朝鮮人強制連行(読み)ちょうせんじんきょうせいれんこう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「朝鮮人強制連行」の解説

朝鮮人強制連行
ちょうせんじんきょうせいれんこう

日中戦争から太平洋戦争にかけて,日本統治下の朝鮮から人員を強制的に動員し重労働職種に従事させた社会政策。日中戦争の深刻化に伴い,戦時下工業に必要な労働力を確保するため 1939年国民徴用令が実施され,朝鮮においては「募集」という形式で準用された。1939年に 1万人あまり,翌 1940年に 10万人近くが動員され,炭鉱,鉱山などで重労働に就役した。1941年後半には計画の拡張が決定され,翌 1942年に 10万人あまり,1943年に約 20万人,1944年に約 40万人が動員されたとされる。同 1944年9月からは国民徴用令が朝鮮にも直接適用された。太平洋戦争の終結時,サハリン島,南洋諸島での労働者を含めると 36万5000人ほどが労働に従事していたとされる。日本政府は,国民徴用令は当時の日本国民全体を対象としたものであったとし,また戦後補償に関しては 1965年の日韓基本条約と同時に締結された「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」(日韓請求権・経済協力協定)によって解決済みとする立場をとっている。しかし韓国人の当時の労働者らは 1990年代以降,日本政府や企業に対し,強制連行や賃金の未払いがあったとして,損害賠償や未払い賃金の支払いなどを求める訴訟をたびたび起こしている。

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旺文社日本史事典 三訂版「朝鮮人強制連行」の解説

朝鮮人強制連行
ちょうせんじんきょうせいれんこう

太平洋戦争中の労働力不足を補うため,朝鮮人を日本へ強制的に連行したこと
初めは炭鉱・土木など会社による募集の方式だったが,1942年から朝鮮総督府下の「官斡旋」方式になり,'44年から国民徴用令が適用された。'39〜45年間に,連行者の総数は80万人とも120万人ともいわれ,日本国内,樺太,南方方面に投入された。過酷な労働下で多くの犠牲者をだした。女子挺身隊の名のもと従軍慰安婦として駆り立てられた女性もいた。

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精選版 日本国語大辞典「朝鮮人強制連行」の解説

ちょうせんじん‐きょうせいれんこう テウセンキャウセイレンカウ【朝鮮人強制連行】

日中戦争・太平洋戦争時において、百万人を超す朝鮮人を日本国内に強制的に連行し、苛酷な条件のもとに強制労働させたこと。また、一部の女性は従軍慰安婦とされた。

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世界大百科事典内の朝鮮人強制連行の言及

【強制連行】より

…1937年に日中全面戦争に突入して以降,労働力や軍要員の不足を補うために,日本は国策として朝鮮人,中国人を日本内地,樺太,南方の各地に投入したが,駆り集め方が強制的であったためこう呼ばれる。38年4月には国家総動員法が,翌年7月には国民徴用令が公布され,日本の内外地における労務動員計画がたてられた(〈徴用〉の項参照)。39年の動員計画数110万のうち8万5000は朝鮮人に割り当てられ,各事業主にその狩出しを認可し,42年からは国家自身の手になる〈官斡旋〉に移行した。…

※「朝鮮人強制連行」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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