ACT9 元スパイのエージェント

 砂漠の民──それは、王国南西のエイドーズ地方にある広大なエイドネス砂漠に住まう者の呼び名だ。かつてはゾラフ帝国としてその領土を主張されていたが、実際にはそこに住まう者にはどこの版図に数えられようともどうでもいいことだった。彼らは国境を必要とせず、部族というある種の完結したコミュニティの中で生きていたのだ。しかし、竜の反逆を経て壊滅的な被害を受けた彼らは、防衛線を築くコルネルスと手を組んだ。そうして部族はまとめ上げられ、その一つにして最大勢力であったベルディオ族がエイドネス砂漠を統べる領王の座を与えられたのである。

「イルダ・ティスディア。ベルディオの血を持つ者です」

 人狐族の彼女は、四つの尻尾を揺らしてそういった。

 褐色の艶かしい肌に、金色の髪と狐耳、尻尾。銀色の瞳にはスリット状の黒目が差し込まれ、身に纏っているグレーの毛皮のコートがどこか気高さを助長する。その美貌に、思わず周囲の男が息を呑んで、妻か恋人かはわからないが、連れ合いから「ちょっと」という反応をされていた。

「ヘンリー巡査部長からお聞きしております。腕利きの探偵だとか。あなたのおかげで数多くの凶悪犯を検挙できたと聞いています。お若いのに、場数を踏んでいらっしゃるとも。大変お強いと聞き及んでおります」

 レナはその意見を間違いだと思っていない。ネヴィもだ。リンは、本人はなかなか認めないが、天賦がある。戦闘における異様な適正と適応能力。剣術、格闘術、魔術、そしてそれらを有利に進める洞察力。人嫌いゆえに見せる、人間観察と分析能力もまた、その一つだ。あらゆる戦いは情報が全てを決すると言っても過言ではない。ゆえにリンのその能力は、荒事が中心である冒険者や現代における探偵にとって、必須であり、誰もが羨む能力だった。

「ああ。あのおっさんの手柄の少しは、俺が取ったもんだ。代わりにしっかり報酬はもらってるし、ギブアンドテイク。お互いに一方的な施しじゃない」

「侮辱したつもりはありませんが、不快に思われましたら謝罪します」

 慇懃無礼に感じない。

 狐という生物は、多くの地域で霊的な存在と結び付けられている。神聖なもの、あるいは邪悪なもの。概して人を化かし、あるいは振り回すような伝承が多い。

 彼女の落ち着きと、本心が見えない振る舞い。これもまた狐の血か、あるいは王族としての演技力か。はたまた、その両方か。──あるいは、

「ヘンリーの部下・・と聞いてるが」

「だった、ですね。今はリンさんと同じ私立探偵ですから」

 彼女は陸軍を経て特別情報局という、表向きには存在しない国家機関に所属していたスパイであり、ヘンリーの部下だったという。どこか人を食ったような顔と態度、そして本心を見せないその身振りや素振り、口調、そして表情の動かし方はヘンリーにも通じるものがあった。あの紳士も、初対面ではとても敏腕刑事には思えない。窓際でコーヒーを啜っているような、うだつの上がらない警官というようなゆるい印象しかない。けれど、ヘンリーの格闘術はリンをも圧倒する。彼は口でこそリンを敵に回したくないなどというが、それはこっちのセリフだった。

「一六番でお待ちのお客様ー!」

 リンは席を立った。レナがついてくる。

「まるで御兄弟のようですね」

「実際、そんな感じよ。……あいつらは、多分似た者同士だから」

「リンさんについて、お詳しいので?」

「ええ、まあ。……かつては同じ師を仰いでいたから」

 カウンターでバーガーやらが乗ったトレーを受け取るリン。ウルカがわたわた足踏みするのを、「じっとしてろ」と嗜める。レナがポテトやチキンナゲットのトレーを手にしていた。ドリンク類は、先にもらっている。

「落とすなよ」

「落とさないよ」

 二人して席に戻った。一番隅の一角で、即座にウルカが遮音魔術を展開する。

「ウルカ、食っていいぞ。でもお前の取り分はバーガー六つと、ナゲット一五ピースだ。それ以上は俺のだからな」

「わかっています。いただきます」

 そもそもこんな小さな体にバーガーが六つも入ることがレナの疑問だった。さすがは竜、胃袋も規格外なのか。

 リンも包装紙を破いて、バーベキューソースが滴るハンバーガーを齧った。チーズとレタス、トマトに、肉厚のパティ。一口で大きく口に入れ、咀嚼する。バンズはバターが塗られて、水分を弾いていた。ふんわりした食感が損なわれず、サラダの歯触りとチーズのクリーミーな濃厚さ、そして肉とソースのがつんとくる味わいが、まさにファストフードの王道という具合だった。飲み込んでから親指の腹で口元を拭い、それを舐めとる。

「紙くらい使いなさい。行儀悪い」

「相変わらず姉貴ヅラだなお前は」

 渡された紙ナプキンを手に、指を拭う。

 レナがもそもそとバーガーを齧り、ネヴィもピクルスたっぷりのチーズバーガーを手に取った。

「単刀直入に聞く。トレセリス星霊重工の産業スパイについてだ。……あんたが情報を掴んでいるらしいってことを聞いた。そいつは近々起こりうる内乱にも加担していると」

 青い目が、イルダの銀の瞳を射抜く。涼しい顔で、皮がついたまま揚げられたポテトを齧る彼女は頷いた。

「隠し立てするつもりはありません。こちらもヘンリー巡査部長から報酬をいただいていますから。最も、それは内乱の情報収集というもので、依頼人はトレセリス市市長ですね。都市防衛の一環でしょう。誰だって、自分の縄張りを守りたい。……カイネ、という方をお探しと聞きました」

「姉さんのことを知ってるの?」

 立ち上がりかけるレナを押さえた。彼は何か言おうとするが、リンが強く見つめると黙って腰を下ろす。

「カイネさんご本人についてはまだ。けれど、産業スパイに関わっていることは確かです。恐らくはなんらかの兵器、それに類する技術のやり取りをしていると思われます。解析機関が情報のごみを出すことはご存じですね? その廃棄されるデータをサルベージし、売りものにして法外な利益を上げる困り者はどこにでもいますが……。使い方次第では味方にもなり得るものですから、放置しています」

「……どこにでもいるんだな、そういうのは。とりあえず回りくどいことはいい。要点と結論を言え」

 リンがナゲットを口に入れる。イルダはアイスコーヒーを啜って、

「産業スパイの名は、その戸籍上の名前はダン・フォーガンなる者です。その戸籍を使う人物の実名は不明です」

「この都市で行方不明になった男、だろ。妻子なしで、独身。両親はモンスターサベージで他界。趣味にしていた狩りの際、帰らなくなったと」

「ええ。本当のフォーガン氏は亡くなられたのでしょう。もしくは、この時のため殺されたか。いずれにせよ、フォーガン何某がこの一件のキーパーソンと言えます」

「その尻尾はどこだ」

「クリグズ山です」

 その山は、パルドール市の西に隣接している土地だ。山賊に扮した反乱軍が拠点を構えているともされている。下手をすれば、リンたちはその反乱軍の猛攻にさらされる可能性があった。

「ご安心ください。正式な手続きで、クリグズ山におけるモンスター討伐、及び調査の依頼を受けたことになっています。書類も発行され、布告もなされております。この緊張の中、下手に手を打てないのは反乱軍でしょう。彼らも余計な火種や、それこそ敵の大義名分になりかねない一般人への攻撃や拉致は控えるはず。おかしな行いは領王軍、あるいは連合政府軍にとって、格好の攻撃機会ですから」

「それでもせいぜい五パーセント未満の安全性、ってとこか。……まあ、初めからこうなることなんて目に見えてた」

 不安そうなレナの頭をがしがし撫でる。

「な、なんだよ」

「俺たちがついてる。姉貴は俺たちが見つけてやる」

「……うん」

「本当に、御兄弟のようで」

 イルダが微笑む。

「俺には、少なくとも肉親はいない。煙草臭い師匠と、お袋臭い姉弟子ならいる。それと物好きな竜と」リンは隣の、ミルクティーを手に取るレナを見た。「……あとは、腹が立つ生意気なクソガキがな」

「羨ましい限りです。……今日は一日、ごゆっくりと。タイムリミットを気になさるのはわかっていますが、急いては事を仕損ずるとはよく言ったものです。また、腹が減っては戦はできぬ、とも。備えあれば憂いなし……こうも言われますね。色々あってお忙しい二日でしたでしょう。明朝午前五時半まではごゆっくり。西門で会いましょう」

 そういって、イルダは席を立つ。

「会計は済ませておきますので、ごゆっくり」

 優雅な仕草で一礼し、彼女は去っていった。

「……なんつーか、狐に化かされた気分だ」

「ほんとにね。……でも、王族っていうのはあながち嘘じゃないかも。私もいろんな人見てきたけど、あれは貴族の振る舞いだし」

 だったら尚更面倒臭い。

 王侯貴族の相手は嫌いだ。胃が痛くなる。

 レナはどこか物欲しそうに、リンの近くに座った。

「ヒトデ、ひっつくな」

「引っ付いてないだろ! っていうかヒトデ呼ばわりやめろよ!」

「うるっせえな。苛っとするっつってんだろ。あと店で騒ぐな」

「ご、ごめん」

 微笑ましい光景だと、ネヴィはそう思った。


×


「ねえ、リン」

「なんだよ」

「なんでファミリールームなの」

 その日の午後、市内を偵察したリンたちが向かったのはイルダがあらかじめ予約していたホテルだった。お高い高級ホテルであり、なんともまあ場違いな気分にさせられる。

 落ち着いた調度の部屋は優雅な雰囲気にまとめられ、温かみと落ち着きの得られるブラウン系のコーディネートが目を引く。暖色系の間接照明が落ち着きを助長させている。ルームサービスは当然として、風呂は個室に一つ一つある。窓ガラスは要人警護の観点からか、防弾・防術性のある対魔術強化ガラス繊維でできており、軽く叩いた感じそこそこの頑丈さだ。

「ふん。……部屋のグレードについては俺に聞くな」

「ちょっと、本当に覗かないでね。いい? 少しでも馬鹿な真似したら、冗談抜きで血だるまにするから」

「誰がするか。いいからさっさとシャワーを浴びてこい。俺もさっさと寝たいんだ」

 しっし、と手を振るリン。ネヴィは「ったく、このヘタレ男が……」と吐き捨てながらシャワールームへ消える。

 先に風呂を済ませていたレナはパジャマに着替えてふかふかのベッドに横になっており、ラジオを聴きながら本を読んでいた。

「リン、紅茶取って」

「俺は小間使いじゃねえんだぞ」

「いいだろ、ちょっとくらい」

「ったく、最近のガキはどいつもこいつも……。次からは報酬にオプション料金つけるからな」

 苛立たしげな口調の割に、大人しくガラス瓶から茶葉を手にし、ポットに入れてお湯を注ぐ。

「言っとくけど、俺はこういうことなんて素人だぞ。味に文句つけるなよ」

「平気。僕も実は、そういう良し悪しあんまりわかんないし」

 だったら気負わなくていいか、とリンは適当に蒸らしておいて、カップに紅茶を注いだ。赤みが強い茶葉で、それはドワレベス地方はワーロッカル島で採れる茶葉の一つである、スカーレットワーロ茶という、ある農園が生産しているものだった。

 レナに渡すと、彼はベッドから降りてソファに座り、紅茶を啜る。

「一応、表向きには明日はモンスター討伐なんだろ? 僕らの、活動名目としては」

 今もなお継続して遮音魔術を使うウルカに、偵察中肉屋で買った鶏肉を与えようと、冷蔵庫からそれを取り出して、窓辺にいる愛竜に差し出しつつリンは答えた。

「ああ。しっかりと本物のモンスターもいる。怖気付いたか?」

 ウルカが肉を咀嚼して飲み込む。外は暗く、アストロンライトが彩る夜景が都市を、水面に投影される星空のように見せていた。作り物の、紛い物の夜空。星の力を借りた、偽りの輝き。ただ、真っ暗な闇夜だけが本物の。

「まさか。そんなわけないだろ。えーっと……ヴァルガオルグ?」

「そう。モンスターの中では比較的ポピュラーなやつらだ。人間くらいの大きさに、猫みたいな尻尾と鬼みたいな角を持つ。卑しい鬼の名前の通り、人間の女をとっ捕まえて孕ませるっていう嫌なやつらだ。第一級駆逐指定種でもある」

 モンスターの中には人間の生活には欠かせない恩恵をもたらすものがいる。家畜化されたものはもちろん、獣害の原因となるそれらを捕食するものやなんかだ。もっとも、自然の世界で生まれたのだからどんな生き物だってその命の価値は平等だろうが、現状人間が世界の支配者を気取っているため、全ては『人間様』の一存で良し悪しが決められる。

 そんな支配者の指示で、ヴァルガオルグは第一級駆逐指定種──つまり、見つけ次第始末して殺せ、という対象に挙げられているのである。

「特別動きが早いわけじゃない。モンスターの御多分に洩れず力はある。あとは、投石だな。爪と牙、あとは投擲。これに気をつけろ。物を投げられる肩の構造を持つモンスターは、ブレスやら魔術が使えなくてもその辺のものを投げてきて危険だ」

「投げるだけだろ?」

「俺たち人間も大昔はそうだった。そして、物を投げられる能力ゆえに、頭蓋を砕くような攻撃を遠距離から行えた。その後魔術って力に気づいて、道具を作って、今では星霊技術を手に入れた。でもそもそもこの投擲能力がなきゃ、今頃人間は自然淘汰されただろうさ」

 レナはまさか、という顔をして紅茶を啜る。

「あのさ……朝、僕酷いこと言ったろ」

「……ああ」

「あれは、本当にごめん。僕のことを何度も助けてくれたリンに言うべきじゃなかった」

「気にしてない。……それより、道具の手入れは済んだのか。ジャナーの店で随分買い込んでいただろ」

「あ、ああ。うん」

 さりげない話題転換がリンの気遣いで、そして「触れないでくれ」というのはすぐにわかった。

 レナは昨日買い込んだ道具をテーブルに広げ、チェックし始めるのだった。リンはコーヒーを入れて、苦味の強いそれを嚥下した。

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此岸のレヴェナント ─ 魂の呼び声と竜の玉座 ─ 百竜呑ライカ @9V009150Raika

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