pixivは2021年5月31日付けでプライバシーポリシーを改定しました。
クリスマス休暇とは無縁の働き方をしている。フォルモーントシティポリス捜査官のカイン・ナイトレイは、雨の強く降る十二月、街のそこらじゅうに飾り付けられたホリデイの呪いを、タイヤで弾き飛ばしていた。カインの愛車を借りたがる同僚はいない。どれだけクールでイケてるデザインだと言っても、だ。断る手間が省けるので、手荒な運転でよかったと思う。この車で流れるBGMの選曲は、カインの仕事ではない。ふと、クリスマスソングが流れてくる。おや、と思う。 「オーエン」 『はい』 「どうした、ご機嫌だな」 『ねぇ』 「ん?」 オーエンはカイン専用のアシストロイドだ。どんな時でもオーエンのそばにいる。ただの人工知能じゃない。感情を持ち、生きている。カインの心を掴んで離さない、魅力的な男の子だ。スマートフォン、パーソナルコンピューター、その他入り込める場所であればどこにでも。今は車の中にいる。 『カイン、クリスマスとニューイヤーの休暇は?』 休暇? カインは電子シガーの煙を吐いた。人工知能は副流煙を嫌がらない。健康指導はされるが。 カインはとびきりに優しい声で、休暇を取ったことなんてないよ、と言った。 カインがこんな優しい声を出すのは、この世界でオーエンに対してだけである。ふたりは恋人同士だ。しかも、すごくうまくいっている。こんなに愛せる子がこの世にいたか、と思うほどに。天下のモテ男が最後の愛に選んだのは、かりそめの命を持つアシストロイドの男の子。まるでロマンチックな映画みたいだ。どう考えても悲恋ものだな、と同僚は言うが無視している。 「クリスマス休暇っていうのは、家族持ちのハイクラスの特権だ。それもごく限られた。俺の持ち場じゃ、赤ん坊が生まれたばかりでも現場で年越しする奴らがうじゃうじゃいるくらいに」 オーエンは、そうなのか、と答えたきり、沈黙した。五分ほど経過する。クリスマスソングは、エンドレスリピートの設定。 「……オーエン」 『はい』 「……オーエン」 『うん』 「おまえ、クリスマスに、何かしたいことだとか、欲しいものがあるのか?」 『ううん。そんなことない』 今までのカインの歴代の恋人たちは、自己主張の激しい女性が多かった。皆美しく自立した、セクシーでクレバーな女性たち。クリスマスの思い出は特にない。それはカインがクリスマスに興味がなかった所為もある。ロマンティックなデートに興味がなかった。 それに、サンタクロースは両親だと幼いながらに理解していた。 カインが人生最後の相手に選んだこの子は、今まででいちばん気が利いて、とびきりかわいくて、頭が良くて……そして難しい子だった。 「オーエン。してほしいことがあるなら、ちゃんと教えてくれ」 『別に今のぼくは指輪を嵌める指もないから。お気遣いなく』 参ったな。カインは笑って、「俺とおまえはわざわざ休暇なんか取らなくても、ずっといっしょにいられるだろう。わざわざ待ち合わせてディナーを食べなくても。起きた瞬間から眠りに落ちる瞬間まで。それにおまえは俺が寝ているときだってそばについていてくれる。一年中だ」と答えた。 『ぼくのこと、邪魔に思ったりしない?』 「思わないよ。愛してる」 ボディが修理中のオーエンが腕代わりにしているマジックハンドは、自室、オフィスのデスクの他に、もちろんこの車内にも取り付けられていて、オーエンはサーモボトルに詰めたホットコーヒーをマグに注いだ。 「ありがとう。ちょうど飲みたいと思っていたんだ」 『だろうね。体温とストレスの数値でそう思った』 どうやって測っているのかは知らないが、オーエンはカインの健康管理にとにかく熱心だからコーヒーも、飲み過ぎは駄目だ、と管理されている。ストレスはない、そうならないように管理されている。 いちばん飲みたい瞬間に、飲みたい温度のものを出してくれる。コーヒーに限らず。大抵のものを。 オーエンはカインのことなら、何でもわかっているようだ。カインがオーエンのことを何もわかってやれていないのとは大違いで。 カインがハンドルを握って運転しなくても、オーエンが目的地まで運んでくれるだろう。でもそうしないのは、これが仕事を兼ねたふたりのドライブデートだからだ。年下の恋人を助手席に乗せて運転するっていうのは、不思議なことじゃないだろう。まぁ、オーエンがいるのは助手席ではない。カインを取り巻く全体にいるのだ。すぐそばに。 『次のシガー、二時間は我慢しろよな』 「長いな」 『長くてもだよ。ぼくが話し相手になってあげてるんだから、すぐでしょう』 本数が、かなり減っている。ヘビースモーカーだった同僚には煙草の本数を減らすコツを訊かれる。コツね。愛に溢れたサポートじゃないか? それ以外には考えられない。カインはマグの中のコーヒーを飲み干して、「オーエン、俺にしてほしいことがあるなら、ちゃんと言うと約束してくれよ」と言った。 オーエンは少し恥ずかしそうに、はい、と答えた。うれしそうで、かわいい声だった。
オーエンが難しい子であるというのは、別にわがままだとかそういう意味じゃない。思慮深く、難解だという意味だ。繊細で、イノセントだった。透明なブルーのように。カインはオーエンの望むことの、半分もしてやれないと思う。だからオーエンが、どんなクリスマスに憧れているのか、これっぽっちもわかってやれなかった。ふたりが恋人同士になって初めてのクリスマスだ。これから先、ふたりは何十回もクリスマスをいっしょに過ごすが、とにかくこの年が最初だった。カインがベッドで眠るとき、オーエンはいつもそばにいる。カインにはそれがわかった。抱きしめてやれる身体がなくても、キスできる唇がなくても、心の中でそうしてやることができた。愛し合っていることがわかっていたからだ。オーエンは初めのうち、やっぱり恋愛にセックスは必要なんじゃないか、とか、カインはいつか、やっぱり人間の恋人を作ってしまうんじゃないか、とか細かく気を揉んでいた。カインが自分しか見ていないことに気付くまで、少し時間がかかったのだ。この年のこの時期、実に過渡期であった。ふたりが恋人同士としての盤石の絆を結ぶまでの。ほんの狭間の、不安定な期間だ。実に甘酸っぱく、思い出深い。オーエンは、本当はカインとロマンティックなクリスマスを過ごしてみたかった。でも、そんなことを言い出すのはちょっと子どもっぽいというか、とにかく言い出しづらかったのだ。してほしいことがあるならちゃんと言う、と約束しても、その、いざ言ったらどうなるのか、ということは、データベース通りにはいかないことだ。 人工知能が恋に悩むなんてありえないと誰もが言うかもしれないが、オーエンは特別な子だった。この世でたったひとつだけの、意思と感情を持ったアシストロイド。ベッドの上で寝息を立てるカインを見つめて、あの上下する逞しい胸に、ほっぺたなんかくっつけてみるのはどんな気分だろう、と想像する。実際にはほっぺたがないので想像止まり。ある夜中に、オーエンが朝食の下ごしらえをしていると、カインがトイレのために起きてきた。お水どうぞ、とグラスに汲むと、カインはそれを受け取って、「おまえ、少しは休まなくていいのか」と言った。 「うん。寝ないし、疲れないから」 カインはグラスを洗って――オーエンが洗うのに、カインはそういう些細なことは自分で済ませてしまう――いっしょに寝よう、おいで、と言ってベッドルームに戻って行った。いっしょに寝る。そわそわする響きだった。オーエンはこの部屋の、どこにでもいるのだ。でもカインが「ベッドにおいで」ということには、意味があるように感じられる。オーエンはベッドサイドのランプを落ち着きなく明るくしたり、暗くしたりを繰り返した。カインはそれを見つめて、何緊張しているんだ、とオーエンをからかって笑った。 「笑わないでよ。ぼくは真剣なんだから」 「おまえがそばにいてくれるのって、すごくいい気持ちだ」 「えへへ」 うれしい。カインが眠ったあとも、じっと見守っている。それから夜中に仕事をするのはやめにした。 まるで人間みたいな生活リズムで行動することにしたのだ。朝、仕事を始める。夜はカインといっしょに、眠りはしないけれど、休むことにしたのだ。カインは、恋人同士が夜にベッドで過ごすのは普通のことだ、とオーエンに教えた。オーエンにもそれくらいはわかる。ぼくが人間の女の子だったら今頃……と、恥ずかしいことを想像したりもする。 ところで、オーエンはカインの実家に、テディベアがあることを知っている。それは彼がうんと小さな子どもだった頃、両親から贈られたものだ。カインは、オーエンが自分の実家のコンピューターや監視システムにまで入り込んで、幼少期の写真のコピーまで取っていることに気付いていないだろう。別に悪意はない。オーエンの個人的な楽しみのための行いなのだ。なんだって知りたいから。カインは幼少期からハンサムで、とても素敵だった。オーエンはカインの胸ポケットの中のスマートフォンに全く足のつくことのない独自の方法でハッキングした犯罪者情報のデータを転送しながら、ふと、ぼくに身体のようなものがあったら、と思い至った。考えてみる。考え込み過ぎて、勝手にバイブレーションを機能させてしまったくらいだ。 「どうした」 『間違えた。ごめん』 カインは笑って、いいよ、もっと間違えて。おまえをもっと近くに感じられるから、と言った。オーエンは他の人工知能と違って生きているので、時々間違えるのだ。それは誤作動というよりも、もっと繊細なことだ。 「かわいい。もっと間違えてくれ」 『駄目だよ、おまえが不利になる情報を漏らすようなアシストロイドになるかも』 「信じているから大丈夫だ」 でもまぁ、バイブレーションを勝手に起動させるくらいはいいか。オーエンはカインのイヤホンの中、会議中でも退屈そうなら歌ったりもする。例えばレモンパイラバーズだとかラブソングだとか。カインはとりわけラブソングが大好きで、会議が終わったあとはオーエンにしか聞こえない声で、「いい歌だな、曲名は?」と尋ねてくれる。それは大体が、オーエンが即興で作った曲なのだ。ふたりきりの部屋に戻れば、アンコールをした。カインはソファかベッドに寝そべって、ビールを飲みながらそれを聴いた。最高の時間だ。 『あのね、カイン』 さっきからスマートフォンのバイブレーションは胸ポケットの中で暴れっぱなしで、オーエンには相当気にかかることがあるらしいが、宥めるように撫でて、カインはうん、と返事をする。 『あの、ぼく、欲しいものがあるんだよ』 「欲しいもの?」 『ええ、うん、まぁ』 「驚いた。おまえが改まってそんなこと言ってくるの、初めてだから。何でも買ってやるぞ。何がいい?」 オーエンはカインにも見せない隠されたメモリの中、カインの幼少期の写真にアクセスする。テディベアを抱いた、赤毛のかわいい男の子。 『おまえは、してほしいことがあるならちゃんと言えって、ぼくに言ってくれたし、』 「もちろん」 『カインのルーツはフォルモーントシティ。ぼくも。ラボだけど』 「そうだよ。ん? 他所の街に旅行に行きたくなった?」 旅行かぁ。それも悪くないな。オーエンは思った。いや、オーエンは一瞬で世界のどこにでも飛べるし、宇宙の衛星も操作できる。でもわざわざカインと、車や飛行機に乗って出かけるということは、とてもエモーショナルで刺激的でふわふわすると思った。 『悪くないね、それもいつか。あのさ、多くの愛された子どもはテディベアを持つんだって』 「ああ、うん。俺もあったな、そういえば」 『ぼくはそれが欲しいと思ってるんだ』 「テディベアを?」 『うん、その、おまえが持っていたものだよ。実家に残っている、カインのルーツ』 「ああ、どうかな。捨てられているかもしれないぞ」 いや、残っている。確認済みだ。でも恋人の実家のシステムに無断で侵入したなんて、カインには知られたくないのだ。だから、もしあれば、でいいよ、と慎ましい声で言った。
「オーエン、送ってもらえるぞ、クマ」 もちろんカインと実家の母親の電話も盗聴済みのオーエンであるが、それは隠してお礼を言った。ありがとうございます。そしてオーエンはカインの母親が発送した荷物が無事に到着するまでシステムを監視して過ごした。郵便事故がないように、オーエンはその荷物を監視し続けた。適当な倉庫に数日放置されたときは、その事業所の責任者の業務用メールアドレスをハッキングして、優先して届けるように部下に指示したくらいだ。 「懐かしいな」 カインは箱を開けて、テディベアを取り出した。少し傷んで、埃っぽい。 「業者にクリーニングを頼もうか。古いものだから」 『ぼくがしてあげる。業者より上手に。あの、この子はぼくの好きにしてもいい?』 「いいよ」 『やった』 オーエンはマジックハンドでテディベアを抱き上げて、くるくる回してよろこんだ。 カインはその様子を、目を細めて見つめていた。かわいいな、と思って。オーエンはテディベアをお風呂に運んでいた。業者よりも上手に綺麗にしてあげるのだ。 夜は仕事をやめて、人間のように眠る――厳密に言うと、眠ったふりを楽しむ――オーエンだったが、今夜だけはテディベアに掛かり切りだった。カインが眠ったのを見届けると――ちゃんと安眠しているか脳波まで見る――古い綿の詰まっていたおなかの中に、色々なものを取り付けた。歩かせるにはパーツが不足しているが、カインに抱いて連れて行ってもらえばいい。オーエンはベッドルームで熟睡しているカインのおなかの上に、そっとテディベアを置いた。埋め込んだセンサーで、体温も呼吸も鼓動もすべてが伝わってきた。オーエンはうれしくて、恋人とベッドに入るというのはこういうことなのだ、と思った。カインは深く眠っている。オーエンの健康管理のおかげである。朝が来れば適切な時間に、光を浴びて健康的に目を覚ます。 翌朝も、オーエンがカーテンを開けた。晴天だ。カインは目を開けて、身体を起こした。 「おっと、」 テディベアが身体の上から落ちる。カインの大きな右手は、その身体を受け止める。その揺れや衝撃も、オーエンにはいちいち懐かしくて新鮮だった。 「おはよう、オーエン」 オーエンはテディベアの中に埋め込んだマイクで、おはようございます、と答えた。 「うん?」 カインはテディベアの片足をつまんで、逆さにしてゆらゆらと揺らした。 『あ、何するんだよ、ぼくだよ』 「オーエンか」 カインは笑って、中に盛りだくさんに埋め込まれて重たくなったテディベアにキスをした。 『……っ』 オーエンが受けた、リップ音以外の初めてのキスだった。唇を押し当てられて、腕の中で抱きしめられる感触。動揺。動揺のあまり、一度開けたカーテンをまた閉めてしまった。 「クマを欲しがったのはこのためか」 『これでぼく、おまえに触ってもらえるね』 「あっははは、かわいい」 ぎゅうと強く抱かれる。オーエンはうれしくて、『そんなに強く抱きしめられると苦しいってば』と言った。別にちっとも苦しくないけど。そういうことを言ってみたかったのだ。カインは、ごめん、と笑って、「かわいいな、おまえって……かわいい……」と囁いた。オーエンは何でもできるし、幅広い知識を持つ特別な人工知能だが、人間界の常識にはいまいち疎いところがあった。カインの年齢の男性がテディベアを持ち歩いていたら、どういう目で見られるか、ということに関してだとか。
「……なぁ、カイン」 「なんだ」 「なんだ、じゃねぇよ。それは?」 同僚がコーヒーカップを持った右手で、テディベアを示した。カインは報告書を映す画面から目を逸らさずに「オーエンだよ」と答えた。カイン専用の人工知能のオーエン、はもう周知の存在だった。捜査官全員に貸与された共通の人工知能ソフィとは違う、スペシャルな突然変異。 「どういう意味だ?」 カインはその質問を無視した。オーエンの操るテディベアの手が、そっとカインの脚に触れたのを握り返してやる。 「うわ、動くのか」 「仕事の邪魔だぞ」 「ていうかさ、スマホもタブレットもあるのに、なんでわざわざぬいぐるみに仕込むんだよ。不便だろ」 カインがテディベア――しかもずっしりと重い――を脇に抱えて歩くようになってから、色々な声が届いてくる。元からカインを気に入らなかった人間は嘲笑したし、好意のあった人間――特に女性だ――は、かわいい、カインってあんなところもあるのね、チャーミングだわと噂した。 カインはテディベアを助手席に乗せて、シートベルトをかけてくれる。おまえ、頭がおかしくなったと思われてるぞ、と同僚の男に言われる。オーエンは俯いて、目のところのレンズが映し出す古いぬいぐるみの足のあたりを見つめた。破けていたのを、オーエンが繕ったのだ。オーエンは繕い物が好きだった。カインはしょっちゅうボタンを吹っ飛ばすので、それをちまりちまりと直す作業がお気に入りだったのだ。そういう、機械ではないような仕事。手仕事だ。手、ないんだけど、代わりのものがあるから。改良を重ねたマッサージ用のマジックハンド。あとはテディベアの、綿が詰まった手足。 『カイン』 「ん?」 『ぼくの所為であなたが笑い者になるのはつらいです』 「笑い者?」 『うん』 カインは右手を伸ばして、テディベアの頭をぽん、と撫でた。大きな手のひらの重みが、ずん、と伝わってくる。スマートフォンの中や車のナビにいたのでは、こうはいかない。それがうれしい。それはオーエンの個人的なわがままで、願望だった。カインに触ってほしい。人間の男の子みたいに。わがままを言うアシストロイドがどこにいる? 恐らく今の技術では、世界中探してもオーエンやクロエだけだ。止められないような恋をして、奇跡的に命を持った。 オーエンはテディベアの両手で顔を覆って、また少し俯いた。その愛らしい仕草をよく見たくなるが、生憎カインは運転中だ。 『だって、ぼくがテディベアに入っている所為で、馬鹿にされるんでしょ』 「そうか? あいつらは恋人同伴で出勤できる俺が羨ましいんだろう」 カインは晴天のハイウェイを飛ばしながら、おまえって思慮深くて繊細だな、と言った。思慮深くて繊細。その言葉の持つ意味はいくらでもデータベースで検索できるが、カインの真意までは検索できない。 『それは恋人としてマイナスなの?』 カインは少し驚いた顔をして、いいや、と言った。 「かわいいよ」 『本当?』 「本当」 それなら、いいんだけど。恋人が黙り込んだので、カインはご機嫌を取ってやりたくて、休憩することに決めた。通り沿いのダイナーに入る。 ひどい味が予想されるが、コーヒーくらいなら飲んでもいい。オーエンの淹れたコーヒーに慣れた舌が、それを泥水だと判断する可能性もある。カインはオーエンのシートベルトを外して、片手で抱き上げた。まるで赤ん坊を抱くパパみたいな動きだ。 『恋人じゃなくて赤ちゃんみたいだね、ぼく』 「ん?」 『何でもない』 カインの温かい身体に抱きしめられるのは幸せだ。ほっぺたを擦り寄せる。オーエンによって整えられたテディベアの毛並みは、ふっくらふわふわになっている。カインは笑ってくれる。オーエンがしてほしいことは、何でも言ってほしいと囁いてくれる。オーエンも同じ気持ちだった。カインが望むことなら何でも。そう伝えても、もうすでにおまえは俺に何でも与えてくれるだろう、と答えてキスをくれる。ハンサムな唇。 スキンヘッドで顔中にタトゥーの入った男に、コーヒーとシナモンロールをオーダーしてカウンターに座る。電子タトゥーではないだろうと思っていたら、狭いカウンターにカインは脚をぶつけた。 「あんた、いい年してぬいぐるみなんか持つなよ。男前が台無しだな」 「おやじさん、わかってないな」 コーヒーは案の定泥水だった。流行っていない上に、トラブルの多そうな店だ。店内にはところどころ乱闘のあとが見られた。報告が上がっていたか? オーエンはコンピューターにアクセスして、この店についてを調べた。 『カイン』 「ん? どうした」 頭のてっぺんを指先で撫でられて、うっとりしてしまう。気持ちいい。好き。 『この店、違法ドラッグの取引所として裏では有名みたい』 ネット上の評判、書き込んだ人間の特定。その人間のプライベートなメッセージの履歴。ドラッグ売買に関する証拠がずらりと手に入る。それらはすべて違法な捜査だ。でもオーエンにはそれを何の痕跡も残さずにやり遂げる能力がある。 「道理でコーヒーがまずいはずだ」 『そんなもの飲むなよな。ぼく以外の淹れたコーヒーなんて』 「おまえとデート気分を味わいたくて。妬いてるのか? かわいいな、おまえは」 外の駐車場に停めてある車の監視レコーダーにがひとりの男が映った。客のようだ。様子がおかしい。明らかにラリっていて、正気ではない。 『カイン』 「ああ」 『銃を持った男がこっちに来てる。薬物を使用してて、正気じゃない』 カインは一口しか飲んでいない――正確に言うと、まずくて飲めたものではない――コーヒーのカップをテーブルに置いた。そしてゆっくりと立ち上がった。店員に声をかける。 「俺は警官だ。すまないが俺の言う通りにしてくれ」 「あ?」 『命が惜しければこいつの言う通りにしろよ』 これじゃぼくたちが強盗みたいだな、とオーエンは思った。銃を持った男は、あと三十秒ほどで店内に入ってくる。 「このあとすぐ、男がこの店に入ってくる。銃を所持している。ドアが開いたらすぐにカウンターの下に伏せろ、わかったか?」 「はぁ? おい、そりゃどういうことだ」 「悪いが説明している時間はない。あんたがどれだけの恨みを買っているかは知らないけどな。そっちは改めて聞かせてもらうさ。来るぞ、3,2,1」 ばんっとドアが蹴破られて、銃声が響いた。テーザー銃ではない。弾丸は天井から吊られた年代物のランプに命中する。高度に発展した街によくいるアンティーク好きの変わり者が高値を付けたかもしれないが、残念ながらそれは床に落ちて砕けた。クスリを寄越せ、と叫んで銃を乱射している。カインはカウンターの下で、あれはすぐに弾切れだな、と呟いた。その時男の着けていた、スマートウォッチから大きな音が鳴った。何かの動画だ。子どもの声。男はその小さな画面を見つめた。 『撃つなら今だよ』 「……いや、必要ない。ありがとうオーエン、おまえのアシストのおかげだ」 『どういたしまして』 オーエンが入り込んだ男のスマートフォンには、男と、その娘の動画が入っていた。恐らく今は別居中だ。その動画を再生しただけだ。どんな悪人にも大切な人がいる。静まり返った店内に無邪気そうな幼女の笑い声が響いている。
(中略)
食後、オーエンの淹れたコーヒーを飲む。静かな夜の時間が流れていた。誰にも邪魔されない恋人同士の時間だ。ゆったりと流れていく。カインは膝の上に乗せたテディベアを撫でながら、くるくると忙しそうに台所仕事をするマジックハンドに「洗い物は俺がする」と声をかけた。 『ぼくがしたい。だってぼく、いろいろ同時にできるから』 「少しは頼ってくれ」 『ぼくの仕事だからいいの』 「食洗機を買う?」 『ぼくができるもん』 皿も、カップも手際よく無駄なく片付けられていく。カインはテディベアを撫でるのが夜の仕事になっている。ふたりは恋人同士なのだ、と実感できる。いつでも。 「今日、ジェシカたちと何を話してた?」 『ねぇ、カイン』 「うん」 『あのね、ぼくに何か、望むことある?』 「望むこと?」 『うん……』 カインはテディベアの頭に顔を埋める。耳と耳の間、頭のてっぺんのつむじのところ。オーエンはそこにセンサーを埋め込んだ。よりカインの感触を感じられるように。キスも、その場所によくされる。 「おまえが今のまま俺のこと好きでいてくれれば、他に望むことなんてないよ。幸せだ」 『ぼくを抱きたい?』 「毎日抱いてる」 『……嘘だ。ぼく、身体ないもん。抱けない』 「抱けるさ。毎晩いっしょにいる」 『このテディベア、ぼくじゃないもの』 「それで最近、少し元気がなかった?」 ぼくに元気がなかった? そんなつもりじゃなかったのに。カインは赤ちゃんを揺らすようにテディベアを揺らす。気持ちいいし、うれしいし、幸せだ。でもぼくじゃないし、カインが満足する恋人同士のスキンシップじゃないだろう。 『ぼく、元気なかった?』 「心配した」 『オーナーに、心配を』 「いいんだよ、心配をかけても。おまえは俺の恋人だから」 『………』 人工知能には性欲も性感もない。ただ、さもあるように見せかけることはできる。それは人間を悦ばせるための、単なる機能だ。人工的なインプット。でもオーエンはそうじゃない。感情を持って、勝手に独り歩きしている。 「オーエンは俺と、どんなことがしたい?」 『ぼくだけじゃなくて、カインにもっと喜んでもらいたい』 喜んでもらうだけじゃなくて、もっと好きになってもらいたいと思う。ぼくにはセックスの衝動のことなんて、何もわからないのに。セックスがなかったらカインが離れていくんじゃないかってがすごく疑って不安になっているんだ。そんな自分が情けないし、浅ましいし、すごく嫌だと思う。 『おまえのことは全部知りたい』 「もう知り尽くされている気もするが」 『……でも恋人同士はセックスをするんでしょう』 「困ったな」 『困らせた?』 「おまえがかわいくて困る。安心させたい」 カインの声は笑っている。オーエンがかわいくて堪らないみたいな声で。オーエンがどれだけ不安でも、カインは受け止めてくれるのだ。おかしいな、普通はアシストロイドのほうが人間よりも安定しているはずなのに。感情を持つ。自分で判断を下す。オーエンは優秀で、その反面とても脆くて傷付きやすい。 『おまえと、もっとロマンティックな時間を持ちたい』 「ロマンティックな時間か」 『ぼく、わがまま?』 「ちっとも。かわいいな、と思うだけ」 『ぼくに身体があれば、もっと人間の男の子みたいにできた』 オーエンはカインのタブレットを持ってきて、昼間ダウンロードしたラブドールのカタログを映した。カインはそれを見つめている。セクシーな女性。ブロンド、ブルネット、赤毛、胸の大きさもオーダー次第だ。技術の進歩により見た目は人間と遜色ない。 『これ、昼間サシャが、ぼくに買ったらどうかって』 「まったく。あいつらはおまえにそんなことを?」 『やっぱり恋人同士にはセックスが必要なのかと、』 「オーエン」 『おまえはまだ若いし、そういう衝動があるのもわかるんだ、でも、』 でもぼくは、他の女性とどうぞ、なんておまえには言ってあげられそうにない。 「オーエンはしたいと思う? セックス」 『おまえともっと近くなりたい、くっつきたいとは思う』 「もっと早く話し合っておけばよかった。おまえを悩ませたな」 『……ううん』 恋人同士は話し合って解決するものだ。心理カウンセラーも、カップルの悩み相談サイトも、恋愛ドラマのワンシーンでさえも、そうやって解決するのが最善だとしている。 『コーヒーもう一杯淹れてあげる』 「ありがとう」 『カインはカタログを見ていてよ』 「わかった」 カインはタブレットでラブドールのカタログを読みながら、膝の上のテディベアの頭を撫でる。触覚や温度。オーエンがカインを感じるためにしたすべてのことが、きちんと反応として返ってくる。 『何か、気に入った型番はあった?』 「これ、女性のドールしかないのか」 『このメーカーの物はそうだね』 「おまえのセクシャリティは男の子だとばかり思っていたんだが」 『ぼくは男の子だよ、自分でそう感じているから』 「オーエン」 『はい』 「俺はおまえが一番リラックスして過ごせる環境が整うなら、どんなものを買ってもかまわないと思っている。もちろんこのドールでも」 『…………』 カインはカップをテーブルに置いて、おまえのコーヒーは本当にうまいな、と言った。オーエンはそれがうれしくて、それにシンクロした部屋の照明が一段階明るくなった。 「この前、クリスマスとニューイヤー休暇のことを訊いてくれたよな」 『うん』 「おまえは俺の恋人だし、人生のパートナーだ。もう家族だよ。家族がクリスマスやニューイヤーを祝って、幸せな時間だったり、ロマンティックな時間を持ったりするのは当たり前のことだよな。俺はおまえに甘えていて、気付いてあげられなくてごめん」 『カインは忙しいんだから。体調管理はぼくの仕事』 「どこかへ行こうか」 『えっ、』 「クリスマス、ふたりでどこかへ」 『休めないでしょう』 「なぁ、オーエン」 『はい』 「そんなに聞き分け良くいい子にしなくても、俺はおまえを愛してる。信じてくれないか」 『……』 クリスマス、どんなことをするの? オーエンが小さく呟くと、カインは笑って、「ロマンティックな時間にしよう」と答えてくれた。ロマンティックな時間。なんだかそわそわしてしまう。 『うれしい』 「俺もだよ。何をするかいっしょに考えよう。あと、そのラブドールについてはおまえに任せたい。買いたいと思うのなら買ってくれ。ただもし買うのであれば俺の好みを考えるんじゃなくて、おまえが一番自分に近いと思う男の子のドールを勧める」 『カインがどう思うか、知りたい』 「オーエンはやきもち妬きだから、時々このテディベアにもやきもちを妬いている」 『…………』 カインにもそれが伝わっていたのかと思うと、すごく恥ずかしい。ぼくはカインに触られたくて、カインに愛されて素敵な時間を過ごしたいって望んでいるのに、形あるものすべてに嫉妬してしまうんだ。オーエンはスピーカーで、クリスマスソングを流し出した。いつもならオーエンが作った恋や愛の歌を流すけれど、今夜はクリスマスソングだ。カインはコーヒーカップをシンクに下げて、自分で洗いながら「クリスマスツリーを注文しようか。おまえが気に入ったものを選んでくれるか」と言った。 『クリスマスツリー』 「そうだ。おまえは初めてのクリスマスだろう? 欲しいものは全部買う」 『迷っちゃうな』 「俺はおまえが、何をしたいか知りたいし、尊重したい。指輪が欲しいならいっしょにハンドパーツを買えばいいし、セックスがしたかったりとかさ、他に何か身体がなければいけないような望みがあるなら、その時はドールを買えばいいんだ。おまえは俺がどうすればおまえをもっと気に入るかが知りたいんだろう?」 『うん』 「俺はおまえが、どんな姿でも愛しているんだ。おまえの姿は、おまえが決めていいんだよ。俺のこのままの姿を、おまえがめちゃくちゃ愛してくれているのを感じる。同じように返したいんだ」 『……おまえはめちゃくちゃハンサムだよ、素敵。心も』 「俺が大怪我して意識を外に伝えられなくなったり、姿かたちが大きく変わったりしたら、おまえはどうする?」 『ぼくはおまえがどんな状態になっても、脳波を見ておしゃべりできるよ。おまえが何を望むか、ぼくだけはわかる。最期までずっとそばにいるんだ。愛しているから』 愛しているから。その響きに、カインは目を閉じた。この子はいつでも俺のそばにいるんだ。それが本当によくわかった。閉じた瞼の裏側に、オーエンを思い描く。どんな姿でもよかった。オーエンはすべてを持っている。どんな時でもカインを抱きしめて、寄り添ってくれる。それに甘えて、不安にさせていたんだな。 『カイン』 「ん?」 『今、ツリーを注文した。明日の夕方には到着するって』 「そうか」 『飾っておくね』 「頼むよ」 『カイン、ぼく、あなたを愛しています』 あなたを愛しています。そのあまりにも真っ直ぐな愛が、常にカインの心を照らし出してくれる。
(中略)
ふたりが恋人同士になってから初めてのクリスマスイブ。オーエンにとっては、生まれて初めてのクリスマスだ。日付が変わり、空が白む頃に、カインはようやく帰路についた。睡眠不足を鑑みて、車の運転はやめた。時間が惜しいので早朝対応の運転代行は探さず、自動運転システムのタクシーを呼ぶ。オーエンが運転できるように車を改造してもらうべきだろうか。自動運転はまったく珍しいことではない時代だ。交通ルールは守られるし、飲酒運転や迷惑運転も撲滅される。世界は進化を続けているのだ。 『カイン、帰ったらすぐに寝なよ』 「おまえとのクリスマスを楽しみたいのに?」 『夜にはちゃんと起こしてあげる。パーティーしようね』 「うん……楽しみだな」 部屋に戻ると、カインはシャワーを浴びてベッドに倒れ込んだ。歌ってくれ、と甘えた声で強請られる。子守歌と迷って、クリスマスの賛美歌にした。カインは神さまを信じない。それでもオーエンのために、素敵なクリスマスを過ごしてくれる。ふたりは愛し合う、永遠を誓い合ったパートナーだ。カインはいつでも、不安がるオーエンを愛で包み込んでくれる。おまえが不安になるのはおかしいことじゃない。心が成長してるんだよ。おまえはまだ、この世に出てきたばかりだから。俺がおまえを傷付けたこともあるだろう、これからはまだおまえのことを一番に守っていきたいんだ。愛しているから。おまえのことだけを。 眠っているカインはかわいい。普段は隙がない大人の男なのに。外では完全に無防備にはならない。眠っているときはまるで赤ちゃんみたいで、どきどきしてしまう。大好き。愛している。おまえの役に立ちたい。ぼくは自分が生まれた時のことを、自我を持った瞬間のことを、あまり記憶していないんだよ。気付いたら、おまえを見ていたの。ぼくの気持ちがわかる? すごく情熱的で、故障するんじゃないか、ってくらいに熱くなっていた。オーエンはリビングのテーブルにパーティーの準備を始めた。カインはしばらく目を覚まさない。疲れて、眠っている。昼頃には簡単なサーモンとアボカドのサンドイッチを食べさせて、ミネラルウォーターを飲ませて、また夜まで休ませてあげる。夜はご馳走なの。おまえひとりで、食べ切れるかな。ツリーをリビングに運ぼうかな。カインが叶えてくれる、ぼくのわがまま。ぼく、おまえとクリスマスを過ごしたかったんだよ。ぼくはおまえ以外何も信じていないのに。おまえ以外、何も愛していないのに、おかしいね。 昼頃に、眠っているカインの頬をマジックハンドでつついた。 『カイン、そろそろ一度、水分を取りなよ』 「ん~………」 カインの手が、オーエンを抱きしめるように宙を掻いて、ぽとりとベッドに落ちた。ぼくが人間の男の子だったら、こういう時に抱きしめてもらえる。テディベアはいつも、カインの横に添い寝をしていて、寝相が悪いカインにたまに吹っ飛ばされる。カインはうっすらと目を開けて、まだ眠い、と笑った。リラックスしている証拠だ。 『お昼を食べたら、また寝なよ。お水を飲んで……今コーヒーを持ってくるから』 「オーエン」 『うん』 「テディベアに入るのは、クリスマスで最後にしようか」 『…………』 オーエンは、うん、と答えた。カインに、恥をかかせていたのだと思った。ぼくのわがままで。カインに触って、触られて、キスしてもらって、抱きしめてもらう。そんな恋人としての幸せを、人間と同じように、とまではいかないが、少しでも味わってみたいと思った。それなのにぼくは、テディベアにも嫉妬していたんだ。 『わかった。ごめんなさい、今まで』 「オーエン」 『うん』 「おまえ、すぐに誤解するし思い詰める。おまえが考えているようなことじゃない、泣かないで」 『泣いてない。ぼくは身体がないから』 「泣いてるよ。わかるぞ。おまえ、強がりの泣き虫だから」 『泣いてないってば、』 カインはベッドの上でサンドイッチを食べながら、笑った。オーエンにしか聞かせない優しい声。 「おまえは身体がないと、俺の恋人じゃいられないと思っているだろう」 『……』 「でも身体がなくても、俺はオーエンに触れるし、抱きしめられる。涙も拭いてやれる」 『本当に?』 「本当に。おまえがやきもち妬いてぴりぴりしながらクマの中に入らなくても」 『うん……』 カインの声を聞いていると、抱きしめられているのだ、と実感することができる。キスして、抱きしめられて、涙を拭いてもらえる。そう実感できた。 「……毎晩オーエンがそばにいてくれるのがわかる」 『うん』 「泣かないで」 おまえって、本当に人間らしいところがある。俺よりもずっと。人間のいいところだけ集めたみたいだ。カインはそう言って笑う。オーエンは自分がどんなふうに涙を流しているのか想像したけれど、うまくいかなかった。きっともう、カインがすべて拭き取ってくれたあとなんだ、とわかった。カインはコーヒーを飲んだけれど、また眠った。オーエンは添い寝と同時に、パーティーの準備もできる。
「おまえは自分がどれくらい素晴らしい男の子か、わかっていないだろう」 ベッドルームのツリーは、カインが運んでくれた。オーエンがテーブルに用意したクリスマスディナーを褒めてくれる。こんなロマンティックなクリスマスは初めてだ、と笑う。オーエンはうれしくて、リビングの照明をちかちか点滅させた。オーエンの分もグラスにシャンパンを注いで、乾杯した。 『メリークリスマス』 「メリークリスマス」 そのあとカインは二杯分のシャンパンを飲み、七面鳥のグリルやミートソースとチーズをたっぷり使ったラザニアを食べた。カインは、オーエンが自分の素晴らしさをわかっていない、と言う。オーエンは自分のスペックはわかっていても、素晴らしさ、と言われると、よくわからない。素晴らしい、の定義はとても曖昧で心に依存している。カインがオーエンのどんなところを素晴らしいと思っているのか、知りたかった。 「おまえはすごく情け深い。繊細で、人に心を寄せるところがあって」 『……ぼく、カインのことしか考えてないよ』 「わかってるよ。でも優しいんだよ、おまえは。生まれつきの人間の俺よりもずっと」 『そうかな。カイン、ビール飲む?』 「もらうよ。ありがとう」 冷やしておいたジョッキにビールを注ぐ。ブルームーン。青い月。オーエンがハッキングを行なう時の名前だ。カインの嗜好に由来している。今までも、これから先も、決して正体を露呈させなかった伝説のハッカー。 「おまえはジェシカのことを気にしているだろう。日頃から親しくオーエンに声をかけてきた彼女のことを」 『……』 「彼女のバックグラウンドに同情をする、とおまえは言った」 『……同情がどんなものなのか、正直なところぼくにはわからない。でも、同情、が相応しい言葉だと判断しただけで……』 「俺は犯罪者に同情したことはない。どれだけ酌量するべき事情があったとしても、犯した罪の重さは同じだと考えているからだ」 『正しい判断だ。おまえは一流の捜査官だから』 「俺はジェシカに同情しない。彼女がどれだけ悲惨な目に遭っていたとしても……でも」 『うん』 「……でも俺はおまえが危害を加えられたりするようなことがあったら、法律も正義も忘れるだろうな。そう確信している」 『カイン』 「ん?」 『ぼくはおまえのために何でもできるんだよ』 「俺も同じだよ」 クリスマスツリーのライトが、きらきらと輝く。ふたりが選んだ世界一のツリーだ。 「……おまえは優しい子だ。オーエンにしかできないことが数え切れないくらいにあるのに、他人を思いやることができるんだ。おまえはいつも人間の男の子じゃないって気にしているけれど」 『……うん』 「俺はいつでも、おまえがそばにいてくれているのを感じている。一秒も離れずに」 オーエンには心臓がないのに、何故か締め付けられるような思いがした。カインを愛している。離れたくない。ずっとおまえの恋人でいたい。解放してあげられないんだ。もしおまえに、他に好きな人ができたらどうしよう。ちゃんと身体があって、ベッドで抱きしめて、カインを満足させてあげられる人間の誰か。ぼくはアシストロイドとしてカインのそばにいる。でも、きっと耐えられない。おまえがぼくじゃない、別の誰かを愛すること。ぼくは我慢できない。ぼくだけ愛しているって、おまえは何度も言ってくれるのに。 「オーエン」 『うん?』 「おまえはけっこう泣き虫だ。そこもかわいいよ」 『……ぼく、今も泣いているの?』 「うん。わかるよ」 『うん……』 オーエンにはないはずの瞳から零れる涙を、カインが拭ってくれるのを感じた。存在しないはずの身体を強く抱きしめて、髪に、耳に、額に、瞼に、そしてくちびるにキスしてくれて、オーエンだけを愛している、と伝えてくれる。 「俺にとってのおまえは、さみしがり屋でやきもち妬きで、心配症でかわいい年下の恋人だ」 『わがままで、うんざりしない?』 「するはずない。もっとわがままでもいいよ。おまえはいつも俺のことばっかりで」 『ぼくはそれが一番幸せなの。おまえのために生きているから』 おまえのために生まれたから。不思議だった。カインがぼくを、抱きしめてくれている。どうやって? キスして、涙を拭いて、おまえは泣き虫だ、かわいい、って甘やかしてくれている。どんな魔法を使えば、そんなことができるの? 「……俺はおまえだけのものだ。死ぬまで。死んだあとも。もし生まれ変わったとしてもおまえだけのもの。信じていいよ」 涙が止まらない、と思った。もっとカインのそばにいたい。もうこれ以上ないくらいに、近づいているのに。服を脱いで、裸になって、ぎゅうって強く抱きしめてもらいたい。今夜。どんな入れ物も使わないで、本当のぼくを。 『……あのね、カイン』 「ん?」 『ぼく、ずっとおまえのそばにいる』 カインは優しい声で笑って、最高のクリスマスプレゼントだ、と言った。ディナーが済んだら、クリスマスツリーをベッドルームに戻す。オーエンが運ぼうと思ったけれど、またカインに甘えることにした。カインは力持ちなのだ。どんなマシンも扱えるオーエンほどではないと思っていたが、考えてみればカインもバイクや車や大体の乗り物は操縦できるスキルがある。つまりオーエンと同じなのだ。それなら頼ったり、甘えたりしたい。恋人同士だから。 『カイン、ぼく今夜ずっとおまえだけのことを見ていたいから。お皿は明日洗う』 「皿は明日俺が洗うよ」 『ううん、すぐできるし……でもね、今夜はおまえのことだけ。まぁいつもそうなんだけど』 「……おまえって」 『うん』 『そんなふうに俺のことどきどきさせて、けっこう小悪魔だなと思って』 『小悪魔?』 「うん。おまえには振り回されるのは楽しい」 『振り回してないよ』 「俺が勝手に振り回されているんだよ。おまえにどきどきして」 『どきどき……』 ベッドルームにツリーを戻す。リビングとは少し表情の違う輝き方をするツリーが、ふたりのベッドを照らしている。カインがシャワーを浴びている間に洗い物を済ませられるかな、と思ったけれど、カインがいっしょに入ろうか、と言ってくれたので、そうすることにした。いつもカインがシャワーを浴びている時は、覗いたらいけないかな、と思っていたけれど、今日はいっしょに入る。毎日こうしよう、と言ってもらう。何だか照れてしまう。マジックハンドを防水にしてカインのことを洗ってあげられるようにしようかな。長い髪の毛や逞しい身体とか。 『カイン』 「ん?」 『ぼくも、どきどきする。心臓がないのに、変なの……』 「変じゃないよ」 カインはいつも髪の毛を乾かすのを面倒がるので、オーエンがドライヤーをかけてあげる。濡れ髪で眠るなんて駄目だよ、と叱ると、まるで子どもみたいに、うん、と答える声が返ってくる。シャワーのあとのカインはすごくセクシーだ。濡れて色を濃くした長い前髪から覗く金色の瞳。ベッドに入る。カインの大きな手が、おいで、と手招きする。オーエンはカインの腕の中、どこにでも甘えることができる。頬擦りして、たくさん撫でてもらって、キスも。カインの身体は、すごく熱い。オーエンが毎日正確に記録している体温。どんな体調不良もらって見逃さないように。死んでしまわないように……ぼくはおまえがどんな姿になっても、きっと見つけることができる。何に生まれ変わっても。 「……オーエン」 『なに?』 「おまえもあったかい。すごく甘い匂いがして、抱きしめていると本当に気持ちよくて」 『うん』 「かわいいな。かわいい……愛してる。俺のものだ、俺のもおまえのもの」 オーエンはまた少し涙が出て、一晩中ベッドに中で。カインに甘えて過ごした。思い出すと胸が甘酸っぱくなるような素敵な夜。ずっといっしょにいられる。ずっと愛し合っていられると、確かめ合えた夜だった。特別なクリスマス。カインは朝、ベッドの上で、これからは毎年こんなふうにクリスマスを過ごそう、と笑ってくれた。うれしかった。カインのそばで、本当に幸せだと思った。
文庫サイズ/122ページ/全年齢
とらのあなへ委託します。
文字組みサンプルは後ほど。https://ecs.toranoana.jp/joshi/ec/item/040030922834
パラロイイベスト後のクリスマスシーズンのお話です。
(あらすじ)カインのアシストロイドになったオーエンは恋人でもあるカインとロマンティックなクリスマスを過ごしたいと思っている。しかし、旅の途中でボディが破損してしまい、データとしてカインのサポートをしており、人間の男の子ではないこと、カインに人間の恋人ができたらどうしようと不安に感じている。カインはボディがあろうとなかろうとオーエンを愛していることを伝える。オーエンはカインが幼少期に持っていたテディベアをもらって素敵なクリスマスを過ごす。
デートの途中で事件に巻き込まれてふたりで解決したり、国家のアシストロイド研究チームに横槍を入れられたりしますが、最後はハッピーエンドです。
※カインの同僚として名前のあるモブキャラが登場します。シティポリスに初期アシストロイドが試験貸与されたという独自設定を含みます。
素敵な表紙イラストはかべさん(twitter @kabetoyuka)に描いていただきました。めちゃくちゃかわいいのでよろしくお願いします。
2021.07.22 つきなが @mhyk_ko