:東宝の母体となる阪急グループにとって、東京・世田谷区にある砧撮影所に対する思い入れはない。ヒットせず、利益を上げない映画をつくり続ける社員がいるくらいなら、優秀な外部の制作プロダクションに発注すればいい。人件費を下げた分、撮影所というハードに投資すればいい。こうして東宝はどんどん制作から離れ、配給と撮影所管理に走ります。

制作側に「思い」があった「仁義なき戦い」と「日本沈没」

話は少し遡りますが、1973年が東宝と東映の転機とも言える大ヒット作品が生まれました。それがタイトルにある東宝の「日本沈没」と東映の「仁義なき戦い」です。

 春日さんは、この2作品に込められた脚本家や制作者の思いを丁寧に描いています。「仁義なき戦い」では、脚本家笠原和夫さんと監督深作欣二さんの、「無責任な体制のため、多くの人間が命を落とす。戦後になっても、この国からそれが改められることはなかった」ことへの批判。「日本沈没」では、監督の森谷司郎さんと特撮監督の中野昭慶さんの「いい加減さの中で数多くの人間が死んでいく」ことへの嘆き。森谷さんも中野さんも終戦後、中国から引き揚げて来た経験があったんですね。

 このパートだけ、つくり手の思いを強調していて、淡々とした語り口が多いこの「仁義なき日本沈没」のなかでは浮いているパートのように感じました。

:つくり手が思いを込めてつくったものには魂が宿る。魂が宿った映画は面白いし、大ヒットする。この点を訴えたかったので、他のパートとは異なっているかもしれません。現在の日本映画界は、この点をあまりにも無視し過ぎていると思っています。

「仁義なき戦い」シリーズと「日本沈没」両作の現場の熱気を伝えるエピソードを、幾つも書き込んでいますね。例えば、「仁義なき戦い」では、当時の国鉄京都駅構内で国鉄の許可なくゲリラ撮影した刺殺シーン。

 なにせ無許可ですから、現場でリハーサルなどできようはずもありません。スタジオで入念にリハーサルを済ませ、スタッフと出演者の段取りを組み、電車がホームに滑り込む時間まで計算して撮影を成功させたとか。「日本沈没」冒頭に映される、野球場や歩行者天国など日本の繁栄を示す映像は、カメラマンの木村大作さんが自主的に全国を回って撮影してきて、監督に見せて採用されたという逸話も、胸に迫るものがありました。

:スタッフが死ぬ気でつくった結果生まれたものには、魂が宿っています。すごい商品とはそういうものではないでしょうか。映画産業が低迷している。次の一手を打たなくてはいけない。「だったらすごい作品をつくってやろうじゃないか、この野郎」といった理屈を超えた現場の熱気が観客を巻き込んだ。それが「日本沈没」と「仁義なき戦い」という、東宝と東映にとってブレイクスルーとなる名作をつくり出したのだと思います。

 入念にマーケティングして、綿密に計算した企画とマーチャンダイジングの下でつくれば、そこそこの作品ができます。でも、それ以上にはなりません。今の日本映画界に必要なのは、「仁義なき戦い」や「日本沈没」を生んだ現場の熱気だと思います。

すると、制作の現場にもっと自由度を与えれば、日本映画界も活性化するのでしょうか。

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