個人ビルダーの製作したキューを
私はこれまでTADキューは8本程
そして、次第にキューの長い歴史
自分で作った。ルーク・キューとし
現在、完成から丸5年以上使って
Aca Hall Of Fame Award Tad Kohara
これはコハラタダチ氏TAD KOHARA
が亡くなる前の2011年にホール・
オブ・フェイムでビリヤードの殿堂
入りした時の映像だ。
日本ならばどうだろう・・・国民
栄誉賞とか旭日勲章のようなもの
だろうか。
アメリカ合衆国は立憲君主制では
ないので、こうした民間人の栄誉
を称える章典も、極めてフレンド
リーな形で行なわれたりする。
ただ、式典にはコハラ氏も正装で
出席した。
これは知らせの時の貴重な動画だ。
TADが残した歴史上の功績は、
合衆国のものだけでなく、世界的
にとても大きい。
コハラタダチ氏。広島の血の人。
TADは広島県という狭いエリア
を越え、海を渡り、そして世界
のTADとなった。
2013年、永眠。
日本の場合は社会的に功績が認め
られた人には叙勲がなされる。
私の大叔父は議員として政治に
携わった事と広島県内のある
私立高校の理事長を長年務めて
いた経緯からか、天皇から勲章
を授与されていた。
葬式の時に初めて戦後の天皇から
の勲章という物の実物を見た。
戦中戦後の軍人に対しての勲章
以外では初めて実物を見た。
天皇の御璽(ぎょじ)の実物も、
かつて仕事で閲覧した国立公文書
館にある過去の物以外の現物は
初めて見た。
うちの血族、教職か警察だらけ(笑)。
センコーとおまわりだらけだが、
時々、明治時代から自由民権運動の
壮士やその手の類がいたりもする。
10年程前、警察庁から内閣情報調査
室へキャリアで出向していた時の歳
が近いイトコからもらった名刺を
見て、なるほどと思った。(そいつ
は兄弟でバイク乗り。カタナ乗り
の弟はバイクで死んだ)
内閣情報調査室のエージェントの
表向きの肩書というのは「内閣事務
官」なのね。実見して外での情報は
本当だと知った。
ごく最近、イトコのアドバイスも
あり、ある案件で、広島県警に
報告と相談に行った。
面談した刑事課の刑事三名は、まる
でアメリカ映画のようなカジュアル
な服装だった。
いかにも渋谷あたりにいるあんちゃん
みたいな服装(偽装)に驚いた。
いやあ、時代は違う。
でも、広島県警としては垢抜け過ぎ
てはいないだろうか。
サイバー方面含めて、すべてここの
ところの当方に向けられた犯罪既遂・
現行・予備について報告。継続して
調査監視活動に入るとのことだった。
2年前の案件についても、すべて
詳細に時系列に沿って報告、証拠を
提出して録取を経た。面談での報告
と詳細打ち合わせは一時間を超えた。
面談した三名の警察官は、当該案件
は明確に犯罪であるとの認識で、
それなりの対応を継続的に取るとの
事。2年前の案件は、監視の後、
似たような動きが見られたら過去
案件とは別に検挙するとの事だ。
全員がブルージーンズやブラック
ジーンズを履いたカジュアルな服装
で、完璧に街に溶け込む迷彩を貫徹
していた。
これには感心した。担当官イケメン。
以前、20数年前に職務上の偽計業務
妨害の案件での面談の時には刑事くん
は名刺くれたけど、今はいろいろな
社会情勢に鑑み、名刺は渡さない
そうだ。それは正解かも知れない。
広島県警の警察官の名刺にはモミジ
のマークがあるんだよね。モミジ色
の。
トッププロは今までどんな
ビリヤードキューを使って
きたのか⁉︎【初公開】
ポケットビリヤードの世界チャン
ピオンに最も近い男、土方隼斗
選手が初めて買った自分のキュー
はTAD。
遠目で観てもすぐわかる。
TADは真っ白の長めのデルリン
エンドキャップが特徴だ。
デルリンはかつては最先端の
樹脂構造材でデュポン社の登録
商標の製品名である。タービン
の軸受けなどに使われた。
金属同士のカジリが無いため、
極めて優れた工業素材だった。
ただし、一般的な接着剤は一切
効果がない。つまり専用特殊溶剤
以外では全く接着できない。
TADはバットエンドキャップと
してデルリンの抜けるような純白
さゆえ採用したが、キャップと
バットエンドにねじ切り加工を
施して固定させている。
なお、TADキューにはキューで
一般的であるウエイトボルトは
使用されていない。
すべて木材の重量のみでバランス
と総重量を出して行っている。
私のTADは、1980年代に使用して
いたストレートステインモデルは
19.5オンス。今も所有している
1997年製のストレートの重量は
19.75オンスだ。
どちらも一本木の無垢削り出し。
TADは素材を最低30年シーズニング
させた物を使う。
無垢材でも曲がりは無い。
それだけ手間暇かけられて作られて
いる。ザ・カスタムキューの四天王
の一人がTADコハラだ。本名コハラ
タダチ。広島県廿日市市で広島へ
の原爆投下を体験した。その後、
米国に戻り、いろいろな職業を
経験した後、ビリヤードパーラー
を経営し、そこに集まる撞球師
たちに求められるキューの要件
を毎晩毎朝ディスカッションして
キュー造りの道に入った。
最初にお手本としたのはハーマン
ランボーとバラブシュカだった。
ランボーキューは世界チャンピオン
を15度も獲得した不世出の名人
ウィリー・モスコーニが愛用して
いた作品だ。映画『ハスラー』
(1961年)でポール・ニューマン
とジャッキー・グレースンが対決
で使用していたキューもランボー
だ。
タッドコハラは、一本の長物で
あったハウスキューを二つに切っ
てジョイントさせる事からキュー
作りを始めた。
そして、多くの工夫を投入して、
独特のTADならではの性能を持つ
極めて個性的な撞球感覚を生む
キューを作り上げた。
TADキューはTADでなければ出せ
ない球筋というものが存在する。
ただし、ズレが大きいため簡単な
撞きやすい万人向けのキューでは
ない。補正値=人による見越しを
多く必要とするので、繊細な感性
と正確な技術が無いとTADキュー
は使えないのだ。癖のあるレシ
プロ戦闘機のように。
だが、使いこなせるとTADはもろに
牙をむいて、この上ない戦闘力を
遺憾なく発揮するキューだ。
例えるならば、それは劇画『バリ
バリ伝説』で主人公グンが愛した
「シマザキスペシャル」のレーシ
ングマシンの立ち位置に似ている。
普通の撞球者がTADで撞いてみる
と嫌になる事だろう。全く玉が
入らなくなるからだ。
だが、TADの使い手がTADを使う
とずっとポンポコ入れて、手玉を
自由自在にどこにでも次玉狙いの
位置に出すし、多彩な変化球で
テーブルのラシャ上にまるで曲芸
玉のように軌跡を描くことを実現
させる。それがTADキューだ。
かつては多くの世界チャンピオン、
全米チャンピオンがTADを好んで
使っていた。
日本でもTADは上級者に好まれ、
日本のプロ第一期生やその後の
トッププロやトップアマはほぼ
全員TADを使っていた。
「弘法筆を選ばず」ではなく、
かつて出来る武士が切れ者の
刀鍛冶の作を選んだように、
米国と日本の頂上やその付近の
撞球師たちは皆TADを好んだし、
使わない人であっても、物が
見える撞球師たちはTADを惜し
まずに称賛した。
現在TADは息子が二代目として
TADキューを製造している。
場所はカリフォルニアのオレンジ
カウンティ。