ACT6 地下深くの雑貨店
「ゴミは最終的に、粉々に砕かれて地下へ落ちていく。その、底のない穴に落ち続ける」
ネヴィはそう言った。
「アビスホール、ってやつだな。異次元に続く穴、らしいな。本当の話だと思ったことはないけど」
「異次元からの色彩事件で、その説が囁かれたわね。私もそっちは信じてないけど。宇宙を支配する神々……。異なる宇宙で生まれ、その偶像が実像となった存在ね」
異次元からの色彩事件とは、リンが生まれる前の話だ。それこそ、今の時代では七〇かそこらの老人が、まだ十代後半とか、大体……六〇年前後前だろうか、それくらいの頃起きた事件である。
奇妙な土地で起きた、奇妙な事件。具体的に何があったのか、その文献はほとんどない。その事件が起きた村は今ではすっかり廃れ、生き字引がいるかも不明である。ただ、おかしなことがあった、という事実のみが口伝で伝わっていた。
こういった奇妙で、不可解で、あらゆる理解を超えた事件がときどき起こる。それらは異なる宇宙の神の仕業とされており、詳しくは全く不明だ。ただ理解できないことを、『なにか凄い、別の存在に当てはめておく』というのはありがちだが、それにしてはあまりにも異次元からの色彩事件を含むそれらは、名状しがたい事件の数々であった。
話を戻すと。この星にはアビスホールというものがある。それの底に何があるのかは不明で、今では『底なしの穴』と言われているのだ。何をどうすれば惑星に底をくり抜いた穴が作れるのかはわからない。ここへ落ちたものが、何処かから飛び出たという話もないのだ。星のコア──多分、
ゴミ処理エリアにある配管を通って、どこかを中継して穴に行くゴミ。或いは、闇から闇へ葬られる何か。
ゴウン……ゴン……と音を立てるエリアを行くと、もう一度ジオフロントへ。けれどこの先は、さらに危険だ。
「レナ、アンダータウンって知ってる?」
「知らない」
「違法者の巣窟よ。つまり、裏社会の根城。お願いだから、苗字は名乗らないで。聞かれたら適当に『レナード・ポール』とでも名乗っておきなさい」
「わ、わかった」
リンはその完全密封扉のハッチに手を伸ばした。頑丈なハンドルを回して、密封を解除。顕になったリーダーにパンチカードを通すと、バスッ、と周りのパイプから空気が抜け、ドアが開いた。
「あんまり離れるなよ」
三人がアンダータウンへ足を踏み入れる。
そこは、地下であることを忘れるほどに煌々と輝く、アストロンライトによって照らされていた。
一見すると、地下にできた都市で、歩いている者も普通の人間だが……いや、だからこそ危険なのだろう。狂人が真っ当な人間を演じることは困難だ。けれど、己が狂っていて異常だとしっかり自覚しておけば、いくらでも普通な顔をしていられる。ここにいるのは、異常性を認識してそれでいて平然としていられる、真に狂った者の世界なのだ。
「びくつくな」
リンが静かに囁く。
「スリで済まない。攫われて売られるぞ」
「僕にびくついてほしくないんなら、び……ビビらすなよ」
ネヴィに脇腹を小突かれた。
「いたいけな少年で遊ばないの」
「忠告しただけだろうが」
リンの、どこか人をいじる嗜虐趣味は相変わらずだ。
本当に、軽く見ただけではただの地下都市である。表層に造られるそれと異なり、一般の地下都市は地下八五〇よりも深く、地下二二〇〇メートルよりは上だ。それは国が苦肉の策で講じた地下空間特別労働基準法によるもので、機械だけを働かせることに「仕事をとられた」、或いは「今後は地上の仕事も奪われるのでは」と将来を案じた者が「機械にだって給料を払え」と場違いなことを抜かすものだから制定された法案である。自己利益のためなそれを「きかいにもじんけんがあるのだ!」などとおかしく脚色し、わけのわからないデモまで起きた。結果的に現在の面倒なルールが生まれ、こうなったのである。
下水やゴミの最終処理エリアは地下三一二〇メートル地点にあるため、地下空間特別労働基準法の適応圏内。そこの少し下、地下三二二〇メートル地点のここ、アンダータウンでは人権の効力が薄く、地上ではまかり通らないことでさえ平然と、それこそ「弱い奴が悪いのだろうが」で済まされてしまう。
「ここにこれたのは都合がいいな」
リンはそういって、顎をしゃくった。
「こっちに来い。顔馴染みがいる。用事があるし、何か知ってるかもしれない」
レナとネヴィは顔を見合わせる。地下に知り合い……?
「こっちだ」
勝手知ったる風にリンは道をゆく。すれ違う男どもがレナを、ネヴィを舐めるように見ていたが、ネヴィの立ち振る舞いはどう見ても殺しに慣れたものであり無闇な行動はとられない。おまけにその傍には殺しを厭わぬ気風の面構えであるリンがいるのだ。戦い方を身につけた竜人は敵に回せば厄介そのものである。ならず者程度は一瞬で叩きのめされ、それこそリンなら容赦無くとどめを刺すだろう。それだけの眼光が、獰猛な捕食者としての貪欲な輝きが青い目にはあった。故に、誰も馬鹿な真似はしない。
大通りの脇にある路地に入り、ひどく入り組んだそこを進む。人権が希薄なら、真っ当な建築基準法だってない。ただ、『長』と呼ばれるものがこの地域を支配しており、それぞれの地域の長の意向にあう『掟』が制定されているだけだ。
ある家屋に行き着いた。両脇はレンガの壁で、その家屋はボロボロである。木製のドアには覗き穴があり、向こうから覗けるようになっていた。
「リン、なにここ……僕らの、隠れ家とか?」
「ただの
リンが一定のリズムで何度かドアを叩く。それはトン・ツーと呼ばれるもので、軍用の通信符号だ。
「……おい、そこにいるのは?」
「信頼できる奴らだ。何かあれば俺が責任を取る」
それはつまり、新鮮な鱗をくれてやる、という意味だとレナもネヴィも察した。
鍵が開けられ、リンに続き三人が中へ。
薄暗い部屋。鎧戸が閉じられており、加えてカーテンと目張りの板。ぼんやりとアストロン式のランプが青白く灯り、部屋には用途不明の物品が並んだ棚やら本棚、また武器などが多数ある。
「預けていたものを取りにきた。あとは、商売の話だ」
リンはカウンターの向こうにいる褐色肌の女を見た。フードをおろした彼女は黒い髪に黒い目の大陸の南方にある砂漠の国、アルハザード王国の民だ。なんでこんなところで商売をしているのかは知らないし、興味もない。
「報酬は」
無言で、巾着袋を置いた。
「新鮮なものだ。抜いてから腐敗が止まることは知ってるだろ。ちょいちょい剥がしていたものが六枚。一般家庭三年分の稼ぎだ」
言葉を挟む余地がない。この場にいる全員が、新鮮な鱗を引き剥がす苦痛を知っている。下手をすれば、一枚剥がしただけでショック死することも。それを、六枚。
コルネルスは豊かな国で、平均年収は七九〇万二〇〇〇リムに達する。その三倍──つまり、二三七〇万リム以上の報酬なのだ。
「あんたなら、うまく捌いてもっと利益を得られるだろ。いくつかの情報、あとは商品を売ってくれ」
「…………」
女は──どこかリスのような印象がある、三十半ばくらいの
「確かに本物だ。……いいだろう。お前の手荷物を持ってくる。欲しいものを選んでいろ」
彼女は裏に去っていった。
「リン、あんた本当に鱗を抜いたの?」
「ああ。体力がある時に、何枚か。まだ鱗はある。だから俺はそこまで金に興味がない」
「この馬鹿!」
張り手が飛んでくるが、リンはその手首を掴んだ。
「自分の体を魚の切り身みたいに売るな!」
「俺はもう弟子じゃない。しっかり卒業した。俺が選んだ生き方だ。それに痛いってだけで、またすぐ生えてくる」
「だからって、自殺するような真似を……!」
「口出ししないでくれ。あと大声を出すな、神経が酷く苛つく。……結構ハードな仕事だ。なんでもいいから装備を見つけろ」
ネヴィは奥歯を噛んで、はっきりと言う。
「感謝なんてしないから」
「必要ない」
リンはポケットから黒いタバコケースを取り出して、一本紙巻きを咥える。両切りの黒いそれに、
「煙草? なに、師匠の真似?」
「かもな」
空いていたスツールに座る。置いてけぼりなレナは、ややあって口を開いた。
「あのさ、僕も何か選んでいいの?」
「好きにしろ」
古い振り子の時計が音と時間を刻む。
「待たせたかな」
バックヤードから戻ってきた彼女に、リンが目を向けて立ち上がった。
「捨てた、と言わず……『寝かせておいてくれ』と言っていたからね。曖昧な物言いに困ったが、売り払わなくてよかったよ。竜の怒りなど、買いたくはない」
「悪いな。ジャナー、確認していいか?」
「好きにしろ」
アルハザード人の女が──ジャナー・アール・アダヴィーは頷いた。
ケースを開いて、鞘に収まる剣を手に取る。するりと抜くと、顕になったのは青銀色の刀剣。
「手入れしてくれてたのか」
「錆び付かせてしまっては、いざ売る時に困る。返すだけなら、錆びていても何の指示もしないお前のせいにできるが、商品価値が落ちると私の利益にならないだろう」
「……ここ最近、随分とお前は地下にいるが?」
「内乱が起こるからな。……陸も海も騒がしいのだろう。そこのガキは、あの赤みがかった銀髪のせいで少しわかりづらいが……領王の子供か?」
なにやら訳のわからない道具を見ている彼をちらりと見て、頷く。
「ああ。王は白髪混じりでほぼ銀髪だが、若い頃はロザシルバーだったんだろ。……あいつと似た顔の女を探している。あいつより年上だ」
「確定情報ではないが、地上でそういった王族らしきの女の目撃情報があるらしい。解析機関が吐き出す情報廃棄物の中のコードをサルベージしていたら、そんなデータ残滓があった」
「あんなわけのわからないパンチカードをどう……いや、言える訳ないな。それから、産業スパイについて知ってるか」
ジャナーは片眉を上げる。
「今の時代、産業に限らずスパイなどそこら中にいるだろうが」
「トレセリス星霊重工の、だ。地下から来ているらしい」
「違法な手段で戸籍を取った者、あるいは使われていない、スプークな戸籍がまた使用されているといったことを聞きたいのか?」
「そうだ。何かあるだろ」
じ、とリンが睨んだ。ジャナーは肩をすくめる。
「睨むな。君は怖いな。……まあ、随分と羽振りのいい上客だからね。ベッドの上でも、な」ネヴィの、武器を選んでいた手が一瞬強張った。「パルドール市で行方不明になった男の戸籍が、なぜかまた使われている。整形手術の記載もあったぞ」
あたり、だろう。
「そいつはどこだ」
「少なくともここにはいない。地下からくるという前提が外れたかもしれん。あるいは、パルドールの地下で整形したという情報が人口に
「お前を基準にするな。まあ、パルドールに手がかりがあると見ていいのか……。いや、それだけわかればいい。いつも世話になっていてすまない」
「私の病を治したのは君の鱗だ。むしろ、こちらから感謝したいね。今日くらいは私の部屋にくるかい? 随分とご無沙汰じゃないか」
「忙しい。あとだ。……そうだ、しばらくは地上に出ない方がいい。内乱はいつおきてもおかしくない」
「わかっている。明確にどれほどの猶予があるのかわからないほどには、直近に迫っているのだろうな。少々、笑えん状況だ。……リン、お前は装備はいらんのか」
周りの棚を見る。
「お言葉に甘える」
ぽってりとした艶やかなジャナーの唇にキスをして、リンは商品を物色する。ネヴィはどこか苛立たしげに、レナは『家族の行為を見てしまった子供』のような気まずそうな顔である。
預けていた愛剣を提げ、チェインメイルやなんかを物色する。それ以外には自衛用の拳銃に、ナイフ、魔道具に……サバイバルキットやなんか。痛み止めに抗生物質などなど。あとは、アストロン機械を動かすための、圧縮アストロンエナジーパックなどだ。
「相変わらず品がいいな」
「ああ。枕はしていないぞ。君に変な病気を移したくない」
我慢ならず、ネヴィが口を挟んだ。
「私の弟弟子を侮辱しないでもらえる? 彼は、都合のいい男じゃない。誠実な子よ。汚さないで」
「オス一匹取られたくらいで怒ることはない。取られたくないなら、独占しておけ。鎖で繋ぐなりして。いっそ、食べればいい」
「…………。……この弓、いいものね」
「ああ。値打ちものだ。かつて竜狩りに使われていたとされるもので、その後は時の四騎士将軍が親衛隊に持たせていたものの残りだ。流通など、滅多にしない」
竜狩りの弓を手に、ネヴィは弦の具合や、弓柄のしなり、硬さを確かめた。明らかにこれは、竜の生体素材で作られている。
「これをもらうわ」
「好きにしたまえ」
レナは「僕はこう言うのがいい。剣で直接的な戦力になるまで時間がかかるし、サポートに回った方がいいだろ?」と言った。
「確かにな。賢い選択だ。ジャナー、これだけの物を貰うが、足りるか?」
「余裕で釣りが返ってくるくらいにはな。着替えはあっちだ。……あと、リン」
呼び止められたリンが顔を向ける。
「何度か言っているが、私の店は禁煙だ」
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