ACT4 ◆ 罪の幻視
「彼は少々……まあ、変わり者でね。それに頑固な捻くれ者。とても真面目には見えん。いつ会っても酒臭いような男だ」
紳士は言う。夜道、月が照らすそこで。
「だが、私は彼以上に信頼している相手は、妻と娘以外にはおらん。あの馬鹿者ならどんな無理難題でも必ずやりおおせる」
それから、なにを報酬にしたらいいのか聞いた。
「君は気にせんでいい。私が緩やかに依頼を進めよう。ただ、感謝しておけ。彼は、感謝されるだけで、どんな困難にも立ち向かう。きっと、だからこそ、あいつは心が折れてしまったのだ」
×
「こ、怖い」
「ヒトデかお前は。ひっつくな、鬱陶しい」
リンドウは苛立ち混じりにいう。黒ずんだ灰色の、無地のインバネスコート。マントのように舞うケープ、腰から伸びる尻尾。竜の鱗は、どんな病にも効果をあらわすという霊薬の素材だ。新鮮な鱗は、一枚で一般家庭の半年以上の稼ぎと釣り合う値段で取引される。故にかつては狩り殺され続け、とうとう怒りに、彼らの触れてはならない逆鱗に触れたのだ。竜族は怒りっぽいとはよく聞いていたが、本当だった。でもその怒りは、随分と優しいし、なぜか怖くない。
「お前、実戦は」
「処女……」
「違う馬鹿。未成年にそんなことしたら俺が豚箱行きだろうが」
「私はこれでも一九よ。そりゃ、背は低いけど……っていうかあんたが背が高いだけ」
「好きでウドの大木になったわけじゃねえよ」
リンドウの上背は一八七センチ。この国の平均的な背丈は、男性の場合は一六二から一七二前後とされる。リンドウの背は、高身長の類だ。おまけに鍛えている上場数を踏んだ彼は、見た目以上に大きく見えてしまう。加えて竜の血だ。偉大なる血族に数えられる竜は、種によっては数百メートルを超えるとされていた。重量に至っては、有名な例え話だと大きな湖で水浴びをしようとしたら、全部溢れて、湖が枯れたとすら言われている。
「おい、くっつくな。歩きにくい。それと成人してようがなかろうが、
レナは思わずどきりとした。
「お、男って……お化けでも見えてるの?」
「男女で骨盤の構造が違う。ケツがほとんど揺れない歩き方は、男に共通する。女はもう少し魅力的に歩く。声は高いが、俺を騙すにはまだ演技が下手だ」
「な、なんでわかったんだよ」
「探偵だからな。依頼人やその周りを探って偵うのが俺の仕事だ。竜だからわかったわけじゃない。俺たちにそんな超能力なんてない」
レナは……口調を戻した。
「そーだよ。僕は男だ。でも、女のフリした方が優しくしてくれるって、ヘンリー様が言うから」
「あのおっさんは……。だからひっつくなっつってんだろ! 歩きにくいんだよ! そこの汚水に突き落とすぞ!」
「ま、待ってって! ほんと僕お化けとか無理なんだよ! ゴーストとかああいうの、不気味だし戦いづらいんだって!」
大股でずんずん前をいくリンドウを、レナは必死で追う。
「俺はリンドウ。さっさと本名を名乗れ」
「レナード。でも、姉さんはレナって呼んでた。親しい人にはそう呼んでもらってる。だから、リンドウもそう呼んでくれ。僕を助けてくれたじゃないか」
「その途中だ。まだ助けてないし、助けるつもりもない」
ぱきぱきと指を鳴らす。片手で指を曲げ、関節を折り曲げて準備。そして、ハーフターンしてレナを見据えた。
「お、怒るなよ! 確かに僕は捨て子だし、貴族の権力とか興味ないけど……、で、でもいくらなんでも依頼人を殴るなん──」
「頭下げてろクソガキ」
https://kakuyomu.jp/users/9V009150Raika/news/16816927862094802280(挿絵)
リンドウの拳がぶんっ、と振るわれる。鋭い角度で繰り出された俊速の右フックが、ヘドロを纏うような気色の悪いタコを打ち据えて吹き飛ばした。拳にまとわりつく、青黒い独特なオーラ。
「えっ」
「よくこれで一ヶ月以上も逃亡劇を演じられたな」
わらわらと集まるヘドロのタコ──スラックトパス。一〇〇センチ近い、あるいはそれを超える大きさの、泥水や汚水、その周辺を縄張りにするモンスターだ。こう言う場には頻繁に現れるし、水道を通ってトイレやドブから出てくることもあるそこそこポピュラーなモンスターである。ダークバイオレットの毒々しい外見、ぐにぐに動く足。ある性的倒錯者は、こんなのと交わるというが……正の気ではない。
「わかりきった待ち伏せは奇襲ですらない。ただの自決だ」
飛びかかってきたスラックトパスを弾き落として踏み潰し、汚水を跳ね上げて奇襲してきた個体に鋭い蹴り。対岸の壁に叩きつけられて破裂したそいつを視界から締め出して、左腕にからみついてきたタコを壁にぶつけた。ゴンッ、という鈍い音。分厚い石造りの壁にひびが走って、スラックトパスが絶命する。
「うわっ」
「踏ん張れ。しっかり踏み込め。軸をぶらすな。まずは一直線じゃなくてもいいから、綺麗なフォームで剣を振るってみろ」
怯えるレナを尻目に、リンドウは彼に這い寄るタコを殴り潰す。後ろ──馬のような後ろ蹴り。頭部が爆ぜ、びちゃびちゃと薄青色の血液が飛び散った。成分がヒトのそれとことなるため、血液は赤くないのだ。
「くっ、くそ!」
素人丸出し。けれど、愚直なまでに鍛えたことはわかる、フォームの正しい斬撃がスラックトパスを切る──が、浅い。まだ軸が甘いせいで、刃が滑ったのだ。
「貸せ」
リンドウはロングソードをもぎ取り、オクスに構えた。
「いいか、こうやって切るんだ」
浅手とはいえ、傷つけられて怒り……というか、生存本能としてプリセットされた反射で反撃してくるスラックトパスを袈裟に撫で斬り。綺麗に真っ二つになったそいつの半分が汚水に落ち、水滴を散らした。
「剣はものがいい。誰が打ったのかは知らんけどな、こいつはエルゼシウム合金だろ。うっすらとしたエルゼシウムの緑に、ほんの少し赤みが差してる。ロザフワウムとの合金だろうけど、それにしては重みがある。適度な重みに、しっかりしたグリップ。バランスも完璧だ」
指先で剣の腹を保持して、綺麗に水平を保つそれを跳ね、柄を握った。それから刃を丁寧に持ち、レナに返す。
「ほら。勝手に使って悪かった。……あとはお前が基礎基本を繰り返して覚えるだけだ」
「すげえ……なんで全部わかったんだ! 鍛治師……とか?」
「違う。レナード、だったか」
「レナ」
「……レナ、とりあえず離れろ。歩きにくいと再三言ってるだろうが」
慌てて後ろに下がるレナ。しかし、モンスターの死体を踏んで、さらに慌てて下水へ落ちそうになる。
「うわっ、わ……っ……?」
その手を握り、リンドウは引き戻す。
「周りをよく見ろ。どんなことも観察からだ。頼むから自衛くらいはできるようになってくれ。護衛はするが、子守はしない」
「だっ、だから一九だって言ってるだろ!」
いかにも子供が言いそうなことだ。なぜか、それが酷く癇に障った。
「法律が大人と子供を分け隔てて決めるんじゃない。それは、自分で決めて、自分でそうあるべきだと生き抜くことで周りに大人かどうかを判断される。誰かに認められていないうちは、ずっと子供だ」
沈黙するレナ。ややあって、
「だからあんたは、大人に……認められて、それで男になったのか?」
その、質問は。それは、その答えは。
「……違う」
リンドウは背を向けて歩き出す。
「俺は大人になれなかった。子供でもいられない。どっちでもない、ただの亡霊だ」
大きな背中。だが、レナにはそこに、それ以上に巨大な十字架が
「ぼさっとすんな。さっさと行くぞ。それこそ、内乱までにどれだけの猶予があるのかわからないからな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます