ACT3 依頼人は吸血鬼の王女

「今回の一件、とても感謝している。市長も是非君に会いたいと」


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 リンドウはトレセリス市にあるジオフロントに来ていた。こういう地下空間は、一定の規模であればどこの街にもあるものだ。荷重凡そ五〇〇〇キロの貨物リフトに乗って、随分と速く下降するそれにちょくちょく心配を挟みつつと言った具合で、ひどい匂いのドブのようなところへ来た。

「酷いにおい……」

「ここは下水だ。吐く場所なら腐るほどある。お前の親父と同じクソがそこらに流れてるからな。今更反吐が増えたって同じだ。安心しろ」

 赤銀色ロザシルバーの髪の少女が曖昧に微笑む。

「今のは冗談だ。お前の親父については撤回しないがな。でも、無理はするなよ。これ以上余計な仕事を増やされると困る。胃に穴が空いたって、俺たち私立探偵には傷病手当なんてつかないし、労災もないんだ」

 少女は、なぜか面白そうだ。

「その割に、依頼を引き受けてるじゃない」

「……女に振り回されるのには慣れてるからな。慣れたことで金が入るんなら、合理的だ。リスクヘッジは酷く破綻してるしとても成り立たないが、見返りも馬鹿みたいにデカい。俺らみたいな私立探偵は万年貧乏。人手不足。事務所なんて持つのはほんのごく僅か」

「また、むずかしく……」

「つまり危険を度外視すれば、莫大な利益になるってことだ。お前は依頼人で、俺は探偵だからな」



×


「そんなもの、断らせてもらう」

 数時間前の警察署──トレセリス市警本部で、リンドウはヘンリーの申し出を跳ね除けた。コーヒーにもドーナツにも手をつけていない。調書を取るための取調室に、いつまで経ってもヘンリー以外が来ないのでおかしいとは思った。専用の、そう──たとえば突然魔術を使う凶悪犯相手に、監視を置くなど危険だ。故にこう言った場合は、対面するのも特殊な警官となる。ヘンリーはその特殊な警官であり、また、この場は密会には最適だった。

「あまり怒るな。……いや、正直に話そう。君はこういったことが嫌いだったろうからね」

 ヘンリーがドアを開けた。誰が来るんだ、と苛立ち混じりに膝を組み替え、ようやっと缶コーヒーのプルを引く。

「こちらへ──」

 そこへ現れたのは、

「──レナ・メラヴィル領王女殿下・・・・・

 このヴァムブランを統治する領王──父なる吸血鬼の一族、メラヴィル家の娘だった。

 が、リンドウは無関心。耳の裏をかいて、コーヒーを煽る。

「リンドウ・フェルニス様でおいででしょうか。失礼、この地を預かる血を持つ者、メラヴィル領王家領王女の──」

「黙れ小娘。聞く気なんてない」

「リンドウ、君、少しは言葉遣いを──」

「形式だけの慇懃無礼なガキに払う礼節なんてない。俺も随分と見下げられたもんだな」

 青い目で、竜の目でヘンリーを睨む。彼はそれでも怯まない。それこそ、歴戦の軍人でさえ竜人や竜に睨まれれば怯むのに。

 一般の警官としてここへきて、凶悪犯を数多く検挙してきたその辣腕と度胸は、たかが二一かそこらの、それこそイキっているだけのガキに睨まれてもどうとも揺るがないのだ。亀の甲より年の功。年功序列に興味などないが、だとしてもヘンリーはその人生に見合うだけの度量と肝っ玉があった。そこは素直に尊敬している。だからといって、嬉々として面倒ごとを押し付けられて許せるものではない。

「これ以上話すと守秘義務だのなんだのとうるさい。挙句の果てには叛逆だの予備軍だの……付き合ってられるか」

「いいから待ちたまえ。事情を聞いてくれ。君のような強者にしか依頼できんのだ」

「依頼? 俺は冒険者でも傭兵でもない。今はもう、ただのセコい探偵だ」

 去ろうとするリンドウを、その手をレナが掴んだ。ふんわりと、優しく、ひどく冷たい手で。

「お前の素性に興味はないが……貴族ならなんでそんなに傷んでる。あかぎれ、それにタコ。どうしたって下っ端の兵士だ。それになんで第ナントカ、って名乗らなかった。身分詐称、それこそ王族を騙るのは大罪だろうが」

「私は捨て子です。忌み子なのです、リンドウ様」

「様をつけるな。へりくだるな。反吐が出る」

 少女は迷ったように、赤い目を彷徨わせる。リンドウはそれとなく部屋の四隅、天井の鏡を見た。あれは本来、取調べ中に警官が周りを見たり、犯人の視線を誘導させ『誰も聞いていない、見ていない』とアピールし、真実を吐かせる心理効果を狙って設置してあるものだ。鏡に映っている自称王女の身なりは、どう見ても下っ端の冒険者と言ったものだ。

「リンドウ、少しでいい。話を聞くだけでいい。なんのペナルティもない」

「なら手短にしてくれ。俺はこの後、本物のカウンセリングを受ける予定がある」

 どっかりとスツールに座り、半分に減ったぬるいコーヒーを飲む。

「捨て子の王族とその身なり……。メイドかなんかが孕んだってとこか。身分を偽っているというよりは、本当に知らずに育った。けど何かがあって正体を知り、そして誰かを探している。その誰かは危険なやつと接触している可能性があるから、俺みたいな不良探偵が打ってつけの、依頼の宛先ってとこだ。母親探しか?」

 リンドウの洞察力、その推理力にヘンリーは舌を巻いた。一瞬で相手の身なりと挙動、恐らくはほんの僅かに触れた手の感触、さらには汗の匂いがつよい体臭や草木、虫や土の匂いで全てを察したのだ。だからヘンリーは、彼を是非とも部下にしたかった。探偵で終わらせるには、あまりにも勿体無い。

「一つ、違うわ」

 レナは真っ直ぐにリンドウを見た。

「探しているのは、死んだ母から生まれた姉。姉は、領王への復讐のためテロを企てているの」

「証拠は。ヘンリーが連れてきた以上、なにかあるんだろ」

「状況証拠が主だがね。まず一つ、現在の領王陛下には随分とスキャンダルが多い。我らが父を馬鹿にするのは流石に如何なものかと思うが……もみ消されたレイプ、レイプ未遂、殺人、詐欺、違法売買など余罪は多数だ。被害者の大半が一五歳以下の未成年で、性別などお構いなし。金と権力でねじ伏せ、黙らせている」

「どいつもこいつも……。だから貴族だのなんだのとは関わりたくねえんだ。ろくなことにならんだろうが。……で?」

 ヘンリーが手にした資料をめくって、口を開く。

「事実として、現在のヴァムブラン領王であらせられる父なるクソ・・陛下」ヘンリーは一旦呼吸を整えて、「いや、なんでもない。領王アルド・ヴァムブラン・メラヴィル陛下の兵隊、その一部が脱走している。恐らくは反旗を翻した、といえるな。それも領内の各地で。だが公になっていない。隠しているのだろう。自分の醜聞がバレるからな。それこそ……モンスターサベージであぶれた傭兵の残党が山賊に成り下がったなどといい、第三者なんかに始末させるつもりだ」

「最近、随分と騒がしいと思ったらそれか。陸も海も随分鉄臭い。でも、さっきの誘拐犯はまた別だろ。あんなにゾラフの血を主張してる。テロリストって点では同じでもそもそもの動機も……目的、……いや、敵の敵は味方、ってことか?」

「恐らくは、な。彼らは奥歯に仕込んでいた青酸カリで全員自殺した。よほど知られたくない秘密があったに違いない」

 簡単に命を捨てやがって、とリンドウは苛立つ。他人だろうと自分だろうと、命を奪うことを随分と軽視している。そこにある重みを、誰も理解していないしするつもりもないのだ。そんな世の中が嫌いで、そして自分もまたその歯車の一つであることに苛立つ。それこそ動物にも虫にも、植物にも、モンスターにだって命はある。そしてそれは、生まれも境遇も、育ちの良し悪しも性別も、歳も賢愚善悪もなく残酷なまでに全て平等だ。ただただ、この世界の中にある無二の命、それだけのことである。

「でも本当にそいつらがテロ起こす確証がないんだ。だから正規軍も、それこそクソの言いなりであろうとも麾下きかの兵隊は動かしにくいし、他所からも応援を頼めない。敵にとって、その足踏み状態は最高のチャンスだ。それこそ近いうち、どこかが攻撃される。当ててやろうか」

「是非、君の推理を聞きたい」

「恐らく、トレセリス穀倉地帯の南にあるパルドール市。東のエルド山、西のクリグズ山から挟撃される。やつらは都市を制圧し、恐らくはパルドール大農園を掌握。実効支配したそこで資金と時間、兵隊を稼ぐんだろう。当然、こんなスキャンダルだらけの領王についていく馬鹿なんてそうそういない。反乱軍は面白いように数を増やし、それこそ傭兵だの本物の山賊も集まる。そうなればここも危ないだろうな。この街も含め、領地が一瞬で戦場になる。奥さんと娘さん、どっか逃しておいた方がいい。今すぐにでもな」

 ヘンリーが片眉を上げる。

「胸に刻んでおこう。だが、根拠は?」

「その粘土質の泥……洪積層の低い山を来たんだろ。越えやすいからな。風化された土は粘土質になる。河に面し、その条件が成り立つとすればクリグズ山だ。だが見つかりたくないから街道を使えず、野山を突っ切った。でも、危険なデコボコ道を通るリスクを冒すのが困難。使命感か命か……どっちでもいいが。お前はパルドール市、ないしはその近郊に住んでいた。それからその独特の匂いは、レジーターヒルシュのクソの匂いだ。穀倉地帯で使われる堆肥だったな。モンスターの堆肥の匂いはそこを通ってきた証拠。真夜中……今日ここへたどり着いたんだろ?」

「……なんで、わかったの?」

「探偵だからだ。けど、当たりだな。その言動は明らかに肯定。話を戻す。今山賊が多いのは東のエルド山の方だ。一般では坑道を接収し、アジトを築いて盗掘している噂って具合に騒がれてるが、それは部分点を与えられるかどうか。本当はもう盗掘はずっと行われてるし、きっと力ももってんだ。実際、若い世代があの辺で失踪する。そのニュースは、一年半くらい前からずっとラジオで聴いてた。だからこの街は南への防衛を高め、連合政府が睨みを利かせるように、海岸には軍艦がいる。新聞にデカデカと載ってた。うちのアパートには公共の新聞があるからな。あんな『軍事演習か、その狙いとは』なんて馬鹿でかい一面、すぐに気づく。それから磯の匂いが随分と鉄臭いんだ。最悪、北上してきたら王族らは地下に逃げて地上を五〇口径の艦砲で一斉に吹き飛ばそうとすら考えてんだ」

 ドーナツの皿に目を向ける。チョコレートがかかった甘そうなそれが二つ。

「買い間違えた。俺はこんな甘ったるいドーナツなんぞ食えん。レナ、とか言ったな」

「うん。レナ・メラヴィル。ただの、レナ」

「ただのレナ、だな。なら馬鹿げたテーブルマナーもいらないだろ。ほら、フォークもナイフもないけどお前が食え」

「えっ、でも」

「食い物を粗末にしたくない。師匠にぶん殴られる。あの人ほど怖いやつを俺は知らない。要するに口止め料で、手付金・・・だ。食ってくれ」

 レナはヘンリーを見た。彼は微笑み、頷く。そうしてレナは、「いた、いただきます!」と言って、両手にドーナツをつかんで食べ始める。

(直線距離でパラドールは八〇キロ近く離れてる。山越えだのなんだの……。それこそ、一ヶ月以上はまともに食ってねえんだろうな。眠そうじゃないのは吸血鬼だからか、それかとっくに長いこと昏睡してたか、だろうな。今日ついたとはいえ……発見されたのが直近ってだけか?)

「依頼を受けるのかね」

「手付金をもらったからな。だが成功報酬は別途しっかり要求する。言っておくが、俺の労力は高くつくぞ。それこそあんたの安月給じゃ払えない」

「満額退職金を取られるのは困る。あれは妻との老後の旅行資金だ」

「あんたの嫁さんは鬼嫁だろ。よく言ってるから覚えてる。……怖い女に付き合いたくないから、そこには目を向けない。そうだな、クソの王様からぶん取ろう。あんたはそのための手順と手段を探ってくれ。というか、とっくに動いていそうだけど。なあ、スパイ・マスター」

 初老の紳士は微笑んだ。

「そうとも。私は連合王国、真の国王陛下、コルネルス国王様の右腕を自負していたこともあるのだ。世に紛れる、一刑事の顔で君たちを騙し、な」

 少女は話を聞いていない。久方ぶりのまともな食事に夢中だ。

「誰か暇してる警官のケツを蹴ってきてくれ。俺のドーナツが……買い忘れでないんだ。間違えた。売り切れてても困るから、買えるだけ買ってきてくれ」

「どうして素直に言えないんだ、君は」

「人に優しくするのは嫌いだ。利己的な打算、利益。それだけで動くと決めた。他人の人生に介入したり、させたりすると、ただ虚しいだけだ」

「誘拐犯の捕縛に、この状況が……君になんの利益をもたらすんだ。あー、君。この金でドーナツを買ってきてはくれんかね。私も朝から何も食べていなくてね。すまんね、いや、客人が大食漢なものでな」

「好き勝手言う……」

 防音・耐爆仕様のドアを開けて、ヘンリーは明るい笑みを浮かべて前にいる警官にそういった。若い人猫族の青年は「はあ……」と曖昧に頷き、走っていく。

 レナは食べ終えた皿に十字を切る。この国の、そして大陸でも広く信仰される星十字聖教会の女神、玲瓏れいろうたる星の女神ステラは十字剣を手に大乱の世に平定をもたらしたとされ、故に十字架は聖なるもの、死者への鎮魂や安全祈願、魔除け、あるいは感謝の印として用いられるイコンとなったのだ。

「人助けだと、そう言えば楽だ。私もそうだった」

「興味ない。だから、一番現実的な理由で判断した。それで大量の報酬を寄越せるよう頼んでるんだろ」

「ドーナツを?」

「手付金だ。報酬じゃない。最低でも五億はもらう。命懸けは当然だろうし、王に歯向かうんだから。おまけにモンスターとも渡り合う羽目になるだろうし、挙句には大嫌いなクソガキの面倒ときてる。たかがコーヒーとドーナツじゃ割に合わないからな」

「買い間違えた君が悪い」

「それは認める。……で、出せるのか?」

 ヘンリーは親指を立てる。

「安心しろ、金持ちの友人は多い。……で、依頼を受ける君には詳しく話さねば」

「テロが起こるかも、そこにこいつの姉貴が関与しているかも、少なくとも近親者の証言や周囲の動向といった状況証拠が確か……それはわかる。具体的にどうすればいい。領王暗殺なんて言ったら、領地貰えるくらいのバカデカい城を要求してやる」

「小説の読みすぎ、夢の見過ぎだ。城なんぞ、維持費だけで火の車だ。……君にはレナ・メラヴィル殿下の護衛と、その姉であらせられるカイネ・メラヴィル殿下の消息を追ってもらい、再会の手引きを頼みたいのだ」

 やや沈黙。リンドウはレナを見る。初めて、彼女の赤い目を見た。

「お願いです。姉を助けて。姉を止めて……。……私を優しく抱きしめてくれていた姉を、取り戻したい」

「……場合によっては、その姉はお前の前で首を落とされる。反逆罪、ってのはそういうもんだ。裁判なんてない。引っ捕らえられたらよくて首切りだ。その間に、延々と誰かに陵辱されることが普通だ。それをお前はわかってるのか」

「うん。全部、ヘンリー様からお聞きしたので。……たとえそうであったとしても、せめて見送るくらいは……」

「ヘンリー」

「なんだね」

「話を進めてくれ。俺は具体的に、何をしたらいい。手がかりがほとんどない」

 資料を示された。映っているのは、死体の顔。綺麗だが、これは……。

「さっきのやつらだ。敵の敵は味方……つまり、密入国者を当たれ、ってことだな」

「そうだ。最悪、やつらに居住権くらいはちらつかせていい。何がなんでも情報を吐かせるんだ。それが、現状一番の手がかりになるだろう」

「こいつは? 護衛しろ、ってわりに一人だが」

「クソ陛下が何人孕ませたと思ってる。そもそも吸血鬼は多い。身元は知られてはないが……これについては、この子が突飛なことをしでかすからだ。王族であるなら下手に勾留もできん。私の首が、本当の意味で飛んでしまう」

 それはつまり、リンドウもだ。王女誘拐──その主犯がヘンリーで、ほう助している実行犯がリンドウである。当然裁判などない。捕らえられ公開死刑。リンドウに至っては、死ぬまで鱗を剥がされ続ける地獄が待っている。

「ふん。……親子喧嘩の仲裁にしては、飛び火が半端じゃないな。それこそ、溶岩が降り注いでるみたいだ」

「隕石かもしれんぞ」

 息を切らせる声で、一方的に話しかけることしかできない伝声管から「買ってきました!」と聞こえた。ヘンリーはドアを開けて礼をいい、「お釣りは、口止め料だ。私が甘いものを食べたと妻に知られては帰れなくなる。頼んだぞ」といって、箱を受け取った。ドアを閉め、箱置いて開く。

「おっと、どうもリンドウ、君が食べられるものはないな。殿下、誠に失礼ながら……可能な限り、食べてはいただけませんか」

「えっ、でも……」

「黙って食え。餓死寸前のガキを引き連れ回してると大騒ぎになる。俺が迷惑なんだ」

 レナにはそれが、酷く不器用な気遣いであるとようやく気づいた。

「ありがとう……、ありがとう……っ!」

「君、いたいけな少女を泣かせるまで威圧するのは立派な犯罪だぞ。しかも現役の刑事の前で」

「……ふん。口止め料は」

「最低でも、五億、だろうな」

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