Chapter2 スプーク・チェイス
ACT7 出立
星霊暦二二四七年 一月二二日 金曜日 午前七時一二分
コルネルス連合王国 ルウェイズ地方 ヴァムブラン領 トレセリス市 トレセリス中央駅
豪雪というほどではないが、しっかりと積雪するほどには雪が降る朝。空の雲はどんよりと重たく、緞帳のように空から垂れ込めている。白い雪粒と共に降りる風は冷え込んでいて、気温は氷点下。
コルネルス連合王国は大陸北東部に位置しており、そのさらに西部かつ北側の地域の冬は厳しい寒波が押し寄せていた。氷だけの土地、極北氷海が近いのもあり、特に最北西部のクウェイスエット地方は極北圏内に突っ込んでいるのだ。あそこでは、夏が少しあって、あとはずっと冬である。
それに比べればヴァムブラン領を含むルウェイズ地方はまだ天国だが、リンたちはそれぞれの衣類の上から防寒用のコートを着込んでいた。
駅にある暗い色合いの電話ボックスの中で、リンはヘンリーと話していた。昨日の誘拐犯逮捕──取調べの際に自殺したが──が決定打となり、警部補昇進が確実なものになったらしい。どうもあいつらは、ゾラフ帝国復興を目論む連中らしく、身に帯びていた衣類からその符牒と思しきエンブレムが見つかったという。なんらかの組織で、資金稼ぎのためにならなんでもする──そういったことが、上からの、そしてスパイであるヘンリーの元に暗号化されたパンチカードのコードと共に届いたらしい。
「昇進式には出られそうもないが。……俺の手柄で上に行くんだろ」
「恩着せがましいな、君は。まあ私もケチではない。ことが済めば、君らをレストランくらいには連れて行くさ。気をつけたまえ。厄介な状況でね。どうも冒険者や傭兵に色々な勢力から依頼が発行されている。実質、兵隊にするのだろうな。中には高位な魔術師もいる」
「忠告どうも」
「君もまた魔術師資格を持つから大丈夫だとは思うが……。友人が減ると困る。妻と娘も、君を尊敬しているからね。だからといって、私の娘はやらんぞ」
「いらねえよ。俺は姉さん女房くらいがいい。年下はやかましくて嫌いだ。……ヘンリー、あんたも気をつけろ。昇進したらそれだけ敵が増えるだろ」
「元々敵だらけだ。では、そろそろおいとましよう。また、どこかへ飲みに行こうじゃないか」
「近いうちに、な。一人、酒豪の連れが増えたけど。でも美人だ」
「浮気などすれば、私の心臓は鼓動を刻めなくなる」
ふっと微笑んで、リンは受話器を置いて電話ボックスを出る。肌を突き刺すような冷気が頬を殴りつけ、マフラーに顎を埋めた。頬の鱗が若干凍りつくようなくらい冷たくなっていた。マフラーの毛糸がくっつかなければいいが。
空に向かってリンは、甲高い人の可聴域を超えた音域の指笛を鳴らす。すると鉄のアーチがドームを形成する星霊鉄道の駅で、その金属の目を通って翼を羽ばたかせ、ゆっくりと降り立った小さな藍色の竜がリンの左腕に留まった。彼が差し出した鶏腿肉を咥えて数回ほど咀嚼し、すぐに飲み込む。
竜は大きさなど関係なく希少種族であり、また先の逆鱗接触事件から『黙って狩られる臆病者』と言う認識は『怒らせればタダでは済まない、真に強い者』といったそれに変わっている。けれども人はどこか、それこそ上にある存在ゆえに憧れ、見上げてしまう。竜はそんな、神秘と凶暴さ、粗暴さと美しさを兼ね備えた力の権化であった。恐れられ、敬われ、憧憬となる。畏怖と畏敬。その顕れだ。
故に藍色の、せいぜいコルネルスワシミミズク──大型フクロウの一種である、この地域のそれと同じくらいでしかない小さな竜は、大きさはさておいて周りの目をひいていた。
「お呼びでしょうか」
リンは己の子竜──否、使い魔に言う。
「厄介な仕事だ。助けてもらう」
乞うのではなく、命令。主人と使い魔は信頼関係が絶対で、一方的な主従では使い魔は愛想を尽かしてどこかへ消える。従者が忠誠を尽くすように、同じくらいに主人は従者に真摯に尽くさねばならない。故に、この口ぶりだけでは子竜が従う道理などないが、子竜は素直に応えた。
「喜んで、リン様。傷つき苦しむ私に、治療を施したあなた様に仕えられるのであれば、冥府の底まで共に過ごしましょう」
くるるる、と喉を鳴らす。竜は決して、受けた恩は忘れない。まして、命に関わるような恩人であればそれこそ生涯を捧げる。
「これがリンの使い魔?」
「そうだ。プライドが高い。下手な真似をすると噛み付かれるぞ」
「そのような真似はいたしません。ただ、ご命令とあらば喜んで」
「護衛対象を脅すんじゃない。……遮音魔術を」
子竜が頷き、口をカチっと鳴らす。するとブゥン、と音を立てて、半透明なうっすらと藍のオーラがリンとレナ、ネヴィを覆う。
「ここ最近で、何か変わったことは」
「恐らくは既にリン様が推察なさる通りでしょうけれど……。連合政府側の艦船がダーゼル市に錨泊しております。護衛艦のみならず、中には戦艦まで。それから陸軍も、キャラバンを装ったそれが集結しておりますね。ただ、彼らが領王につくことはなく、また反乱軍につくこともないでしょう」
ネヴィが言う。
「この混乱を平定する……といった具合に便乗して、自分たちにとって都合のいい誰かを領王の座につかせるつもりね。であれば、圧力をかけることで内乱を煽っているとも取れるわ」
言葉を取られた子竜がやや恨めしそうに、けれど素直に「その可能性は極めて高いでしょう」と応えた。
いよいよもって内乱が他所ごととは言えなくなってきた。
──「リンドウさん、どちらへ?」
──「仕事だ。……近いうち、厄介なことが起きる。今のうちに水と食料を買い込んで、シェルターに閉じこもる用意をしておけ」
──「えっ、……それは、どういう?」
──「戦争が起きるかも、って話だ。吹聴するなよ」
アパートを出る際、エリザにそう言ってきた。聡明な彼女なら、いつになく真剣なリンの声音と眼光に潜む危機感を感じ取ったに違いない。ヘンリーについてはいちいち騒ぐ必要もないだろう。彼はリン以上に状況把握が上手い。きっと妻子は既に、安全な領の外。あれこれ理由をつけて、旅行にでも行けと言って逃しているに違いない。
「そういえばリンって、魔術師なの?」
「資格を持っているだけだ」
「何級?」
「二等級」
内ポケットから、様々なライセンスが挟まっている手帳を見せる。運転免許証に冒険者ライセンス、武具使用・保持資格に、まだまだある。その中に、魔術師連盟が発行している二等級魔術師資格もあった。
「ほら。偽造じゃない」
手帳を閉じてしまった。
「あんたが真面目に魔術師大学を出たとは思えないけど」
「あいにく、学校と名のつく場所に行ったことはない。色々あって、特別に発行してもらった。魔術は独学でも学べるだろ。そういうことだ」
レナは昨日、下水でリンが魔力を纏ったパンチを繰り出していたことを思い出した。精密な魔力操作は、確かに魔術師と言われれば腑に落ちる。
「相変わらず器用貧乏なのね」
「……余計なお世話だ」
師匠が教えてくれたのは、苦手な分野でもある程度はこなせる能力だった。リンはもう痛い思いはしたくないと、どんなことでも貪欲に学んで鍛えた。ハイレベルなオールグラウンダー、それがリンを表現する上で最も適したものだろう。だからこそ、器用貧乏というなんともいえない状態になっていることも自覚していた。
アナウンスが入ってまもなく、列車がプラットフォームに侵入し、停車する。アストロンエンジンを積んだ機関車が煌めく青色の星霊煙を吐き出している。排土板の鋭利なデザインに、元は軍用の兵員・物資輸送のための道具であったこともあり、どこか無骨だ。
あの黒塗りの列車に乗って、リンたちはこれからパルドール市へ向かう。産業スパイを追うために。おそらくはそいつは内乱に加担しており、それはつまりレナの姉・カイネの手がかりにもつながる可能性を秘めている。
「ヘンリーがいい席を取った。個室だ。ゆっくりできる」
「権力様様ね」
「……その権力が、俺は大っ嫌いなんだけどな」
リンはぼそりと吐き捨てて、開いたドアへ。駅員が「こちらの竜は?」と尋ね、リンは「使い魔だ。ペットじゃない」と言って、魔術師資格を見せた。すると何かの呪文を唱えたように駅員が胡麻を擦ろうとするので、無視して車内へ向かう。利益を伴わない、己の価値を捨てるような真似は嫌いだ。後ろから、駅員か客かは知らないがあからさまな舌打ちが聞こえてきたが無視する。
「竜は力と富の象徴。……竜人の俺や、当然竜であるウルカが気に入らないんだろうな」
使い魔の子竜・ウルカが「妬むことしかできない者に、成長は見込めませんよ」と呟く。
妬むことはいい。普通だ。だがそれに耽溺し、言い訳にして努力と希求をやめれば、そんなものはただの怠惰と怠慢ではなかろうか。生まれ持った才能というものはもちろんあるし、生まれ育つ環境も人それぞれだ。一概に全員が同じスタートラインに立つわけではない。けれど、であれば目指すべきゴールが同一である必要だってないのだ。自分と他人は違うのだから。わざわざ自分を騙し、他人になりきる必要などどこにもない。権力を武器にすることがいけないと謗られるのであれば、悲惨な半生を言い訳に他人を馬鹿にしていいという道理だってありえない。不幸であれば、誰かの幸せを侵害していいのか、そんなことが筋違いなことは分かりきっているはずだ。
誰かがこの世界にいて、その誰かと暮らす社会においては自分が中心ではない。そんなに自分が絶対でいたいのなら、周りの全てを断ち切って山奥へ行けばいい。野生の獣がそうするように。そうやって過ごせばそこは自分の土地で、自分がアルファでありオメガである、自分の宇宙になるのだから。
──魔術の世界は、自分という
「…………こっちだ」
一等客室に入り、リンは座席に座る。通路側で、対面にレナ。その隣、窓際のレナを守るように通路側へネヴィが座る。
窓を少し開けて、リンは煙草を取り出した。ペーパーに刻んだ葉を乗せて巻き、フィルターレスのそれを咥え、発火器で着火。紫煙を肺の奥まで吸い込んで、ゆっくりと味わった後吐き出す。
「僕にも、一本ちょうだいよ」
「背伸びする必要なんてない。……お前が成人済みなのは裏をとった。けど、酒は飲んでも煙草は吸わないんだろ。自分を偽る必要はない」
レナはややあって、黙り込んだ。不機嫌になったのではない。図星をつかれ、言葉に窮したという感じだった。
ネヴィはなにか言おうとして、やめる。
それに気づかないふりをして、発進する車内でリンは黒い煙草を吹かした。同じくして、機関車が星霊煙を噴き上げるのだった。
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