第12話 因果の底

 遠い昔。戊辰戦争、と言うものがあった。

 政府を打倒するため立ち上がった維新の志士たちと、政府軍の戦争──つまり、内戦だ。

 ある戦場の、ある山。

 刀を手に涙する一人の男。

「勝ったぞ!! 我らの、我らの勝ちだ!!」

 湧き上がる新撰組。掲げられる旗。

「我が軍の、勝利じゃぁああああああああああ!!」

 男は、これまでの全てが無駄であったと悟った。愛する者も捨て、我が子も置いて──その果てが、これか。

「新たな時代か。儂の、負けか」

 彼は人斬りと恐れられた志士だった。最強の剣士。けれども、その名はどこにも残っていない。

 立ち去ろうとした彼を、一人の浅葱色の隊服を着た男が呼び止める。

「お前は、ここから逃れられん」

「何故」

「戦場で死ぬ定めだ。俺も、お前も。剣に生きる俺たちに、それ以外の終わりなどありえん」

「……やもしれん。だが、儂にはもう、無理だ」

 手にしている真っ黒な刀が霧散する。

「儂の子も、殺すか」

「俺たちは殺めたりなどせん。だが、逃れられんのだ。お前ならば、わかるだろう。俺と、お前の宿命が。なあ、日継」

「ああ……。いつか、決着をつけようぞ。風間」


×


「貴様、私の妻を殺す気か!!」

「わかってて乗っ取るつもりだったんだろ。だからお前は俺を支配できない。契約を反故にしているのはほかならないお前だったからだ」

 怨禍を乗っ取った天花はそう言って、出しうる限りの鬼の力を振るう。

 そう、怨禍が天花との取引に応じたのは──彼の心臓と魂だけという破格の代価で動いたのはそういった腹積りがあったからだ。

 風間周子という、怨禍の妻の器。それを刺激する可能性を希求していた怨禍は、この事件の主犯である存在が風間周子であることに気づき、承諾した。巧みな言葉で天花を騙すつもりだったものの、それは失敗。妥協し、騙そうとした結果が、自らの力で最愛の存在を葬るという末路だ。そう、怨禍が『私が弟を犯す』という脅しは。その言葉がそっくりそのまま返ってきたのである。

「この、虱集りの人間が!! 私を──を弄ぶなぁぁああああああああああああ!!」

 大蛇が迫る。伸びる触手を右腕を黒い刀に変えて斬り払った。舞い散る鮮血。冷徹な天花の目は、ただ風間周子の黒く濁った目へ向けられる。

 深桜を奪った罪は、償ってもらう。そして、俺の罪を償う。──禁忌の鬼を、葬る。

 尻尾が振るわれ、天花は跳躍。植え込みが薙ぎ払われたが、天花は空中で霊力を爆発させて急降下。斜め下へ、彗星のように突きを放つ。ドスッ、と音を立てて刃が食い込んだが、それは大蛇の巨大な腕だった。

「くそっ」

 肉が刃に絡みつき、天花は黒刀をトカゲの尻尾よろしく自切。すぐに腕を蹴って後ろへ飛ぶが、まるでそれを読んでいたかのように対になっていた大腕が彼を打擲ちょうちゃくした。

 激しい衝撃波。木々が波打ち、天花はブロックしたものの弾き飛ばされる。メイン病棟二階の窓を叩き割って転がった彼は、痛む体を黙らせて立ち上がる。

 ──深桜はもっと、もっと痛かった。この程度で根を上げるな。恋人の苦痛なんだ。分け合うくらいは、できる。

「やめろ小僧! 我の伴侶を傷つけるな!」

「お前が俺を騙そうとしたように、俺もお前をいくつか騙してんだよ」

 ふぅ、と息を吐き、吸い込んで、鼻から吐き出す。全身の傷が一瞬で治癒。日継の血が持つ、異質な治癒力だ。

「俺の家系は日継。日継真央理まおりという女が、俺たちの母親だ。お前なら、日継ってのがどういう家系なのかわかるだろ」

「ありえん!! 皆殺しにしたはずだ!! この我が、貴様らを……貴様ら鬼神きじんの家系は、途絶えたはずだ!!」



 日継家。

 平安時代、ある地域にいた謎の一族。詳しい土地、初代の出生と没年の日付は不明。しかし、残された記録から平安京が定められた前後の頃、出生したと思われる。その後、無政府状態になってしまったこの国ではいわゆる戦国時代が訪れ、日継家は呪術と剣術を武器に──これもまた出生地域は不明だが──戦場で暴れ回った。そのあまりの恐ろしさに、敵軍の将軍の中には、日継の武士がいると聞いただけで逃げ出そうとまでしたらしい。徳川家康のように、脱糞までしたものまでいたとかなんとか。最もこれは、根拠がないので事実かどうかは不明だ。

 謎多き日継一族は明治時代においても維新の志士として戦い、代々その戦いの血は継承されていった。

 けれど、ある一族と敵対的だった日継家は、大正時代にその血が途絶えた。

 その一族の名は、風間。因縁は陰湿な呪いあいに発展し、風間一族は怨禍と取引し、日継を呪殺したのである。だが、当然日継の血を継ぎつつも、その比率が薄い者は呪いから逃れていた。そして、その呪いの影響こそが、邪視なのだ。

 怨禍の力──忌むべきこの鬼の力の、日継の血と共振した結果生まれた異なる形での冥王の力。それが──日継が持つ、特異な邪視の正体である。



 大蛇が押し寄せる。無数の腕を天花は太刀で切り払い、舞い散る血を浴びて真っ赤に染まりながら風間周子を睨む。

 彼女が深桜を恨んだのは、深桜のせいではない。この身に流れる血が、そのような恐ろしいえにしを持ってしまったのだ。その末の呪い合い。そして天花はその全てを断ち切る。二度と、深桜が泣かないように。苦しまないように。戦いを捨て、生きていけるように。

 罪だとわかっていた。それこそ、自分も関わるべきではないと。

 だが、好きな女を傷つけられて黙っていられる男がこの世にいるだろうか。心の底から愛し、心底惚れた女を傷つけられ、泣き寝入りなど──。

 繰り出された巨大な腕を天花は左手のみで受け止める。バギバギと音を立てて床が砕け散り、ノックバック。そもそもの質量が違うが、天花は耐えた。金色の鬼の目で睨む。風間の、その恐ろしい形相の顔を。

「きさ、ま……ひつぎ……!」

「よう。お前の旦那に、全部奪われた一族の生き残りだ」

 ぎち──と大腕にこもる怪力。しかし、天花はびくともしない。

「なんだよ」

「殺してくれる、妾の伴侶を返せ!」

 ゴッ、と音を立てて、しかし吹っ飛んだのは姦姦蛇螺──姦禍だった。天花の額、左右の二本の間に生える三本目の角。

「舐めるな。お前らこそ、俺の恋人にケジメつけろ」

 その姿は、声音はまさに鬼。数多の戦で数えきれない首を奪った鬼神の、もともとはヒトでありながら事情を知る間では真に鬼となり、鬼を統べるに至ったとさえ恐れられる一族の長兄に相応しい、あまりにも恐ろしい声。これが──これが、本当の鬼。

 ずず、と渦巻く金色の霊力。威圧的で、恐怖が具現し、激憤が滲む。人は、愛する何かを失うと、本当の意味で鬼になる。その瞬間、己の中の本音を支配する感情が形成される鬼となり、無意識のうちに受け入れてしまう。

 だから、この世界には仇討ちという言葉があるのだ。だから、怨恨が元である事件があとを絶たない。いくら法を厳しくしても、抑止しても消えない。

 禁忌の鬼──冥王同士の激しい戦闘で、メイン病棟がほとんど崩壊していた。奪い合い、殺し合う。お互いの愛する者のために。周りはそれを見ているしかない。立ち入ることさ許されない。力量はもちろん、様々な意味合いで他人が首を突っ込んでいいわけがないのだ。

 ただ一人だけ、そこに介入できるのは──。

「天花……っ」

 その少女は、必死に涙を堪える。

 姦禍の恐ろしげな怒号が響き渡り、セラは舌打ち。友季を抱えて入院棟から飛び降りる。足を曲げて勢いを殺して転がり、即座に離れた。姦禍に殴り飛ばされた天花がそこへ突っ込む。いくつもの病室の壁をぶち抜いて、そこをさらに姦禍が腹部の触手まみれの腹で患者を丸呑みにしながら、壁をバラバラに砕き突進。天花は怒号をあげて黒刀と化した右腕で応戦する。

 ジジッ、と纏うのは炎。紫色の、鬼火。天花の刀に、炎が宿り──その左目が紫色に染まる。けれども、本音という鬼を受け入れ、もしくはその具現である鬼や霊には通用しない。だが同時に、この目はまだ力を持つ。世界に流布する一般的な邪視ではないのだ。これは怨禍が与えた呪いで、恩恵。

「怨禍の炎を……貴様は、妾に向けるか!!」

「焼き尽くしてやる。俺の怨みで」

 ゴウッ、と吹き荒れる劫火。激しい熱風が窓ガラスを一瞬で溶かし、部屋中の全てが発火。看護婦が泣きながら二階の窓から外へ飛び降りた。

 乱舞する刀と炎。紫紺の光が尾を引き、数えきれない殴打と斬撃と、そして呪詛の叫びが轟く。

 両者は目まぐるしく攻防を切り替え、天花は姦禍のアッパーで天井を叩き壊して四階の天井も吹き飛ばし、五階へ。三本も角を解放してこれか、と舌打ち。全身が、細胞一つ一つがもう限界だ、と叫んでいた。その苦痛を、激痛を飲み込む。俺は、兄だ。好きな人がいる。俺が、その人を傷つけた。その、罰だ。多くの怨みを深桜ではなく、自分へ向ける。あらゆる怨みを、その全てを背負って──世界の敵となる。その上で、死ぬのだ。

「がふっ、ごほっ」

 突然咳き込み、天花は膝をついた。大量の血が口から溢れる。どう見ても致死量だ。中には臓物らしきものも。怨禍が騙された代償を奪おうとしている。

「まだ、まだだ……俺は、死ねない……み、お……──、っ」

 天花は腰から一本の圧搾式注射器を取り出した。腕に現れた口と単眼が叫ぶ。

「貴様、まさかそれは、」

「神酒ソーマ。人間に栄養と活力を与え、霊感、不老不死をもたらす。そして、光と月の神ともされる。深桜が光の世界で生きていく仲間がいるんなら、俺の役目は、夜を照らす月明かりになることだ。俺は……深桜のためならなんだってしてやる」

「馬鹿が。副作用で死ぬだけだ!」

「そうさ。お前と一緒にな。これが、俺の最後の役割だ!!」

 とん、と注射器を首に当てて中身を押し出す。圧搾空気の力でソーマが流れ込んできた。狂気的な熱が迸り、力が漲る。けれど、どんどん死んでいくのがわかる。視界がぼやけ、それでもまだだ。霊感を研ぎ澄ます。生き物は何かを代償に、何らかの能力を得る。目が悪くとも、鼻や耳がいいように。

 姦禍が伸び上がり、そのまま天花に激突。七階まで押し上げたが、反撃。

 天花の踵落としが炸裂し、発生したエネルギーで周囲三部屋が消滅。そして、姦禍は風間周子の上半身を残して爆散した。恨めしい少女をぶん殴ると、パンッと何かの壁を越えた音を立てて衝撃波を撒き散らしながら、一階へ叩きつけられて──、

 その床を抜いて、地下へ落ちた。

「な……」

 天花はここを占拠するにあたり、事前に全て調べ上げた。もっともそれは、父親を──恋敵・・を始末するためだ。

 だが、地下空間があることを知らなかった。

「どういうことだ」

「くっ、はは。ははははははっ! そういうことか! 面白い、面白いぞ小僧! よい、生かしてやる。しばし我がソーマの副作用を肩代わりしてやる」

 怨禍が呵呵大笑した。不審に思いつつも、天花は一階を見下ろす。

 と、遠くの部屋からか細い声がした。

 あいつは……警察のデータベースで見た顔だ。そうだ、深桜を……家出した深桜をレイプしようとした主犯。けれど本当は、ただの実行犯だ。主犯は父。父親が差し向けた男だ。あそこで誘拐し、父は深桜を犯すつもりだったのだ。あの夜の全ては、父が仕組んだことだった。……全部、知っている。父には深桜とは血の繋がりがない。……だから、尚更許せない。

 助けてくれ、と聞こえた。

 天花は無言でそいつの胸ぐらを掴み上げる。

「警察じゃなくてここにいるってことは、釈放されたのか」

「は……? ひっ、被害者、だし」

「そっちで寝てるのは誰だ。この女は」

「お、俺の、妹」

 天花は刀をその女の頭部に捩じ込んだ。悲鳴を上げる主犯。天花は窓を割り、男をそこから突き出す。

「あの世で俺のに詫びろ」

 そして、あの実行犯は落とされ、地面に叩きつけられて破裂した水風船のように飛び散った。

 さて──。

 あの、地下空間だ。怨禍がここまでした以上、絶対に何かがある。

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