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此岸のレヴェナント ─ 魂の呼び声と竜の玉座 ─ 作者:百竜呑ライカ

Chapter1 逃げ続ける私立探偵

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ACT1 夢遊病者のように

 七年もの間、長い期間に渡って続いた大きな事件であった『モンスターサベージ』。獰猛化したモンスターたちの群れによる大侵攻は、多くの地域に多大な血を流させた。大勢が生き絶え、この土地にも膨大な血と怨嗟を振り撒いた。

 それを抑え込む大規模反抗戦争が大陸各地で起きて、どうにかそれは二年半前に終わったものの、地域によっては都市が消えたりなどし、このコルネルス連合王国にも甚大な被害をもたらすに至った。

 大勢が死んで、大勢が路頭に迷った。けれど、それでも世界は続いていく。誰かの死は、誰かの中で糧になって、あるいは誰かを追って命を絶つ者もいたが、それでもただただ残酷で美しいこの惑星(ステラミラ)はぐるぐる回る。

 悲しみも、喜びも、怒りも、嬉しさも、怨嗟も、楽しさも、虚しさも──その全てを抱きかかえて、命の揺籠は昔と変わらぬままに、ただただ進んでいく。あらゆる命と同じく、先の見えない闇の中を。無明の、何を捨てていいのかもわからない毎日を、ずっと。


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 星霊暦二二四七年 一月二一日 木曜日

 コルネルス連合王国 ルウェイズ地方 ヴァムブラン領 トレセリス市にある寂れた家屋──


 その家は背の高い三階建てのアパートメントだった。住んでいるのは主に冒険者、傭兵、あるいはそこから引退した者たち。通常、この稼業は実入りが良くそれなりに稼げるが、同時に命の安売りでもあり、生きて足を洗えることは珍しいことだ。命の切り売りにしては、それに釣り合わぬ日々を余儀なくされるがゆえ、その現実を知らず冒険者に憧れる子供は多いが、大半の親は──それでこそ冒険者や傭兵であろうとも──反対する。それなりの成功があれば一軒家を建てることも簡単だが、そんな成功者などほんの一握り。大勢が他の仕事に移るか、死ぬか、生き延びても大した金が残っていなかったりする。

 リンドウは真っ白な髪が伸びた頭まで毛布をかぶって、ソファで眠っていた。一番安い部屋──広さはまあ、猫の額というほど狭くもなくと言ったところ。元々は事故物件になったせいで物置だったここを格安で借りており、一年ほど前からここにいる。

 辛い現実を前にし、心を壊すと大勢がカウンセラーを求める。以前は理解のない病であり、未だ精神病は白眼視されるものの、軍や冒険者組合はお抱えの精神科医を持っており、それなりの傷病手当も出るのだ。次第に、特にモンスターサベージによって認知されるという皮肉だが、精神科やカウンセリングにも、少しとはいえ理解が進んでいた。

 けれど、心を病んだ当人であるリンドウが一年ほどカウンセリングを受けた感想は「酒という最大のカウンセラーがなきゃ、到底やってられない」だった。

 今年で二一歳になる若いリンドウでも、病んでしまう。

 好きだった人が、大切な友人と結ばれた。幸せなことだ。それこそそれが仲間同士であれば、祝福すべきだったのに。

 薄汚い自分はそれを認められずに、逃げるようにしてここに引きこもっていた。

 午前八時になると、大家のおばさんが掃除を始める。他人の部屋には入ってこないし、そういう契約なのでいいが、廊下やロビーは掃除するのである。まあ、それが彼女の仕事なのだから、とやかく言って騒ぎ立てるのはお門違いだが。

 けれど、その物音で目を覚ましたリンドウは酒が抜け切らないというのもあるが……不機嫌そうな顔だった。

 竜族特有の角は、左側に一本のみ。竜とヒトの間に生まれる希少な種族である竜人族は、かつては狩られる側だった。けれど、ある竜族と手を組んで反乱……というより、逆鱗に触れられたが故の壮絶な報復を行い、人々に竜の怒りに触れる恐ろしさを子々孫々に渡って刻み込んだのである。ここではない別の国であるが、その報復の結果として国家そのものが崩壊し、大半の土地が焦土と化した。結果的にたち消えたその土地は周囲の国々に吸収されたと聞く。

 一国を平然と吹き飛ばせる竜族、竜人は今ではすっかり普通に人権を持つが、それでも疎まれたり嫌われたり、あるいは逆に熱狂的なほどに支持される。けれど竜人そのものであるリンドウ自身は、いい迷惑でしかない。わかったから無視していてくれ──それが本音だ。悲劇的な生い立ちである者としてはただ何も言われず、そっと放っておいてもらえるのが何よりの慰めなのだ。

 ぽりぽと頭を描く。よれよれのセーターと、コットン地のごわついたズボン。古着屋で買ったセール品で、品性のかけらもない。けれど太い腕と足は贅肉でも脂肪でもなく、未だにルーチンであるトレーニングで維持されているしなやかな筋肉だった。

 ガラステーブルの上の酒瓶を掴んで口をつけるが、数滴ほどウイスキーがこぼれただけだ。すっかり空っぽな瓶を置いて、ため息をつく。

 トレセリス市は南西に穀倉地帯を持ち、このヴァムブラン領には欠かせない地域であった。またここでは二毛作が基本で、そこから取れる小麦と大麦、また別の農地の穀物はさまざまな形で加工され、この土地の名産品として消費されていく。四九八八六〇ヘクタールもの肥沃な穀倉地帯で生み出される農産物は、この領地のみならず全国で求められており、トレセリス市と領の懐を潤わせていた。一番潤うのは、きっと貴族だの中抜き業者なのだろうが。末端の労働者に売上が正当な比率で還元されることは少ない。

 その気になれば、畑仕事くらいは──とは思っても、気怠い体と重たい頭は動かない。毎日、一応は探偵として細々とした仕事をしていた。貯金自体はそれなりにあり、冒険者としては『ぼちぼち上手くやっていた』方だ。まるで寿命を削るようにその金を削り、生きている。

 起き上がったリンドウは明るい外を見てため息をつく。

 約半世紀前の星霊革命。

 大賢者として知られるマグナス・パラケルによって確立された、星霊結晶(アストライト)からエネルギーを取り出す技術により、それを用いた多くのシステムが生み出された。大規模高速計算機である解析機関をはじめ多くのインフラやそこを走る鉄道、自動車、効率的な農業システム、情報処理に伴う便利な機能を持った施設に電信、有線電話など。当然、武器兵器も生まれた。

 カーテンを開けると、青々とした星霊素(アストロン)が動かす都市が見える。伸び上がる中央区の摩天楼、駆け回るハイウェイ。すぐ傍の道路を、馬車や車が駆け抜けていき、警官が紺色の制服を着て歩いていた。

「昨日、何本飲んだっけか」

 毎日最低でも三本はボトルを空にするのは覚えている。昨日は数日掛で結婚指輪を探す依頼の末、それを飲み込んだモンスターを退治するという面倒ごとになった。当然だが危険手当や、依頼そのものの内容を誤魔化したことへの法的ペナルティを突きつけてしっかりと違約金はもらったが、……他人の色恋など、千金を積まれたって見たくはない。

 テーブルとその周りには、五本のボトル。トレセリス産のモルトウイスキー、『トレセリス・シャオン』は今まで飲んだ中で一番美味い。特別高くもなく、味わいもつき合いで飲まされた酒の中では平凡だが、それゆえに貧乏暮らしだったリンドウの口には合う。思い出の味──ではないが、それでもここ二年はずっと愛飲していた。

「──はい。では、家賃はしっかりいただきました」

「いやあ、朝から可愛い顔を見れてよかった。もしよかったら、朝食を……」

「すみません、学校がありますので」

 隣から聞こえる明るい声。男の下心の透けた相槌。今日は家賃の支払日か……と思うと二日酔いの頭が痛む。金ならあるが──、いや、違う。人と関わるのが面倒なのだ。それでもなにか仕事をしていないと、いちいちやかましく騒ぐ役人がいる。リタイアには早いだろ、とせっついてくるのだ。こっちの事情を何一つ知らない上、知ろうともしないやつらめ。それでこちらが払いたくもない税金で食っていけるのだから、羨ましい。

「リンドウさん! リンドウ・フェルニスさん!」

 年若い娘の声。キンキンした声に怒鳴りたくなる。封筒を手にして、ずるずる引きずられるような足取りで鍵を開けてドアノブを回す。

「しっかり全部ある。三五〇〇〇リムだ」

「はい、確かに」

 封筒の中の紙幣を確認した彼女は、大家の孫娘で、現在は高校生のハイエルフ族の少女だ。彼女は満面の笑みを浮かべた。それから遠慮がちに、

「あの、随分お酒臭いですけど……」

「いつものことだろ」

「あと、男くさいです」

「二〇越えればみんなそうだ」

「それから、おひげも」

「髭面なんぞ、それこそお前らの同級生にだっているだろうが」

 リンドウの口の周りには、無精髭がちらほら。白と黒のまばらに生えた胡麻塩ひげは、少しだが確かに長い気がする。

「祖母が心配しているようでしたが……あの、相談とかくらいなら、」

「ガキに話して聞かせる武勇伝なんぞない」

 ドアを閉め、鍵をかけた。

 全く、最近のガキはマセやがって。

 けれど、確かに自分は随分と小汚い。昨日は特に、モンスターと争ったので尚更だ。汗や相手の体液、血……服こそ着替えたが、体に滲むそれらの匂いは確かにある。それに、ひげも剃らねば。こんな風体では仕事なんてこない。

 寝ぼけ眼を擦る。『一日一錠、開眼待ったなし!』という謳い文句のボトルから眠気覚ましの錠剤を適当に四錠ほど取り出して、苦く粘ついた唾液で飲み込んだ。昔はこんなものに頼る必要などなかったのに。

 次第に意識が明瞭になり、リンドウは着替えを持って部屋を出る。

 掃除をするおばさんが笑顔で「お風呂、用意できてますよ」と微笑む。根っからの優しい人で、アパートの裏にあるゴミ捨て場で半ば死んでいたリンドウを助けたのも彼女だ。まだ中学生だった彼女の孫娘がほとんど息もできていないリンドウを見つけ、救急隊を呼んで、その後行く宛のない自分に部屋を貸してくれた。

「ありがとうございます、エトナさん」

「いいえ。すみませんね、孫が口うるさくて」

「いえ。気にしてませんから。気遣いのできる、いい子ですよ」

 息をするように平然と嘘が出る。大人になった証拠だ。

 リンドウは共有の風呂場の脱衣所へ。服を脱ぐと、ゴツゴツした、それ自体が軽鎧のような筋肉が露わになった。あちこちに傷痕──切創や銃創、刺創やら火傷の痕、星霊魔導術を食らった術創(じっそう)がある。

「しっかり洗わねえとな……また何日もサボっちまうし」

 翼はないが、尻尾はある。太くて長い、黒い鱗に覆われた尻尾が。腰や太もも、脇腹、肩から首筋にもうっすらとした鱗があって、自分が地竜族の血を引くことがわかっているが、孤児であったリンドウは親の顔など知らない。親代わりだったシスターは男を作ってどこかに消え、その後は師としてある人物に教えを乞い、己を鍛えた。そして十三歳の時に冒険者になって、来る日も来る日も戦った。ちょうどモンスターサベージの真っ只中で、仕事には困らなかった。

 シャワーを浴びて、ボディブラシで洗う。頑丈な肉体の竜人族、特に鱗があると取手があって硬めのブラシがあるこれで洗うのが一番だ。繊細な表皮ではないので、痛みもあまりない。もちろん、牙や爪で攻撃されれば血が出るし、無理やり鱗を剥がすとびっくりするほど痛い。竜の鱗は病を治す薬の素材でもあり、それが竜人が狩られていた理由だった。リンドウはときどき生え変わってこぼれ落ちる鱗を売って、多少の稼ぎにしている。自ら鱗を剥がすことはない。あまりにも痛む。それこそ、生皮を生きたまま引っぺがされるようなものだ。

 黒ずんだ泡が流れていき、繰り返し洗剤をつけて擦る。何度かして、ようやく真っ白な泡になった。頭を洗い、ひげを剃ってひりひりする口周りを撫でつつ湯船に入った。この文化は銭湯というものらしく、極東から来た旅人が伝えた文化だ。そしてその人物は、この地域の人々がアライグマと呼んでいた生物の中にタヌキ、という別種の生き物がいることを指摘したことから、『タヌキ仙人』などとも呼ばれていた。どうも、極東にいるタヌキの近縁種らしく、その人物は亜種、と呼んでいた。南部と北部では毛の量などが異なるものの、目の周りの模様や尻尾の色合い、縞模様の有無など、さらには生態などによる決定的な違いでアライグマとはそもそも根本的に違う生物だとそのタヌキ仙人は言った。

「はぁ……いい加減、忘れろっての」

 冒険者は約三年前に引退した。あの悪魔との戦いの後で、何もかもが嫌になって、それでも三ヶ月は戦ったが……折れた心を繋ぐことなどできず、気づけば酒に溺れていた。何度となく止めようとしたが、無理だった。

 好きだった人と、無二の親友。裏切られたのではない。ただ、知らなかった一面と関係が表出しただけだ。彼女らは、決して何も悪くはない。悪いのはいつまでも女々しく振る舞う、弱い自分だ。

 いい加減、人生と向き合わねば。どこでもいいから、とにかく進まねば。

 そうは思う。そして、ただそう思うだけで行動には移らないのだ。

 きっと、今日も明日もそれからも、今までと同じように酒と微睡の曖昧な現実の中でぼんやりと、夢遊病者のように死んでいるような、そんな日々を送るのだろう。

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