登録日:2021/07/12 Mon 22:41:52
更新日:2022/03/26 Sat 08:53:03
所要時間:約 30 分で読めます
あの夏、僕らには知りたい世界があった
どんなに禁じられても
大切な何かを失っても
秘密を抱えたあの夏、僕たちは少し大人になった…
概要
『あの夏のルカ』(原題:Luca)は、2021年6月18日より「Disney+」にて配信されているディズニー/
ピクサー・アニメーション・スタジオ製作のCGアニメ映画。
また、2021年にアメリカ国内で最もストリーミングされた映画でもある。
監督は本作が長編デビュー作となるエンリコ・カサローザ。
これまでも多数のピクサー映画のストーリー・アーティストとして関わっており、監督初挑戦の『月と少年』は第84回アカデミー賞の短編アニメーション賞にノミネートされた。
日本版エンドソングは井上陽水の名曲『少年時代』のアレンジ版。歌うのはヨルシカのボーカルを務めるsuis。
監督本人の少年時代の経験や、海の怪物にまつわる故郷の伝承をベースに作られた作品で、意外にもピクサー作品で「夏」がテーマになったのは初のこと。
個人的な経験がモチーフになったためか、物語の舞台は海の中と一つの町の中のみという、かなり小さなもの。
その分メインテーマは「ひと夏の冒険」と「子供たちの成長」という身近なものなので、親しみやすい。
世界観もまた、優しく温かな色合いを基調とした牧歌的なもので、特に科学とアートを融合させた水の表現は見どころの一つ。
一方で、子供たちの心理描写は極めてリアル。
何にでもワクワクしたり感動できた瑞々しい感性だけでなく、
自我の目覚めに伴い表れる心の闇も生々しく描かれるため、後半の突き落としっぷりは相当なもの。
特に子供時代に周囲との関係に悩んだ人には、色々と思い当たる節があるはず。
さらに子供たちの物言いは無邪気かつストレートなので、観る側の精神にも強烈に響いたり刺さったりする。
また、シー・モンスターの設定は「素性を隠しながら生きる人々」そのものであり、様々なマイノリティを象徴していると言っても過言ではない。
当然差別問題にも触れているが、この件は
かなりの変化球で描かれるので衝撃的な展開が待っている。
それだけに、自らの弱さを乗り越えて奮闘するクライマックスは大変熱く、その結末には一陣の風が吹き抜けたような爽やかさと、包み込まれるような優しさを感じることだろう。
また、監督は
大のジブリファンであり、あちこちに散りばめられたオマージュを探すという楽しみ方もできる。
他にも様々な名作映画のオマージュも込められているので、探してみよう。
『
スタンド・バイ・ミー』やフェリーニ映画、ネオレアリズモ映画などを観ておくと雰囲気がつかみやすくなって、時代背景の理解が深まるかも。
元々は全世界での劇場公開が予定されていたのだが、2021年3月にDisney+のサービス対象国に関しては配信のみで展開する方針に変更され、日本も例外なくそれに準じることになった。
この方針が最初に適用された『ムーラン』(実写映画版)で、ディズニー配給映画の全世界の公開方式の決定権を
アメリカ本国のディズニーが握っているという実情が浮き彫りになり、
同作や『ソウルフル・ワールド』を一部の国では配信のみに移行したことを巡っては、コロナ禍でアメリカの映画館が長期休業を余儀なくされたという事情を考慮しても
賛否両論が相次いだが、
本作に関しては制作に携わったスタッフからも苦言を呈されている。
アメリカや
日本などで今後の劇場公開が可能なのかは不明だが、Disney+が展開されていない国々では普通に劇場公開されているため、
「本作を含めた配信限定作品を大スクリーンで観る機会があってほしい」という声は少なくない。
あらすじ
1950年代の北イタリア・リグリア州の港町ポルトロッソ。
そこの住民は海の怪物シー・モンスターを恐れ、一方のシー・モンスターも人間を恐れていたため、両者の世界には大きな隔たりがあった。
ある日、シー・モンスターの少年ルカは海底に沈んだ人間世界の品々に興味を持ち、それがきっかけで陸で暮らすシー・モンスター、アルベルトと出会う。
この出会いで禁断の領域である地上に初めて足を踏み入れたルカは、アルベルトと共に人間世界の乗り物「ベスパ(イタリアを代表するスクーター)」に憧れるようになる。
しかしこのことが両親に知られ、深海のおじのもとに預けられそうになったルカは家出を決行。
かくしてルカとアルベルトの二人は、ベスパを手に入れるべく、ポルトロッソの町に足を踏み入れるのだった。
───これは、二人の人生と二つの世界を大きく動かした、“ひと夏の奇跡”の物語。
登場人物
(CVは原語版/吹き替え版)
シー・モンスター
海の中に生息する、半魚人を思わせる姿をした種族。
監督曰く、彼らは自分たちの種族を「sea folks(海の人々)」と呼称しているとのこと。
作中の描写を見る限り、海草を育てる農業や牧畜の魚版で生計を立てている模様。カニのコンテストも行われているらしい。
他にも料理や読み書きの概念はあるが、学校や貨幣制度など人間世界にごく普通にある制度は持っていない。
最大の特徴は、
体が乾くと人間の姿になり、水にぬれると元の姿に戻るというもの。
アリエル涙目。
しかし地上の人間を「陸のモンスター」と恐れるあまり、陸に上がることやその正体を見られることは最大の禁忌として扱われている。
そのため、この体質については彼らの間でもあまり知られていない模様。
なお、
姿や生息地以外は人間と何一つ変わらない。
この設定こそ、本作のテーマの一つである「相互理解」を象徴していると言えるだろう。
また、監督によると、代を重ねるごとに怖さが薄れていくようにデザインされたという。
この辺にも、歩み寄りのメッセージが込められているのかもしれない。
ちなみにファミリーネームはすべて、魚介類で統一されている。
小説版では「○○のシー・モンスター」と表記されているので、見た目ではわからなくてもその生物の性質を持っていると思われる。
(パグーロ…ヤドカリ、スコルファノ…カサゴ、ブランジーノ…
スズキ、アラゴスタ…ロブスター)
※小説版限定
(ガンベレット…エビ、メルルッツォ…タラ)
主役二人の由来であるヤドカリには「臆病者」、カサゴには「危険」「醜い」というニュアンスが含まれている。
……これを見て嫌な予感がした方も多いだろう。その予感は正しい。
CV:ジェイコブ・トレンブレイ/阿部カノン
本作の主人公。12歳。11月20日生まれ。
内気で臆病な性格だが、無邪気で好奇心旺盛で頭の回転が速く、思ったことはハッキリと主張するタイプ。そしてある意味トラウマメーカー。
空想癖があり、新しい物事を知るたびに空想の世界に入りこんでしまう。
これらは知ることの喜びがイマジネーションあふれる映像で描かれ、微笑ましくも大変美しい。
また、その洞察力の高さから相手の弱みを見抜く能力に長け、煽りスキルも何気に高い。
臆病さばかりが強調されがちであるが、実際はかなりのハイスペックキャラだったりする。
羊飼いのようにヒメジの群れを管理する仕事をしながらも薄々海の上に憧れていたが、アルベルトとの出会いをきっかけに、初めて陸地に上がる。
彼と一緒に遊んだり、手作りのベスパ開発にハマったりしているうちにだんだんと帰りが遅くなり、おじの元に預けられそうになる。
が、すでに陸地を知った彼にとって暗く単調な深海の生活は耐え難いものだった。
家出を決行し、アルベルトと共にポルトロッソへ足を踏み入れる。
そこで出会ったジュリアと知り合い、ポルトロッソカップでは自転車レースを担当することに。
彼女との交流を通じて学校へ憧れるようになるが、それはアルベルトとのすれ違いを意味していた。
レースを前日に控えた坂道下りの練習の際、危険を顧みない無茶なやり方を押しつけてくる上、学校への憧れを否定し続けるアルベルトと喧嘩になってしまう。
しばらくして心配したジュリアが駆けつけてきたが、学校に行くことに固執するルカの姿に失望したアルベルトはついに一線を超え、ジュリアの前で自身の正体を暴露。
アルベルトの目論見通り、怯えるジュリア。
今まで築き上げてきた信頼関係をすべて破壊しようとする、親友の正気とは思えない行動を目の当たりにしたルカは……
ショックのあまり保身に走り、
親友はおろか、自身のアイデンティティすら拒絶する言葉をぶつけてしまったのである。
友人二人から突き放されたアルベルトは、その騒ぎを聞きつけたエルコレ一味が襲撃してきたこともあり逃げて行った。
そしてルカ自身もまた、自らの行いに深い恐怖と後悔を感じていたのだった……
この件は、
それまで「いい子」を自負していたルカが、親友の暗黒面を目の当たりにした恐怖から自らも道を踏み外してしまうという、実に皮肉なシーンとなっている。
加えて、臆病さや地頭の良さだけでなく、「人間世界で多くの知識を身につけたい」という芯がしっかりしていた故の行動だったというのが、よりその皮肉さを強めている。
そもそもアルベルトをかばう、同調するという選択肢を選んだ所で、この状況では夢や居場所を失うリスクの方がはるかに大きかった。
つまり
まともな行動を取った所で詰んでいた可能性が非常に高く、冷酷とはいえある意味合理的な判断をしたということになる。
なお、そこまでして必死に正体を隠したのもむなしく、
直後にジュリアにあっさり正体を見破られ、これ以上この町にい続けるのは危険だと警告される。
ルカの苦しい立場を知ったためか、アルベルトの時より対応は優しいものの、
事実上の家追い出しである。
その日の晩、壊れた塔へ謝罪に向かうと、内部は荒れ果て、アルベルトはすっかり心を閉ざしてしまっていた。
新たな世界に導いてくれた先輩の面影はもはやなく、さりとて怪物に徹することもできなかった哀れな姿が、そこにあった。
受けたショックはあまりに深く、なじり罵りすべてを拒絶してくるアルベルトだったが、唯一まともに話したのは───自らの過去。
「お前は俺と違っていい子だけど、俺は何でもぶち壊してばっかりだ……」
彼の悲しい境遇を知ったルカは、それでもレースに勝ってベスパを手に入れると宣言。
塔から後ろ向きで飛び降りて、勇気を示したのである。
ちなみに序盤アルベルトが塔から飛び降りる場面があるが、この時は正面からだった。
……ルカは過ちを乗り越え、大きく成長しようとしていた。
そのある意味自分以上の無茶ぶりを見たアルベルトも、多少我に返ったようだった。
迎えたレース本番、結局アルベルトが戻って来なかったため、チームを分けて出ることに。
自転車は海に沈んでいたものを調達したものの、正体バレのリスクのある水泳はどうしたのかと言うと……
なんと、序盤アルベルトが着ていた潜水服を着込んで海底を歩くという力業で突破。
エルコレが「まともな水着も買えなかったのか~?」と煽っていたけど、ぶっちゃけ子供サイズの潜水服を用意できる方がよっぽどすごいと思う。
パスタの早食いもフォークの使い方をジュリアに教えてもらい突破。一緒に暮らしてたんだからその時に教えてやれよ……
最後の自転車レースでは、それまでの遅れを取り戻す走りでエルコレを追い抜きトップに立つも……
「そんな、噓でしょ!?」
シー・モンスター最大の天敵、大雨襲来。ルカはひさしの下から動けなくなってしまう。
こうしてルカは八方塞がりの状況に追い込まれた……と、その時!
この危機に、傘を持って駆けつけたその姿。それはショックから立ち直ったアルベルトだった。
しかし立ち止まっている間にもエルコレが追い上げていた。
エルコレに蹴飛ばされたアルベルトは倒れこみ、傘も吹っ飛んで……人々の前で正体が暴かれた。
さらにエルコレの投げた網にかかって動けなくなるという大ピンチだ。
一度は臆病さから、正気を失ったアルベルトを見捨ててしまったルカ。しかし、この時の彼はもはや以前とは違っていた。
「やめろ!」
ルカは勇気を振り絞って雨の中へとペダルを漕ぎ、本来の姿があらわになりながらも友を助けた。
「お前本当にどうかしてるな!」
「君のマネしたの。……海へ帰ろう!」
親友のかつての無茶な行動を許し認めつつ、二人はもはやレースそっちのけで狩ろうとしてくるエルコレの攻撃をかわしながら、見事一着でゴール。
ポルトロッソに来て以降、純粋さ故に無意識にアルベルトを傷つけていたルカだが、最後はその純粋さが親友の心を動かしたのだった。
レースで優勝を果たした後、アルベルトや家族の後押しもあって、ジュリアと共にジェノバの学校に通うことになった。
さらにその後はジュリアの母ばかりか、クラスの生徒や教師に正体を明かした上で学校生活を謳歌するというコミュ力お化けっぷりを発揮しているようだ。
モデルは監督の少年時代。
ちなみに原語版の声優を務めたジェイコブ・トレンブレイ君は『ワンダー 君は太陽』でも、他とは違う外見を持つ子供を演じている。
CV:ジャック・ディラン・グレイザー/池田優斗
地上で暮らしているシー・モンスターの少年。14歳。9月25日生まれ。
服装が
某未来少年っぽい。
ルカとは対照的に活発かつ大胆不敵で、自由に憧れる享楽的な性格。
そして本作の鬱要員。
父親は出かけることが多いらしく、無人島「イソラ・デル・マール」の壊れた塔の中で一人暮らしをしている。
ルカを地上に導いた張本人で、地上の物事や、勇気が出るおまじない「シレンツィオ・ブルーノ(黙れブルーノ)!」を伝授する。
地上の品々をコレクションするする趣味があり、中でもベスパに興味津々。これを手に入れて、ルカと一緒に旅をするのが夢。
ポルトロッソカップではパスタの早食いを担当することに。
が、ルカとジュリアが親密になったり、夢への方向性が違ってきたことから溝ができ始め、ルカとぶつかり合う。
指図されることを嫌っていたはずなのに、ルカの変化を受け入れられず指図ばかりするようになっていくのは中々皮肉な光景。
さらに学校に行きたがるルカに対し、シー・モンスターと人間の平和的な共存が不可能だと証明すべく、ジュリアの前で自らの正体を暴露してしまう……
という具合に、後半では頼れる兄貴分から一転、嫉妬をはじめとした
あらゆる精神的な弱さを見せるようになっていく。
一方で、現実でも親友が他の子と仲良くしていたり、後輩が急成長していく姿を見たりして、置いて行かれたような気持ちになったことのある人も多いはず。
そういう意味で、共感しやすいキャラと言えるだろう。
終盤に差しかかるころ、実は父親がずっと帰って来ていない事実が明かされた。
本人の言葉から察するに、おそらく捨てられた可能性が高い。
加えて、今まで父親以外の他者とも上手く関係を結べなかった可能性すら示唆されている。
父親もまた地上で暮らしていたため、地上に上がること自体が禁忌であるシー・モンスター社会では、親子そろって鼻つまみ者扱いされてもおかしくない。
父親が残した「一人で生きろ」の発言は一見自立を促すものに見えるが、実際は誰にも頼れない状態に置かれていたはずだろう。結局呪いの言葉でしかない。
つまりアルベルトにとってルカは、終わりの見えない孤独から救い出してくれた恩人という、単なる友人の域を超えた重い意味を持った存在なのである。
この出会いにより孤立していた状況から脱した彼であるが、それでも陽気さや大胆不敵な振る舞いの裏には常に大切な存在を失うことへの恐れが付きまとっていた。
おそらく、ルカには自分をずっと慕ってくれる存在でいてほしかったのではないか。
それなのに、ジュリアや学校のことに夢中になって共通の趣味への関心が薄くなるわ、自分の信じる世界を(悪意はないとはいえ)否定してくるわで、次第に相手にされなくなっていく……
長い孤独からようやく脱した矢先にこれ。プライドが傷ついたり、孤立感を募らせたりするのも無理はない話である。
人間世界に憧れていたはずなのに、新たな知識や考え方に触れることを忌避するようになっていったのは、やっと得た心のより所を失いたくない故の防衛反応だったのだろう。
禁忌を破ってでもルカの入学の夢を壊し、ジュリアとの仲を引き裂こうとしたのも、彼がどんどん離れていくと思い詰めた末のものだったのだろう。
そして、恩人にすら見捨てられた彼の絶望は如何ばかりであったか。
しかしルカ側からすれば、新たな世界に行くことを初めて肯定してくれた親友が豹変してきたようにしか見えなかったはずだ。
自分から人間世界に行こう、自由になろうと誘っておきながら、いつまで経っても人間への不信感を改めない、都合が悪くなれば束縛してくる。よく考えると身勝手な話である。
身近にはマッシモという、(仕事柄天敵とはいえ)その能力や働きをきちんと評価し信頼してくれる大人もいたのだが……
実際監督からも、自身の正体をバラしたことについて「多くの意味でルカを裏切っている」とまで言われている。
それに加えて、現在の脚本になる前の段階ではルカの正体までジュリアの前でバラすという、さらにタチの悪い行動も用意されていたという。
後述の没設定といい、もはやエルコレとどっちがヴィランなのか分からなくなるレベルである。
このように、ルカへの思いを友情から執着へと変質させていったアルベルト。
そのためか、ルカ以外の相手に対して自分からまともにコミュニケーションを取る気があまりなく、ルカからも人間への恐れを持ち続けているのを見抜かれていた。
ジュリアからポルトロッソカップについて聞き出すときも半ばルカの言いなり状態だったし、その後彼女と友達になっても、やがて嫉妬の対象と見なすようになった。
彼の望んでいた自由の本質はルカと二人だけでい続けるのが前提という、極めて閉ざされたものでしかなかったのだ。
そのことを考えると、彼が望む形の自由は、住んでいた「イソラ・デル・マール」とその周辺の海にしか存在しなかったと言えるだろう。
また、小説版では「いつもリーダーシップをとる」と評されているが、裏を返せば常に相手より上の立場にい続けることでしか関係を構築できなかった。
それでも以前はルカのアイデアを柔軟に取り入れる姿勢を見せていたのに、自分は絶対に正しいという態度で接するようになっていったら……失望されてもおかしくない。
他者はおろか、一番大切な親友も尊重できずに裏切りに走ったアルベルトは、さらなる裏切りで返されるという、最も恐れていた形で報いを受けたのだ。
奇跡的に孤立から脱せても、その境遇故に社会性が育っていないため周りと問題を起こし、結果的に自滅してしまう。そこにアルベルトの悲哀がある。
そして相手の心を粉々に打ち砕き、自身のアイデンティティすら否定したルカにも、当然重い代償がつくことになる。
二人は立場上は被差別側ながらも、お互いエゴを押し通すために人間の差別意識を利用したあたり、単純な被害者とは言えない存在なのである。
結局この事態は、人間世界で多くの知識を身につけたい=大人になりたいルカと、ずっと自分についてきてくれる友達が欲しい=失われた子供時代を取り戻したかったアルベルト……
本心で望んでいたものが食い違っていた故に起きた悲劇と言える。
その後も、
- 過ちを謝罪し、何を言われても毅然とした態度を貫いたルカとは逆に、相手をひたすら拒絶し自己嫌悪に逃げ続ける
- レースは事実上の放棄(正体暴露の時点で実質投げ出しているが)
と、受けた仕打ちが仕打ちとはいえ、さらなる弱さを露呈してしまっている。
知識やコミュ力どころか、精神性でも差をつけられているのだ。
それでも同情する声が多いのは、やはりその背景に加え、小さなすれ違いの積み重ねから徐々に負の感情をこじらせていき……という過程が丁寧に描かれたことが大きいだろう。
ポルトロッソに来て以降「物知りで頼れる先輩像」のメッキが剥がれ続けていた所に、ルカの言葉がトドメとなって、完膚なきまでに壊れてしまった彼の自我。
それまで築き上げた自分自身は、脆い虚構でしかなかったことを突きつけられた瞬間と言える。
が、その後のルカの誠意ある対応がきっかけで、一皮剥けたのもまた事実なのである。
ルカやジュリアと関係を修復し、ポルトロッソカップで優勝した後、(中古品とはいえ)念願のベスパを購入。
しかし彼は、ここにたどり着くまでの紆余曲折から、本当に大切なことに気づいていた。
ジュリアとの別れの日、彼女がジェノバ行きの汽車に乗った後、ルカに言う。
「あ~、それなんだけどさ。どうかしてるよな……売っちゃったんだよね」
かつて壊そうとしたルカの夢を受け入れ、それを叶えるためにベスパを手放し、ジェノバ行きの切符代に変えたのである。
さらにジュリアの母親にルカを泊めてくれるよう頼みこんでいた。しかし、マッシモが自分を必要としているため、一緒に学校に行くことはできないという。
「僕、君がいないと無理だよ」
「俺はずっと一緒だ」
そう言うと、見捨てられたショックで破いた部分を補修した、二人でベスパに乗るイラストを差し出した。
「今度崖から飛び降りる時や、ブルーノに黙れっていうときはさ、俺を思い出せ」
「でも……君は一人で大丈夫……?」
アルベルトはルカをきつく抱きしめると、絞り出すような声で言った。
「お前が島から連れ出してくれた……もう大丈夫だ」
マッシモの元で暮らすことになった彼は、旅立つ親友に全力でエールを送るのだった……
彼は自由に憧れていたが、置かれていた状況を考えると、まず温かく受け入れてもらえる場所を見つけるのが最重要だった。
ルカと一緒に学校に行くことは叶わなかったものの、漁師の家なので、海生まれの彼にとってぴったりの職場もある。十分お釣りの来る居場所と言えるだろう。
また、別れ際にルカと出会った時に発した謎の挨拶「ピアチェーレ・ジローラモ・トロンベッタ!」を使っているが、その意味を問われた時「わかんない。調べて教えて!」と返している。
今までは知らない事柄についても知ったかぶりしたり、自分の間違いを意地でも認めない態度を見せていたアルベルト。
ルカと真の意味で打ち解け、安住の地を得た安心感からか、悪い意味でのプライドの高さが改善されたことがうかがえる台詞となっている。
この救済のされ方を考えると、ある意味ピクサーの過去作『リメンバー・ミー』で残された、
「身寄りがなかったり、実の家族から愛されなかった者に救いはないのか」という疑問への回答と言えるキャラなのかもしれない。
その背景を知った上で主題歌の『You Are My Sunshine』やエンドソング『Città vuota』の歌詞などを見ると、また心に来るものがあるだろう……
モデルは監督の親友。さらにイタリア語版ではご本人が漁師役でカメオ出演している。
現在はイタリア空軍のパイロットを務めているのだとか。
大変好奇心旺盛な方だったらしく、監督は「彼のおかげで僕も色々なものにチャレンジすることができました」と語っている。
一方で、それだけ深い絆を育んでいた友人がモデルというだけあって、後半の悲劇については「友人をほぼ殺してしまったような気分でした」と胸を痛めていた。
CV:マーヤ・ルドルフ/高乃麗
ルカの両親。
パワフルだが過保護な母と、尻に敷かれっぱなしの父というテンプレのような組み合わせ。
地上へ家出したルカを心配するあまり、こちらも地上に上がって探し始める。
しかし変身後の息子の姿を知らなかったため、
町中の子供たちを海や噴水に突き落としたり、頭上に水風船を落とすなどして探していた。
なお、その際にダニエラはしれっとサッカーの才能に目覚めていた。
また、ロレンツォの方は吹き替えでは中の人つながりで、『
フォースの覚醒』ネタがある。
ポルトロッソカップでは給水所のボランティアとして潜り込むが、参加した子供たちに顔を覚えられており
全員から拒絶されてしまった。
CV:サンディ・マーティン/青木和代
ルカの祖母。
地上を訪れた経験があるらしく、孫が陸の世界に興味を持ったことに理解を示し、かばってくれる。
そして本作屈指の名言を残した人格者である。
週末はたいてい地上に来ているらしい。そりゃルカに理解があるわけだ。
CV:サシャ・バロン・コーエン/落合弘治
ルカのおじで、ロレンツォの兄。
深海に生息しており、体は半透明で内臓が透けて見えるという不気味な姿。
ルカに深海生活の素晴らしさを説くが、地上の素晴らしさを知ったルカには通じなかったのであった。というか露骨に嫌われている。
ぶっちゃけエンドロール後のオマケ要員。
ちなみに裏設定によると、水面に上がろうとした結果殺されかけ、以降禁欲的な深海生活に移ったのだという。
人間と良好な関係を築き、広い世界を知ったルカと対照的な存在と言えるだろう。
ポルトロッソの人々
ポルトロッソはイタリア北部にある港町。
温かなムードが流れる田舎町で、毎年夏に子供たちによるトライアスロン大会「ポルトロッソカップ」が開催される。
このレースの優勝賞金でベスパを購入するため、ルカとアルベルトはジュリアとチームを組んでこの大会に参加することに。
しかし、この町でシー・モンスターは敵視されており、
彼らを狩る絵やオブジェがあちこちにある。
おかげで、水が少しでも体につくだけで化けの皮が剥がれてしまう体質の二人は、必死に正体バレを回避しながら暮らすことに……
モデルになったのは
世界遺産チンクエ・テッレ。名前の由来はポルトヴェーネレ+モンテロッソ。あるいは『
紅の豚』のポルコ・ロッソから。
二人が世話になるマルコヴァルド家の名前の由来は、イタリアの文豪イタロ・カルヴィーノの『マルコヴァルドさんの四季』からと思われる。
レースは水泳・パスタの早食い・自転車レースの順で構成されている。
ランニングがパスタの早食いになっている理由は、このレースのスポンサーの女性、マルシリエーセ夫人が地元のパスタ会社「ジョルジョ・ジョルジョーニ」に勤務しているため。
ちなみに出されるパスタの種類は毎年変わる。
三人チームで出場することも可能だが、なぜか個人参加と部門が分かれている様子がない。
マルシリエーセ夫人の台詞や小説版の描写を見る限りだと、案の定というべきかチームで参加するのが主流のようである。
もはやリレーと言った方が正しいのでは……?後述のエルコレの件もあってルールはガバガバもいい所である。
CV:エマ・バーマン/福島香々
魚売りの少女。13歳。3月18日生まれ。
服装が
某飛行クラブの少年っぽい。
勝気な性格で汗っかき。驚くたびにチーズの名前を出す癖がある。
ポルトロッソカップの優勝を目指しているが、毎年エルコレに負けている。
さらに自転車レースの途中で吐いてしまうらしく、下り坂まで行けたことがない模様。おまけに泳ぎもぶっちゃけ上手いと言いがたい。
エルコレ一味に因縁をつけられたルカとアルベルトを助けたのをきっかけに、三人でチームを組むことに。水泳の担当は彼女となった。
大会の常連だが、ポルトロッソにいるのは夏の間だけで、それ以外の時期は母と共にジェノバで暮らしている。
彼女もまた、
ポルトロッソ内ではよそ者なのである。そのためか、シー・モンスターの実在を信じていない。
これらから考えると、毎年よそ者扱いされる環境で働きながら優勝目指してトレーニングに励むという、かなりハードな夏休みを過ごしているようである。
さらにチームを組んで参加するのは初めてらしいので、それ以前は
体質の件も含めて不利な条件で戦い続けていたことになる。
読書家の一面もあり、ルカに星や宇宙の知識を教え、本までプレゼントするという気前の良さを見せた。
天文学の発展クラスへの進学を希望する発言をしているが、イタリアでは14歳で高校生となる。
さらにイタリアでは得意分野を伸ばすことに重きを置いているので、高校は専門分野ごとに細かく分かれている……という具合に、文化の違いを感じさせるキャラクターである。
このように色々苦労人かつ応援したくなるキャラであるが、アルベルトから見ると違う種族出身の女の子の上に、気が強くて教え上手と性格が似通っており、かなり相性の悪い相手と言える。
おまけに人間なので、地上の知識の精度も段違い……
彼女の登場で、ルカとアルベルトの関係は大きく揺らぎ始めるのだった。
CV:マルコ・バリチェッリ/乃村健次
ジュリアの父で漁師兼シー・モンスターのハンター。
かなりの大柄で、生まれつき右腕がなく、左腕にシー・モンスターを狩る刺青が入ったいかつい姿。
ルカとアルベルトは、漁の手伝いをするという条件でこの家に居候することに。
経済的にかなり苦しいらしく、ポルトロッソカップの参加費の支払いにも事欠いていたが、二人のおかげで大漁となり無事調達できた。
二人にとって天敵のはずなのだが、上記のように居候の許可を出したり、アルベルトが姿をくらませたときには探しに行ったりと、何だかんだでかなりいい人。
というかルカのおばあちゃんに並ぶ、
本作屈指の人格者。
家ではマキャヴェリという、
某野良猫にそっくりな猫を飼っている。
ちなみにマキャヴェリは、初めてルカとアルベルトの正体に気づいた存在である。
モデルは監督のデビュー作『月と少年』の父親。腕が欠損してないことを除けばほぼそのまんま。
本作のヴィランポジション。いつもチッチョとグイドという子分とつるんでいるチンピラ。
町の人々から嫌われ、子供たちからも委縮されているが、本人は皆から愛されるヒーローだと思いこんでいる。
ルカが蹴ったボールが偶然彼のベスパに当たり、倒してしまったことから二人に因縁をつけまくる。
この件で彼らの正体に薄々勘づいたのか、警察がシー・モンスターの目撃談を探しているのを知ると、しつこく付きまとうようになる。
また、5年連続ポルトロッソカップのチャンピオンで、ジュリアにとっては宿敵。
……なのだが実は年齢制限をオーバーしているのをごまかしている。
前年から16歳と主張していたらしいので、少なくとも17歳、下手したらイタリアの成人年齢である18歳以上の可能性がある。
というか監督が自身のツイッターで「18から19くらいだと思います」と発言している。
それ以外にも色々ルール違反しまくっているが、なぜかお咎めを受けている様子がない。
ちなみに小説版によるとカナヅチらしい。ルカたち同様チームで参加していたのもこのためだと思われる。
ポルトロッソカップのゴール目前で、初めて下り坂まで行けたジュリア捨て身のアシストもあって、ルカとアルベルトに一着を奪われる。
最後の悪あがきとばかりに、自分たちの中にシー・モンスターへの恐れがあるのを認めつつ、それを利用して町民を焚きつけようとするが、マッシモが間に入ったことで失敗。
結果的にルカたちの優勝が認められ、さらに長年恐れ合っていたこの町の人間とシー・モンスターの間にも和解が成立。
トドメに子分二人にもあっさりと裏切られてしまった。
ジュリアの言葉通り、ずるいエルコレの時代はこうして終わりを迎えたのだった。
他者より上の立場でないと気が済まないのは彼だけでなく、(ぱっと見では分かりにくいとはいえ)アルベルトも似たようなタイプだった。
が、あちらは友情の積み重ねがあったおかげで、周囲と衝突しても関係を修復し、他者を尊重する姿勢を身につけることができた。
逆にエルコレの場合相手を力で従えることしかできなかったため、結果を出すのに失敗した途端周りから相手にされなくなるという対照的な結末となっている。
また、成人年齢になっても子供の大会に参加し続けていた姿は一見滑稽だが、ポルトロッソ内に同年代と思しき住民の姿がほぼ見えないことを考えると、一気に笑えないものとなる。
現実的に考えると、他の同年代はジェノバなどの都会に働きに出て行ったのだろうか。
つまり彼は、大人になれないまま井の中の蛙状態なのだ。実際監督も、その旨の発言をしている。
ファミリーネームの由来は、イタリア映画界の巨匠ルキノ・ヴィスコンティからか。
ちなみにヴィスコンティ監督は貴族の出身。名前負けしすぎだが、数多のルール違反が黙認されている背景もうかがえるネーミングである。
余談
本作は公開前から名作BL映画『君の名前で僕を呼んで』と比較され続けている。
確かに夏のイタリアが舞台、青少年の心の交流という共通点があるが、監督自身は想定外だったらしく「これはプラトニックな友情の話」と否定していた。
他者との違いを受容する話であることを考えると、キャラクターを特定の属性だけで決めつけるのは、本質を見逃していると言えるだろう。
しかしLGBTQ+などマイノリティの共感を得たのは確かで、監督はその後「二人の関係については言えないが、LGBTQ+コミュニティにとって本作がそうである事は光栄に思う」とコメント。
また、原語版のアルベルト役のジャック・ディラン・グレイザーは続編の可能性について問われると、
「僕たちがまた一緒になって、恋に落ちたらクールかもね」と語っている。
さらに彼は
バイセクシャルであることを公表しており、『君の名前で僕を呼んで』のルカ・グァダニーノ監督が手掛けたテレビドラマ『僕らのままで』の主人公を演じている。
ちなみに、日本版エンドソングの『少年時代』も、原曲が映画版主題歌となった同名作品は、一部ファンから好きな子に素直になれないBL要素を指摘されていたり……
ルカが姿をコロコロ変えながら海の上をジャンプしていくシーンがあるが、これは『
おおかみこどもの雨と雪』を意識しながら作ったものだという。
自身の能力を知ったルカの喜びが伝わるシーンだが、ストーリー進行に関わる場面でなかったため周囲からは
相当な不評で、何度も「このシーンいる?カットしたら?」と言われたらしい。
ジブリ映画へのオマージュあふれる作品だけあって、本作は
食事シーンが印象的。
中でも
「トレネッテ・アル・ペスト」は、ピクサー公式インスタグラムにてレシピが紹介されている。
序盤ルカが海中でカードを拾う場面があるが、そのモデルは
タロットカードの
小アルカナ「カップのペイジ(小姓)」だと思われる。
感性豊かで素直な若い心を表すカードで、この作品のテーマにぴったりと言える。
例として、正位置だと「愛嬌」「想像力」「柔軟性」など。逆位置だと「臆病」「依存心」など精神的未熟さを表す。
アルベルトの左腕には、よく見ると傷跡がある。
人間時はうっすら程度だが、本来の姿だと深くなっており、痛々しいものになっている。
元は映画音楽の巨匠
エンニオ・モリコーネが音楽を担当する予定だったが、2020年7月6日に彼が死去したことに伴い変更された。
……と言われているが、これは監督直々に「
ウィキペディアに勝手に書かれたもので、根も葉もない噂に過ぎません」と否定している。
シー・モンスターの少年たちは元は三人組で、チッチョが三人目になる予定だった。
しかしルカとアルベルトの関係性を描く上で邪魔になり、エルコレの子分に格下げされてしまった。
哀れな話だが、友達三人による人間関係の難しさを描いた作品になったのを考えると、ある意味象徴的と言える。
レースで水泳を担当していたのは、おそらく元の設定の名残なのだろう。
また、彼らがポルトロッソを訪ねるのは祭りの日という設定だったが、展開が複雑になるため廃止された。
幻のOPでは、シー・モンスターたちは普段は本土から3キロ離れた小島で人間の姿で暮らし、本物の人間が近くにいなくなると本来の姿に戻り、海に帰るという生活をしている。
アルベルトが無人島に暮らしていたのは、この設定が下敷きになっているからと思われる。
終盤で正体を明かしたモブのおばさん二人組。実はこの二人にもちゃんと名前がある。
ピヌッチア(pinuccia)とコンチェッタ(concetta)のアラゴスタ姉妹。
脚本のジェシー・アンドリューズ曰くモデルは大家をやっていたそうで、「無愛想で、3年間一度も笑顔を見なかった」らしい。
普段気づかないだけで身近にもマイノリティはいるというメッセージの象徴だが、この時見せた清々しい表情からは、長年差別の目から逃れる日々を耐え忍んできたことが偲ばれる。
当初の構想によると、終盤アルベルトは
クラーケンに変身してしまい、ルカが彼を守ろうとする展開になる予定だったらしい。
もしこれが実現していた場合、実際の展開込みで考えると本格的に
闇堕ちが描かれた可能性も……?
さらに『
ロミオとジュリエット』のような展開が用意されていたことも示唆されているが、子供の世界を描く上でマッチしなくなったという。
これも実現していたら、さらにハードな作風になっていたことは間違いないだろう……
エンドロールでは登場人物たちのその後が描かれているが、これは『
となりのトトロ』のオマージュ。
楽しそうに過ごしている彼らの姿は必見。また、本編で出てこなかったジュリアの母もここで登場する。
さらにクレジット内には
「私たちを水の中から引き上げ、道を見つける手助けをしてくれたすべての友人たちへ」という、本作になぞらえたメッセージが見られる。
2021年11月26日に公開されたディズニー作品の『
ミラベルと魔法だらけの家』で、同じ名前を持つキャラが二名登場する。
ブルーノは本作ではあくまで架空の存在だが、不吉な者として扱われているところが共通している。
フリエッタは綴りと発音が違うがジュリアと同じ由来の名前。さらに小説版でジュリアは「ジュリエッタ」と呼ばれる場面が存在する。
ピアチェーレ・ジローラモ・トロンベッタ!
ねえ、それって、どういう意味なの?
わかんない。調べて追記して!
- 最初は「ふーん」ってかんじだったけど、BL要素上げられてるって言われてなんか萎えた。 -- 名無しさん (2021-07-27 23:50:46)
- BL要素みたいなのは監督が否定しとるで -- 名無しさん (2021-08-11 09:42:30)
- ド直球の友情物で勝手にカップリングし出すのはどこも同じやね(クソデカため息) -- 名無しさん (2021-08-12 18:33:28)
- 鬱やらエグイやらとほんのり聞いてて、不安的中だったけど、見てよかった。繰り返して見たい映画だった -- 名無しさん (2022-02-06 00:37:58)
- 泣いた赤鬼になるんじゃないかと思って冷や冷やした。アルベルトクラーケン化ルートになってたらマジでそうなってたかもね。 -- 名無しさん (2022-02-06 00:39:20)
- ↑その「クラーケン化したアルベルト」は最近無料公開されたアートブックにもいなかったから、相当初期の段階でボツになったぽいね。一応髪が頭足類状になったアルベルトはいたけど -- 名無しさん (2022-02-07 08:58:04)
- 前情報の段階で妙に不穏で殺伐としてたのである程度覚悟した上で臨んでも、予想外の方向からぶっ刺してくるんだよねこれ。アルベルトは普通に青鬼やスタンド・バイ・ミーのクリスルートだと思っていただけに、ラストは心底ほっとした -- 名無しさん (2022-02-07 09:18:29)
最終更新:2022年03月26日 08:53