【壱】赫䨩の月

第1話 人嫌いな転校生

 二月十一日に県立魅雲みくも東高校の一年二組に転校してきた霧島燈真きりしまとうまは、常軌を逸した人嫌いだった。初日、クラスにやってきた彼は自己紹介こそ真面目に済ませていたが、しかし名前を名乗るだけという簡素なもの。これからお願いします、とは言わず、ただそのまま窓際の自分の席について黙っていた。


 最初は緊張しているのかと思ったクラスメイトたちは距離を縮めるため彼に話しかけた。どこからきたのか、好きな食べ物は、趣味は? そういったことを。


「個人情報の開示は危険だと学ばなかったんですか?」


 それが燈真の一貫した答えだった。この時点で多くの者は呆れて離れたが、それでも辛抱強い数人の男女は話しかけていたものの、やがて燈真は黙ってしまい、その後帰りのホームルームを済ませた彼を遊びに誘う者もいたが、彼は「僕は遊ぶために高校受験を受けたわけではないので」と言って、やはり断っていた。


 その後、クラス一のムードメーカーである男子が挫折するまでのRTAが終わった。記録は三日目の朝まで、だった。決め手となったのは「なあなあ、ひょっとしていじめられてたのか?」という男子の質問に対する燈真の答えが、「ええ、あなた方から執拗に言葉責めされていて気が狂いそうですよ」という返しであった。


 その三日目である二月十四日は世間一般でいうバレンタインデーだ。企業の思惑に振り回される男女がそれを口実に乱痴気騒ぎをする日、というのが燈真の認識である。ハロウィンがいつの間にかコスプレしたオフパコ募集オフ会と化したように、バレンタインもそうなりつつある。本来の意味を履き違えた、馬鹿げているだけのただただ形骸化している行いに何の意味があるのか、燈真にはわからない。


 昼休み、購買で昼食の焼きそばパンとカフェオレを買ってきた燈真は自分の席について、密閉式のイヤホンをはめてパンの包装紙を剥がす。流れているのはオルタナティブ・ロック。人間の汚さを歌ったもので、歌手は同人活動がメインのインディーズなシンガーソングライター。うつ病が寛解し、けれども再び悪化したその女性は、音楽活動で自分を変えようとこうした行動に出たらしい。


 冷淡な燈真は心がない、宇宙人みたいだと囁かれ始め、もはや彼と言う存在が何かしらの怪異では? とされていた。彼自身は馬鹿げている、と思っているし……けれども怪異、という表現は確かに的を射ている。


「ねえ」


 くそ、と内心舌打ちする。まだいるのか。しかも、イヤホンを無断で抜いた。なんとか感情をフラットに保って、視線だけを声の主に向ける。気が強そうな目つきが特徴的な女子生徒。校則では禁じられていないが、それでも奇抜と言える赤く染めた髪。そのくせ白い不織布のマスクをつけており、どう見ても顔の下半分がコンプレックスの配信者、という出立ちだなと燈真は思った。


「チョコ、いる?」


 ああ、と思った。面倒なことに巻き込んでくれる。周りの注目が集まっており、燈真ははっきり言って苛立ちを覚えた。


「いりません。自分で買うので結構です」


「ひょっとして、一匹狼な自分に酔ってるの?」


「……いいえ。狼は群れで行動する生物です。彼ら以上に群れという存在を有意義に役立てる生き物はいません。僕とは大きくかけ離れています。少なくとも僕は狼には近くありませんし、嫌がる相手に群れて襲い掛かるハイエナでもないのですが」


 それらしい説得力と理詰めのあしらい。常套手段だ。


「生き物が好きってことがわかっただけでも収穫があったわ。でも、私も狼やハイエナじゃないわ。私もあんたと同じで、孤立してるタイプだし」


「今度は同調圧力ですか。そもそもの社会性を持ち合わせていない僕には意味のない攻撃方法です」


「……お返しはいらないわ。置いておくから。……あとさ、髪で目を隠してると、視力落ちるよ。メカクレはチャーミングだけど」


 彼女はそう言って去っていく。燈真の耳に、イヤホンを嵌め直すまでの短い間に「八坂やさかも大概変わり者だよな」という声が聞こえた。


(迷惑だな、ほんと)


 長い髪の下、薄らと紫色をしている不自然な虹彩をした目で置いてある四角い箱を見る。ブランドのロゴが刻まれたシールとリボン。気になったのでエレフォンで調べると、これは一箱で一二〇〇りんの値段である高い方のチョコだ。少なくとも燈真は、見ず知らずの他人に一二〇〇鈴の金なんて払えない。


 周りは「あいつ、興味持ったのか?」「さあ?」「つーか八坂、あいつぜってーブスだろ」「いいんじゃねえの、あいつらくっとけとけば」などと言い合っている。件の八坂瑞奈みずなは特別なんら気にも留めていない。外見などどうでもいいし、そこでしか価値を判断できないような薄っぺらな世界観のやつなどこちらから願い下げだ。


(あいつも多分、私と同じタイプね。見えないものが見えてる)


(八坂、ひょっとして僕と同じなのか……周りの黒い靄が見えてるのか?)


 霧島燈真、そして八坂瑞奈は少なくとも記憶を保持できる頃から奇妙なものが見えていた。燈真はそれが異質なものである、と幼いながらに気づき、誰にも言わなかった。父子家庭で苦労が多い父に負担をかけたくなかったのだ。


 父は毎朝早く出社し、毎日日付が変わる頃に帰ってくる。休日は休ませておくべきだと子供ながらに思って、けれども父は過労が原因で自殺した。燈真が十四歳の頃だった。学校から帰ってきたら父の靴が玄関にあって、反抗期とはいえそれでも感謝している父に何か言わねばとリビングへ行ったら、父は首を吊っていた。ぶら下がる父だった肉塊から漏れた吐瀉物と糞尿を前に、燈真は気付けば病院で眠っており、病室で目を覚ました。


 センセーショナルな出来事は、メンタルクリニックを経て精神科に四ヶ月ほど入院して学校に復帰してからもまだ騒がれていて、その頃から孤立していた燈真への対応が無視からいじめに切り替わった。


(僕を嫌うような奴らに、どうしてこっちが気を遣う必要があるんだろうな。見え透いてる。お前らみんな、黒いから)


 けれど八坂瑞奈は奇妙だった。彼女が放つ靄は、青いのだ。それがおかしい。だから同じような存在なのかと思っていた。人々の中にはごく稀に色が異なる靄を持つ者がいる。赤かったり、青かったり。それが何なのかよくわからない。けれど大半が黒いのだ。


 燈真はチョコレートの箱をリュックに入れて、昼休みの終わりを待った。今日は土曜日で本来なら半ドンだが、午後に一コマ枠があった。その際、全校集会で何かを話すというが、どうせ馬鹿げたことだろうと断じていた。


 予鈴が鳴る中、周りの慌ただしさで燈真はイヤホンを外した。シューズの入った袋を手に取って体育館へ。特に迷うわけでもなくそこに入り、まばらに集まった生徒がクラスごとに設置してある席に座っていく。燈真は早く来た特権で後ろの隅を取り、やがて全員が揃った頃本鈴が鳴り響いた。


 ややあって、教頭先生の挨拶が流れる。


「急な集会で混乱しているかと思いますが、大切なお話があります。これから話すことはとても大切なことなので、決して私語をしないようお願いします」


 間を置いて校長である女性がステージに上がって、マイクのスイッチを入れた。


「皆さん、悲しいお話です。半年前から行方不明になっていた二年三組の芦間優子あしまゆうこさんが亡くなられた状態で見つかりました」


 ざわめきが生まれ、教頭先生が肉声で「静かに!」と怒鳴る。


 噂自体は燈真も知っていた。半年前、ある女子生徒が学校に来なくなったらしい。自宅にもおらず、芦間優子の両親は捜索願を出した。警察を中心に捜査が進められたものの何も見つからず、捜査は打ち切りに。これはニュースにもなっていて、当時は何とも思っていなかったが、転校先の出来事だと知り少しだけ直近のニュースを見ていたのだ。


「死因は自殺と見られています。山中で見つかった優子さんについて、皆さんに心当たりがあるようでしたら、このあと各クラスに配布するアンケートに記載をお願いします。少々騒がれると思いますが、少なくとも憶測で物を言ったり、虚偽やデマを吹聴しないようお願いします」


 要するに形としていじめ調査をするが、そのような事実はなかったことにしたいので口裏を合わせろと言っているのだろう。校長の靄はひときわ黒く、経験上ああした濃さは何かしらの悩みやストレス、悪意が大きさと比例しているのだと知っていた。例を挙げれば、権力者の多くは黒々としている。けれどモニター越しには映らない。ただ、市議会などの投票が迫ると選挙の演説があるので、そのとき見かけると政治家は凄まじい黒さの靄を放っていることがほぼほぼ絶対だという感じだった。


 その後は速やかに解散となり、生徒は囁き合いながらクラスへ戻る。一年二組に戻ると、早速白衣の化学教師である担任がプリントを配った。


「お前ら、いじめられてたらちゃんと書くんだ。俺は忖度が嫌いだし、正直なやつが報われなきゃおかしいと思ってる。名前は書かなくていいが、事実を書いてくれ」


 担任こそ一匹狼だ、と燈真は思う。化学教師である真島孝之まじまたかゆきは、それでも黒っぽい靄こそあるが色は濃くないし、そして量も少ない。時々いる善人と呼ばれる人種に当てはまる特徴だ。


 燈真は受け取った用紙にボールペンでチェックを入れていく。フリースペースには何も書かず、やがて回収されたそれを孝之は封筒に入れた。


「悪いがコピーをとらせてもらう。教頭共から証拠を隠滅されると困るからな」


 なんてやつだ、と燈真は思った。今時ここまで勤勉な教師は絶対にいない、と燈真は断言していたほどなのに。認識を改める必要がある。


「終業のチャイムだな。ホームルームは省略する。気をつけて帰れ」


 燈真とは違う意味で淡白な彼は、さっさと教室を出て行って職員室ではなく昇降口へ。恐らくは近くのコンビニでコピーを取るのだろう。学校でやっていれば止められる可能性が高い。


 言われた通り、燈真は帰ることにした。イヤホンをして学校を出ると、高校前のバス停へ。五分ほど歩き、ちょうど停まったバスに乗った。同じく生徒の何人かが乗り込み、バスが発進。車内アナウンスを聞き逃すと困ることがあるので音量を下げた。周りからは、主に生徒だが、さっきの話題をそれとなく隠しつつも話し合っていた。


「どうなんだ、あれって……芦間先輩って、だって明るい人だったよな……?」


「ああ。ほんと、名前の通り優しい人でさ。……だって、彼氏だっていたんだろ? やっぱ周りから妬みとかあったのかな……」


「どうなんだろうな。ってか、ぶっちゃけ俺らそんなこと知らねえからアンケートなんて答えようがねーよ。くそ、時間取らせやがって」


「いいじゃんか、月曜日と火曜日が自粛休校だし」


 自殺者を言い訳に休日の予定を立てる生徒もどうかと思う。燈真は自粛中は特別黙祷も遊びもしない。いつも通り過ごすだけだ。


 バスに揺られること二十分。地方の街なのでせいぜい十キロだ。自転車でも余裕で通える距離だが、燈真は自転車に対する当たり屋に引っかかりたくないのでバスに乗っていた。一応去年の十一月にバイク免許を取って、オフロードの二五〇ccを買ったが、乗っていたのは初めのうちだけだった。さまざまなグローバル化によって県立高校でもある程度は生徒の自由が認められ、毛染めや化粧、制服の自由化などが進んでいる。東高校もバイク通学は可能で、実際そうする生徒もいるのだ。


(久々に乗ろうかな。ちゃんと手入れしてるし、スタンド寄ってガソリン入れないと。今っていくらなんだろ)


 世界情勢はかろうじて安定している。一時期中東で問題が起きていたが、現在は落ち着いているし、三大国の龍花鳥共和国、スヴァロ連邦、そしてタイタン合衆国の関係性は……まあ、危うくはあるものの一時期ほど酷くはない。なのでガソリンがバカみたいに高いということはないと思う。


(結局僕もあいつらと変わらないな。人の死なんてどうでもいいんだ)


 対岸の火事には誰も関心を向けない。可哀想、哀れだ、という安全圏からの形だけの心配はしても、実際に自分のことのように悲しむのはそれこそ当事者たちだろう。繰り返し悲劇を報道しても改善が見られないことがそういったものの証左である。


 自分の家の最寄のバス停で降りた燈真は、空模様を見る。空気を読んだかのような重い曇り空。


 少し考えて、燈真はバイクはまた今度と決めて自宅とは逆方向に歩く。身につけているのは冬物の私服で、一番上は父の形見分けで貰ったオリーブドラブのトレンチコート。若い頃はサバイバルゲームが趣味で、こういう色を好む父らしい選択である。


 この魅雲市にある葉月町は静かでいい場所だ。騒がしいところが嫌いな燈真には助かる。高い建物はほとんどないし、駅前にちょっとショッピングモールがある程度。家の近くには落ち着いた雰囲気のカフェがあって、燈真は二日前からそこに行っている。


 今日もそこでゆっくり過ごそう、と思った。折り畳み傘はあるので、雨が降ってもいい。いっそ、降ってくれれば雨音で喧騒が遠のく。


 前髪で隠れていても、視界は悪いのは事実だが景色は見える。他人と目を合わせたくない……というよりは、ハーフだと嘘をつくのも疲れているので、この自分が放つ靄と同じ紫色の目を見られたくないのだ。


 少し歩き、アクアヴィットという名前のカフェに入った。店員の案内で窓際に座って、ホットコーヒーを頼む。豆の種類はブレンドで、と伝えておき、あとは軽食のスコーンをオーダーした。


 客層は物静かな主婦や、在宅ワーカーと思しき壮年、青年。看板には「お静かにお願いします」とはっきり書いてあった。レビューサイトでは「敷居が高い店」と載っているが、これについて燈真は「そもそも敷居が高いという意味が間違いであるし、普通は喫茶店では静かにするもので、静けさに文句を言うくらいならファミレスに行けばいいのでは」と思っていた。


 運ばれてきたコーヒーにミルクだけ入れて、イヤホンをはめて音漏れしない音量に。そうしてリュックから『黒龍が愛した石』というタイトルの小説を取り出して、しおりを挟んだページから続きを読み始めた。

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