渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

個人ビルダーのキュー 〜カスタムキュー〜

2022年03月27日 | open



個人ビルダーの製作したキューを
「カスタムキュー」と呼ぶ。
カスタムとは、オーダーメイド、
誂え品、特別仕様の事を指すが、
注文製作ではなく、出来上がった
作品を買う場合もそれはカスタム
キューと呼ばれている。
つまり、ビリヤードの世界では、
日本刀とは異なり、注文打ちのみ
が本来の言葉の意味を持つのでは
なく、個人作者のキューはすべて
カスタムキューというカテゴリー
分けをしている習慣がある。

1970年代から1990年代にかけて
多くの日本人の上級者が好んだ
アメリカン・カスタムキューの
作者に日系人のTADの作がある。
本名コハラタダチさん。原爆投下
の時は廿日市市にいた。その後、
アメリカに戻り、さまざまな職に
就いたのち、カリフォルニア
TADファミリー・ビリヤードと
いうビリヤード・パーラーを経営
する。
客からの要請でハウスキューを改
造したり、修理をするうちにだん
だんそちらの依頼が増えて来た。
当時のカスタムキューはバラブシ
ュカ等が有名だが、高価過ぎて庶人
は持てなかったとTADさんは言う。
そして、バラブシュカのような2本
繋ぎで高性能のキューが欲しいと
多くの人からコハラさんは何度も
要請された。
ギャンブラーを含めた実に多くの
人たちと朝のレストランで食事し
ながら、彼らが望むキューの性質
についてコハラさんは聴いた。
そして、ビリヤード場を閉じて、
フルタイムのキュービルダーと
なった。かつて家具職人として腕
覚えがあった事も背中を押した
のだろう。
やがて、TADキューは日本では
「いつかはTAD」という憧れ
カスタムキューとなって行った。



私はこれまでTADキューは8本程
しか実際に撞いた事がない。
なのでTADについて詳細を語る事
はできない。
だが、感じた事はある。
どれも個体差があったのだが、あ
る種の共通項を感知した。
一番「うわ、なにこれ?」と感じ
たのは亡くなった同学年のプロの
愛用していたTADで、次が大阪の
道頓堀で撞かせてもらった上級者
のTADだった。
TADの一番TADらしさが明確に出
ていた。
それは切れ味鋭くキューがよく利く
のでメウチのような柔らか系かと
思いきやそうではなく、かなり芯
の通ったスティフさを持ってい
のである。
それは単に硬いのとは大きく違う。
振動収束性が高いというか、減衰性
高いというか、キューはよく動く
のに振動がシュンとキューの中心
に集まって尻にスッと抜けるよう
な動きを見せるのだ。
それがTADコハラさんのキューの
代表的な特徴だった。

この不思議さは何だろうとずっと
考えていた。数十年も。
他のキューとの構造的な差異に
注目して研究したが、どれもが
憶測の域を出ない。
似たような方向性を持つキュー
作者にジェリー・フランクリンが
いて、彼の作るキューは数本撞い
てみたが、動きは似ていても打感
が決定的に異なる。サウスのほう
はカランとしている。TADはキン
だ。そしてビョーンと玉が走る。
逆に殺し玉も容易だ。自在に手玉
を扱える。
TADと真逆の特性と感じたのが
リチャード・ブラックで、私の
ブシュカなどは下手撞くとドそっ
ぽに手玉が走った。TADのように
自己意志の制御下に置く操作は私
には困難だった。
TADの場合は、どのTADも個体
差はあれど、共通しているのは
撞くと笑いが込み上げて来ると
いうものがある。玉を外しても
フフフとなる。
それは、独特の打感がもたらす
持ち味であり、TADキューはネガ
ティブな精神の発露に魂を向かわ
せない不思議な力を持っている。
勿論、ある種の打感を好む撞き人
限定の作用だろうが。

いつからか、私はいつか自分で作る
キューはTADのようなその不思議な
領域を獲得したいと願うようになっ
ていた。
最初の頃は自分があれこれと構想し
て国内ビルダーさんたちに部分的な
製作を依頼してキュー作りを始めた
が、出来栄えには満足できても、な
かなかこれだ、という味が出なかっ
た。スティフ過ぎたりベナベナ過ぎ
たり。キンキン過ぎたりボヨヨン
だったり。
パーツや構造をいろいろ考えたが、
どうにもピシャリと来ない。
物は良くても、これこれ!という
のではない。


そして、次第にキューの長い歴史
振り返り、キューというものの
原点を見つめ直すようになった。
気の遠くなるような時間をかけて
削りながら寝かせていた秘蔵ブラ
ンクを使う日が来た。


自分で作った。ルーク・キューとし
ては7本目だが、これは完璧にオリ
ジナルだ。旋盤はうちの旋盤と貸し
てくれる製作専用旋盤を使った。


現在、完成から丸5年以上使って
いる。
何だ?これ?という位に滅多矢鱈
と調子が良い。
この玉突棒の事をべら棒と言うの
か、そうだったのか、という程に。


プロではない、自分の為だけに作る
一点物だからどうにか何本目かに
かろうじてどうにかそれ風の形に
なったのだと思う。
これが、人様に供給するプロの職人
さんだとしたら、高度な特定領域の
質をキープし続けなければならな
いので、かなり厳しい世界だと思う。
職業というものは「趣味人の手慰み」
とは根本的に対立するからだ。
私などはこのルーク・セブンで精魂
尽きた感がある。


どんなキューであれ、その製作を
本職としている人たちが作る物は
モノヅクリの体現者たちの作品で
あるので、並大抵の事で出来る物
ではない。
キーをポンポン、マウスクリック
だけでどうにかなる世界ではない。
ネット時代の安直妄想とは現実
世界のモノヅクリは根底から異
なる。

物を作る。
厳しい世界だなぁと感じる。



ハーヴェイ・マーティン・スタイルのTADキュー

2022年02月17日 | open


カスタム・キューなので同じ物は
二つとない。どこかしら変えてあ
る。
私のこのハーヴェイ・マーティン
・タイプのTADは同じ物は見た事が
ない。ジョイントがホワイト樹脂
だったり尻に薄いリングが入った
物は経眼したことはある。
このTADキューはTADコハラさん
が徳島県の代理店さんの社長に作
って、それを私が懇意にしている
高松の玉屋のオーナーが買って、
それからそのオーナーから私と仲
良しのパン職人のA級の人が買って、
その人が私に譲ってくれた。97年製。
出来て即日本に来て、のちに私の
所有となった。
TADさんと昵懇の大阪の吉村おっ
ちゃん作のスペアシャフト付き。
リペアとかで問い合わせたら、
コハラさんは「吉村さんがいるから
吉村さんに頼みなさい」てな事言
う程にTADコハラさんと吉村さん
はツーカーの仲だった。
吉村さんの作るキューもTADに
酷似していた。

このTADは12山フラットピンに
木ねじのマーティンスタイルの
実に古い作りのキューで、バット
も超絶長期寝かしにより一本木の
メイプルを削り出している。ジョ
イント部分からお尻まで一本物。
曲がゼロ。シリアルNo.は1560。
戦国時代真っ只中の年紀みたいだ。
不思議な事に撞き味は18山の昔の
TADよりもかなりソリッド感が強
い。それでいて玉を生き生きと動か
す事ができる。
完全なるプレーキューですね。
このモデルはジョー・バルシスが
これに似たTADを使って1970年代
初期に全米チャンピオンになったり
していた。
この'97ハーヴェイ・マーティン・
スタイルのキュー以降、TADは
プレーアビリティを重視した選手
だったウィリー・ホッペ・タイプ
のモデルを多く作るようになった。
フォアがプレーンのモデルでデル
リンおしりの短いタイプ。

戦前から戦後にかけては、全米の
プレーヤーのキューはブランズウ
ィックの職方だったハーマン・ラン
ボウかハーヴェイ・マーティンの
キューのみだった。
そこにジョイントに革命的な加工を
加えて驚きのアビリティを出した
のが家具職人だったバラブシュカ
だった。
彼の作ったパイロッテッドは完璧で、
誰も真似できなかった。
そして、コハラタダチさんがTAD
ファミリービリヤードを閉じて
フルタイムカスタムキューメーカー
になる時、ハーヴェイ・マーティン
から全ての工作機械を譲り受けた。
コハラさんは80年代のインタビュー
に答えて言っていた。
「バラブシュカとかは高嶺の花過ぎ
て、すでに手に入らなくなっていて、
多くのプレーヤーからバラブシュカ
のようなキューを作って欲しいとの
声があった」と。
そして、奇しくもバラブシュカが
やり始めた時のようにTADはワン
ピースハウスキューを切ってジョ
イントさせる事からキュー作りを
自分の経営するビリヤード場の片隅
で片手間で始めた。
彼は試行錯誤しながら、やがてフル
タイムビルダーとなった。
ただ、TADだけではないが、ピン
打ちの正確さやジョイント部の結合
性の確実さはジョージ・バラブシュ
カのような仕事ができる人はなか
なか現れなかった。ザンボッティ
でさえも初期には無様なジョイント
だった。
後年、ロバート・ランデ(発音は短く
ドェ)が作るキューのシャフト部の
ニップルはバラブシュカに肉薄し
ており、まるでMezzのユナイテッド
かアダムのツインジョイントのよう
によく締まる。ニップルの木部の
加工が実に精巧で、密着度が完璧な
のだ。
だが、ボブが立ち上げたショーン
のキューは、ソリッド感があるの
になぜかしら腰が弱く、玉入れが
困難という個体が多かった。
完璧なパイロッテッドなのに。
たまたま私のランデの個体は打感
もソリッドでシュピーンという音
を奏でるが、腰も強い。
ただ、クリア塗膜がガラスのよう
に硬質であり、これによって腰の
弱さを解消しようとした方向性が
見える。
木を存分に振動させて中央に抜け
させて不要なディフレクションを
解消させようとするTADなどとは
設計思想の方向性が異なる。
TADはその思想ゆえ、クリアの
塗りはウレタンでもガラス質でも
なく、ラッカーにこだわって来た。

TADのホッペタイプを何本も撞か
せてもらった事がある。
TADカップの賞品の個体や個人買い
の個体等を。
しかし、私の'97マーティン・スタ
イルのTADが一番ソリッドだった。
実は、パイロッテッドのニップル
製作が甘いTADは、フラットフェ
イスで木ネジのほうがソリッド感
がバリバリに出るのではなかろう
か。なかろうかではなく、現実に
出ている。
私の1980年代に使っていたTADの
プレーンはぼやけてはいなかったが、
ここまでのソリッドな打感は無かっ
た。
手玉は自在にコントロールできる
のだが、シュッとはしておらず、
なにかなんとなーくピョーンと玉
が入って手玉がキュキュッと出る
感じだった。
しかし、私のこの'97プレーンは
カッキーンという音と共に手玉が
自在軌跡を描く。私には個人的に
は最高のキューだったりする。
優しく撞くとズピン!という何とも
いえないサウンドを奏でる。
スティッフに撞くとカキーンだ。
スタンダード撞きではクォーンと
いう音質を放つ。
ベリベリグーなのよね。

精巧なニップルを有するパイロッ
テッドジョイントがソリッド感を
もたらすとする説は、これまでよく
人口に膾炙されてきたところでは
あるのだが、もしかするとそれは
一面的な解析であるかも知れない。

ただ、ジョイントの結合性の確実さ
だけを見るならば、Mezzが発明し
た14山の精密ネジ山のユナイテッド
ジョイントは、ビリヤードキューの
ジョイントネジとしては最強かと思
う。パイロッテッドの木部ニップル
要らないじゃん、位によく締まる。
結合したままあやうく救急車で担ぎ
こまれてドクターの弛緩剤投与で
二人はようやく離れられました、
位に締まる。
私が個人的に好きなのは、理由があ
って古いネジの18山を好んでいるの
だが、ネジ構造としてはキューには
14山が最適だろう。
しかし、きつい締まりのMezzの
ユナイテッドは14山と互換性がある
ので、Mezzシャフトを他のバット
にも装着できる。
別メーカーのバットとのコンバー
ジョンも可能だ。
ただし、Mezzシャフトのステンレ
スネジは他のブラスなどのネジに
交換する際には「道具壊し」とな
るので、リペア業者さんたちは敬遠
する。
私もMezzジョイントネジを18山に
改造する依頼をした際に「今回のみ
は受付けますが、次回からは受けら
れないので宜しく」という依願を
リペア業者から受けた事がある。
日本刀の柄作りで山桜などの木を
使う事を職方たちが敬遠したがる
のと同じだろう。
世の中、いろいろ事情はある。


構造的な意味 ~スポーツの道具~

2022年02月07日 | open
Luke Landwalker CUE



私が私のキューをオールドTADと
同じロングデルリンにしてある
意味は、故TADコハラさんの作る
キューが大好き、世界で一番好き
というのもあるが、実は別な意味
がある。
それは、初期のTADがそうだった
ように重量調整の為だ。初期に
は一本木だった為にそれを選択
した。
そして、重量配分の意味がある。
キュースティックは、マスを中央
に集中
させて真ん中にすべて重量
配分
を寄せる事が良質なアビリティ
の確保には繋がらない。釣り竿
やオートバイ設計と同じだ。フィッ
シングロッドに
胴調子、先調子が
あるように、
スティッフな部分を
どこに取るか、
また重量配分を
どうするかで、
長物の得物の性能
はまるで違って
くるのである。


(作画私)


デルリンはバラブシュカやザンボッ
ティやTADが
多用した。
当時新開発で登場した
産業樹脂
のデュポン社の登録
商標
製品だっ
た。カジリ帽子の為に
開発され
た化学素材だ。タービン
の軸受
けなどに使われていた。
その後、多くの化学製品企業
から様々な樹脂材が開発発売
されるようになった。ソマラ
イトなどもデルリンに似た
質性の良質産業素材として
多くの分野で使用されてい
る。
 
初期TADはブランズウィックの
タイトリストというワンピース
のハウスキューを二分割して
2ピースにする事から始まった。
これは多くのカスタムキュー作者
が始め出していた事で、バラブ
シュカさえもそれから始まった。
1960年代初期までは、キューは
玉台のメーカー品しかなかった
のだ。
 

名人ティム・スクラッグスの手に
よるブランズウィックのタイト
リスト・コンバージョン。

ハウスキューを分割ジョイント
構造にし、ほぞを切って糸巻き
にし、ウエイトボルトを入れて
エンドキャップデルリンを削っ
て装着させ、ゴムバンパーを
着けてある。ここには写って
ないが、シャフト先のフェラル
も別途製作装着。
これがごく初期のカスタムキュー
の王道だった。
ゆえに四剣が多い。上級ハウス
キューの本はぎをそのまま使用
したからだ。
コルトの黒色火薬パーカッション
モデルをカートリッヂ式に改造
したようなコンバージョンが
ビリヤードキューでもよくカス
タムされた。
ゆえに、最初からの一品物の
製作者作品であっても、キュー
ビルダーの作ったキューは
「カスタムキュー」と呼ばれる
ようになった。
「カスタム=良質改造」が
アメリカのキュービルダーの
クラフトマンの原初だったから
だ。すべては既製品の改造改良
から彼らビルダーは生まれたと
いうアメリカの歴史があるのだ。
西部開拓時代の銃の改造者=
コンバージョン・モデル製作
者の経緯にほんとによく似て
いる。

最初のカスタム製作者の一人で
あるハーマン・ランボウの作は
多くの新規性から歴史的なプレー
ヤーに愛用された。ウイリー・
モスコーニもそうだ。
そしてソ連移民のグレゴリー・
バラブシュカがジョージと移民局
で誤って名前登録され(ロシア語
発音はリゴリヤ)、米国人と
なっ
てからキュー作者として本領

発揮し、「キュー製作の神様」
と呼ばれた。
バラブシュカは幻のキューとも
呼ばれ、今では残存個体は市場
には出ない。
出たとしても数千万円程の値に
なる。日本刀にそっくりだ。
 
バラブシュカに最初ハギのブランク
を提供していたのがイタリア移民
のガス・ザンボッティだった。
ウイリー・モスコーニにしろ、
バラブシュカにしろ、ガス・
ザンボッティに
しろ、移民たち
の多く
が偉大な足跡を残している。
TADコハラさんも日本からの移民だ。
広島県人。コハラタダチさんは原爆
投下の時は廿日市にいた。
そして、アメリカに戻り、ボウリン
グ場経営等いろんな職業に就き、
玉屋のオヤジになった。
そこに集まる賭け玉撞球師たちの
希望で、ハウスキューを切って連結
させる事からコハラさんのキュー
作りは始まった。
コハラさん自身はプレーヤーでは
ないが玉は撞く。
全く撞けないで玉撞き用の道具は
作れない。ただ、上級トーナメント
プレーヤー、裏世界のギャンブル
プレーヤー程には撞けないという
だけだ。
 
1960年代のカリフォルニアの地元
オレンジカウンティの地方紙に
掲載されたTADコハラ。
 
晩年のTADさん。
後ろは左からリチャード・ブラック、
ビル・シック、アーニー・ギュテレス
という大御所たち。

ガン治療のために放射線治療を
受けたら、その影響で歩けなく
なってしまった晩年のTADコハラ
タダチさん。この後まもなく
TADコハラさんは他界された。
今、TADキューは息子さんの
フレッドコハラさんが全
技術を
継承してTADキューを
継続して
製作している。


カスタムキューでビリヤードを
プレーするとき、それは日本刀
を使うのに非常に似ている事に
気づく。
それは、「このキューを作った
作者と共にビリヤードテーブル
に向かっている」という現実に
気づかされる事だ。
作ったその人が
いなければ自分
のプレーが成立
しない。技も何
もない。そこ
に立つ事自体が成立
しない。

日本刀も全く同じなのだ。
どこの誰が作ったのか分からない
量産工業軍刀などとは明確に異
なる現象に気づくとき、ある
ひとつの大切なものが見えて
くる。
そして、それが表現者である自分
のパッションに繋がる。
まるで心意気を繋ぐかのように。
この自覚の有無は、極めて重要な

「体現者」にとっての精神的支柱
と具体的な物と人間の結節点と
なる。
カスタムキューという一点物の
オリジナルキューの位相は、まさ
に日本の刀鍛冶が打つ日本刀と
全く同じであり、シリーズ化され
た工場メーカー製品とは全く別な
次元にあるものであるといえる。
工場メーカー品でも、アダムなど
はかつては粕谷さんという名人
職人
が製作したハギ物とかは、
知る人たちの間では知られていた。
まるでヤマハギターの
テリーさん
(現在独立。カスタム
ギター製作
者。T'sTという最高の名器
を作る)
のような存在の人たち
がビリヤー
ドキューの世界にも
いた。
ただ、日本の場合は、アメリカン
カスタムキューのように製作職人
は多くは育っていない。
大抵は経済的な円滑さの継続が

困難となり作ることをやめて
しまう。心意気だけで物は作れ
ない。盤石の経済体制を築かない
と。技術よりもそちらのほうが

実は大切なキモだったりする。

使う側のパッションとしては、
これは日本製は工場製品でも
オートバイのヘルメットのよう
に世界トップレベルの製品を擁
するから超高価なカスタムキュー
は必要ないという現象が背景に
一般的には撞球界にはある事だ
ろう。

けだし、カスタムキューにハイ
テクシャフト
装着などはナンセン
スの極みだが、
工場量産キュー
ならば、性能の
7割を決めてくる
シャフト選択を
ハイテクシャフト
に換装しても精神的な
違和感も
躊躇も無い事だろう。

ただ、キュービルダーの作る
カスタムキューにハイテクシャ
フト装着は、その製作者の渾身
のシャフトを捨てる、使わない、
という事なので、失礼の極みだ。
製作者は鷹揚に応えるかも知れ
ないが、ひどい事なのだ、その
オリジナルを使わずに先っぽ
だけを工場開発製品に交換して
いながらバットという下側部分
だけを呼称して「これはTADだ」
とか「ザンボッティだ」とか言う
のは。かなり作者に失礼。
ビルダー本人が作る新構造の

シャフトならば話は別。
ワンオフで注文主の為に作るの

だから。

今、国内キュービルダーでは大阪
のT2の土田さんのキューが性能
では
一つ抜けているだろうか。
私もシャフトのジョイントピンの
打ち換えとリング製作でリペア
を依頼した事があるが、最高の
仕上げをしてくれた。腕確か過ぎ
るほどに確か。
完全コンプリートキューは多くの
プロも使っている。
キューのファンシー仕上げ
では
ラッキー菱沼さんの作品が現在
高峰のように思える。
ラッキーさんはキューという世界
を知り尽くし
た元トーナメント
プロ。

たぶん、日本人の中で一番撞球
キューについての深い見識を持
っている人ではなかろうかと
思う。
コレクターの金持ちは多くいる
のだが、菱沼元プロは見識その
ものが深く、また斯界の研究者
としてもとてつもない確かな
意識を持っている。
また、アメリカンビルダーとの
交流も深い。
そして、娘婿さんたちはビルダー
の世界に入った。後継者もすで
に作った。
ラッキー菱沼製のオリジナル
ソリッドシャフトは1本5万円
以上するが、素晴らしいアビリ
ティを発揮するのではなかろう
か。

つい最近、A級の19歳の外国人
の撞球者の子が私に
言ってた。
「ハイテクはハイテクで良い
のだけど、どうしても縦に
玉が割れるので限界がある。
ノーマルシャフトのほうが
多様な玉を撞ける」と。
その通りだと思う。
わかってんね(笑)。
まるで私が言わんとするセリフ

をそのまま代弁したみたいで、
思わずクスリとなった。
ま、プレーでは私は全く適わ
ないけどさ(笑)。

キューを作る事自体は難しくは
ない。ジョイントパーツも売ら
れている。
バットキャップのみはレースで
自分の設計通りに削り出さなけ
ればならないが、自分の旋盤で
あろうと借り物の旋盤であろう
とも、軸穴にキューが通るレース
と各種ビットがあれば、ビリヤ
ードキューは作れる。








キューを作る事自体は難しくは
ない。
難しいのは「良いキューを作る」
事だ。

Aca Hall Of Fame Award Tad Kohara

2022年01月16日 | open

Aca Hall Of Fame Award Tad Kohara

これはコハラタダチ氏TAD KOHARA
が亡くなる前の2011年にホール・
オブ・フェイムでビリヤードの殿堂
入りした時の映像だ。
日本ならばどうだろう・・・国民
栄誉賞とか旭日勲章のようなもの
だろうか。
アメリカ合衆国は立憲君主制では
ないので、こうした民間人の栄誉
を称える章典も、極めてフレンド
リーな形で行なわれたりする。
ただ、式典にはコハラ氏も正装で
出席した。
これは知らせの時の貴重な動画だ。
TADが残した歴史上の功績は、

合衆国のものだけでなく、世界的
にとても大きい。

コハラタダチ氏。広島の血の人。
TADは広島県という狭いエリア
を越え、海を渡り、そして世界
のTADとなった。
2013年、永眠。


日本の場合は社会的に功績が認め
られた人には叙勲がなされる。
私の大叔父は議員として政治に
携わった事と
広島県内のある
私立高校の理事
長を長年務めて
いた経緯からか、
天皇から勲章
を授与されていた。

葬式の時に初めて戦後の天皇から
の勲章という物の実物を見た。
戦中戦後の軍人に対しての勲章
以外
では初めて実物を見た。
天皇の御璽(ぎょじ)の実物も、
かつて仕事で閲覧した国立公文書
館にある過去の物以外の現物は
初めて見た。




うちの血族、教職か警察だらけ(笑)。
センコーとおまわりだらけだが、
時々、明治時代から自由民権運動の
壮士やその手の類がいたりもする。
10年程前、警察庁から内閣情報調査
室へキャリアで出向していた時の歳
が近いイトコ
からもらった名刺を
見て、なるほどと
思った。(そいつ
は兄弟でバイク乗り。カタナ乗り
の弟はバイクで死んだ)

内閣情報調査室のエージェントの
表向きの肩書というのは「内閣事務
官」
なのね。実見して外での情報は
本当
だと知った。
ごく最近、イトコのアドバイスも
あり、ある案件で、広島県警に
報告と相談に行った。
面談した刑事課の刑事三名は、まる
でアメリカ映画のようなカジュアル
な服装だった。
いかにも渋谷あたりにいるあんちゃん
みたいな服装(偽装)に驚いた。
いやあ、時代は違う。
でも、広島県警としては垢抜け過ぎ
てはいないだろうか。
サイバー方面含めて、すべてここの
ところの当方に向けられた犯罪既遂・
現行・予備に
ついて報告。継続して
調査監視活動に入ると
のことだった。
2年前の案件についても、すべて
詳細に時系列に沿って報告、証拠を
提出して録取を経た。面談での報告
と詳細打ち合わせは一時間を超えた。
面談した三名の警察官は、当該案件
は明確に犯罪であるとの認識で、
それ
なりの対応を継続的に取るとの
。2年前の案件は、監視の後、
似たような動きが見られたら過去

案件とは別に検挙するとの事だ。
全員がブルージーンズやブラック
ジーンズを履いたカジュアルな服装
で、完璧に街に溶け込む迷彩
を貫徹
していた。
これには感心した。担当官イケメン。

以前、20数年前に職務上の偽計業務
妨害の
案件での面談の時には刑事くん
名刺くれたけど、今はいろいろな
社会情勢に鑑み、名刺は渡さない
そうだ。それは正解かも知れない。
広島県警の警察官の名刺にはモミジ
のマークがあるんだよね。モミジ色
の。


トッププロは今までどんなビリヤードキューを使ってきたのか⁉︎【初公開】

2022年01月16日 | open

トッププロは今までどんな
ビリヤードキューを使って
きたのか⁉︎【初公開】

ポケットビリヤードの世界チャン
ピオンに最も近い男、土方隼斗
選手
が初めて買った自分のキュー
TAD。
遠目で観てもすぐわかる。

TADは真っ白の長めのデルリン
エンドキャップが特徴だ。
デルリンはかつては最先端の
樹脂構造材でデュポン社の登録
商標の製品名である。タービン
の軸受けなどに使われた。
金属同士のカジリが無いため、
極めて優れた工業素材だった。
ただし、一般的な接着剤は一切
効果がない。つまり専用特殊溶剤
以外では全く接着できない。
TADはバットエンドキャップと
してデルリンの抜けるような純白
さゆえ採用したが、キャップと
バットエンドにねじ切り加工を
施して固定させている。
なお、TADキューにはキューで
一般的であるウエイトボルトは
使用されていない。
すべて木材の重量のみでバランス
と総重量を出して行っている。
私のTADは、1980年代に使用して
いたストレートステインモデルは
19.5オンス。今も所有している
1997年製のストレートの重量は
19.75オンスだ。
どちらも一本木の無垢削り出し。
TADは素材を最低30年シーズニング
させた物を使う。
無垢材でも曲がりは無い。
それだけ手間暇かけられて作られて
いる。ザ・カスタムキューの四天王
の一人がTADコハラだ。本名コハラ
タダチ。広島県廿日市市で広島へ
の原爆投下を体験した。その後、
米国に戻り、いろいろな職業を
経験した後、ビリヤードパーラー
を経営し、そこに集まる撞球師
たちに求められるキューの要件
を毎晩毎朝ディスカッションして
キュー造りの道に入った。
最初にお手本としたのはハーマン
ランボーとバラブシュカだった。
ランボーキューは世界チャンピオン
を15度も獲得した不世出の名人
ウィリー・モスコーニが愛用して
いた作品だ。映画『ハスラー』
(1961年)でポール・ニューマン
とジャッキー・グレースンが対決
で使用していたキューもランボー
だ。
タッドコハラは、一本の長物で
あったハウスキューを二つに切っ
てジョイントさせる事からキュー
作りを始めた。
そして、多くの工夫を投入して、
独特のTADならではの性能を持つ
極めて個性的な撞球感覚を生む
キューを作り上げた。
TADキューはTADでなければ出せ
ない球筋というものが存在する。
ただし、ズレが大きいため簡単な
撞きやすい万人向けのキューでは
ない。補正値=人による見越しを
多く必要とするので、繊細な感性

と正確な技術が無いとTADキュー
は使えないのだ。癖のあるレシ
プロ戦闘機のように。
だが、使いこなせるとTADはもろに

牙をむいて、この上ない戦闘力を
遺憾なく発揮するキューだ。
例えるならば、それは劇画『バリ
バリ伝説』で主人公グンが愛した
「シマザキスペシャル」のレーシ
ングマシンの立ち位置に似ている。
普通の撞球者がTADで撞いてみる

と嫌になる事だろう。全く玉が
入らなくなるからだ。
だが、TADの使い手がTADを使う
とずっとポンポコ入れて、手玉を
自由
自在にどこにでも次玉狙いの
位置に出すし、多彩な
変化球で
テーブルのラシャ上に
まるで曲芸
玉のように軌跡を描くことを実現
させる。それがTADキューだ。
かつては多くの世界チャンピオン、
全米チャンピオンがTADを好んで
使っていた。
日本でもTADは上級者に好まれ、

日本のプロ第一期生やその後の
トッププロやトップアマはほぼ
全員TADを使っていた。
「弘法筆を選ばず」ではなく、

かつて出来る武士が切れ者の
刀鍛冶の作を選んだように、
米国と日本
の頂上やその付近の
撞球師
たちは皆TADを好んだし、
使わ
ない人であっても、物が
見える
撞球師たちはTADを惜し
まずに称賛した。


現在TADは息子が二代目として
TADキューを製造している。
場所はカリフォルニアのオレンジ
カウンティ。