そしてこれが大成功。異例の大ヒットにつながります。豪華絢爛な衣装を身にまとった主人公が、ほとんど動かずに敵を斬り倒す東映のファンタジーに対して、黒澤監督はリアリズムを徹底する。役者もそれに応えて、三船敏郎はアドリブで斬りかかり、出演者は真剣に逃げ惑ったというエピソードには震えました。大ヒットした理由は、こうしたリアリズムにあったのでしょうか。
春:それもありますが、何より黒澤監督にとてつもなく面白い映画をつくる力があったということです。それから、東宝と同じく、黒澤監督も背水の陣に追い込まれていた。この苦境が、黒澤監督に極上のエンタテインメントをつくらせたとも言えます。
監督が独立プロダクションを立ち上げたためですね。
春:そうです。黒澤明は59年に黒澤プロダクションを設立していて、お金のことも考えなくてはならなくなった。黒澤監督は東宝の社員だった時期に、予算を度外視して撮影していました。実際に「俺の映画は当たるから、幾ら予算を使ってもいいんだ」といった発言もしています。「七人の侍」が大当たりしたので、黒澤監督に「ノー」と言える人がいなくなってしまったんです。
“予算管理”から生まれた「用心棒」
それでは東宝も困ってしまう。
春:いくら大作をつくる資本があると言ってもビジネスですから。特に映画制作はギャンブルに近いほど当たり外れが大きい。いくら名監督と言えども、好き勝手にされては経営上、支障を来します。お金の問題もさることながら、黒澤監督は放っておくと「あっち」に行ってしまうことがある。
「あっち」と言いますと?
春:「七人の侍」」や「用心棒」といったとんでもないエンタテインメント作品をつくる一方で、「白痴」(51年)や「どん底」などの文芸的な作品に走る傾向があるんです。これは必ずしも、ヒットに結びついていない。そこで東宝は、黒澤監督を独立させたのです。独立すれば予算にも配慮するはずだし、「あっち」に行かないだろうと。
そして「用心棒」が生まれる。
春:その前に、60年に公開された「悪い奴ほどよく眠る」を撮ってます。政治家の汚職を描いた作品で、これが期待したほどヒットしませんでした。だからこそ「背水の陣」だったんです。大ヒット作をつくらないと後がない。そこで天才黒澤が、ヒットさせることだけを狙ってつくったエンタテインメント作品が、「用心棒」と「椿三十郎」なんです。この2作は、観客を楽しませることに徹しています。
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