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2022年3月 2日 (水)

鹿児島本線配線図 その1(門司港・小森江)

今回から、ほぼ現時点での鹿児島本線各駅の配線図をご紹介していきます。
元資料には信号機の記載はありませんが、私が前面展望動画等から確認できた範囲で追記しています(閉そく信号機は除きます)。ですので信号機関係には間違いやモレがあるかもしれませんがご容赦下さい。

その1回目は門司港駅と小森江駅です。

01ggkk
・門司港駅にはホームに面した1、2、4、5番線以外にも複数の本線があるようなのですが、どれが本線なのかはよくわかりません(汗)。
・その昔は門司港機関区があり、C59も配置されていたようです。
・また門司港客貨車区も設けられていて、1969年時点では141両の客車が配置されていました。

国土地理院の空中写真を見てみます。
Mcg695c48196912ggkk1
・MCG695-C4-8(1969年12月)を加工したものです。
・機関区には転車台らしきものが。扇形庫はなく矩形庫っぽいです。
・海側には客車があふれています。
・すぐそばの門司にも機関区と客貨車区が設けられており、どのような役割分担だったのかがよくわかりません。

未公開写真を少しだけ。いずれも2001年4月1日撮影です。
20010401ggkk

20010401a9ggkk1

20010401a8ggkk1

20010401a10ggkk1
・有名な駅舎です。

20010401b1ggkk2
・小森江駅です。

20010401c1ggkk2
・振り返って門司駅方を望みます。

 

こちらの記事もご覧下さい。
 2001門司港

 

配線図はキハ65さんよりご提供いただきました。
ありがとうございます。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

>門司港と門司の役割分担
まず機関区については、歴史的な背景が考えられます。
明治44年、本州~九州間の貨物輸送に一大変革をもたらす貨車航送が始まりました。九州側の拠点は、現在の小森江駅付近の海岸に設けられた「小森江桟橋」で、そこから大里(だいり・現在の門司)駅に線路が繋がっていました。この時から、大里は貨物輸送における九州の玄関口となったわけです。そして関門トンネルも大里へ繋がり、ついに「門司」の駅名までこちらに移されました。ですから、門司機関区(かつては大里機関区)は、まず貨物列車牽引機の基地として設けられ、発展したのではないでしょうか。
客貨車区についてはよくわからないのですが、もしかして、門司(旧・大里)の方は元々貨車が主体で、戦後に旅客輸送のジャンクションとしての役割が増し、また門司港が手狭で拡張が難しいこともあって、客車が増えてきたのではないか?と愚考してみました。

鉄ピク誌のアーカイブスセレクションに昔の車両(または動力車)配置表がありましたのでちょっと整理してみました。

●1961年4月時点(動力車のみ)
門司機関区
  D52 6両
  D51 21両
  9600 17両
  C11 28両
  C12 1両
  C50 1両
門司港機関区
  C59 12両
  C12 7両

●1963年4月時点(動力車のみ)
門司機関区
  D52 1両
  D51 17両
  9600 16両
  C11 15両
門司港機関区
  C59 2両
  C11 8両
 
●1968年3月時点
門司機関区
  D51 19両
  9600 15両
  C11 18両
門司港機関区
  配置なし
門司客貨車区
  133両
門司港客貨車区
  142両

●1969年
門司機関区
  D51 20両
  9600 15両
  C11 15両
門司港機関区
  配置なし
門司客貨車区
  120両
門司港客貨車区
  141両

この時代では門司港機関区の本線用機関車はC59のみのようです。クモイ103さんのおっしゃる通り、もともと旅客機関車基地の気配がありますね。
客貨車区については、よくわかりませんでした(汗)。どちらかと言えばオユやマニは門司が多い気がしますが。

1976年の配置表を見ると客車配置は、
門司港運転区 111両
門司客貨車区 76両
となっています。

門司港には、ハ・ハニの他、スユニが3両居ます。
門司には、ハ2・ハフ3・ハニ1と救援車3・事業用2の他は全て荷物車・郵便車・荷物郵便合造車です。なお76両以外に荷貨両用のワキ8000とワサフ8000が11両います。

> この時代では門司港機関区~もともと旅客機関車基地の気配
もちろん九州鉄道の開業当初は、起点ターミナルである門司(→門司港)で旅客用も貨物用も担っていたことでしょう。貨物の拠点が大里(→門司)へ移った結果、旅客機が残ったという引き算でしょうね。
郵便車については、「東門線」という用語もある位で門司は重要な拠点だった様ですから、こちらに多数配置されていたのも頷けます。
荷物車についても、九州内に留まらない広域運用が多いですから、盲腸線の終端駅より大幹線の分岐駅を拠点とする方が効率的だったのではないでしょうか。

クモイ103さん
そのような経緯かもしれませんね。
ちなみに門司港のC59は門司~博多間で特急もけん引していたようですが、鹿児島のC61も特急牽引で門司まで顔を出していたようです。

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