久住:さっき、BGMでもいいの?と心配してくれましたけれど(笑)、そういう反応も多いんです。無意識のうちに「これはやってはいけないんだよね」というタブーが刷り込まれている。「著作権フリーにしたら音楽産業が…」というのも、それと同じような気がします。その一方で「リスペクト」の名の下にあからさまなパクリも相変らず横行している。

一人の歌い手に何千、何万人もぶら下がる方が異常だったのかもしれない

昔、マーティ・フリードマンさんに「音楽が売れなくなったというけれど、それは、ある一時期、売れすぎていただけなのでは」と言われたことがあります。

久住:そうかもしれませんね。僕個人の感覚としては、一人の歌い手が何千人、何万人を食べさせるという状況にはちょっと違和感があるし、そういう時期を前提にした仕組みに縛られているんじゃないだろうか、という思いもあります。音楽のあり方は、時代によって変わっていくものだろうと。

 長い目で見れば、音楽の大前提は「共有」で、ほんの一時(いっとき)、「レコード」「CD」という物体と「著作権」の組み合わせですごく儲かる時代があった。音楽がメディアの形を失うことで、レコード以前に戻るんじゃないかな。印税っていうけれど、形がないものには印は押せないよですね。

それをなんとかデータの世界で維持しようとすると、DRMなどの、バーチャルな「印」になるんでしょうね。

久住:そこには、無理があると思います。音楽がデータ化され、ネットが普及して今回みたいに離れた自宅どうしで作曲ができて、20年前なら1000万円級の音楽用の機材が今じゃ最初からマックに入ってるんだもん。

 JASRACに関してぼんやりと、なんかオカシイ。でも、どう言えばいいんだろう、と思い続けていたんです。でもこういうことを行動で示すには、ちゃんと世の中に、ある程度以上届く作品がないと意味ないじゃないですか。負け犬の遠吠えと言うか。ボクにとって「孤独のグルメ」のサントラは、そのいい機会を与えられた、と思ったんです。

(聞き手:山中浩之=日経ビジネス編集)

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