単純労働。体力・器用さ。
社会を維持しているエッセンシャルワーカーの人々は、正規雇用ではなく、非正規・単純労働の側であることが多いであろう。単純労働はシンプルといえばシンプルだが、それなりの体力と器用さを要する。体力・器用さは特技としている人がたくさんいるので(特技でない人は発達障害者であるから)、どうしても、ありふれた能力として低賃金になりやすい。必要不可欠であるからこそ、人間の基本として、たいていの健常者はできるので、低賃金に落ち着くのであろう。さて、単純労働は安くて、管理職の賃金が高い理由は判然としないが、学歴の違いに帰着するのであろう。もし仮に芸能界のギャラの仕組みのようなものがあれば、(つまり大物芸能人のギャラが高いから、若手を起用するという原理で)低学歴の積極的な登用というのもあり得るが、低学歴だから給料を安くできるのかといえば難しいであろうし、どうせ同じ給料を払うのであれば高学歴に越したことはない。外注であれば「うちならもっと安い金額で引き受ける」という競争は資本主義として普通にあるが、正規雇用でそういうことはありそうにない。外注と雇用ではなぜ違うのかといえば、これは資本主義とはまた別の、なにか社会主義的な考えのように思える。労働組合が正社員のものであるから、そうでない人は恩恵を受けられないのもあるだろう。ともかく、体力・器用さが社会機能の根底なのだが、これは稀少性がないので、人間社会の根幹でありながらも特別待遇というわけにはいかない。高度な知的能力は稀少であるが、高学歴の人が増えていることで、人類の知的水準が上がるわけではなさそうだし、なにかしら水増し感もある。