物事に対して警句を発する人をアラーミスト(Alarmist)と言います。文字通りAlarm(警報)を発する人という意味です。アラーミストは他にも”人騒がせな人”や”心配性な人”という意味を持っています。
世の中には様々な物事に対するアラーミストで溢れています。政治や経済、環境や健康、戦争や将来、ありとあらゆる物事に対して存在すると言ってもいいでしょう。代表的なアラーミストと言えばノストラダムスの大予言やY2K問題で騒いでいた人々でしょうか。
もちろんリスクに対して注意喚起をし将来に対して備えを怠らないようにすることは悪いことではありません。アラーミストの存在は漫然と日々を過ごしがちな普通の人々にとって必要不可欠と言えます。
しかしながら過剰にアラーミストに感化され過ぎるのも考えものです。本当にそれだけのリスクがあるか、リスクに対する対策は費用対効果が見合っているかを充分に検討する必要があります。人には必ず認知バイアスが働きます。そしてリスクという恐怖は常に大きく見えるものです。感情的になってアラームへ過剰な対応をすると逆に大きな損失を抱え込むことになりかねません。
アラーミストの語るリスクは検証されていないものがある
未来というのは誰にも分かりません。そして不確実・不確定であることはそれそのものがリスクです。そのため未来を語る際には必ずその分のリスクが含まれます。
よってアラーミストの語る危険な未来というものに対しては、不確定要素がどの程度クリアに見えていて具体性があるのかを私たちは勘案しなければいけません。ノストラダムスの大予言のように具体性の無い推論ということが分かりやすいものもあります。しかしアラーミストの語るリスクはデータを積み上げて構築したほぼ確定的に訪れる予測なのか、推論を重ねただけの適当な推測なのか、どちらであるかがパッと見では分かりにくいものだって多数あります。彼らの語るナラティブの力は圧倒的に強力でつい信じてしまいたくなるものですが、安易に同調せず冷静に分析する必要があるのです。
個人的には環境問題で特に顕著だとは思っています。昨今の環境活動家が大きく語るのはティッピングポイントです。これはある気温を超えると不可逆的に気候変動が進むようになり文明に著しいダメージを与えるというものです。このティッピングポイントはまだ存在する可能性が示されたという段階です。具体的に何℃温度が上がれば起きるのかということも分かっていませんし、そもそもティッピングポイントは存在しないという反対論文だって出ています。まだ検証中ということです。
メディアやアラーミストは商売になるので大きな声で喧伝しますが、根拠なく騒がれて社会問題になった環境ホルモンなどの事例があるように科学的に検証段階のものは騒いでも仕方がありません。まだ早いです。
対策に必要なコストが軽視されることがある
「そうは言ってもリスクがあるのであればそれに対策するべきだろう。思ったよりも危険じゃなくて対策が無駄になったとしても、大したことなくて良かったということで済むじゃないか。」
という意見もあります。このような考え方を予防原則と言います。
しかしながらこれは対策コストが現実的な範囲で済むこと、対策効果が具体的に見込めることが前提でなければいけません。むしろやらない方が良かったなんてことは枚挙に暇がないのですから、物事は注意深く進めるべきです。
この理屈を安易に適用してしまうと「テロの危険があるので先手を打って中東を爆撃する」という戦争すら認めることになってしまいます。リスクがあることと、対策に合理性があるかどうかは別々に考える必要があります。
アラーミストは責任を取らない
最大の問題は、アラーミストは責任を取らないということです。どれだけ社会的に騒ぎとなって膨大な損失と浪費が発生したとしても彼らはその責任を負いません。私たち個人の生活や社会に責任を取らない人々の発言をあまり重く取り扱うのは適切ではないと私は考えます。
大変に判別は難しいのですがアラーミストの中には愉快犯が一定割合で存在することを無視すべきではありません。売名や利益といった私利私欲を活動理由としている人が存在することもです。
さらに言えばアラーミストは陰謀論とも親和性が高いものです。「凡人が気付いていない世の中の真実、隠された真相を私は知っている。それを凡愚共に教えてあげなければ」という上から目線の使命感に駆られてアラームを発する人も居ます。その真実が本当に正しいものかどうかは検証されて然るべきでしょう。
まとめ
個人の範疇であればどう行動しても問題ないと考えます。社会風紀を乱さない限りにおいては自身の財産を何に使うかは自身で決めれば良いでしょう。しかし社会的な意思決定においては別です。皆の財産を取り扱う以上、皆で合意をし堅実で合理的な方法を取るべきです。アラーミストの行動へ安易に同意することは、人様の財産を元手にあての無いギャンブルへ資産を投じるようなものとなりかねないことを注意しなければいけません。勝手に人様の財布を持ち出してギャンブルに行くような人が忌避されるのは、まあ仕方がないですよね。