あの2作は文句なく面白い。春日さんも熱の入った書きっぷりですね。「椿三十郎」のラストシーンのエピソードにはわななきました。三船敏郎が仲代達矢を斬りつけて血しぶきが飛ぶ様子が、あまりにリアルなので、事故かと思ってわき役たちが呆然と立ち尽くした。その様子が、映画にそのまま使われたんですよね。読んでいて、大ヒットするのもむべなるかな、と感じました。
春:黒澤監督もさることながら、黒澤監督を信じた東宝の経営陣の姿勢も、大ヒットにつながった理由と言えます。東宝側は、黒澤監督を独立させて、予算や撮影期間などには制約をつけました。しかし、商品である映画の内容には口を出さなかった。黒澤監督は素晴らしい映画をつくる才能があると信用したんです。
東宝には、こうした才能を見抜く力を持った藤本真澄や森岩雄のようなプロデューサーがいました。2人とも制作の現場を知り尽くしています。現場を理解できる人間が経営側にいたことが、「用心棒」と「椿三十郎」といった競争力のある商品を東宝がつくり上げる背景にあったことは忘れてはいけません。
この2作の大ヒットに打ちのめされたかのように、東映時代劇は凋落の一途をたどります。それまで正月興行と言えば東映の時代劇だったのに、62年は「椿三十郎」が18億円の配収でトップに躍り出ました。
量産化で寿命を縮めた東映時代劇
春:もちろん「椿三十郎」の圧倒的な面白さもありましたが、そもそも東映時代劇が粗製乱造に陥っていたという前段があります。
60年に第二東映まで設立して、「10日で一本撮影していた」「幹部は3日に一度は試写を見る状態だった」とありますね。10日で一本撮影できるのかと感心さえしました。
春:現場の努力は並々ならぬものがあるでしょうが、映画自体はつまらなくなります。結局、ヒットしない理由は「つまらない」という一言に尽きます。実はこの後、東宝も量産体制に入って観客が入らなくなるんです。年間50~60本は制作していましたから。
なぜ量産体制に走ったのですか?
春:制作の効率が良いからです。衣装もセットも使い回しができる。ある程度のプロットやキャラクターができているから脚本もつくりやすい。シリーズ化し始めた頃は、客にも安心感があって手堅くヒットします。新しい作品を上映すれば上映するほど、観客が入るという発想でした。
それでは観客は飽きてしまいますね。
春:東宝で言えば、「また森繁久彌の『社長』か」「主演はクレージーキャッツか」と、うんざりされてしまう。観客だけでなく、つくり手側も飽きてしまい、制作意欲が落ちます。
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