第13話 全ての元凶

 月乃武範──本名、風間・・月乃。

 さっき、天井が破られる音がした。そろそろ、実行に移すかと判断する。

「委員長」

 月乃は委員長──風間周子の兄、風間周二をモニター越しに見た。

「どうかしましたか、月乃さん」

「計画を実行に移しましょう。予定より早いですが、そろそろ……」

「では、リンフォンは完成したと?」

「まだ、局所的にしか……ですが、これだけの怨嗟を閉じ込めているのです。街一つは、沈むでしょう」

「よろしい。では、実行を許可する」

 通話が切れた。

 月乃は手にした木箱を見下ろす。

 リンフォン。

 正二十面体のそれを組み替えると、熊の形になる。

 熊の神話は多い。二足歩行をし、擬人化されやすいためだ。ゼウスに孕まされ、その妻の恨みで熊に変えられた話や、またネアンデルタール人に神格化されるといった話もあり、この国では鬼熊という妖怪もいる。また、人を食う熊を恐れ、そう呼ぶ。

 組み替える。

 RINFONEを。

 出来上がったのは鷹。

 ユグドラシルにいたとされる神の鳥であり、拝鷹天神という言葉がこの国にもあって、それは「あの鷹は知らせだ。守りを固めねば」と思わせた。恐ろしい禍を知らせる鳥である。

 組み替える。

 出来上がったそれは魚だった。

 熊は、ときに鷹をも食う。鷹は、ときには魚も食うだろう。

 哺乳類は、鳥は、そして食われ続ける生き物は、進化し、ときとしてそれまでの天敵へ牙を剥く。──溜め込まれた怨嗟と危機感が、進化を促す。

 その──地獄の門こそがリンフォン。

 魚はときに、イエス・キリストを表す。バハムートという、竜ともされている巨大な魚の全容を見たのが唯一イエス・キリストのみだったというのが関係しているのだろうか。月乃には、どうでもいいが。重要なのはローマ時代、キリスト教徒は弾圧されていた。その怨みが、弾圧者を地獄へ落とすため作ったのがこのRINFONEである。進化の末手に入れた、牙。

 そう、これはただの言葉遊びかもしれないが、文字を入れ替えるとこうなるのだ。

 地獄INFERNO

 街が一つ沈む。どこへ?

 この箱が解き放つ、地獄だ。

「やあ、天花」

 鉄扉を破ったのは──しかし、天花ではない。

「テケテケを生で見るとはね」

「叔父さん……」

「身分を偽ったことを、いつ知った」

「姦禍様が教えてくれた」

「そうかね。どうかな、その力」

「最高……私の中に、男も女もいっぱいいる」

 ずるずると、下半身が再生された。それは確かにヒトらしいものだが、分厚い殻と鱗に覆われている。

「古来より蛇と竜は同一視されていた。そして魚が滝を登り切ると、竜になるともね。なるほど、バハムートが竜とされるのはそれが理由かな」

「何の話?」

「私なりの進化論だ。危機を煽り、環境への適応を促す一般的な進化。あるいは、象徴を完成させそこへ競争させる我々のやり方」

 風間は、竜になる。

 日継は数々の地獄の中で適応した。

 では。

 風間と日継の血を引いた、天花は?

「私は深桜が好きでね。理由は両性具有だったからだ。多くの神話では、その両性は完全な存在を意味し、神である前提ともされる。トゥイストー……知ってるかい?」

「知らない」

 月乃は微笑んだ。

「では、始まりの巨人ユミルは?」

「大昔の、人気の漫画の?」

「北欧神話の、さ。そのユミルは両性具有と考えられる存在と同一視される。事実ユミルは一人でその後の伝説を生み出した。男であり、女であるから一人で全てを生み出せたのさ」

 スカンジナビア共和国連合の誰かの息子で、娘。その、妻の浮気相手が誰なのかは知らないが、嬉しい誤算だ。いや、あるいは全て必然か。ナメラスジの終着点こそが、新たなる世界の始まりとなるのか。ここが、終わりの始まりか。

「それが、あの日僕を追い出した理由なんだね」

 深桜がそこにいた。白銀の長い髪。手にする打刀。そばには一人の黒髪の少女。そして金髪の女傑、角が一つの鬼。

「そうとも。天花の企みくらいわかるさ。その上で泳がし、そして導いた。君たちは滑稽な舞台役者だった。そして、その舞台は新たなセットへ切り替わるのだよ。次のシーンへ進むために。人類が、次の世界へいくために」

 友季が拳銃を向けた。

「人の生き方に口出しする奴が、偉そうな口を利くな」

「君もまた、同じだろう。危機に対し力を手に入れ行使した。私たちと同じだ。いや、それ以下だ。まだ復讐に取り憑かれている」

「それが私の生き方だ。私が選んだ──」

「違うさ。歪められた世界から、間違ったものへ執着している。死んだ姉を、亡き女に固執している。だからそれは、ただの妄執だ」

 神経を逆撫でする言葉。だが、大人である友季は感情を動かしたりはしない。

「だろうな。お前の息子と同じだ。兄弟姉妹が大切なんだ。そして、肉親が大嫌いなんだよ」

「理性的……というより、もはやそれを捨て去っているね。なるほど、それも一つの進化だ。それで、深桜。お前は何をしにきた」

「助けにきた」

 後ろから現れた、三本の角の天花。

「僕の恋人を」

「罪だよ、それは。君らは血が繋がっているんだ。だが私と深桜にはない。ほら、おいで」

「断る。僕は天花以外の男を受け入れる気はない」

 その天花が、邪視で睨む。父を。

「無駄だよ。とっくに自分の鬼を受け入れているからね。……我が息子、全てを知ったね。その上で、まだやめないのかい?」

「やめねえさ……風間──いや、その祖先の名前で、本名で呼んでやるよ。


 三浦泰明みうらやすあき


 泰成……陰陽師、安倍晴明あべのせいめい三浦介義明みうらのすけよしあき……最初の九尾を討った者たちの子孫。そして、あの東西内戦で九尾の狐を使役していた退魔師」


 周りが驚愕の表情を浮かべた。

 天花は続ける。

「怨禍が随分俺を嫌うのは、当然だ。冥王と並ぶ、……それどころか、冥王でさえ恐怖した九尾を退治し、使役する一族だからだ。そうさ、この鬼は俺が怖いんだよ。姦禍も、俺を殺したいのは旦那を取り戻したいだけじゃなくて、自分の身が危ういからだ。そして旦那を守りたいんだ。それでもお前らの一族の中から……違うな、だからこそ姦姦蛇螺、その元凶の大蛇を殺すための巫女がその血を持っていて、選ばれた。

 その血は強く、巫女は優秀だった。だから一族から疎まれ謀殺に近い形で大蛇に食われるよう仕向けた。そして、その血故に、その怨みで大蛇さえ飲み込んだんだ。

 怨みが、愛に変わった。姦禍という鬼は怨禍を一方的に変質的に愛した。恐れる怨禍が可愛かったから。こいつはきっと恐妻家だろうけど……この血が怖いんだ。この血を持つ姦禍を恐れ、だから求婚を断れなかった。そして、蛇のようなしつこい愛が、こいつを呪縛した」

「そう。姦禍と怨禍はそうやって結ばれた。望まぬ愛さ。怨禍は心のどこかで、姦禍を怨んでいる。愛憎は表裏一体。

 そうとも、私は泰明。かの陰陽師の祖先。そして、何度も何度も我が子に記憶を託し、生きながらえてきた。再び、人と妖怪が相食み、愛し合い、奪い合う平安を築くためにね」

 手にした魚のオブジェが赤黒く光る。

「私にとっては大きな誤算、そして、同時に嬉しい誤算があの内戦で起こった。

 一つは九尾の狐という存在を戦争兵器として使役し、妖怪を認知させる計画が失敗したことだ。不思議ではないかね。君らはその事実を知っていて当然。しかし、戦争で大暴れした九尾が、なぜ認知されていない? なぜ、オカルトはまだ実在しないことになっているんだろうね」

 確かにそうだ。深桜はそこに、今気づく。

「ここからが嬉しい誤算。

 この国の……全世界の人間が被呪者になったことだ。妖怪という存在を秘匿するために、私の父は忘却の呪いを使った。そう、この呪いのおかげであらゆる人類が呪いの因子を宿した。結果的に、鬼が現れやすくなった」

 闇が。魚がカチカチと音を立てて広げられていく。そこに、場違いなバイブ音。友季がエレフォンを取り出した。

「叔父貴、なんで電波が通じる」

 山内警視監の怒号に、友季は青ざめた。



 秋津で、それは起こっていた。

 主要都市だけではない。テレビがジャックされ、ある光景が映し出されている。

 大槻病院の、その全て。地上に溢れ出す無数の鬼。それが、街へ出て大勢を食い荒らす。最初こそ、合成映像、もしくは映画やゲームの宣伝だろうと思っていた。

 だが、その日人類は思い知る。思い出す。

 この世界の、本当の姿を。



「私の上司がやってるんだ。さ、みんな。質問はないね。必要なんてない。もうこれから、そんなことに意味などない」

「まて。深桜の父親は誰だ」

「天花、何をしても無駄だ。母親が同じだ」

「これから起こる世界では罪でも何でもない。……答えろ。嫁をもらうんだ。挨拶くらいする」

 にたりと泰明が笑う。

「私のデータに何もなかっただろう。つまり、私も知らない。ただ、曰く付きだ」

「天花、何が起こってるの?」

 深桜が問う。それは、全員の疑問だった。

「……進化。人間と妖怪を解き放ち、この世界を変える。変わった世界で、競い合う。神というものを目指し。あるいは、適応するために。……理由は知らん」

「やれやれだよ、深桜。だがね、天花はどうしようもない定めで死ぬ。だが私はご覧の通りだ。おいで、可愛がってあげるから」

 近づく、気持ち悪い何か。

 天花がその手を払い除けた。

 そして友季が、セラが立ちはだかる。

「依頼人と、私の助手に手を出すな」

「部外者に用はない。……親子喧嘩に口を出さないでもらいたいが」

「打算で産んだ子の親を気取るな。この子たちは、お前の遊びのせいで──遊び感覚で産まれてしまった。望まぬ運命を行くことになった。死んで償え」

 うっすらと泰明が微笑み、拳銃を抜く。それを、即座に耳に当てた。

「死ぬことが謝罪だと思ったことはない。生き物の定めだ。役目を終えたら退場する。演劇の基礎基本だ」

「待て!!」

 友季が怒鳴る。

「私のすべきことは終わった」


 銃声。ぱたん、と三浦泰明は──全ての元凶が、あっけなく自殺した。


「深桜。……外に行こう」

「うん」

 深桜は天下の手を握り……腕を絡めた。十三歳の体では、大人の体は大きいが……それでも精一杯に。

 誰も何も言わない。

 あいつらの、最初で最後の……最期のデート。

「風間周子。君に、来てもらう」

 友季が睨み、周子が挑みかかろうとするも、セラがあっけなく制圧する。組み伏せて、頭を床に叩きつけて気絶させた。

「早く行こう。天花くんが言ったことが事実なら、ここは危険だ」

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