好かれたら困る。好意という原罪。
いわゆる孫引きになってしまうが、スティーブ・シルバーマン「自閉症の世界」(正高信男/入口真夕子訳)を読んでいたら、ハンス・アスペルガーのこのような発言を見かけた。
ちなみにこの本によれば、自閉症の権威であるレオ・カナーは重度の自閉症を診ることが大半で、それに対して、ハンス・アスペルガーは無名であったから軽症の患者を診ることが多かったそうだ。
であるから、ハンス・アスペルガーが自閉という場合、(いわゆる狭義の自閉症ではなく)最近の発達障害者に近い状態と考えて良いのではないかと思う。なんにせよ、孫引きであるから、わたしは元の文章を見ていないし、ここでは漠然と発達障害の話として考えておくことにする。
さて、少女には発達障害の傾向がなく、おばちゃんが発達障害であるというのは、現実でたくさん体験する。落ち着きのない女子小学生はあまり見かけないが、落ち着きのないおばちゃんはうんざりするほどいる。問題なのは、これが本当に障害なのか、ということだ。落ち着きがないのが問題視されるのは、これが自閉的(社交性の欠落)だからであるが、おばちゃんは落ち着きがないことで人との距離を戦略的に縮めているようにも思える。落ち着きがないから障害者だという単純な話ではあるまい。おばちゃんなりの故意の図々しさであり社交術とも言える。ともかく、落ち着きがないおばちゃんというのは現実にとてもたくさんいるのだが、果たしてこれが発達障害なのか、というのはよくよく考える必要がある。あるいは二種類いるのかもしれない。他者との距離を故意に縮めているおばちゃんもいれば、ぼんやりした自閉の世界に入ってしまっているおばちゃんもいるであろう。われわれの頭に浮かぶおばちゃんの多くは故意であろうし、わざとべたべたしてくるのである。発達障害の根幹にあるのは、人を愛するのが迷惑行為という問題である。好意は様々なトラブルを引き起こす。男性ADHDの人でも、いわゆる天然キャラというか、憎めない人懐っこさを武器としていることもあるが、それで好かれるのは少数派であろうし、たいていは嫌がられる。なんとなく思い浮かぶのは有村悠さんである。天然キャラとして愛されることもたまにあるかもしれないが、基本的には「この人に好かれたら怖い」と思われている。おそらく落ち着きが無い人間が障害者扱いされるのは、他人にべたべた接することが多いからであろうし、そのような天然キャラは人畜無害であるように見えて、実は恐ろしい。恋愛感情が憎悪に変わる繰り返しである。男性も女性もストーカーになり得るが、基本的には男性のストーカーの方が危険である。つまり、こういうことだ。うら若き乙女は「恋愛感情を持たれないようにしよう」と気をつけているのである。おばちゃんはそんなことはない。本気で好かれたら困るとか思ってない。おばちゃんは恋愛感情の圏外にいる。だから、好意という原罪とは無縁であり、落ち着きがなく戦略的にべたべたと距離を詰めてくる。本当に制御不能な発達障害(完全なメクラ)とはまた違うのだろう。
私たちは、自閉症と断定できる特徴を持つ少女に出会ったことが一度もない。しかし、自閉症児の母親の中には、行動が明らかに自閉的特徴を表している人もいた。この観察結果の解釈は難しい。たまたま自閉症の少女がいなかったのかもしれないし、女性の自閉的特徴は思春期を迎えた後に顕在化するのかもしれない。
ちなみにこの本によれば、自閉症の権威であるレオ・カナーは重度の自閉症を診ることが大半で、それに対して、ハンス・アスペルガーは無名であったから軽症の患者を診ることが多かったそうだ。
であるから、ハンス・アスペルガーが自閉という場合、(いわゆる狭義の自閉症ではなく)最近の発達障害者に近い状態と考えて良いのではないかと思う。なんにせよ、孫引きであるから、わたしは元の文章を見ていないし、ここでは漠然と発達障害の話として考えておくことにする。
さて、少女には発達障害の傾向がなく、おばちゃんが発達障害であるというのは、現実でたくさん体験する。落ち着きのない女子小学生はあまり見かけないが、落ち着きのないおばちゃんはうんざりするほどいる。問題なのは、これが本当に障害なのか、ということだ。落ち着きがないのが問題視されるのは、これが自閉的(社交性の欠落)だからであるが、おばちゃんは落ち着きがないことで人との距離を戦略的に縮めているようにも思える。落ち着きがないから障害者だという単純な話ではあるまい。おばちゃんなりの故意の図々しさであり社交術とも言える。ともかく、落ち着きがないおばちゃんというのは現実にとてもたくさんいるのだが、果たしてこれが発達障害なのか、というのはよくよく考える必要がある。あるいは二種類いるのかもしれない。他者との距離を故意に縮めているおばちゃんもいれば、ぼんやりした自閉の世界に入ってしまっているおばちゃんもいるであろう。われわれの頭に浮かぶおばちゃんの多くは故意であろうし、わざとべたべたしてくるのである。発達障害の根幹にあるのは、人を愛するのが迷惑行為という問題である。好意は様々なトラブルを引き起こす。男性ADHDの人でも、いわゆる天然キャラというか、憎めない人懐っこさを武器としていることもあるが、それで好かれるのは少数派であろうし、たいていは嫌がられる。なんとなく思い浮かぶのは有村悠さんである。天然キャラとして愛されることもたまにあるかもしれないが、基本的には「この人に好かれたら怖い」と思われている。おそらく落ち着きが無い人間が障害者扱いされるのは、他人にべたべた接することが多いからであろうし、そのような天然キャラは人畜無害であるように見えて、実は恐ろしい。恋愛感情が憎悪に変わる繰り返しである。男性も女性もストーカーになり得るが、基本的には男性のストーカーの方が危険である。つまり、こういうことだ。うら若き乙女は「恋愛感情を持たれないようにしよう」と気をつけているのである。おばちゃんはそんなことはない。本気で好かれたら困るとか思ってない。おばちゃんは恋愛感情の圏外にいる。だから、好意という原罪とは無縁であり、落ち着きがなく戦略的にべたべたと距離を詰めてくる。本当に制御不能な発達障害(完全なメクラ)とはまた違うのだろう。