「現実的な調整能力や意見よりも理想を語れる政治家のほうが良い」と若者に言われました。久しぶりに大きな価値観の違いを見つけることができて楽しいです。
理想と現実
政治家とは理想を語るべきでしょうか、現実を語るべきでしょうか。もちろん極端に片寄るべきではなくどちらもできるのが望ましくはありますが、最終的には現実的な政治家を私は希望します。語ったことを現実にできない政治家はなんの役にも立たないからです。
政治家の仕事
政治家の仕事とは簡単に言えば国民の代表として法律を作ったり行政を執行することです。様々な人々の意見を取りまとめ、調整し、妥協点を模索してそれを現実化することとも言えます。
例えば工業は河川を汚染しますが、そうなると農家や漁師は困ります。そこでそれぞれの言い分を聞いて妥協点を模索するのが政治家の仕事です。「工場は必要だから農家や漁師には多少我慢して欲しい、しかし工場も汚染度合はここまでの基準になるように制限して欲しい」、というようにそれぞれの利害関係者が納得できるところを見つけて法律にするのです。
そのため、皆がより幸せになる妥協点を探して調整できるような政治家が当然良い政治家と言えます。反対に皆が納得できる妥協点を実現できない政治家は駄目な政治家です。先の例で言えば、工場にはどれだけ汚染しても良いと言い、農家や漁師には河川を汚染させないと約束すれば妥協の必要なく合意は可能でしょう。互いの言い分も完全に通って幸福です。しかしそれは二律背反であり、現実には成し得ません。
結果責任
残酷ですが為政者は結果責任です。どれだけ大層な理想を述べたとしてもそれを実現できなければ無能の誹りを受けざるを得ないのです。
アメリカではどの議員が何の法案を出してそれが成立したかという、議員としての成績表のようなものが公開されています。実用主義者の多いアメリカらしい合理性ですが、実際に民衆の役に立ったかどうかは政治家を選ぶうえで重要だということでもあります。
Congress.gov | Library of Congress
少し強い意見にはなりますが、私は清廉潔白な夢想家よりも、多少薄汚い手を使ってでも権力を維持できる政治家を望みます。民主主義国家が多数決によって物事を決める以上、多数派を形成する権力を持った政治家のほうが実現力があるからです。もちろん清廉潔白かつ実現力のある人が理想ではありますが、まあなかなか居ませんので次善というところです。発言に同意できる政治家が二人いて、片方が理想論者、片方が現実論者であれば少なくとも私は現実論者に投票します。政治家は実際に民衆の役に立つ結果を出せなければいけませんし、その実現力が必須です。
余談1:政治家には理想ではなく「物語」を語って欲しい
人気のある歴代の政治家に共通する特徴として、理想を語るのではなく、ただ現実を述べるのでもなく、「物語」を語る能力があったというのが言えます。「こんな日本を作りたい」「日本をこう変えたい」というような物語です。何人か思い浮かぶ人がいるかと思います。個人的な夢想を追うのではなく、現実に打ちのめされるのでもなく、皆を巻き込んで前進するリーダーシップ、それこそが政治首班に求められる資質なのだということの証左でしょう。
余談 2:政治家の仕事
唐突ですが、銀河英雄伝説に登場する自由惑星同盟の政治家ホワン・ルイのセリフが的確で好みです。
目上?政治家とは、それほどえらいものかね。私たちは社会の生産に何ら寄与しているわけではない。市民が納める税金を、公正にかつ効率よく再配分するという任務を託されて、給料をもらってそれに従事しているだけの存在だ。私たちはよく言っても社会機構の寄生虫でしかないのさ。それがえらそうに見えるのは、宣伝の結果としての錯覚にすぎんよ。