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この作品「最初の星がのぼる島」は「カイオエ」「まほや腐」のタグがつけられた作品です。
最初の星がのぼる島/つきながの小説

最初の星がのぼる島

11,577文字23分

フォ学オンリーあおはぴで展示していた文化祭のお話です。カイオエが夜の学校でかくれんぼしたり、買い出しに出たり、クラスの出し物でプラネタリウムを作ったりします。ふたりは同級生です。

2022.02.08 つきなが

2022年2月28日 13:34
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DATE:8月30日月曜日


 自分の上履きの音が真っ暗な廊下に響いていた。
 いや、決して物の輪郭が分からぬほどの暗闇ではない。夏の夜空は、それも都会の空ともなれば真夜中だろうと少し青みがかって明るい。校庭や中庭の街灯がその明るさに上乗せし、それでも窓際でなければ、明かりの一切を点けていない校内にはじんわりとした闇が落ちていた。日中よりは幾分暑さは和らいだが、それでも湿度の高い熱気が身体にまとわりつく。呼吸を止めるような息苦しさ。汗で湿ったティーシャツを摘み、ぱたぱたと風を送りながら、オーエンは腕時計を廊下の窓際にかざした。時刻はちょうど零時をまわったところだ。お楽しみの時間はこれからというところだろう。
 校舎内にいるはずの他のメンバーはまったく姿が見えなかった。正確に数えてはいないが十人強。既に皆、どこかで息を潜めているに違いなかった。そろそろ自分も隠れ場所を決めないと鬼が放たれる頃合だろう。辺りを見回し手近な教室に入れば、途端、異質の空間が目の前に現れた。沈黙が落ちた無人部屋。普段見慣れた教室が、ただ昼夜が逆転しただけで相容れぬ存在に思えてくる。特に廊下側は闇が深く、近寄っても机と机の間が見えない。並んだ四十の机、現実とかけ離れた真夏の夜の高揚感。物音を立てないよう慎重に足を踏み入れていく。
 その瞬間、ふと手に触れたモノにオーエンは目を限界まで見開き飛び退いた。声にならない声をあげる。片手で口を塞ぎ、床にへたりこんで闇の先を睨みつける。次第に闇に慣れた目が映し出したのは、窓際の壁によりかかった男の姿。その正体に気付いたオーエンは、わなわなと怒りで唇を震わせ掠れた小声で叫んだ。
「驚かすなよ、馬鹿!」
 ごめんごめんとまったく悪びれない口調で手をふったカインは、整った顔に微笑を浮かべた。


 だいたい、学校という場所は長い人生から見れば特殊なところなのかもしれない。
 皆、同じような制服を着て同じように授業を受ける。それを窮屈だと反発する人間もいるらしいが、少なくともオーエンはこの環境が嫌いでなかった。それどころか高校は想像以上に楽しんでいると思う。「同じような制服」とあえて表現したのは、誰もが適当に制服を着崩していて、それを教師たちがまったく注意しようとしない、よく言えば自由尊重、悪く言えば放任主義の責任放棄な学校だからだった。現に今、学校で行われている合宿でも大半が私服だし、オーエンにしてもティーシャツにジーンズだ。
「で、結局全部で何人参加してるわけ?」
「さぁな。十五人くらいじゃないか? あ、でもさっき三人ばかりラーメンを食べに行ってたぞ」
「……フリーダム過ぎない?」
「でもこのくらいがちょうどいいだろう?」
 壁を背に座り込み、隣で笑う男もまた黒のティーシャツにジーンズ。今日集まっているのは放送部やら写真部やら、囲碁部に生物部あたりの人間もいた気がする。このゲームに参加しなかった残りのメンバーは、どこかでだらだらと喋っているに違いない。……たぶん。妙な悪戯を思いついていなければ。
「そういえばさっき窓から見たけど、中庭に出没した建設現場の足場みたいなのは何?」
「ああ、あれか? なんでもジェットコースターをやりたいらしいぜ。ニ階の渡り廊下から」
「……馬鹿みたい。どこのクラス?」
「F組。ま、俺らはのんびりとプラネタリウムをやろう」
「……ご期待に沿えず悪いけど、だいぶひどいことになったよ配線回路図」
「…………何をする気だ?」
「見ればわかるよ。明後日買出しだ。大体、ぼくに仕事を押し付けて。物理はぼくよりおまえのほうが得意でしょう」
「数学は負けるけどな……あー、面倒なことになりそうだな。地学専攻でもないのにどうしてまたプラネタリウムなんて……」
「騎士さまが言い出したんでしょうが!」
「いや、星空の下で静かに語らうのも悪くないかなって」
 あまりの適当発言に空いた口が塞がらない。そのまま剣呑な眼差しで睨み付ければ、カインは両手を挙げて降参のポーズをとった。窓から差し込む僅かな光が男の端整な顔を映し出している。
 まったく、三年間なんてあっという間だと思う。文化祭が終わればもう学校なんてあってないようなものだ。そんな感傷に浸ってる自分がおかしくて、オーエンは知れず笑みをこぼす。
「まったく早いものだな」
 そんなオーエンの気持ちを察したように、男の低い呟きが聞こえる。教室の壁に寄り掛かり右と左。互いの熱気が伝わってくる。相変わらずの熱帯夜、噎せ返るような湿度。そのまま飲み込まれてしまいそうな闇は変わらずに目の前にあって、そもそも、今や伝統になったこのゲームを最初に始めたのは誰だったんだろうか。ひどく生々しい、と思う。湧き上がる高揚と異質めいた世界、じんわりと境界線を失くしていく過去と未来。
 不意に自身の唇を掠めた温度が果たして現実だったのか否か。
 その答えは、視界に映ったお揃いの瞳だけが知っている。



 突然、踊り場のほうから聞こえた金属音に、ふたりはびくりと姿勢を正した。――カシャン。足音とともに規則正しい音が廊下から響いてくる。カシャン、カシャン。広がった緊張感に息を潜め、ふたりは机の影に身を縮めた。ぶつかった肩がひどく汗ばんでいる。
 カシャン。
「……」
「……」
 教室の目の前で止まったその音は、僅かの逡巡の後、再び廊下を歩き出した。一拍、互いに顔を見合わせほっと息を吐き出す。毎度ながら心臓に悪いゲームだ。
 合宿恒例、真夜中のかくれんぼ鬼ごっこ。鬼は刃が引っ込むギミックナイフを手に歩き回り、サスペンスホラー要素も盛りだくさんという悪趣味なゲームだ。しかも実は、誰がどこにいるかわからない校内を歩き回る鬼こそが一番恐い役回りなので、誰も鬼にはなりたくなくてそれはもう必死に逃げる。
 そしてそんな遊びも、きっとできるのは今だけなのだ。
 不意に響いた足音とガラリとドアを開け放つ音。廊下の窓から注ぐ僅かな光を浴びた鬼は、高らかと宣言した。
「見つけましたよ」
「っ!!」
「逃げろっ!」
 机を蹴倒し廊下へと飛び出す。そのまま階段へと走ったオーエンは、背後から「なんでこっちに来るんだミスラ!」と叫ぶカインの声を耳にした。どうやらあの様子では捕まったらしい。ちなみに捕まり方もギミックナイフに刺されるという悪趣味ぶりだが、これもまた高校生の特権ということで。
「ぷっ、はは、あははは…っ!」
 階段を一段飛ばしに駆け下りながら、思わずオーエンは噴き出す。こんな楽しい夜はこの先もうないだろう。こんな馬鹿馬鹿しくてどうしようもなくて、すべてに全力を使い果たすようなそんな真夏の夜は。
 息を深く吸い込んだオーエンは、校舎中に響く声で叫んだ。
「騎士さまが捕まった! 化学準備室前だ! 次のゲーム開始は五分後、移動するなら今のうち! 次の鬼はカイン・ナイトレイだ!」
 手近な教室から飛び出してきたのは赤髪の後輩。
 その姿を見つけたオーエンは思わず破顔し、走りすれ違う瞬間、ぐしゃりとその頭を撫でた。




DATE:9月24日金曜日


 慌ただしく生徒たちが走り回る喧騒の中を、ポスターを手にしたミスラは、上履きの踵を潰してタラタラとした足取りで歩いていた。
 まだ昼過ぎだというのに外は夕暮れのように暗い。台風が接近しているという前情報通り、雨風は勢いを増し、窓がギシギシと嫌な音をたてている。それでも校舎内は教室どころか廊下や踊り場まで活気に溢れ、むしろその熱で暑苦しいくらいだった。――土日をかけて行われる文化祭前日。授業は午前中で終わり、どこのクラスも準備のラストスパートに余念がない。夏休みを終えた九月の頭から、各教室の前には段ボールが積み上げられるようになり、次第にそれらは切り開いて黒いゴミ袋を貼り付けた暗幕代わりに、はたまた奇妙なオブジェの形へと変貌を遂げていった。移動教室のたびに廊下を歩くのも一苦労だったが、それも今週末で終わる。
 ちなみに、この段ボールを集めることこそが一番の苦労だったのは言うまでもない。芸能校、不良校、進学校合わせて一学年十クラス×三学年分プラス部活動。近所のコンビニやスーパーでは恐るべき段ボール争奪戦が行われていたわけだが、その中でまだ経験の乏しい一年に対して三年は「世の非情さを知る絶好機だ」とばかりに大人げない行動をとっていたのだが、それはともかく。
 制服のスカートの下にジャージをはき、階段に座って大量のモールを繋いでいる女子の横を通り過ぎ、ふと踊り場から窓外を見れば、暴風雨の中カッパ姿の男子たちが大声を張り上げて作業をしている。確か3年F組は二階踊り場からジェットコースターをするといっていた。ポスターを小脇に抱え、「御愁傷様です」と両手を合わせたミスラは、再び階段をのぼった。
 三階の三年フロア。現在、通行できる廊下の幅は二十センチである。
 外が雨で使えないこともあり、喧騒具合は一年とは比べ物にならない有り様だった。
 溜め息をついてペンキ塗り立てのパネルを避ける。進学校三年は受験生でもあるので、各クラスでは出し物云々の前に今年の文化祭を完全燃焼するか否か決がとられるが、どうやら今年は全クラスが博打に出たらしい。ミスラとしては疲れない程度にのんびりやりたかったのだが、仕方ない。時には長いものには巻かれろというやつだ。「よう、ミスラ。生きてるか?」とペンキを塗りながら手を振るE組のブラッドリーに肩をすくめて応え、G組へと入れば、段ボールとゴミ袋によって作られた黒い壁が大量に運び込まれているところだった。
「あ、お帰りー。どうだった文実?」
 声をかけてきた女子に首をふる。
「いやもう全然駄目です。取りつく島もなしって感じですね……ってあれ、名物コンビは?」
 この学校で名物コンビといえば、それだけで大抵の生徒には話が通じる。やることなすことよく目立つ3Gの名物コンビ。ついでに二人ともミスラ程ではないが長身なので、パッと室内を見ただけで不在なのは一目瞭然だった。
「まったく、俺に雑用押し付けたのはあいつらのくせに」とぼやいた瞬間、背後から誰かに肩をガシッと掴まれた。ついでにポタリポタリと水滴が落ちる音が聞こえる。
「ぼくたちが……、なんだって……?」
 おどろおどろしい声にゆっくりと振り向き、とりあえずモデルの気合いで愛想笑いを浮かべてみる。
「あー……、とりあえずおふたりともおつかれさんですね?」
 そこにはぐっしょりと制服を濡らし、頭から水滴を垂らしているオーエンとカインの姿があった。


「……ったくやられた。出るときは降ってなかったしいけると思ったんだが」
「いきなりの本降りだもんね」
「傘、持ってかなかったんですか?」
「傘の残骸の骨と皮なら自転車置き場に置いてきたけど、見たい?」
 ジャージとティーシャツに着替え、タオルでぐしゃぐしゃと頭をふくオーエンに凄まれ、とりあえず「すみません」と謝ってみる。
 このコンビがふたり乗り自転車で、片道三十分強のホームセンターに買い出しにいったのは昼のこと。詳細を聞かずともあの制服の状態を見れば、かなりの強行軍だったことは容易に予想できた。しかもこのふたりのことだ、きっと珍道中だったに違いない。
「それで、電球は?」
「手に入ったよ。今度は電圧を間違えて飛ばさないようにしてもらいたいものだけど」
 3年G組はプラネタリウムという、実に「文化祭」という名にぴったりな催しをすることになっている。正確にはプラネタリウム喫茶。配線を繋げ、天井から立体的に吊るしたおびただしい数の小さな電球と、市販で売っているプラネタリウム装置を使うという二段構えだ。暗い室内で星を見ながらお茶なんて癒されるし、何よりロマンティックだと言い出したのがカインで、そのカインこそが、昨日、電圧を間違えて電球の三分の一を飛ばしてしまった張本人だった。剣呑なオーエンの視線を受け、「悪かったよ」と苦笑しながら謝っている。
「それでミスラ。文実はどうだった?」
「あー……それがもう。鼻で嗤われました」
 文化祭実行委員会、通称「文実(ぶんじつ)」文化祭において、一番権力を握っているのがこの文実だ。それが今年から、ポスターのサイズと枚数を指定してきたのだ。許可印がなければ剥がされるらしいが、A4サイズが一クラスたった五枚というのはさすがに少なすぎる。その抗議に向かわされてみたのだが、寡黙なミスラひとりではまったく太刀打ちできなかった。
「……仕方ないね、ここは強行手段に出るか」
 机に座ったオーエンは、腕を組みながら言う。
「そうだな。文実といっても数はたかが知れてるし、その三分の一はまだ一年だ」
「どうせこの台風だし。外に出せないパネルや看板が廊下に置かれてるだろうし、その後ろに貼っておけばいい。明日になって多少剥がされても数で勝負だ」
「あとオーエン、文実委員長のことでちょっと面白いネタもあがってるぜ?」
 楽しそうに笑ってカインが耳打ちすれば、「それはいい」とばかりにオーエンの口角があがる。
 その様子をじっと見つめていたミスラは、心の底から溜め息を溢した。
「どっちかっていうと俺、今は文実よりあんたのほうが敵にまわしたくないです」


 雨は次第にその勢いを増していた。台風が上陸するのは今夜未明らしい。
「むしろ電車が止まってくれれば、大手を振って学校に泊まれるんだけど」と笑うのはオーエンだ。文化祭前日とはいえ徹夜は許されていない。「最悪忍び込むか?」なんてカインも軽い調子で相づちを打つから困る。何がって、このホームルーム棟にはセキュリティ会社が入っていないことを知り、しかも警備員の見回り時間をしっかり把握した上でコレを言っているのがタチが悪いのだ。
 教室の後ろで段ボールを切りながら、ミスラはぼんやりとクラスの中を見渡した。
 段ボールを持ち上げている男子に、ガムテープ片手に指示を飛ばしている女子。びしょ濡れで帰ってくる第三、第四の犠牲者に、誰かが持ってきたCDラジカセから流れるアップテンポの洋楽。放送では文実から再三の規制に関する連絡があり、そのたびに教室内には笑いとブーイングの嵐が吹き荒れる。別のクラスから飛び込む「机ひとつ余っていませんか!?」逆にこっちから頼みに向かう「段ボールわけてください!」みんなジャージ姿だったり、制服とジャージの混合だったり、頬やシャツにペンキをつけて、差し入れのお菓子をつまみながら笑って。
 ――なんでこんなことしてるんでしょう、とミスラは思う。
 たった二日間のためにこんなに作業したって、終わったらあっという間に片付けられてしまう。そうしてまた普通の淡々とした学生生活が始まって、それがわかっているのにどうして皆こんなことをしているんだろう。別に参加を強制されているわけではないのに、自分もまた、どうして家に帰らずここにいるんだろう。
 うつらうつらする視界の中で、弾けるような笑声だけが鼓膜に響いていた。


 目を開けたそこは夜だった。正確には、真っ暗だった。
 机に突っ伏していた上半身を起こし、腕時計のライトをつければただいま二十一時過ぎ。どうやらいつの間にか眠ってしまったらしかったが、夜にしたって暗すぎた。さて、何が起きたのか。窓という窓は黒いダンボールで覆われ、慣れてきた目で室内を見渡せば、段ボールの壁を吊るして通路を作っている。
 不意に教室の反対側でライトがつき、反射的に顔を向ければ、机の上に椅子を起き、その上に立ったオーエンが天井に手を伸ばして作業をしている姿が見えた。下からライトを照らし、工具を渡しているのはカインだ。「ん」とか「ああ」とかそれだけでやりとりがかわされているのが、彼等がコンビと呼ばれる所以である。口にドライバーを銜え、ガムテープを貼付けていたオーエンは、ドライバーを手に戻し、「よし」と満足そうに頷く。そうしてふとミスラへと視線を移した。暗がりのこちらが見えるわけがないので、もしかしたらさっきの腕時計のライトに気付いたのかもしれない。
「起きたの」
 その言葉にカインと、そしてカインが手にしていた懐中電灯もこちらを向く。まぶしさに目を細めながら「他の連中は?」と聞けば、「家庭科室。冷蔵庫の使用割り当てでちょっとトラブルが出たらしい」とカインは答えた。
「いい時に起きた」と頭上から笑ったオーエンは、トンと椅子から飛び下りた。カインの懐中電灯が消され、再び辺りは暗闇になる。
「――これから点灯式だ」
 沈黙は僅かだった。
 突然煌めいた白く小さな星々は、黒い天井と壁をいっぱいに覆い尽くす。なんの変哲もない真四角の部屋だった教室に現れた小さな星空。CDラジカセから響くのはBGMの川のせせらぎの音。それは本物のプラネタリウムに比べればちっぽけだし、お粗末なものだけれど、それでも。
「綺麗でしょう?」
「……はい」
 確かにその通りだとミスラも思った。



 結局教室を出たのは二十二時だった。
 まだ校内のあちらこちらで生徒の声が響いている。そろそろタイムアウトギリギリなので、文実あるいは教師の注意が出るまで粘るつもりなんだろう。生乾きの制服に顔をしかめているふたりに、ほっと息をつきながら声をかける。
「あー、本当に徹夜になったらどうしようかと思いました」
「え、まさかアレ本気にしたのか?」
「それはそれは」
「いや、あなたたちならやりかねないし」
 ふと、文実の腕章をつけ校内見回りをしていた一年生と目が合う。
 カインが「おつかれさま」と声をかければ、彼女はカインとオーエンを交互に見て驚いたように目を丸くした。彼女にひらひらと手をふって階段へと曲がりながら、「あの子が何に驚いたかわかりますよ」とぼやけば、オーエンは渋い顔をし、カインは面白そうに笑う。トントンと階段を降りる足音が響く。
 あんなに雑然としていた廊下もスッキリと片付き、かわりに廊下や階段のあちこちに装飾やポスターが張られていた。台風は今夜中に通過するというから、きっと明日には晴れるだろう。それは絶好の文化祭日和になるに違いない。
「……あの」
 思わず声を出せば、前を歩くふたりが振り向く。
 腰までずり落とした制服のポケットに手を入れ、一瞬の空白の後、ミスラは困ったように口を開いた。
「明日の文化祭、きっと成功しますよね」
 まったく本当に、こんなの自分のガラじゃない。高校最後の文化祭だからって、別に長い人生から見ればほんの僅かの出来事で、適当に力を抜いて適当にさぼって終わらせようと思っていたのに。それなのに。
「……ああ、そうだな」
「そうなるといいね」
 たまにこんな気紛れを起こしてしまうから、高校っていうのは厄介な場所なんだ。

 翌日、天気はミスラの思った通り晴れやかな台風一過。
 待ちに待った文化祭当日である。




DATE:9月26日日曜日


 外の喧騒から隔離されたその部屋は、静かな夜に包まれていた。
 流れるクラシック音楽、漂うコーヒーの香り。密やかに溶けるのは女性たちの囁き声だ。頭上に煌く大小の星と、テーブルの上に置かれた淡いランタン。黒いエプロンと胸元の蝶ネクタイをはずしたオーエンは、近くにいたクラスメイトにそれを押し付け、部屋の後方へと移動した。シートに布を敷いただけのフリースペースにも何人かが点在している。一番窓際で横になり、そこでようやく人心地ついたように息を吐いた。
 とにかくここ数日が怒涛すぎた。ふたり乗り自転車で買い出しに行けば雨に打たれ、椅子が足りないだの机が足りないだの校内を走り回り、電力交渉で隣のクラスと世紀のじゃんけん大会を繰り広げ、ついでに帰宅しようとすれば不良校のオーエンとしての日々が口を開けて待ち構えている。さすがに身体がいくつあっても足りない。
 とりあえず当分電球は見たくないなと目を閉じた瞬間、誰かの指によって無理やり瞼をこじあけられた。驚く間もなく懐中電灯の光が目に直撃する。
「ひゃに!?」
「あ、起きた。おはようオーエン」
「おはようじゃない、馬鹿! ぼくの目をつぶす気か!」
 片目を押さえ涙を浮かべて叫ぶと、目の前にしゃがんだ男は人差し指を立てて「しぃ」と囁く。それを見たオーエンは、続いて飛び出しかけた怒号をなんとか飲み込んだ。
 確かにこの部屋は癒しをテーマにしたプラネタリウム喫茶だ。暗くてよく見えないが、何人かがこちらを振り向いている気配がする。それでも怒りおさまらないオーエンは、小声で力いっぱい吐き捨てた。
「それで? 何の用だよ馬鹿」
「えー、大の親友に向かってニ回も続けて馬鹿って言うのはひどくないか?」
 この無駄に整った顔を思い切り殴ってもいいだろうか。
 オーエンの怒りを察したのか、両手を上げて降参の意を示したカインは、「ちょっと急いで来てほしいんだ」とドアの方向を指差した。過去の経験からいって、大体こういう時はろくでもない話ばかりだ。嫌な予感がびしびしする。
「というかおまえ、ぼくがここにいるってよくわかったな」
 本当は当番の時間ではなかったが、頼まれて喫茶のウエイター係を交代したのだ。
「そりゃあもちろん。廊下を歩いてたら聞いてないのにいろんな人からオーエンの目撃情報が」
「ぼくは指名手配犯か」
「あと他校の女の子たちが、銀髪のかっこいいウエイターがいたって騒いでたし」
「……」
「おまえ、目立つからな。すぐわかるよ」
「………ひっそり生きてるはずなのになんでだろう」
「いやそんな悲愴な顔で言われても」
 ついでにそう思えるおまえがすごいよ、と付け足される。そんなこと言われてもオーエンは普通に学校に来て普通に生活しているだけだ。いや、普通が決して平穏と同意語でなくなってしまったのは、この男が出現してからだったか……。要するに目立っているのはオーエンではなくカインのほうで、自分は巻き込まれているだけだというのがオーエンの見解だった。
 仕方なく立ち上がりカインに続いて廊下に出る。途端、まぶしさに反射的に目を細める。
 廊下の外に広がる空は快晴。威勢のよい掛け声が辺りに響く。本日、文化祭ニ日目である。


 そして十五分後。再び、オーエンの怒りは最高潮に達した。
「……騎士さま」
「何かな」
「ぼくは言ったよな、まさかおかしな用事じゃないだろうなって」
「うん、聞いた聞いた」
「それでおまえ言ったよな、別に大したことじゃないよって。そのへらへらした顔と口調で」
「うん、言ったな。間違いない」
「……で、これのどこがおかしくないって言うんだ説明してみやがれ!!」
 マイクを掴んだまま叫べば、ステージ下の観客から歓声が響き渡った。
 大体、体育館に向かって廊下を走っているときに気付くべきだったのだ。一年のリケにばったりと会った時、「楽しみにしています、すぐ向かいますから!」と言われた理由をもっと考えるべきだった。「あとであんみつおごるから」と叫びながら走る男を後ろから飛び蹴りするべきだった。校舎中央の踊り場で公開放送をしていた放送部に手を振られ、階段を一段飛ばしで駆け降り、上履きのまま中庭を突っ切り、体育館裏口から腐って踏み板が抜けた階段をのぼり……、そして現在、ステージ上につき。何故か背後では軽音部がチューニングを始めている。
 深く溜息を吐き出したオーエンは、据わった目でカインの胸元を掴み、そのまましゃがみこんだ。引きつった極上のスマイルを浮かべる。
「で、どういうこと?」
「暴力反対」
 無言のままぐいっと制服のネクタイを絞り上げる。
「……飛び入りのカラオケ大会です」
「カラオケ!?」
 思わず目を見開く。
「優勝すると金一封なんだよ。やらないわけにはいかないだろう?」
「ちょっと待て。それでどうしてぼくを巻き込むわけ」
「え、一蓮托生って言葉知らないか?」
「知らない。……おまえ、なんでさりげなくギター受け取ってるんだ。まさかぼくに歌えってんじゃないだろうな!?」
「あのーおふたりさーん、さっきからマイク入ってるんですけど」
 不意に聞こえた第三者の声に顔を上げれば、すぐ下から同じクラスのミスラが見上げている。
「痴話喧嘩なら外でやってくれません?」
「誰が痴話喧嘩だ!」
 恐ろしい単語に反射的に眦を吊り上げる。カインも思わずというように前のめりになった。
「ちょっと待った! その場合、どっちが嫁さん?」
「おまえは阿呆なこと聞くな!」
 本格的に話し込み始めたカインの後頭部をスパンと叩く。その瞬間、辺りから爆笑の渦が巻き起こった。
 ひっそりと当たり障りなく生きるはずだった。事実昨年まではそうやって過ごしてきたし、平穏に高校時代が終わればそれでいいと思っていた。それが3Gの名物コンビなんて呼ばれるようになってしまって、うっかり学校行事に全力投球するようになってしまって、いったい誰のせいだと思っている。
 すぐ横で試し弾きをするカインと目が合う。笑うように細められた切れ長の目。覚えてろよと口の中で呟き、スタンドマイクを引き寄せた。
「……悪いけどぼくはあまり歌が得意じゃない」
 しんと静まり返る体育館。オーエンは息を吸い込んだ。
「だから後悔するなよ、おまえら!!」
 爆音とともに歓声が弾けた。



 気が付けば日が落ちるのがだいぶ早くなっていた。
 窓から差し込む夕日をぼんやりと眺めながら、オーエンは冷蔵庫からバニラのアイスクリームを取り出した。並列する校舎の一番端にある化学準備室。窓外の校庭では後夜祭の準備が着々と進んでいる。
「あ、やっぱりここにいた」
 ノックもなく開かれた扉の音に、オーエンは振り向かずに応える。
「本日のオーエンの営業は終了しました。ご用の方は」
「ごめん、悪かったよ。まだ怒ってるのか?」
「……いや、別に」
 スプーンをくわえれば、甘ったるい味が口いっぱいに広がる。
 いまだ耳の奥では音が響いていた。それから目に映るたくさんの顔、顔、顔。結局一日中、校舎内を駆け回った。名前を呼ばれて、肩を組まれて、大声で笑って。妙に心地いい倦怠感が全身を襲う。
「はい、これ。約束の品だ」
 机の上に置かれたのはプラスチックの容器に入ったあんみつ。
「もう店じまいしてたんだけど、サービスでもらってきた」
 適当に缶詰の果物と寒天を放り込んで、その上にやっぱり缶詰のあんこをのせただけのあんみつ。なのにこれが美味しく感じられるから不思議なもので、たぶん、学校なんてものはそれ自体が不思議な場所なのだ。流れゆくオレンジの雲を眺めながら呟く。
「……終わっちゃったね」
 細く開かれた窓から流れ込む風はもう夏のそれではない。反対側の椅子に座ったカインは、頬杖をついて笑った。
「もう一回歌いたいのか?」
「……殴られたい?」
「じゃあ、もっかいプラネタリウム作りたいとか? あ、でも次はお化け屋敷ってのもいいよな! それでオーエンが意外に幽霊が苦手だったら傑作だ」
「ふん、邦画ホラーで半泣きになるやつが何言ってる」
「え!? なんだ、そのでたらめ情報」
 ひどいなぁと手をのばしたカインは、あんみつのてっぺんのさくらんぼをつまみ上げた。
「さて、そろそろクラスに戻ろうか。オーエンの金一封のおかげで、うちの打ち上げはちょっとリッチだ」
「ピザでも注文したの?」
「正解」
 校庭から後夜祭開始の合図が響く。あんみつの上に残りのアイスをのせ、即席クリームあんみつにしたオーエンは、そのカップを手にして立ち上がった。後夜祭の賑わいと、そして沈みゆく夕日を背にして。
 廊下に出れば、飾り付けはほとんど撤収されていた。そして再び、学校は元の姿へと戻っていく。
「ところでオーエン、ちょっと見せたい特技があるんだが」
「さくらんぼのヘタを舌で結べるとかならやらなくていいよ。ベタすぎてつまんない」
「………」
 ふりかえったカインの顔があまりに情けなくて、オーエンは思わず噴き出した。

 数日後。貼り出された校内新聞のトップ記事に、カインは大笑いし、オーエンは頭を抱えることになる。やがてそれは伝説として、ひっそりと学校の記憶に刻まれた。









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