煤してあれど

Posted by @mhyk_ko
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2022-01-15 01:34:52

領地を持っているカインの話です。カインとオーエンの間には子どもがいます。名前のあるモブが出ます。甘め。

「ごめん、騎士さまっ」
 出掛ける支度の途中であったカインの前で、オーエンがぱちんと手を合わせた。今朝は少々寝過ごした所為で朝食や支度が慌ただしかった中でのことだ。寝過ごした原因に心当たりのあるカインとしては自分の支度くらいは手を煩わせる必要もなかろうと自ら整えていたのだが、それに関しても朝食の片付けに手間取っていたオーエンは心底すまなそうな顔をしている。だが、今の謝罪は別件であるようだ。
「お昼のお弁当、間に合いそうにない……
 必死の形相で何を言い出すかと思えばそんなことだ。
「だから、あとで届けるから今日は先に行っててよ」
「構わない。……別に、今日くらいは向こうで飯を食っても……
「それは駄目。っていうか、ぼくが嫌」
 徒歩でも然程かからないところに構えた政務所は、詰める者の多くが独り身の男であることから、比較的大きな厨房を備えている。望めば朝昼晩と賄うことも可能だ。カイン自身は休憩を取れる時間が読めないため、普段は弁当持参で詰めている。昼食に戻ることも考えたが、それはそれで手間だ。たまのことであるならば、昼食くらいそちらで済ませようと言えば、オーエンはかわいらしく頬を膨らませて主張してくる。
「ちゃんと作って持ってくから! だから、食べないで待っててよ? お昼までには届けるからさ」
「あんまり遅くならないならな」
「間に合うように持ってくから」
 だから食べずに待っていろと念押ししてくる。カインとしても、それなりに美味ではあるが最大公約数の好みを反映させた厨房の料理を、俺個人の舌に合わせたオーエンの手料理を逃してまで食べたいわけではない。本人がそうまで言うならば拒否することもないと、昼には間に合わせてくれよ、と答えて家を出た。
 政務所に着くと、すでに仕事を始めていた部下たちが口々に挨拶を寄越してきた。数名が、俺が手ぶらであることに気付いたようだ。珍しい、というように声をかけてくる。
「今日は愛妻弁当はなしですか、御領主」
「寝過ごしちまって間に合わないんだって。あとで持ってくるらしいぜ」
 軽く返せば、なにやら負けたなどと呻いて肩を落としている。こんなものに勝ち負けがあるかと応えて仕事にとりかかった。
 片付けても片付けても一向に減る気配のない紙の山にいい加減うんざりした頃、部下が面白がっているような顔でやってきた。カインを認めて含み笑いを見せる。
「お待ちかねのお弁当が届いたみたいですよ、御領主」
 あからさまに揶揄い顔で言ってくる部下に、誰が待ちかねていたかと返したところでどこ吹く風だ。太陽は中天に差し掛かろうとしている。届いたならば昼食にするかとペンを置いた。首を回すとばきばきと嫌な音が鳴り響く。顔をしかめて、午後は少し体を動かしたいものだと紙の山を見て辟易する。凝り固まった体をほぐしながら立ち上がりかけたところへ、軽い足音が聞こえてくる。だが耳にしたカインは、おや、とそちらへ目を遣った。足音は歩幅の小さいであろうものがふたつ、そしてそれはオーエンではない。
「父さま!」
「父上、お弁当持ってきました!」
 跳ねるような姫の声と、誇らしげなちびの声とに眉を上げる。
「おまえたちが持ってきてくれたのか」
「「はいっ」」
 座って声を揃え、ちびは弁当箱らしき布包みを、姫は籠をそれぞれ差し出してくる。持っていくから待っていろと念を押したはずの人物はいない。
「本当にふたりだけで来たのか?」
 言外にオーエンはどうしたと問えば、家にいると返事があった。
……何かあったのか」
 ふるふると姫が首を振る。
「ぼくと姫で、お使いに来たんです。母上は、家で待ってるから行っておいでって」
 話を聞く限りは、取り立てて何かがあったわけではないようだ。おそらく、たまには子どもたちだけにおつかいを任せてみようとでも思ったのか。差し出された弁当は、広げて見なくてもカインひとり分とは思えない量だ。子どもたちもいっしょに食べてこいという意味だろう。
「父さま、父さま、あのね!」
 なぜか目を輝かせて、姫が籠からそっと紙を取り出した。そして、カインに耳を貸せと言ってくる。ないしょ話にしては些か大きな声で、娘は紙を示した。
「私、お手紙預かってきました」
「手紙?」
 姫に託すとなれば妻以外にはいない。受け取りはしたものの、わざわざ何事かと不審な顔の俺の前で娘はさらに笑みを深める。ないしょ話にするつもりがなくなったのか、いたって普通の声量だ。
「はい! あのね、母さまから父さまへ、らぶれたーです!」
 思わずぐしゃりと握りつぶした。
「あー! ぐしゃってしたらだめー!」
……姫」
「はい」
「何だって?」
「らぶれたーです! あ、読んで、お返事もらってきてねって、母さまが言ってたの。父さま、お返事ください!」
……あいつ……!」
「奥さまもお考えになりましたな」
 低く呻いたカインを横目に、感心したように部下のひとりが呟く。娘経由ならば筆不精の俺に無碍にはされないとでも思ったのか。睨めば誤魔化すような微苦笑を浮かべて書類に目を戻す。握りつぶすなと文句を言う姫に負けて、皺を伸ばして懐にしまう。返事云々はともかく、後で目だけは通すことにした。訳知り顔で目配せし合う部下たちをひと睨みして腰を上げる。
 それぞれに持ってきた荷をもう一度持たせ、広間へ移る。口々に声をかけてくる部下に律儀に挨拶を返す子どもたちに苦笑した。
「お待ちかねの愛妻弁当が御到着ですか?」
「まあな!」
 照れ隠しに黙ってさっさと食っていろと返し、一画に腰を降ろす。広げて中を覗き、カインは眉を上げた。
「おまえらもオーエンといっしょに作ったのか?」
「うん!」
「はい!」
 胸を張って目を輝かせている。よくできたなと告げればくすぐったそうに笑った。見た目は少々不格好だが、この年頃の子どもたちが作ったにしては――オーエンの監督の元だとしても――上出来の部類だろう。少しばかり歪な三角のおにぎりを手に取る。カインの片手で包めそうな大きさは、オーエンの手によるものではない。顔を見るに、姫が握ったか。
 なるほど、と得心した。だから子どもたちだけで持ってきたのか。オーエンもそれなりに手を出しているだろうが、これを作ったのはちび助と姫だ。だからふたりで持って行きなよ、とでも送り出したのだろう。
 おにぎりを口に運ぶ。握り方が甘いのか、一口齧った途端にこぼれそうになる。それでも。
「どう? 父さま? おいしい?」
「うん。うまいな。塩加減はちょうどいい。俺好みだ」
 世辞ではなく、味は十分合格点だ。姫は両手で頬を包み、恥ずかしそうに、だが満足げに笑う。息子が小皿に煮こみを乗せ、こちらもきらきらとした顔で差し出してきた。握り飯を飲み込んで受け取る。
 幾つも取り分けてある、飾り切りの施された二股ニンジンはオーエンの作った物に比べれば不揃いだ。レインディアーの肉の大きさも違っている。なるほど、これはちびが切ったものか。ならば、とニンジンにフォークを伸ばした。口元を見つめて期待と不安を滲ませるちびに、苦笑をかみ殺しながら味わう。
「うまいじゃないか」
「ほんとうですか!?」
 カインの一言に、不安が一瞬で歓喜に変わる。威勢を取り戻した子どもたちがきゃあきゃあとはしゃぎながらそれぞれにカトラリーを動かし始めた。その合間にも、これは私が切ったの、こっちはぼくが味付けしたの、と横から説明を挟んでくる。子どもたちへだけならばともかく、自分に対してまで微笑まし気な視線を送ってくる部下たちはやや鬱陶しいが、怒鳴りつけるほどではない。子どもたちの目が弁当に向いた隙を突いて睨み付けておき、手製の料理の数々を平らげた。
 弁当箱を空にして紅茶を飲んだところで、ちびが首を傾げてカインを見上げた。
「父上、ぼく、お手伝いすることありますか?」
「私も! 私もお手伝いします! 父さま、なにしたらいい?」
 今カインが格闘しているのは、領地経営に関する事務仕事だ。子どもたちの手に負えるようなものではない。だが、だからといって無碍にするにはふたりの顔は期待に輝きすぎている。さてどうしたものかと考えて、いい案が浮かんだ。
「少し昼休みをしたら、鍛練にかかる。相手をしていけ。終わったら一服するから、姫はその間に紅茶の支度をしてくれるか?」
 ちび助が顔を輝かせ、反対に姫は頬を膨らませる。その丸くなった頬を指先でつついた。
「その籠、お茶菓子か何か持ってきてるんだろう? それに合わせて用意するんだ。できるか?」
 妻のことだ、子どもたちを使いに出すならば菓子のひとつも用意してあるだろう。差し出しはしたが、まだ開けようとしない籠の中身を指せば、予想通りに肯定が返る。オーエンの菓子に合わせるのだと聞けば、姫の不満顔も晴れた。
「父さま、私ね、母さまからお茶のいれかたの、特訓してもらったの!」
「そうか、そりゃ楽しみだな」
 でしょう、と胸を張って早々に厨房へ向かおうとする娘を苦笑いで引き留める。
「少し食休みしてからだ」
 しばらく休めと、部下にクッションを出させて横にならせた。素直に寝転んだものの、ちび助が心配そうな顔で見上げてくる。
「父上、ごはんのすぐ後に寝ると、牛にならないですか?」
 吹き出しそうになり、何とか飲み込む。
「おまえらじゃ、なっても片手で持てる子牛だな。簡単に捕まえられる」
「でもでも、牛さんたくさんの中に入っちゃったら? 父さま、私と兄さまのこと、わからなくなっちゃうよ?」
「うん? そんなわけあるか。すぐに見つけてとっ捕まえて、うちまで連れてってやる」
「牛さん連れて帰ったら、母上がびっくりします」
「あいつにだって、おまえらだってすぐにわかるに決まってるだろ」
 丸くなった琥珀色と深紅が交わって、くふくふと笑う。
「ほんとう? 父上」
「おう。それに母さんは動物の言葉がわかるんだ」
「ね、父さま。絶対の絶対? 見つけてくれる?」
「ああ、すぐに見つけてやる」
「じゃあ、母上がびっくりしないくらいの小さい牛さんになります」
「私も! かわいい牛さんになるの」
「あいつまでいっしょになって牛になるとでも言い出しかねないな」
「そしたらね、三人で牛さんになって、父さまにお世話してもらうの」
「そりゃ大変そうだな」
 軽く返して頭を撫でる。
……ほら、もう寝ろ」
 柔らかい髪をゆっくりと梳いた。しばらくは笑っていた子どもたちの瞼が徐々に下がっていく。どちらの口からも落ち着いた規則正しい寝息が聞こえ始めた。小さく笑って手を止め、上げた目に部下の顔が映り、ばつの悪さを誤魔化すように睨みつける。
……なんだ?」
「いえいえ。……あの若者がこうもよき御父君になられたかと、感慨深く思っておりました次第で」
……おい」
 わざとらしく目頭を押さえて見せる年上の部下に、さっさと仕事に戻れと手を振って追いやる。ふたりが目を覚ますまではカインもしばし休憩だ。耳に届くのは、小さな寝息と人の騒めき、かすかな葉擦れの音ばかりだ。厨房を任せている女性が、子どもたちを気遣ってか、そうっと近付いてくる。すっかり空になったカップを新しいものと取り換えて、寝顔を微笑ましそうに見て戻っていった。
 滅多にない休息時間だと心得ているのか、部下たちはそれぞれに仕事に戻り、こちらのことは意図的に無視している。視線を寄越すものすらいないことを確認して、懐から紙を取り出した。姫曰くのラブレターだが、広げて目を通して小さく笑う。ラブレターと呼ぶには、少々色気の薄い文だ。昼食の弁当は子どもたちの手製であること、カインが食べるのだからと張り切って作っていた様子を記してある。お手伝いをしたいと言っていたから、簡単な仕事があれば任せてやってくれとも書いてある。娘に返信をもらってくるよう告げたというわりには、返事を必要とする文面ではない。ただ、今夜はできれば夕飯に間に合うように帰ってきてくれと乞う文字は、そうと思えばラブレターと言えないこともない。ラブレターと言われたときは返事など書くものかと思ったが、こうまで返信を当てにしていない文面ではむしろ意地が出てくる。どうしたものかと、流麗な文字を見ながら思案した。
 半時ほどした頃、姫がもぞもぞと身を捩った。見ていれば、顔をしかめてもごもご言いながら半身を起こす。しかし完全に覚醒した様子はなく、しきりに目元を擦っては大欠伸を繰り返した。
「もう少し寝てたらどうだ」
 手紙を懐にしまい直し、半分夢の世界の娘へ声をかける。
「むー……
 聞こえているのかいないのか、ごにょごにょと喃語のような声を漏らし、カインの膝ににじり寄って頭を乗せてきた。
「おい?」
「とーさまー……ひざ、まくらー……
 ごろりと寝転がった直後に浮かべた笑みが、あまりにも安心しきったもので毒気を抜かれる。仕方がないと、片手でその母譲りのやわい髪を撫でた。
 さらに半時ほどして、今度はちびが身を起こした。大きな欠伸をひとつしたが、その後はすっかり目が覚めた様子だ。カインの膝枕を占領している姫に、羨ましげな視線を寄越す。軽く手招きして隣に座らせた。
「もう少し寝るか?」
 膝枕で、と言外に含みを持たせるが、ちびは首を振る。
「起きます。だって、起きたら父上が稽古をつけてくれるんでしょう?」
「姫も目を覚ましたらな」
 半分ほど飲んだまま、すっかり冷めていた紅茶を飲むように示した。一度大きく伸びをして、素直に手を伸ばす。
「もっと飲むなら向こうでもらってこい」
「父上も飲みますか?」
「そうだな、一杯もらってきてくれ。頼むよ」
「はい!」
 カップ片手に立ち上がった息子へ、姫の分の白湯も持ってくるよう告げる。厨房へ入り、中にいた女性たちと話している後ろ姿を見ていると、膝の上の姫がもぞもぞと身動いだ。ややして、こねこのような大欠伸をしながら身を起こす。
「お目覚めかな」
 ごしごしと目元を擦り、もう一度欠伸をしてカインを見る。
「おはよー……ございます、父さま」
「おう。昼寝だけどな」
 戻ってきたちびからカップを受け取り、姫に白湯を呑むよう促す。息子も紅茶ではなく白湯をもらってきたらしく、隣に座ってゆっくりと飲み干した。
 直接急かしはしないが、そわそわと期待を寄せる彼の視線に負け、飲み終えると早々に腰を上げた。練習着に着替えて鍛錬場に出る。何組か稽古を行っている姿があったが、すでに息子を相手に鍛練を行うことが知られているのか、端から近い一画が開けられていた。動きを注視しながら体をほぐすように指示をする。真剣でこそないが、剣の稽古をつけるようになってすでに一年以上が過ぎている。準備をする際にカインの注意を受けることもほとんどなくなった。
 木剣を握らせ、構えたカインと相対するように構えの格好を取らせる。合図とともに打ち込んできた。受け、二三度打ち交わして一歩引く。勢い付いた息子が踏み込んでくるところへ、逆に薙ぎ払う。数度打ち合って、引き、押してを繰り返した。
「踏み込みが甘い」
 ぐっと木剣に力が籠った。降りかかってくる剣を軽く躱し、刃先が下がったところを上から叩く。重力に従い、息子の手から落ちた。拾って柄側を突き付ける。
「握り込みが緩い。もっとしっかり握れ。ただ、必要以上の力は込めるな」
……はい!」
「武器を落とさないに越したことはないが、それごと持っていかれるくらいなら、いざというときは武器を捨てろ」
 息は荒いが、眼差しの力は強いままだ。わかりましたと強く応える息子にもう一度剣を握らせる。
 剣を習いたいと息子が言い出したとき、カインは即座に頷いたのだが、オーエンの方は最初は気乗りしないと言った。まだ早いのではないかと難色を示し、もう少し体がしっかりしてからでいいのではないかと渋面を作ったものだ。だが、真剣の扱いはともかく、基礎の動きを身に付けるには今のうちからの方が良いと、カインが押し切った。ちびが珍しく強く主張したこともあり、オーエンも不承不承同意して稽古を始め、すでに一年余りだ。砂地に水が染み込むように、その身は剣技を己の物にしている。同じ年の部下の息子も、さすがに彼を父に持つだけあり、その年頃から考えれば目を瞠る運動能力だが、我が子は同じほどの腕前か、さらに上をいくと思われる。微妙な腕の差が競い合う励みになるのか、切磋琢磨する少年たちの上達ぶりは驚くほどだ。部下たちが喜々としてつける稽古にも十分に付いていっている。
 剣を握り込んで、もう一度と息子が言う。笑って見返し、その目の端に映った部下の顔に振り返って渋面を向けた。
……何か言いたそうな顔だな?」
「いやぁ、とんでもない! ただ、あの若……っと、失礼、御領主が御子に手ずから稽古をつけるお姿を見る日が来ようとは、数年前は思いもしなかったなぁと」
 部下は涙など一滴もない眦を拭って見せる。彼と言い、古参の部下たちの近頃の揶揄いは目に余る。ただし、先頭に立って揶揄ってくるのがオーエンであるためあまり強く言えない。何よりその揶揄いは、子どもたちに関わることである以上、彼らの目のある場所でのことだ。なおさら文句も言えず、いまのところは睨むだけで済ませている。
「ところで若、その剣、そろそろ短くなってやしませんかね?」
「え?」
 カインの不機嫌を察したらしい部下が、わざとらしいにこやかさで息子の手の木剣を指差した。息子が首を傾げて手元を見下ろす。ここしばらく練習用にと使っているものだ。
「最近背丈も伸びたようですし、もう少し大きいものに代えてみては? 握り込みが甘いのも、手が大きくなってきたからじゃないですかね」
 言われてみれば、と剣を握るちびの手を見た。彼の体格を見て誂えたものであったが、当の本人が成長すれば合わなくなるのも道理だ。
「せっかくなんで、俺が新しいのお作りしましょう」
 妙に喜色を浮かべる部下を半眼で見遣る。
……おい」
「はい? なんですか? 御領主」
「余計な彫り込みなんか入れなくていいからな」
 練習用に用意してある木刀や木剣の半分近くは、武器製作を趣味としている彼の手によるものである。それはいいのだ、助かっている。ただ、趣味なだけにカインとしては頭の痛い部分もある。
「えー? なんでですか、いいじゃないですか。ドラゴンとかリヴァイアサンとか! いや、若さまだとやっぱり狼ですかね? 格好いいの彫りましょう!」
 彼作の武器には、カインには無駄にしか思えない装飾が施されているのだ。決して邪魔になるほどのものではないのだが、意味があるのかと首を傾げざるを得ない。子ども相手にどんな図柄がいいかと訊く部下の頭に木剣を振り下ろした。すかさず避ける部下に、重ねて余計な柄を入れるなと釘を刺すが、聞いているのかいないのか。
「狼の絵に、百合の花を添えるってのはいかがです?」
 確実に聞いていない。困惑頻りのちびに、気にするなと慰めの言葉をかけてもう一勝負するぞと木剣を構えた。
 一頻り体を動かし、満足とまではいかないが鬱憤は晴れたところで稽古の手を止めた。ちびの息は上がっているものの、疲労困憊というほどではない様子だ。目に入る四阿の一部で、姫がティーセットと菓子を並べて準備万端整えて待っていた。手を洗ってから、と小さな体を担ぎ上げて手洗いに運ぶ。ついでに、濡れタオルで体を拭いて着替えさせた。
「父上、今日のおやつはおだんごなんです」
 着替えながら、ちびが嬉しそうに菓子の説明をしてきた。
「ぼくのと姫のと、あと差し入れのはあんこ入りだけど、父上のは特別にあんこなしで、きな粉まぶそうね、って母上が」
 特別、という言葉をそれは幸せそうにちびは口にする。オーエンがそう説明したのだと思えば気恥ずかしいものはあるが、息子が嬉しそうにしているならば異を唱えることもあるまいと苦笑いを飲み込んだ。姫の元に戻り、説明通り別に分けてあった餡なしの団子を受け取る。きな粉に控えめながら甘みが付けられているので、カインの口には十分だ。ちらちらと見てくる子どもたちに一口ずつ食べさせてみたが、甘くないと不満そうに言って、自分たちのための――オーエンに似たのだろう、おそらくはかなり甘く作られた――餡入りへ齧り付いている。オーエンの特訓を受けたのだという姫の淹れた紅茶は、甘みと渋みがちょうどいい。上出来だ、と褒めてやれば胸を張る姿が微笑ましかった。
 休憩が終われば再び事務仕事だ。となれば子どもたちにできる手伝いはなく、先に帰るよう促す。素直に帰り支度をしたものの、玄関先で姫が大きな声を上げた。
「姫? どうかしたか」
「父さま! お返事ください! まだもらってないです!」
 ちっと舌打ちをする。
「ちってしたら駄目なんですよ! 母さまの、らぶれたーのお返事!」
 せっかく上手く忘れていたというのに、最後になって思い出してしまったらしい。もらわなければ帰らないと言い張る娘にため息を吐いて、手近にあった紙を一枚取り上げる。興味津々で見上げてくる娘に、見ないのが礼儀だぞとウインクすれば、慌てて両手で目を隠した。なぜか同様に目を閉じるちびに苦笑しつつ、紙の上にペンを滑らせる。インクが乾いたことを確認して細く折り、ひと結びした。
「ほら」
「こんなにちっちゃいお手紙なの?」
 不満そうな姫に、これでいいんだよ、と返してちゃんと届けてくれな、と念を押した。
「気を付けて帰るんだぞ」
「はぁい!」
「わかりました」
 空になった弁当箱と籠をそれぞれ片手に下げ、片手を繋ぎ合って帰っていく子どもたちを見送り、ひとつ伸びをした。まだ山積みの書類はあるが、オーエンから念押しの手紙が来た以上は夕飯までには帰りたい。さっさと済ませてしまおうと、鬱陶しい部下の視線を無視して政務机に向かった。
 日が沈みかけた頃、部下たちの方がそわそわと気にし始めたので、急かされる気分になりながらもペンを置いた。喜色満面で帰れと促す部下に、腑に落ちないものを感じつつも帰途に着く。帰りついて玄関のドアを開け、声をかけて出てきたオーエンの顔にさらに釈然としないものを覚えた。
「あれ? もう帰ってこれたわけ?」
 心底驚いてるんだけど、という顔だ。カインの背中越しに外の空色を見て、まだ明るいことまで確認してくる。
「おまえが妙なもの寄越すから、わざわざ切り上げて帰ってきたんだぜ。不満か?」
「まさか。おかえりなさい。ご飯もうちょっとかかるから、先にお風呂どうぞ。……あ」
 喜々として答え、中に戻ろうとしたオーエンだったが、ふと足を止めて振り返る。わざとらしく口を尖らせて睨んできた。
「返事は嬉しかったけど、最後の一言が足りないんじゃない?」
 カインが姫に持たせた手紙のことだ。オーエンが口を尖らせたまま――目の奥にはにやにや笑いを含ませて――懐から結び文を取り出して開く。
「『難波人 葦火焚く屋の 煤してあれど』?」
 オーエンが声に出して一文を読む。賢者さまの世界の古歌の文句を書き付けたそれには、本来続くべき下の句はない。
「そりゃあさ、最近自分でも所帯じみてきたなって思うけどさ、ここで切るのはないんじゃない?ぼく、そんなに煤けてる?」
 下の句を知っているからこそ、オーエンは見せつけるような不満顔を作った。不満を見せながら、それでも笑い交じりに、さあ続きを書けよ、と突き付けてくる連れの手を取る。そのまま引き寄せ、耳元に口を寄せた。
……『己が妻こそ 常めづらしき』」
 低い一言に、真白い肌が一瞬で染め上げられた。見返してきた瞳が見る間に潤み、そのまま崩れ落ちる。無言で見上げてくるオーエンを口の端を吊り上げて見下ろし、風呂に入ってくるとだけ告げて足を進めた。衆目のある場で娘にラブレターだのなんだのと言わせた連れへ、わずかばかりの意趣返しだ。もっとも、諸刃の剣でもあったために、カイン自身もオーエンの目がなくなったところで紅潮した顔を片手で押さえたのであったが。
 風呂から上がり、髪を拭きながら戻ったリビングで食卓を眺めてカインは呆れた。豪華なフルコースとまではいかないが、普段に比べれば豪勢な内容だ。だが、昼食同様に少々不格好なものが多い。ちらりとオーエンに目を遣れば微苦笑を浮かべており、子どもたちはと見れば輝く顔で居住まいを正している。そう言えば、帰ったカインを出迎えにも来なかった。おおかたこちらに手間取って出られなかったのだろう。
「今日のご飯は、子どもたちの手作りだよ」
 オーエンの言葉に、飛び上がるように立ったちびが皿に山盛りにして差し出してくる。姫の方はスープを縁ぎりぎりまでよそい、震えながら摺り足で持ってきた。下手に声を掛ければぶちまけるとわかっているだけに手助けもできない。そっと持ってきて食卓に置き、任務完了とばかりに大きく息を吐いた。その頭を撫でてやると、それはうれしそうに笑う。
 美味ではあるが妙に緊張感を強いられる食事が終わると、今度はビールを注ぐだの肩を揉むだのと口々に言ってくる。止める気配のないオーエンは何かを知っているのかと視線を遣っても、小さく笑うばかりで応えようとはしない。どうにも落ち着かないほどの至れり尽くせりに、どうしたものかと思っていれば姫が小さく欠伸をした。潮時だろうと、そろそろ寝ろと促した。それでもまだ起きていると言うのを、何とか言い含めてベッドルームへ連れて行く。
 一応兄妹で寝所は分けてはいるが、繋がったドアを隔てた隣同士だ。同室のようなものである。それぞれの部屋でベッドを整え、着替えに手を貸して寝かしつける。どちらにも手が届く場所に腰を降ろしたカインを、子どもたちの目が見上げてきた。
「父さまー」
「なんだ」
 応えるカインの声に、姫がふくふくとした笑いを浮かべてベッドに潜り込む。
「おい、姫?」
 もぞもぞと潜り込んで、カインの側から顔を出した。
「ちゃんと枕に頭乗せて寝るんだぞ」
「ちょっとだけ」
 姫を見ていたちびが、同じようにしてベッドの中を移動した。
「なんなんだ、今日は」
 呆れるカインの膝に、小さな手がそれぞれの布団から伸びてそっと触れた。困ったものだと思いはするが、外さずにその手を取る。
「寝るまでそばいてやるから」
 心配せずに寝ろと、カインよりも高い体温の小さな手を握り返した。しばらくはごろごろとしていたが、さすがに疲れていたのだろう、然程の時間もかからずに姫が寝息を立て始める。落ちては開く瞼をこじ開けようとしているちびに苦笑して、手を外して髪を撫でた。数度梳けば、すっかり重くなったらしい瞼が落ち、そのまま寝息が聞こえ始める。結局横から顔を出した格好のまま眠ってしまった子どもたちを、ベッドに寝かし直してブランケットを整えた。ドアを閉めて灯りを消す。
 戻ったリビングでは、オーエンが小さな紙を眺めていた。自分からの返信だ、とわかって渋面を作る。
……まだ見てるのか」
「だって、おまえからのラブレターなんて滅多にないんだもん」
 半分だけど、と揶揄いの混じった目を向けられ、続きは言ってやっただろと返す。丁寧に折り直して懐に仕舞う。その仕草に気恥ずかしさが湧いた。腰を降ろしてひとつ咳払いする。
……それで」
「ん? なぁに?」
「いい加減種明かししろ。なんだったんだ、今日は」
 ああ、と頷いてオーエンが笑う。
「父の日だよ。前にさ、賢者さまが、言ってたじゃない? お父さんにありがとうを言う日。ちょうど今頃の時期だったなって思って、お弁当作りながらあの子たちに言ったら、自分たちもするって言うから」
 まずは、と弁当作りを自分たちでして、さらに手伝いをするのだと張り切っていたのだと言う。
……おまえが寝過ごしたところから仕込みか?」
 目を丸くしたオーエンが、ぷっと吹き出す。
「違うよ、寝過ごしたのはほんとだよ。……誰かさんがぼくに意地悪したから」
「もう一回ってねだったのはおまえだろ」
「聞こえないな」
 声を上げて両耳を塞ぐ。その手を掴まえて外させ、笑うオーエンを腕の中に閉じ込めた。
「感謝、な」
「なに?」
「別に」
 艶やかな月色の髪を撫でる。抱き込み、その輝く髪をひと掬いして口付けた。オーエンに素直に感謝をされる、ということに座りの悪い思いがする。領地に戻り、オーエンとのふたり暮らしとなったことに不満などなかった。それでも今の暮らしを考えると、苦労や騒ぎや心配事は多々あれど、ふたりきりの暮らしに戻りたいとは思わない。
 オーエンを腕に抱き、子どもたちを、領民を守る。その暮らしに感謝をしているのは自分の方だ。
「騎士さま?」
 不思議そうなオーエンを抱き締める。口にはできないカインの想いを察したか、柔らかく微笑んだ連れはその細い腕をカインの背に回した。
「ぼくからも、ありがとうね、騎士さま。いっぱいいっぱい、全部のことに」
……おう」
 数えきれない想いを込めて、カインはその体を抱き返した。


 返事をもらってきたの、と誇らしげな娘から渡された結び文に、オーエンはむしろ困惑した。姫にラブレターなどと言って渡したのは、生活習慣と現在の領主という立場ゆえに人目のあるところでは直截な愛情表現をしてはくれなくなった旦那さまへの悪戯心だったのだ。そういう性格であるとは承知しているのだし、それに不満があるわけでもない。ただ単に、本当に、ちょっとした出来心だったのだ。帰ってきたら怒られる覚悟すら決めていたオーエンとしては、事務用の紙にではあろうとも返信があっただけでも信じられない気分だ。
「あ、ありがとう…………父さまはなにか言ってた?」
 ラブレターの返事というよりは果たし状でも受け取った気分で、オーエンは幼い伝令に恐る恐る尋ねる。
「えぇっとね、らぶれたーのお返事くださいって言ったら、これ書いてくれたの。それで、私が、こんなにちっちゃいお手紙なの、って言ったら、これでいいって」
「これで?」
 いったい何が書かれているのか、開くのが恐ろしい。迷うオーエンに構うことなく、子どもたちは夕飯の支度をするのだと張り切り始めた。アリッサと、彼女の子どもたちと共に夕飯のメニューを話し合う姿を見ながら、そっと結び文を解く。
……『難波人』?」
 案外丁寧な字を書くようになったカインの手跡で、短い古歌らしきものが記されている。オーエンの記憶にない歌だ。
「『難波人 葦火焚く屋の 煤してあれど』……
 口に出して顔をしかめる。葦を燃やす家のように煤けているけれど、といった意味だろう。だがそれだけでは全くわからない。ラブレターなどと言って渡した意趣返しにしても意味が通じない。首を捻るオーエンに、子どもたちとの話し合いの輪から外れたアリッサが声をかけた。
「奥方さま、そろそろお夕飯のメニューが決まりますけれど……どうかなさいましたか?」
「アリッサ、この歌知ってる?」
 ここは中央の国で生まれ育った人間の出番だろうと紙を見せる。一時期アーサーにも仕えていた彼女ならば、古歌の類には精通しているはずだ。騎士さまからの文なのだが意味がわからない、と素直に白状するオーエンに、一言断ってからアリッサは覗き込んだ。
……あら、まあ」
 一読して感嘆の声を上げ、なぜかくすくすと笑う。
「どうしたの?」
「失礼しました。異国の古い歌の上の句ですね。詠み人知らずのものですが、そこそこ有名な歌です。……まあ、御領主さまも隅に置けませんこと」
 ふふふ、と乙女のように頬を染めて恥じらっている。疑問符を浮かべるオーエンに気付いて、子どもたちの目がこちらに向いていないことを確認してから声を潜めた。
「この歌には続く下の句がございますの。――『己が妻こそ 常めづらしき』と」
 アリッサの言葉を一度繰り返す。手にしていた手紙の上の句から続けて口にして、意味を反芻したオーエンは赤面した。
………騎士さま……っ」
 微笑まし気なアリッサの視線が恥ずかしい。
「御領主さまは、ずいぶんと情熱的ですね」
「えーと、うん……そう、だね……………あの、さ」
「大丈夫です、ご安心ください。口外はいたしませんから!」
 彼女がそう請け合う以上は決して外に漏れることはないと安心できるが、しかしアリッサにだけであっても知られてしまったことが恥ずかしくてたまらない。ラブレターなどと言ったオーエンへの意趣返しか、それとも本心からそう思ってくれているのか。帰ってきた騎士さまをどんな顔をして出迎えればいいかと悩むオーエンではあるが、何が何でも続く下の句を書き加えてもらおうと心に決めて帰宅を待つのだった。



難波人 葦火焚く屋の 煤してあれど 己が妻こそ 常めづらしき

 例え葦火を焚いて煤けてしまった家のようであったとしても、おまえひとりが今でも変わらず愛おしくてたまらない。




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