ACT8 エージェント
トレセリス市からパルドール市までは、もっとも短い旅程でも直線距離で約八十キロほど。その道程は、整備された鉄道線路が可能とした高速な移動によって、さほど時間を取ることなく終わった。時速にして最高で一二〇キロまで出せる星霊鉄道は、安定した傾斜の線路を急くわけでもなく平均速度で走っていき、快速のそれはおよそ一時間と少しでリンたちをパルドール市へと運んでいく。
仮眠する──そういってリンが眠って、けれどアナウンスが流れるや否や彼はすぐに起きた。折れた右の角に少し触れ、それから首を撫でてマフラーを巻く。
ネヴィはあの仕草の意味を知っている。角については知らないが、彼が首を撫でるその理由を知っていた。
過去に与えられた苦痛。
最愛の人に、ようやく庇護を求められる人がいなくなった時与えられた、死に触れた瞬間の。
あのときのことを、リンは忘れられない。そしてその話を聞いたネヴィも、未だに彼の冷淡で平滑な声音に潜む真っ黒な恐怖を覚えている。
『神父様、シスター・リーフィは? どこに行ったの? いつ、僕達のところに帰ってくるの?』
『あのような咎人の名を口にだしてはならん。魂が穢れ、安眠できぬ。金輪際、聞くな』
『でも、シスター・リーフィは僕の──』
『やかましい! 黙れと言っている!』
「…………っ」
それが未だ、あの恐怖がずっと、ずっとリンを締め上げているのだ。
停車した鉄道から降りた一行は、踏みしめられて固められた雪がぎっちりと積もっているプラットフォームを進む。切符を駅員に渡し、あとはケチな性分のリンは嫌いだが、世渡りの一環としてチップを出す。どうせ一時間もすれば、誰からどれだけ貰ったかなど忘れているに違いない。けれど、チップをくれない者だけは覚えて嫌がる。まして一等車から降りてきてチップを出さなければなおさらだ。腹立たしいが、一〇〇〇リム紙幣を一枚渡し、三人は駅を出た。
一等客室に乗れるのは金持ち。それこそ、企業でも上の方にいる者などだ。飛行船ではファーストクラスに相当し、ボンボンやなんかが使う。決して、一介の私立探偵が使うものではないが……まあ、仮にもここには、王族がいる。
その当人は、眉をひそめていた。
「僕は……あんまり、ここにいたくない」
レナがそう言った。彼は以前はここで暮らしていたが、貧民街においては『都市貢献度』が必要となる。どんな形でもいいから、一般市民に寄与せなばならず、その貢献度が低いものは外へ追い出されるのだ。
土地も無限ではない。モンスターなどから守られた都市は、そんな残酷な選民思想が蔓延していることが往々にしてあるのだ。
これが資本主義。所持している金額が、通帳に記載される数字の大きさがその人物の価値で、人権で、権力だ。
「悪いが、付き合ってもらう。……姉さんを探すんだろうが」
「そりゃ、そうだけど……」
「美味しい思いだけしたいのか? それはお前を、お前の母親に無責任に孕ませた野郎と同じことだろうが」
端的に鋭い言葉を浴びせるリンに、レナは静かな怒りをふつふつと、けれど確実に抱く。昨日もそうだ。ことあるごとに刺々しく当たってくる。それがレナには腹立たしかった。強いことをいいことに、種族に恵まれたことを武器にして──、
「そういうあんたはどうなんだよ。竜人に生まれたことを本当は誇ってるんだろ。そうやって、鱗を売れば金になる体だから、僕らの、弱者の苦しみなんてわからないんだ!」
「かもな。自分の弱さを棚に上げて、他人の足を嬉々として引っ張るお前みたいな馬鹿のことなんぞ知りたくもない」
煙草を咥えて、紫煙をくゆらせるリン。レナは近くの柱を蹴り付けた。ゴン、と鈍い音がする。
「あんたなんか、大嫌いだ」
──『女々しいやつ。あんたなんか、大っ嫌い』
「……ガキに嫌われても、なんともねえよ」
ネヴィはその口喧嘩には口を挟まない。お互いに苦痛がある。そしてそれは、共有などできない。なぜなら二人とも、頑固にそれを語らないからだ。
「でもな、レナ」
むすっとした顔で、小さな青年はリンの背中を見る。
「少なくとも姉貴には、そんなことを言うな。いいな」
「…………。……、ごめん、リン。ちょっと、頭に血がのぼったんだ。今の言葉は取り消す。ごめんなさい」
「素直に謝れるだけ、俺よりはマシだ」
ネヴィは微笑んだ。なんだかんだで、もうリンも大人だ。図体だけ大きいと思っていたあの頃とは違う。本当に、背中が大きく見える。弟を持った兄、口はばったいが……息子を持った父のような。
「ねえ、そろそろ何か食べない? なんでもいいから、お腹空いてさ」
助け舟を、あるいは暗い話を払拭するようにネヴィがそう提案した。
「それについては、これを見てくれないか」
出立前──正確には昨日、ヘンリーから受け取った封筒だ。すでに封蝋は剥がされている。受け取ったネヴィがそれを見て、頷いた。
「
「スパイね。ああいうのは苦手だし、誰がなんと言おうが、俺は探偵だ。資格は色々あるが、俺は私立探偵で通す」
リンは冒険者を引退しているが、だからといってライセンスまで停止し、失効しているわけでもない。三年に一度の継続適正審査を受けているし、魔術師資格については魔術を間違った使い方さえしなければ、基本的には永続である。複数ある肩書きの中で、リンは何の資格もいらない私立探偵を名乗っているのだ。
「その人と会う場所って、どこ?」
問いかけてきたレナに、リンは顎をしゃくった。
「あの店だ」
そこには、『コルネルス・ビッグバーガー』の文字。
「ファストフード店? なんでさ。こういうのって普通、喫茶店じゃないの?」
「意表をつくんだろ。レナ、お前まさか菜食主義とか言わないだろうな」
「いや、僕好き嫌いないから。ていうか、血を飲むわけだし、菜食主義の吸血鬼は死ぬよ」
そりゃそうだ。
「私も平気。あー、でもハンバーガーなんて久しぶりね。リンは?」
話題を振られるリン。歩道を行きながら答える。
「俺の主食は酒と煙草、ファストフードとプロテインだ」
「僕にはそれが健康的なんだかわかんないけど……でも、なんか生活習慣病になってそう」
「うるさいぞガキんちょ。市の健康診断では何の問題もない。ああ、……それこそ、竜の血のお陰だろうさ」
信号機が切り替わった。歩行者が対岸へ渡り、リンは何気ない風を装いながら周囲を見る。
「悪い、靴が変だ。なんか入った」
そういって屈む仕草をし、すぐそこのバイクのミラーを見て背後を確認。
(尾行はなし。……まあ、ヘンリーやジャナーが情報を漏らす真似はしないだろうけど)
「リン、靴擦れ? 履き慣れないの、それ」
「みたいなもんだ。足にまで鱗があるからなおさらな。合う靴を探すだけで大変だ」
レナはこれが追跡の確認だと気づいていないが、ネヴィにはわかっていた。だから、普通に接する。
「竜人って、案外面倒なのね。まあ、私たちセルケト族も他人のこと言えないけどさ」
甲殻や尻尾、翼や角がある種族は、その分手入れも着る衣類も慎重に選ばねばならない。もっとも、大昔から亜人が大勢いるコルネルスでは亜人用の服飾品や日用品は多く出回っているので、それほど困ることはないが。ただ、いいデザインだと思ったものが別種族向けのブランドだったりすることもあるので、おしゃれ好きな者には少々、不便ではある。
とにかくこのパルドール市ではアウェーだ。事情についてはあくまでトレセリス市で仕入れたものが主。ヘンリーから依頼におけるサポートとしての資料と、ジャナーからのサービスでいくつか融通してもらっているが、だからといってここをホームのように思うのは危険である。
リンは立ち上がりざま何気ない風を装ってすぐ近くの灰皿に煙草を捨てる。そこは指定されたコルネルス・ビッグバーガーのすぐ近くだ。食欲をそそる香りがする。通行人が傍にある灰皿に立ち寄っただけ。なんら、おかしくはない。
先にそこを使っていた女を見た。毛皮のコートを着た、褐色肌の
「砂の大地、その地層の奥深くに眠るのは」
「即ち地底におわす竜帝、地底竜グランボロスなり。無限の金銀宝玉を携し古の竜帝なり。その財宝が眠る地底の名は」
「黄金の地底都市、エルドラグニールなり」
「……フォルニスさんですね?」
「お前がフォックステール?」
「イルダ・ティスディア、と」
微笑んだ彼女は、まだ若さを残す顔だった。ネヴィとレナが顔を見合わせる。それから列車が止まる前に窓から飛び出し、さっきから空を飛行していたウルカがリンの肩に降り立った。
「目立って怪しい動きが見られることはありませんでした」
「ありがとう、ウルカ。……食べたいものは?」
「バーガーですか。……では、チーズバーガーとチキンナゲットを。そうですね、たくさん食べたいです」
随分と俗物的であるが、竜族はそれこそ人間の食事でも平気だ。アレルギーは個体差にもよるが、少なくともウルカには現状見当たらない。だとしてもバーガーを貪る竜など滅多にいないだろうが。
「リン、この人がその……エージェント?」
「ああ。ティスディア──」
「イルダ、と」
「……イルダはお前と同じ、貴族だ。砂漠の民の、な」
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