1984年(昭和59年)10月27日午後11時ごろ、福島市の精肉販売業・渡辺平(たいら)さん(49歳)は、商用を終え郡山市から自家用車で自宅に戻る途中、タバコを買おうと二本松市のセブンイレブン二本松駅前店に立ち寄った。同店にはタバコはなかったため、炭酸飲料水「リアルゴールド」2本を買い、車を運転しながら1本を開封して一口飲んだところ突然気分が悪くなり激しく吐いた。渡辺さんは車を止め近くにいた女性に助けを求め、タクシーで同市内の医院に行き応急手当を受けたが、症状が重く福島市の県立福島医大付属病院に収容された。渡辺さんは医院に運び込まれた時、飲み残した「リアルゴールド」をしっかりと持っていた。
【捜査】 二本松署は病院から28日午前0時過ぎに通報を受け悪質な傷害事件として捜査を始めた。県警本部鑑識課で、渡辺さんが飲み残した「リアルゴールド」を調べたところ、パラコート系の農薬らしい毒物が検出された。また、毒物が入っていたのは渡辺さんが口をつけた1本だけで渡辺さんが買ったもう1本、さらに店内に残っていた20本には全く問題はなかった。二本松署は悪質な農薬混入傷害事件とみて県警本部捜査一課の応援を受け、二本松市のセブンイレブン駅前店の従業員や渡辺さんの関係者などから詳しい事情を聴取。農薬混入の「リアルゴールド」がどのようにして渡辺さんの手に入ったかを調べた。
【渡辺さん】
 渡辺さんは福島市の中学を卒業したあと市内の精肉店に勤務。 1962年(昭和37年)に独立し、商売も順調だった。 妻(47)と長女(20)と長男(16)の4人暮らしで、家庭は円満。 近所の主婦も「とっても気さくな人。細かい注文にもいやな顔ひとつせずに応じてくれた。犯人が憎い」と怒りを露わにしていた。
【最悪の事態】 渡辺さんは県立福島医大付属病院のICU(集中強化治療室)に移された時は意識があった。しかし、気管の中にチューブを入れていたため直接、話が出来ず筆談で警察の事情聴取に応じた。その中で渡辺さんは「そういえばリアルゴールドを開ける時、カチンと音がしないのでおかしいと思った。悔しい、早く犯人を捕まえて下さい」と中毒症状と闘いながら捜査員に訴えていた。
29日午前、血液中の酸素量が低下したため血液吸着療法を行っていたが、昼ごろから渡辺さんの容体が急変した。血圧が急速に低下し午後1時半ごろには意識不明の状態に。妻や子供たちがベッドにすがりつき「お父さん、がんばって!」「先生助けて下さい」と泣き叫んだ。医師らは解毒剤の投与、点滴などの処置を施したが、手当のかいもなく渡辺さんは午後2時58分に静かに息を引き取った。パラコート中毒による循環不全であった。死亡時の渡辺さんの血液中のパラコート濃度は2.8mg、尿中には75mgあり、推測ではあるがパラコート原液を約40㏄飲んだと思われる。
渡辺さんが亡くなったことを受け、毒物混入傷害事件として捜査していた二本松署と県警本部刑事部は29日午後3時半、同署に「二本松市における毒物混入傷害致死事件捜査本部」を設置した。
【リアルゴールド】 リアルゴールドは、仙台コカ・コーラボトリングが販売している炭酸飲料。果糖ぶどう糖液糖、はちみつ、高麗人参エキスなどが入っており、ビタミン入り栄養飲料としてスーパーマーケット、コンビニエンスストアなどで販売している(当時は1本100円、内容量140ml)。1981年に発売開始され、当時はビン入りのみでイタズラ防止のスクリューキャップがついていた。
【セブンイレブン二本松駅前店】 「リアルゴールド」はコカ・コーラボトリング郡山工場から、セブンイレブン二本松駅前店に週に2回ほど運ばれていた。また同店は24時間営業で、深夜は店員2人で販売。店長Hさん(33)は「グリコ・森永事件以来、商品のチェックは厳重にしており、全く驚いている。リアルゴールドは、普段20本ほど店に置いていたが、これまで不審なことはなかった。本当に怒りを感じる」「亡くなった方とご家族は全く気の毒だ。なぜ、うちの店がこのような目に遭わなくてはならないのか…。1日も早く犯人を挙げてほしい」と語っていた。
【パラコート】 除草剤として使用されているパラコートは毒性が非常に強く個人差はあるが、致死量は約50㏄。それ以下でも肝障害、腎臓障害を引き起こし、病状が進めば肺に繊維状のものがたまり2週間から1ヶ月で死亡し、死亡率は86%に上る。1984年当時、数種類の商品名で農協や薬局などで販売されおり、18歳以上で印鑑さえ持参すれば伝票に住所と名前を書いて誰でも買うことができた。
この事件の翌1985年4月から11月までにかけて、日本各地で自動販売機の付近や商品受け取り口に、パラコートなどを混入した清涼飲料水が何者かによって置かれ、第三者がそれらを「取り出し忘れの商品を幸運にも見つけた」と判断し、飲んでしまったことで命を落とした事件が起きている(12人が死亡し、すべて未解決事件)。
【手口】 グリコ・森永脅迫事件をまねた模倣犯か―。 しかし、グリコ・森永脅迫事件と比べて ①「毒入り」と書いたシールが貼っていない ②5月22日製造の古ビンを利用している ③渡辺さんが飲んだリアルゴールド(140ml)はほとんどパラコート系除草剤の原液で致死量をはるかに越えていた ―など手口はかなり荒っぽく捜査本部では「グリコ・森永脅迫事件をまねた悪質なイタズラにしては度が過ぎる」と判断に苦慮した。
【動機】 毒入り炭酸飲料が置かれたセブンイレブン二本松駅前店の経営者はSさん(43)で、駅前店のほか、セブンイレブン竹田店、さらにレストランなどが入っている駅前の3階建てのテナントビルを経営していた。駅前商店会長、安達太良山岳会長などを務めるほか、前年12月の市議選で初当選、市議会議員としても活躍しており、地元では「若いのにかなりのやり手。将来の成長株だ」と評価が高かった。地元商店関係者の間でも「Sさんは人望が厚い人。出店の際もトラブルはなく個人的な恨みを買うとは考えられない」との見方が大半だった。捜査本部でも「店員の態度が悪いといった小さなトラブルはあるだろうが、そのぐらいのことはどこにでもある」とえん恨説を裏付ける材料はあまりつかめなかった。
【自殺説】 事件当初、渡辺さんは農薬自殺を図ったのではという見方もあった。 調べが進むにつれ ①毒入り炭酸飲料を口にした渡辺さんは、すぐ助けを求めた ②タクシーで二本松市内の医院に向かう間、運転手に「これを飲んだら気分が悪くなった。中身を調べるよう医者に見せてほしい」と栓をしめた毒入り炭酸飲料を託した ③渡辺さんは農薬を購入した事実がない ④病院での事情聴取で自殺をにおわす供述がない ⑤商売も順調 ―などから自殺の線は薄れていった。 さらに、亡くなる直前、渡辺さんは医師と捜査員に「悔しい」と訴え、犯人を憎みながら息を引き取っていた。 渡辺さんの命を狙った犯行説も出たが捜査本部では「毒入り飲料は不特定多数の人が接する陳列棚にあり、特定の人間を狙うにはあまりに不自然。不特定多数の人を狙ったリアルゴールドをたまたま渡辺さんが手にし飲んだとみるのが自然だ」として渡辺さんサイドには問題が全くないとしている。
【遺留品】 犯人が残していった遺留品はリアルゴールドのビンと、その中のパラコート系除草剤。リアルゴールドは仙台コカ・コーラボトリングの郡山工場で5月22日に製造された15万本のうちの1本で、二本松営業所だけでも7月から8月にかけて最低5千本販売されている。また除草剤は二本松周辺だけでも1月から10月まで延べ1万人が買っていることがわかった。 犯人はもう1つ重要な遺留品を残していた。毒入りリアルゴールドのキャップにはカタカナの「ル」という記号入りのセブンイレブンの価格シールが貼ってあった。駅前店は7月に開店したばかりで「ル」の記号入りのシールは使っていない。捜査本部では犯人は7月から8月にかけて他の店から購入した古ビンに農薬を入れて駅前店に持ち込んだと断定。二本松市、福島市松川町、安達郡内のセブンイレブン7店舗のうち「ル」の記号をドリンク類に貼っているのは二本松市の市役所前店だけで、犯人は二本松市在住の人間で土地勘のある者との見方が強まっている。

【犯行時間】 渡辺さんがセブンイレブンを訪れたのは病院から110番があった「28日午前0時5分」から足取りを逆算して「27日午後11時ごろ」と見られている。 犯人は一体いつ駅前店に毒入りリアルゴールドを置いたのか―。事件当日は土曜日。駅前店では多い時で1日延べ1700人もの客の出入りがある。渡辺さんが訪れた時間帯も店内は主婦、雑誌を立ち読みするサラリーマン、若者たちでかなり混雑していたという。 リアルゴールドが置かれているのは店奥のドリンク類の陳列棚の上から2番目。棚の幅が狭く、後ろの方へ置くのは事実上不可能に近い。犯人はドリンク類の冷蔵庫のドアを開けて前列に毒入りリアルゴールドを置いた―と考えられる。 また従業員の商品チェックが行われたのは午後9時半ごろ。捜査本部では「建前と本音は別。応対に忙しくて綿密な商品チェックは難しかった」と話しているが、たとえ従業員が見逃しても渡辺さんの直前に複数の客がリアルゴールドを購入しており、犯行時間は午後9時半から午後11時までの見方が強い。
【若い男】 従業員の事情聴取から同夜、渡辺さんがセブンイレブン二本松駅前店に来る約30分前に若い男性客が「リアルゴールド」を2本を買った事実が判明している。しかもこの男性客は同店を何度か訪れたことがあるとみられ、従業員は「顔に見覚えがある」と証言した。同じ陳列棚からリアルゴールドを買っている点から、この男性客が犯人と接触するなど“事件のカギ”を握っている可能性が強い。
【捜査長期化の様相】 事件発生から1週間が過ぎ、捜査本部は延べ1000人の捜査員を投入したが、聞き込みをした世帯数は二本松市を中心に約3000世帯、11000人にのぼった。農薬入り炭酸飲料水が置かれていたセブンイレブン二本松駅前店の客は1日に平均約1000人。また炭酸飲料水のビンの中から検出されたパラコート系の農薬を扱っている店は、二本松市を中心に約90店あり、ここ1年間に約25000本が売られ、延べ10000人近い人が買い入れていることが分かっている。しかし、販売先の解明が難航し、捜査は長期化の様相となった。 結局、懸命の捜査もむなしく事件は未解決のままとなり、犯人はゆうゆうと市民社会のなかで普通の一市民として暮らしている。 まだ防犯カメラが普及していなかったコンビニで起きた悪質卑劣な犯行。何の落ち度もない被害者のことを考えれば断じて許すことはできない。
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