練習は自閉的であろうか
練習というのは、なんとなく自閉的なようにも思える。ひたすら鍛錬するのは自閉っぽい。だが、発達障害のお歴々の顔を思い浮かべてみるに、彼らはだいたい練習嫌いである。そして、練習が嫌いなくせして試合には出てくる。なぜ発達障害者は練習嫌いなのかと言うと、まずは時間待ちが苦手だからであろう。筋トレすればすぐに筋肉がつくわけではなく、継続的な練習が必要だから、そこまで待てないのである。カップラーメンにお湯を注いで三分待てば出来上がるとわかっていても発達障害者は待てない。それが練習嫌いの本質である。公式戦なら結果はすぐに出るので発達障害者の好むところである。もちろん、その結果は悪い。こうやっていろいろ考えてみると、練習は自閉的ではないのだが、これはおそらく、誰もがやるような基礎練習と、なにかしら独自の探究のようなものを混同しているのもあるだろう。現実的な基礎練習は、やれば成績の向上は確実だが、そこまでのタイムラグが発達障害者には苦手なのである。むしろ結果などわからずに道なき道を行くというか、杳と知れない未来に向かって、変わり者と言われながら山野を跋渉するほうが、まだ向いているのではないだろうか。なんにせよ、発達障害者という人間のクズは、練習しないのに試合に出てくることが多すぎるので、これは本当に勘弁してもらいたい。待つのが嫌いという人間的欠陥を糞便のように垂れ流しているので、汚臭に塗れるしかない。我が道を行くような修行であれば時間待ちのストレスはなさそうだが、発達障害者が自分なりに物事に打ち込んでいるかというと、ごく一部の人だけである。ほとんどの発達障害者は没頭すべきライフワークをもっていない。たいていは世俗的な好奇心であちこちに首を突っ込んで、他人の眉を顰めさせ、迷惑行為の限りを尽くして、飽きたら別のところで同じことを繰り返すだけである。