度々となりますが、人が成長するかどうかのファクターは大きく分けると2つ、能力(aptitude)と態度(attitude)によります。
そして業績や成果を出せる人は能力の多寡ではなく行動様式によって決まるとされています。この行動様式そのものや成果を出すことができる特性をコンピテンシーといいます。
すなわち成長して高いコンピテンシーを獲得できるかどうかは、能力ではなく態度によって決まります。態度という和訳は少しややこしいのですが、これは人や物事への姿勢、向き合い方という意味です。
好きな格言を一つ紹介します。英語ですが韻を踏んでいてとても語呂が良く、和訳してしまうと伝わらないので和英併記します。
Your attitude, not your aptitude, will determine your altitude (Zig Ziglar)
貴方の才能/能力ではなく、貴方の態度/姿勢が貴方の高さ/高度を決定する
態度の中でも必要なもの
熱心さ、真剣さ、素直さ、高いやる気、前向きさ、失敗を恐れない勇気など、物事へ向き合う時の態度といっても内訳は様々です。これらの例はどれ一つ取っても欠かすべきではなく、バランス良くそれぞれを持っていることが望ましいでしょう。
成長になによりも必要なのは素直さですが、同時に私は負けず嫌いであることも必要な態度であると考えています。もちろん素直さは絶対的価値として必須ですが、その他は差し置いて負けず嫌いこそが成長の根源、成長を望むのであれば最優先で育むべき態度です。つまり素直な負けず嫌いが理想的です。
この場合の負けず嫌いは「勝つことが好き、負けることが嫌い」ということで、ただの「負けることが嫌い」ということではありません。それは怯懦を含むものであり負けず嫌いとはまた別物です。負けなければいいというだけでなく「勝つことが好き」であるということが前提になります。また勝ち負けは必ずしも相手を打ち負かすことではないということも留意願います。
態度全般はどうしても精神論・根性論に誤解されがちなところがありますが、これはむしろ合理的かつ論理的な検討からの帰結です。素直な負けず嫌いであることの合理的価値と注意点について説明していきましょう。
負けず嫌いの利点
負けず嫌いは挑戦を恐れません。なぜならば勝つためにはまず戦わなければいけないからです。負けないために挑戦から逃げるのは負けず嫌いとは言えません。挑戦の対象によっては現時点では勝てないものが出てくるでしょう。そうなれば負けないために必死で自らを鍛え上げ育てる必要が出てきます。勝ちたい、負けたくないという気持ちは向上心の原動力となるものです。
また負けず嫌いは障害を恐れません。障害は新たなスキルを学ぶ良いきっかけです。負けず嫌いは将来も勝ち続けるために様々な技能を学ぶ機会を伺っています。手持ちのカードが多ければ多いほど次も次の次もそのまた次も勝つ可能性が高まるからです。よって障害こそは負けず嫌いにとって新たな技能を習得する得難い機会と考えるものです。
それは同時に新しいことを取り入れる柔軟さにもつながります。硬直的な思考では将来的に勝ち続けることはできないため、臨機応変、才知を巡らし、より良いものを取り入れることに及び腰となることはありません。同じやり方に固執して負けるくらいであれば勝つために新たな手法を取り入れるのです。
負けず嫌いは努力を惜しみません。努力による労苦よりも負けることをより避けたいからです。負けないためには必死で努力することでしょう。そもそも労苦から逃げることこそが負けず嫌いにとっては敗北です。
負けず嫌いは批評を恐れません。批評は己の不足を補い、新たな勝利を得るために己を鍛え上げることにつながるからです。批評は敗北ではありません。批評を足場としてさらなる高みに登れないことこそが敗北であり、負けず嫌いはそれこそを避けたいと考えるものです。
負けず嫌いの課題
もちろん負けず嫌いであることは良いことばかりではありません。勝って成長することではなく勝つことそのものが目的にすり替わってしまうと、卑怯卑劣な愚か者に堕する危険があります。勝つために手段を選ばなくなったり、自らの勝利のために人を貶めるような行為に走るようなことも行いかねません。
また素直さを伴わない負けず嫌いは「負けることが嫌い」ではなく「負けを認めない」ただの頑固者と成り果てます。そうなっては成長など望むべくもありません。
勝つことが目的ではなく、勝って何を得るかこそが重要なのです。姑息な手段を用いて自らの尊厳を貶めることが好みであれば個人の趣味ですので止めはしませんが、美しく輝かしいものを手に入れたいのであれば好んで人道から外れるような行いは控えるよう留意する必要があります。
負けを素直に受け入れ、負けないように努力する。そういった素直で負けず嫌いな態度こそが最も成長に資すると私は考えます。
余談
上司や先輩から叱責を受けた際、瞳に悔しさを滲ませる若者を私は見込み有りと考えています。負けてたまるか今に見ていろ次は目に物見せてやると心の中で奮起する若者は実に成長が楽しみなものです。
瞳に滲む程度であることがポイントです。それは叱責を受け入れる素直さと負けず嫌いを正しく両立している証拠です。
余談2
負けず嫌いという表現は少し取り扱いが難しいですね。負けないためにどのような手管でも使う卑怯者も含意してしまうので。
ただ自らを上げるのではなく他者を下げるような類は好みではありません。素直な負けず嫌い、正々堂々たる負けず嫌いを私は好みます。