ACT5 愛称
「嘘をつくことはいい。だがな、同じ釜の飯を食う相手にだけは、正直でいろ。同胞にまで偽ると、自分がどういった存在なのかさえわからなくなる。いいな」
×
「怖いんならなんでついてくるんだ、お前は」
距離をとってくれるのは嬉しいが、さっきからレナはびくついてばかりだ。
「だって、警察だって無敵じゃないだろ。……それに、僕や僕の家族を壁から追い出したのは警察だ」
「……正確には市長だ。警察はただ法に従ったってだけだ」
「でもおかしいだろ! 弱者を守るための力なんだろ、それ! なんで僕らが虐げられるんだ!」
「でかい声を出すな。苛々する。……綺麗事じゃ、どうにもならない。悪を裁くのはときに悪だ。だから、場合によっては正義が正義に牙を剥くことも考えておけ。善意の全てが報われるわけじゃないし、悪意の全てが罰せられることはない。……それはなぜだと思う」
今の大声で、モンスターが刺激されるかもしれない。歩幅を狭め、不自然でないようにレナに近づく。正確には、彼の歩幅に合わせる。
「わかんないよ、そんなこと。……悪人がのうのうとしてる理由なんて……姉さんが、そんなことしようとしてる理由なんて……。僕には、」
「あらゆる人間はな、その全員が善人でも悪人でもない。この世界にいるヒトはみんなそうだ。みんなどっちでもない。だから善悪両方が牙を剥くし、善人でも犯罪に手を染める。法律はな、弱者を守る盾でも悪人を罰する剣でもない」
「なら、なんだよ」
「あれは、法律だの戒律だのってのはな、俺たちの欲望を箇条書きにしただけのものだ。教えでも、守るべきルールでもないんだ。いいな」
それだけ言うと、リンドウは歩幅を戻す。周りには敵意がない。恐らく、今までの轟音などからこちらを認識する形が変わったのだ。餌ではなく、天敵が徘徊している、と。けれど、あまりその臆病につけ込んで刺激すれば、にっちもさっちも行かなくなりヤケクソになるだろう。それはどんな生き物でもそうだ。善人が悪に手を染めるのだって、それが一番の動機だろう。どうにもならないから、とうとうやらかす。それだけだ。
「その欲望が、僕から母さんと姉さんを奪ったっていうの?」
「……そうだ」
「なら、なんで……姉さんの復讐がいけないことなんだよ。罰せられて当然の奴らに、罰するべき者が裁きを──」
「おい。どんなやつにも他人の善悪を決めつけて、晒しあげて、罰する権利はない。そんなものは正義じゃないし、悪意でもない。ただの人災だ。
レナはそれでも、納得がいかない顔だった。悪を罰する正義、その
その気持ちは、だからこそわかるのだ。
リンドウもまた、どちらでもないし、未だその基盤は完成とは言えないのだから。
「俺もお前と同じだ。親がいない。親だと思った人は気づいたら知らない男と消えてた。毎日命を狙われる。数えきれないほどの苦痛を与えられた。だから俺は鍛えた。生きるために。失わないために。善人の医者やなんかが笑いながら言う、『君の鱗一枚で大勢が救われる』っていう正義が、俺たちの鱗を引き剥がす。わかるか、新鮮な、生え変わる時期でもない鱗を引っぺがされる痛み。もう何枚取られたかわからんが、あの痛みだけはまだ覚えている」
「し、知らない……。鱗、ないし……」
「薄い竹ベラとかあるだろ。あれを自分の指の爪と肉の間に入れて、爪を剥がせ。ある論文によれば、俺らが新鮮な鱗を剥がされるのはその八六倍の痛みだとされる」
絶句するレナ。リンドウは、そんな目に遭った、と言った。何枚剥がされたのかもわからない、と。
そしてその激痛と恐怖は、親という庇護もなければ、いくあてもない彼に毎日降り注いだ。力を得るまで、ずっと。──いや、それこそ、今も。
「あんたが僕を遠ざけるのは、それが理由なの? 鱗を剥がされるのが怖いから? 誰も寄せ付けないのって、そういう、」
「ああ、そうだ。怖い。俺はお前らがとても怖い。平然と誰かを傷つけて、笑っていられるお前らがな。なんで竜が国を滅ぼしたのか、なんで無実な人まで吹き飛ばすのか、その理由が少しわかる。ヒトが俺たち竜を恐れる以上に、俺たちはお前らを恐れているんだ。臆病だから、襲い掛かる。本当に強いやつは、喧嘩も争いも、そんな馬鹿げたことなんてしない」
「ごめん、なさい。……事情も、何も知らなくて……」
「謝るな。お前が謝る必要なんてないし、お前に人間代表なんてつとまらない。お前一人の頭を噛み砕いたところで、この痛みに屈して自害した同族や先祖たちは帰ってこないんだ。二度と、謝るべきではない立場から、上っ面の謝罪をするな。いいな。謝れば全部が帳消しになって許されるとは限らないんだ」
大人の、たった二年とはいえ、それでも先にこの世界に生まれ、地獄を味わった男の言葉。
「わかった。僕はあんたにも、その仲間にも謝らない。……不当な、……八つ当たりも、できる限りは……我慢する」
「そうか」
それだけ言って、リンドウは重そうなシャッターを睨む。
「ゴミの処理場……。ここか?」
「ダストエリアってこと? こんなになってるんだな」
「下手に持ち上げるな。指が潰れるぞ」
「先に言ってよ!」
「なら俺が忠告する前に護衛対象がでしゃばるな。じっとしてろ」
リンドウは持ち前の怪力で、馬鹿みたいな重さのシャッターを持ち上げる。
「早く通れ」
「わ、わかってる」
下級とはいえ、それでもモンスターを相手に、あれだけの一方的撃退を演じたリンドウが震えるほどの重み。そんなもの、それこそ一般的な種族よりは上であるとはいえ、竜人に劣る吸血鬼に叩きつけられれば胴が上下でおさらばだ。いくら高い治癒力を持つ吸血鬼でも、ちぎれた胴体が治ることなど頻繁にあることではない。
レナが通り、リンドウもくぐった。
「もうちょい、トレーニング増やしたほうがいいな」
「サボってたの?」
「休憩しているだけだ。お前、暗いのは平気か?」
「怖いけど……そう言う意味じゃないんでしょ。見えてるから平気だ」
「ならいい」
夜目は利くとわかれば、それでいい。
ゴミ処理をするダストエリアは、その多くが自動化されている。非常用のほのかな緑色のアストロンライトが足元を照らすだけで、視界は悪いし、機械のせいで死角だらけだ。
「殺しは」
「えっ」
「人殺しだ。経験は」
「あるわけないだろ。血をもらったことはあるけど、でも干からびるまで飲むなんてことしないよ」
「知ってる。……おい、言っとくが地下三一二〇メートル以下は基本的人権の効力が著しく低下する。理由は機械を労働させる上で、人権がどうのと騒ぐ連中がいたからだ。だから法が変わった。ここではどんな非道でもまかり通るし、そして地上でそれを訴えてもどうにもならない。何かあれば、容赦なく首を落とせ」
「なにを……そんな、じゃあリンドウは……」
「地下だけじゃない。地上でも俺は大勢殺した。あのモンスターサベージはな、モンスターだけが敵じゃなかった。領地の利権をめぐる戦争もあちこちにあったんだ。俺は一三の頃の初陣で、三人殺した。俺と同じ歳くらいの女も殺した。ここには、そういう俺みたいに人道だとか、倫理観ってもんがイカれた奴らがいる。それどころか、近頃じゃ上にもそういうのがいる。お前は幸運だよ、かろうじてここへきて、比較的まともなヘンリーと知り合えて」
初めて殺した三人。傷ついて助けた少女が敵兵だと知ったのは深夜。彼女が銃の撃鉄を起こす音で目を覚まし、すぐに跳ね起きた。向けられた銃口を逸らし、もぎ取ったそれで彼女を、弾倉が空になるまで撃った。銃声で起きた友軍が敵襲に気付き、その戦闘で二人殺した。顔も名前も知らない、けれどもしかしたら誰かの親で、子供であろうヒトを。
……後悔した。こんな純真無垢な子供の面倒を見ていることを。今までのようにのらりくらりと、取調室から出て行けばよかったのだ。
(いや、いい。情報収集だけして、あとはもう警察と軍がどうにかする。俺はここで下りる)
そう言い聞かせる。何度も、しつこいくらいに。
『
────────、
『神父様、シスター・リーフィは? どこに行ったの? いつ、僕達のところに帰ってくるの?』
『あのような咎人の名を口にだしてはならん。魂が穢れ、安眠できぬ。金輪際、聞くな』
『でも、シスター・リーフィは僕の──』
『やかましい! 黙れと言っている!』
────────、
「っ、──、っ……ぁ」
反射的に首を撫でていた。息苦しい。
「どうしたの?」
「……なんでもねえ」
平気だ。平気だ。誰も、誰も俺の殻を壊していない。この心には誰もいない。自分だけだ。自分だけだ。……。そうだ、それでいい。独りでいい。
かすかな、硝煙の香り。
辻に差し掛かるレナの首根っこを掴んで、後ろに引き倒す。
「うぉぁっ!」
直後伸びた拳銃。その筒先を甲で跳ねると、銃弾が天井に刺さった。
「なんだよ、自決か?」
「この──」
……女? それに、サソリの尻尾。こいつは、
黒づくめの影。素早く銃を捨ててナイフを抜く。悪くない判断。リンドウは瞬時に踏み込む。真下に突き下ろされる刃を横に弾いて、肘に一発。曲げさせた腕をそのまま相手の顔面にぶつけ、相手が放つ左のアッパーカットを上半身を反らせて避ける──が、一瞬後に飛んできた前蹴りがリンドウの腹を打ち据えた。明らかに魔力で強化されている一撃に、腸が捩れるような痛みが走った。
(不意打ちで潰すか)
リンドウはとりあえず、視界を悪くする汗を拭おうとハンカチで額を拭った。礼儀作法がある者なら、ハンカチの所持は普通だ。そして、強さを見せつける上で優雅に振る舞うのもまた然り。逆流してきた胃酸を拭いて、さも自然な動きでそのハンカチを相手へ投げる。
「っ!」
まさかその程度でと思うなかれ。暗い中で暗い色のハンカチが飛んできて、ただでさえ狭い人間の視界がほとんど塗りつぶされるのだ。攻撃がいつ、どこからくるかわからないと言うだけで、心理的な動揺は大きい。
パァンッと鳴る高い破裂音。三半規管を打つ、耳への打撃。張り手が左の耳を打って、空気が圧縮されてあらゆる認識を
そこから繰り出される、秒間数発もの乱打。正確に、確実に命を刈り取ろうとする死神のような。
なおも黒い影は攻撃を凌ぎ続ける。けれど、
「鈍ったな」
相手は見落としていた。拳と脚以外の武器。頭? 違う、そんなものは武器であると前提で組み込んでいる。体当たりも当然だ、金的、目潰し、噛みつきもそうである。これは格闘ではない。殺し合いだ。ならば、その武器とは一体──。
ゴスン、と脇腹へ叩きつけられたのは、竜人の尻尾だ。頑丈な、それこそ銃弾を弾くような鱗と筋肉の塊。影は真横に吹っ飛び、傍らの木箱をいくつか叩き潰して沈んだ。
「本当に鈍ったな、俺もお前も」
蹴られた腹を撫でるリンドウ。それから、ゆっくりとだが起き上がる黒衣の影。
「全くね。同じ師を仰いでいるがゆえの互角と言いたいけど。……あの人からしたら、腹立たしい喧嘩だったに違いないでしょうね、これ」
帰ってきたのは、低いものの、強く綺麗な女の声だ。
ゆるくまとっていた黒衣を脱ぎ捨て、真っ黒なレザーアーマーをさらす。
「六ぶりくらいかな。久しいね、リン」
「五年と十ヶ月だな。また飲みに行こうか、ネヴィ」
ネヴィネア・ファルゴス。
彼女とは同じ師を仰ぎ、共に鍛えあった仲だ。彼女は二年前に冒険者を引退した二四歳の女性で、種族は
「何してるんだお前は」
「ここにスパイがいるって聞いたの。首を持っていったら、賞金になると思ってね」
彼女は一年ほど前に手紙をよこした。ここへ来て間もない頃だ。根無草でどこにいるのかわからないリンドウの場所を知っていたのは、恐らくは師匠が嗅ぎつけたのだろうと睨んでいる。それでさりげなく教え、ヘンリーあたりが取り持ったのだろうと思っていた。受け取った手紙は、読んでも「だろうな」くらいにしか思わなかった。あの頃は、今より荒れていた。そこから、多少なりとも立ち直れたのは……悔しいが、ヘンリーとエトナ、そしてエリザのおかげだ。
「旦那が許してくれるのか」
「三ヶ月くらい前に別れた。結婚一ヶ月で夫婦生活は破綻、二ヶ月目にはあいつ浮気よ。というか、結婚初日からってことがわかってね。切って当然ね、あんなクソヒモ野郎。慰謝料じゃ暮らせないし、そもそも大半の人と同じで払ってもらえるとも思ってない。それであんたは? 随分お熱だった子がいたじゃない」
「引退した。……三年前に。あいつは、どっかでよろしくやってるさ」
レナにはわからない、大人の話だ。
「あの、リンドウの友だち?」
「まあそんなとこだ。あとは初恋の人。告白したらビンタされたけど」
「根に持たないの。この子は? 年下の彼女?」
「えっ、いや、僕は……」
しどろもどろなレナに変わり、ネヴィへ言う。
「こいつは依頼人だ。俺は今、探偵をやってる。師匠と同じ、な。実績は月とスッポンだけど。……こいつのどこがスパイに見えた?」
「ここに来た時点で、でしょうが。……疑われてるのはわかってる。だけど私の依頼人は、トレセリス星霊重工ってとこ。つまり、地下から侵入してくる技術泥棒を始末しろ、ってことね」
「……内容と依頼人いついては聞かなかったことにする。とりあえず事情はわかった、ってことにするぞ。こいつは無関係だ。親がいないし、でもしっかりこの土地の人間だ」
人間──かつてはヒューマンのみを指す言葉だったが、現在では亜人も含む。ヒューマンは
「吸血鬼……まあ、そうね。肌の色も顔立ちも、どう見ても純粋な東コルネルスに多いイスデリオ人ね。……私はネヴィネア・ファルゴス。出身は西のグリウス領に帰属するエリウス島。あんたは?」
「え、えっと……」
「ただの自己紹介だ。安心しろ、口は硬い。さっきのは昔のよしみで言っただけで、あとはまあ、酔ってるんだ」
「あ? 何?」
「ガキを萎縮させるな。ただの独り言だ。黙っててくれ」
レナは少し迷うも、意を決した。胸を張り、綺麗な声で言う。
「僕は、……僕はレナード・メラヴィル。出身はこのヴァムブランで、父は現在の領王。だけど、母は普通のメイドだったんだ。僕が王族と知ったのはここ最近で、だから正直、クソみたいな領王がどうだとか、そういうのには興味がないよ。家族や、親しい人からはレナ、と呼んでもらってる」
「どっかの馬鹿と違って、しっかり自己紹介できるのね。レナ、これからは名前だけを名乗ること。おばさんとの約束。苗字は嘘でもいいから、偽って。いくらなんでも、王族だとバラすのは危険よ。嘘も方便……ときとして、偽名を名乗る方がいい」
「でも、お姉さんがそう言ったってことは、さっきの独り言は真実、だよね。それこそ、友だちには嘘をつけないことくらい、僕にもわかるから」
ネヴィがフッと微笑んで、リンドウの脇腹を突く。
「いい子じゃん。お姉さん、だって。リンの本命?」
「こいつは男だ」
「リン……って?」
リンドウ──リンは、こりこりと角をかいて、
「俺の愛称だ。俺の名付け親は師匠で、師匠がそう呼んでた。昔の名前は捨てた」
「リン、早く行こう」
「お前……もういい。ネヴィ、どうする?」
「どうもこうも、あんたらは……あ、いや。言えるわけないか」
「内乱の危機なんだ、今」
レナが呟いた。
「これは、独り言なんだけどね。……僕の友人が推理したんだ。海軍の軍事演習も、急増する山賊も、クソみたいな領王に反旗を翻したが故のことじゃないかって。僕の姉が、その内乱に加担するかもって……どこにいるかわからないけど、姉さんに会いたい僕は、酒臭い男に依頼した」
「……陸軍も動いてるわよ。西のメリズム領から、領境に向けて少しずつ部隊が動いてる。結構、危ないとは思ってる。どこぞのスパイは、それと関連してる」
「ふん。……時間はほとんどないのか」
ネヴィが頷く。
「どうも根源は同じっぽいわね。どう? 共同戦線、っていうのは」
「利害の一致、ってだけだ。お互いの報酬は、お互いの依頼人から受け取る。それでいいな」
「ええ」
薄暗い地下で、リンはかつての姉弟子と手を組むことにした。
これは、おかしな意味ではない。決して、あり得ないと断言する。
なぜか──昔から、ネヴィはリンを裏切らず、嘘だけはつかなかったのだ。それゆえに結婚を聞いたときは、あの頃ならばこそ何も思わなかった。でも、あれが愛する人を見つける前のことだったら、ネヴィにフラれてそれほど冷却期間を挟まぬうちに聞いていたら、相当なショックだったに違いない、とは思っていた。
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