作品に対して御近所さんに言及していた事。(音楽関係者ではなく)
そして、7番を題材にしたプロパガンダ映画が製作されようとしていたが、頑に拒み実現されなかった件。
戦災(人災に)依る破壊された故郷の町に対する想い。
アメリカでは戦時下の流行歌の如き持てはやされた事。(総演奏数が日本における今までの演奏数より遥かに越えていた事)
音楽だけではなく、当時の政治背景等をしっかり盛り込まれていましたね。
 

8月9日というと

 投稿者:管理人  投稿日:2019年 1月 5日(土)17時44分20秒
返信・引用
  ソ連の対日参戦のちょうど3年前だったのですね。スターリンが7番の初演日を覚えていたとは思われず、ヤルタ会談でどうしてこの日に決めたかについては、すでに歴史家が明らかにしているのでしょう。
そもそもレニングラードの解放は、関東軍の対ソ不侵攻方針を知ったスターリンが東方戦車部隊をスターリングラードに投入したことから始まっているわけで、結果的に7番の運命は日本と大きくかかわっていたということになり、歴史のいたずらというか不思議さを感じます。
包囲下のレニングラードについてあれほど詳述している『ガリーナ自伝』(邦訳、みすず書房)で、ヴィシネフスカヤが7番の初演について殆ど言及していないのも不思議でなりません。西側に出た後の本ですから制約はなかった筈。ちゃんと読み返してみればわかるのかもしれませんが、彼女も病床にあってそれどころではなかったのかな、となんとなく思います。
 

音楽サスペンス紀行

 投稿者:みーちゃの子供達  投稿日:2019年 1月 1日(火)18時04分30秒
返信・引用
  山田さん、貴重な裏事情を有り難う御座いました。
本編は、明日の晩見てのお楽しみと言う事でしょうね。
ひの まどかさんの著書「戦火のシンフォニー」の御陰もあってか?
物語として取り上げ易い題材なのでしょうね。
 

音楽サスペンス劇場

 投稿者:山田 実  投稿日:2019年 1月 1日(火)13時52分37秒
返信・引用
   よかったです。昨年6月,ペテルブルクで知り合いのロシア文化を専門とする池上みどりさんに会いました。NHKの人と一緒で,第七番についての予備調査で,その時は1942年8月9日の演奏をした人の縁者を探してのことでした。その結果によって番組とするかどうかを考えるようだと言っていました。
それが物になったということですね。
 

Re: 伝説の演奏

 投稿者:管理人  投稿日:2018年12月24日(月)12時38分41秒
返信・引用
  > No.364[元記事へ]

みーちゃの子供達さん、いつもいつも貴重な情報、有難うございます!
ナチスのホロコースト(とソ連の迫害)を生き延びたハンガリーのユダヤ人が、ちょうど東京五輪の年に来日して5番を振っていたのですね。しかしよく録音が残っていたものです。

https://alchetron.com/Istv%C3%A1n-Kert%C3%A9sz-(conductor)

 

伝説の演奏

 投稿者:みーちゃの子供達  投稿日:2018年12月22日(土)09時20分50秒
返信・引用
  1964年ロンドン交響楽団来日公演、ケルテスの5番

https://tower.jp/article/feature_item/2018/12/18/1111
 

Re: 又もや7番

 投稿者:管理人  投稿日:2018年12月19日(水)21時21分58秒
返信・引用
  > No.362[元記事へ]

みーちゃの子供達さん、こんばんは。7番ですか。
いつも貴重な情報、ありがとうございます。
(そういえば、"The Conductor"、ツンドク状態だなぁ)

> 2019年1月2日水曜 19時00分~ 21時00分 NHKBSプレミアム
> 玉木宏 音楽サスペンス紀行
> ショスタコーヴィチ 死の街を照らした交響曲第7番

https://www.theguardian.com/books/2012/jul/15/conductor-sarah-quigley-review

 

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