ACT2 探偵と巡査部長

 風呂上がり、リンドウは広場までのランニングは欠かさない。往復で十二キロ。一定のペースでスタミナを使うことで、戦う際の動き方やスタミナの配分を決める判断力などを鍛える。無論、基礎的な体力向上にもなるし、なによりルーチンはストレスを軽減する。あと、切実な話だが運動を怠ると酒でだらしない体になるし、今の時代は探偵と言いつつ結構がっつり争うことが多い。モンスターサベージによって氾濫した獰猛化因子を持ったモンスターはまだ多く、かつそれに伴う治安の悪化で、ある程度の自衛力などは必須だ。子供でさえ、ライフルくらい撃てるし、分解掃除も組み立てもできる。

 雪に半ば沈む、トレセリス市。この国は、主に東部と北部は雪に覆われ、地域によって寒暖差やなんかが大きく出る。国土自体の広さが原因だが、国内でも時差が発生するのである。当然、景観も変わるし、文化や生態系も異なる。

 雪で滑らぬよう、冬場は滑り止めの靴底を持った履き物を使う。リンドウは一年を通し、専用のショートブーツを使っていた。合金を仕込んだ頑丈なものであり、同時に武器でもある。あの剣は──捧げた。自分はこれからは、殴り合いで生きていく。

「あ、リンドウさん!」

 底抜けに明るい声。ハイエルフの少女──大家のエトナの孫である、エリザ・サークリックである。プラチナブロンドの髪を見ていると、少し落ち着かないが……それでどうこうなる、というほどガキではない。

「高校か? 歩いてくのか」

「はい。魔術師にも体力は必要です」

「だろうな。気をつけろよ」

 リンドウはさっさとランニングを再開。しようとしたが、自然な風を装ってペースを落とした。

 エリザは髪の毛をくるくる指に引っかけ、リュックを背負い直す。リンドウは足音を殺し、さながら影を追う魔人のように無音で移動した。

(複数犯で、手慣れてる。どこか……多分、あと二〇〇メートルか。エトナの婆さんには世話になってるとはいえ、とんだサービス労働だ)

 金色の髪を見る、さも普通に見える男。しかしスーツの不自然で見慣れている膨らみで、拳銃を持っていることがわかった。おまけにこんな寒い中、コートのボタンも閉めずに歩く方が不自然だ。南……恐らくは、砂漠の方から来たのか。

 リンドウの青い目が、すっと細められた。

 路地に近づくエリザ。手を伸ばそうとする黒髪の男を後ろから止める。

「道がわからないなら、教えてやる。ガキは知らんような抜け道をな」

 静かな声。エリザは気づいていない。犯人は奥歯を噛み、即座にナイフを抜いた。

 振り払う仕草と同時に薙ぎ払われる刃。リンドウは相手の手首を前腕でブロックし、捻り上げてナイフを落とさせて蹴飛ばす。そのまま捻り、肩の関節を抜いた。

「や、やれ!」

「戦力の逐次投入、そいつは一番馬鹿な真似だ」

 リンドウは路地から飛び出す男の腕を掴んで背を丸め、腰の弾みで跳ね上げて地面に叩きつける。綺麗な一本背負いが決まり、もう一人の蹴りを膝で防いで右のボディブロー、即座に腰の捻り回転を曲げてレバーブロー。胃液をこぼす犯人の後ろ、酒臭い息。

 半歩の加速から、肝臓へ一発。酒飲みだからわかる。ここは、自分たちのような人種には最大の弱点と言える部位だ。

 肩を抜いた男が左手で銃を抜くが、リンドウは瞬時にスライドを緩く引いて掴み、指を巻き込んでへし折りつつ奪い取った。

 マガジンをリリースし、スライドを引いて薬室の一発を抜いた。投げ捨てた拳銃が雪に沈む。

「次は」

 男たちはぎりぎりと奥歯を噛んだ。

「だったらそのまま寝てろ」

 蹴りが首筋を捉え、リーダーと思しき男が昏倒した。

 この技術は全て、師匠が叩き込んだものだ。ひどい時には唾に血が混ざるまで殴られるような修行をした。それでもあの人は、真剣だった。憎んでいるとか嫌っているとかではない。期待を込めて、愛するが故に時に厳しく、その全てをリンドウにぶつけた。不器用な戦士であるあの人には、それ以外の教え方などできなかったのだ。

 リンドウは近くの公衆電話ボックスに入り、小銭を入れた。ダイヤルは警察。

「バランドール通りで、多分だがカウスル人の密入国者が誘拐未遂。ガキを襲おうとしてたから叩きのめした。このままじゃ凍死する。迎えを」

 電話口の警官は、「悪戯ですか?」と聞いてきた。

「悪戯で金をドブに捨てる奴があるか。褐色の肌に、何よりもカウスル鈍り。話がわからんのなら、ヘンリー巡査部長を出せ。お前らんとこの敏腕刑事だ」

「わかりました。言っておきますが、いくら悪戯でも公務執行妨害は立派な犯罪ですよ」

「わからんやつだな。いいから警官を何人か寄越せ。リンドウ、って名前を教えれば、ヘンリーが出ていく」

 苛立ち混じりの「わかりました。通報場所で待機を」と命じられる。

 ため息が漏れる。割に合わない。……なんで助けた。何も得られないのに、なにを無駄な労力を。

 電話ボックスから出ると、すぐさまアストロンエンジンとサイレンを鳴らす自動車が来た。上等な車の後部座席から、スーツ姿の紳士。仕込み杖を手に、まるで慈愛に満ちた初老という顔で、落ち着いた顔立ちに眼鏡の、恰幅と体型に恵まれた大柄なオークが微笑む。

「私も暇ではないんだがね」

「悪かったな、暇人がお前らの手柄をとって」

「つむじを曲げるな。しっかりと、報奨金を出すさ。……犯人は?」

「真っ直ぐ、大体三〇〇メートルくらいに何人か伸びてる。撃ってねえし、切っても刺してもない。殴って蹴飛ばしただけだ」

「いっそ、転職したらどうだ。公務員だ、税金でいいものを食える」

 オークの巡査部長──警部補の昇進も近いらしい白髪混じりの茶髪を後ろに撫でつけているヘンリーが頭をかいた。部下の警官が、事件現場へ。

「それが嫌だからケチな探偵をやってる。んで、こいつらどっから入ってきた。どうやって壁を抜ける」

 リンドウが顎で示すのは、全高五〇メートル近い防壁だ。

「穴を掘ったのだろうさ。我が国の上下水道システム、これがまた厄介なことに使われておるのだ。ネズミが出るだけならまだしもモンスターだの密入国者だのの温床だ」

「巣窟、ってこった。……おい、まさかをしょっぴくとか言うなよ」

「君の素行の悪さなら、いくらでも令状をとれるが……有益だから、損な真似はせん。悲しいかな、我々刑事も所詮はビジネスだ」

「だろうさ。下手な義憤で動かねえから、俺らはあんたに頼ってる」

「探偵だなんて仕事の割に、リアリストだな君は。私の半分ほどの年齢で……いや、いい。君の経験なら、そうあって当然だ」

 部下たちが手錠をかけた男を背負いながら戻ってきた。一人、意識を持つ男。彼にヘンリーが近づいた。笑みは消え、冷淡な目が犯人を射抜く。

「出身はどこかね」

「ゾラフ帝国」

 おかしい、と思った。嘘だ、とは思わなかったのは、カウスル人であると主張せず、その上でコルネルス人だと偽らなかったことだ。

「竜に滅ぼされた国か。そんなものはもう、記憶の彼方だろう」

「黙れ! お前らが占領している土地は我らゾラフ人のものだ!」

「たとえそうであっても、それこそここは、ヴァムブランは我らの土地だ。我らの祖父、吸血鬼の王が築いた領地だ。そもそもが君たちのものではない。犯罪を働く理由にも、免罪符にもならん。まして子供を誘拐する真似に、我らが吸血鬼の王が、星の女神が慈悲をもたらすとは到底思えん」

 憎しみ、怒り。そんな色が浮かぶ。

「いつか貴様らは思い知るぞ。醜い竜どもに尻の穴を振ったことをな」

「私の数少ない友人の侮辱はやめてもらおうか。さっさと連れていけ」

 ヘンリーがいつになく厳しい口調でそう言った。

「さて、君もさりげなく去ろうとしているが許さんぞ。調書を取るから来てもらおうかね」

「今ここで話したことが全部だろうよ」

「記録を取らねば最悪私が減給だ。実入りはいいが、君と同じだ。割に合わんような安月給だ。これ以上減ったら娘を大学に行かせられなくなる。わかったら来たまえ」

 拒否権などないことは分かり切っていた。リンドウはため息をついて、車に乗り込む。

 運転手が「シートベルトを」というので、黙って従う。がち、とはまって紐が固定される。

「タダ働きにならなそうでよかったよ」

「君は拝金主義を装うが、本音は金欲でも物欲でもないだろう。理由はなんとなくわかる。お前たち竜は、報復を必ずするし、恩返しも忘れん。大方君を助けたご婦人と、私への恩返しだろうさ」

「竜は、だ。俺は竜人だ」

「どっちも変わらん」

 スコップのようにも見える除雪ブレードがついた車が雪を跳ね除けて、市警本部へ。手錠がないだけで、気分は実質犯罪者であるし──というか、これだけ殴り蹴っていると、それこそ立派な暴行罪が成立してもおかしくない。

「ゾラフってことは、俺の先祖が滅ぼした民族の血を引いてるんだろ。ならなんで俺自身を狙わない」

「敵わんからだろう。竜も竜人も、普通という枠組みから脱却した超生物の一種。竜より希釈された竜人であっても、やはり我らを超えるポテンシャルを持つ。その上君は現役だ。それこそ若い頃の私でも君と喧嘩するのは怖いだろうからな」

「俺はあんたらの権力の方がよっぽど怖いよ」

「権力者に牙を剥くのは、民衆の本能だろうな。安心しろ、その程度の行間くらい読めるほどにはここに身を置いているからな」

 ゾラフ帝国は、大陸中北部を支配していた一大国家だ。けれど、竜の怒りを買い、滅んだ。もう、それこそ二〇〇年近くも昔だ。そして彼らが言ったように、この国の一部はかつてゾラフ帝国だった場所である。そう、言い訳などしない。……あいつらにしてみればコルネルス人は盗人で、竜族たちは大量殺戮者だ。

「……かろうじてこの体のおかげで、生きていける。でも、こんなもんいらねえ。竜の血なんて、ろくなもんじゃない」

 竜人であったが故に、力がない頃は常に恐怖と隣り合わせだった。安眠などできた試しがない。ようやく傍にいても平気な女性ができたと思えば、駆け落ちして消えた。

 この血が呪わしい。恩恵と悲劇をもたらす、平等で、やられたことは悪意であれ善意であれ、相応のお返しをするこの本能が。

「……ついたぞ。随分冷える。酒は無理だが、熱いコーヒーでもどうだね」

「ドーナツもくれ。あるんだろ」

「あるとも。君が買ってきてくれればね」

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