第11話 愛の形

「いいのかねえ、人様のあれこれに首突っ込んでさ」

「さあね。知らないよ。でもこれ、仕事だし」

 歳若い青年。男女だ。多分、大学生か新卒。スーツ姿で、どちらも黒いパンツスタイル。髪は思い思いの色に染めており男は茶髪で、女は黒髪。落ち着いた、どこか人を食ったような顔。けれどその目は、天然の色で──銀色。この裡辺という地でそれを『海外の血』と断じるのは難しい。

「僕は怨まれても知らないよ。責任取らない。報酬だけ受け取る」

「私だって嫌よ。仕事だからやるの。行くわよ」

 二人は結界の内側、現在一般人に扮した二十六名が張っている大槻病院の敷地内にいた。

 男は制圧した別棟の四階から狙撃銃を覗かせている。うまく道具を使い、伏せ撃ちの姿勢。モノポッド、バイポッドの三脚で固定した対物ライフル。スコープの先には、大蛇。

「七大冥王の子孫、か」

 七大冥王の一人、禁忌の鬼である冥王・姦禍かんか。姦淫とそれに関わる災禍を司る女王。

 治から貰った風間周子の素性はあまりにも酷い。

 初体験は六歳。相手は実の兄。歳の離れた高校生の兄と、同意の上で性行為に及んだ。以来、彼女は先天性の不妊症をいいことにほぼ毎日交わった。兄が大学生になると共に引っ越してきて、山川市の市立棚田樹小学校へ編入。その後は同級生、上級生、教師──あらゆる男を見境なく襲い、関係を持った。兄は親のコネで政財界へ進み、大きな権力を持っている。

「大蛇が喰った、って……まさか、そういう意味でってことかね」

「あんたみたいな色魔ってこと? ふん、ケダモノ」

「待ってくれ、君と出会う前に二人と経験したってだけだ。一桁なんだぞ。まだまだ健全じゃないか」

「うるさい。私の処女を奪っておきながら」

「奪ってない。貰ったんだ。同意してたし」

 言い合う二人。けれど、目は離さない。

「完成には至っていないね。というか、たかが数百人程度喰ったくらいじゃ、姦姦蛇螺には至らないか」

「最低、千五百人……それくらいね」

「みんな丸呑みだ」

「体内で犯してるんでしょう。気持ち悪いなあ」

 と、女のエレフォンが振動する。

「もしもし、神崎かんざきです。……ああ、友季さん。はい、姦姦蛇螺で……正確にはその幼体で間違いありません。セラちゃんに変わってもらえます?」

 少しやりとり。その後、控えめかつ感情が薄い声で「どうも」と聞こえた。

「やーんかわいい!! ねえねえ、こんどお姉ちゃんとご飯食べない!? 二人きりで!! 絶対変な意味じゃないから!! 健全だから!! うん!! 行こうね!!」

 どこがだよ、絶対セクハラする気だと、神崎かなでの恋人である滝沢健たきざわたけるは呆れる。

「友季さん、そういうことでセラちゃん一日借りますね。それが報酬です」

「おいふざけるな」

「冗談はさておき……院内にいる人間の救出は不可能だと言えますよ。というか、もういないんじゃないんでしょうかね。それこそ治さんが言ってた怨禍っていう冥王くらいしか。どこにいるのかはわかりませんが、ただ結界内にいるのは確かです。異質な霊気のせいで場所がわからないらしいです」

 健はスコープから一旦目を外し、周りの──姦姦蛇螺がなぜか目を向けない、自分達がいるメイン病棟の反対側にある旧病棟を睨んだ。こちらの、ほぼ機材置き場……というか物置となった旧棟は全く使われていない。ここに逃げ込めば、少なくとも俺たちが守れたが……と思った。ただ、別の部屋に子連れの家族を保護していた。奏が強力な結界を張っており、恐らく守り切れると思う。

「あー、はい。できれば手早くこっちに来てください。三人だけ保護できた人がいます。人命救助が仕事じゃないってことはわかってるんですが、その上で。……はい、お願いします」

 通話を切った奏は、健の頬にキスをする。

「必中のおまじない。頑張ってね」

「任せてくれ」



 玉子さんがクラクションを鳴らした。警官が封鎖する前で群がっていた多くの記者が、迫るバンを前に慌てて逃げる。この車は脱獄済みで、座標の特定などは不可能。ナンバーも存在しない架空のものだ。この街の探偵なら、これくらいの備えは普通である。なのでいくら動画を撮られようと問題ない。窓は全てブラインドであり、外から中を見ることは不可能。

 ずぷん、と車が結界内へ。術師たちがあらかじめ通せるようにしていたのだ。

「深桜、瑞奈、お前たちは旧病棟へ行け。そこの四階だ。セラは私と。幼体を始末する」

 車から降りる。深桜は素手。瑞奈は手に様々なオプションが取り付けられた自動小銃を手にし──彼女も、バーチャル訓練を行なっている──、それから友季はセミオートショットガンをはじめ多数の火器を携行。玉子さんは「お気をつけて」と、そう言って車に戻る。瑞奈の、姉の顔で。

「どうした?」

「ううん、なんでもない」

 深桜は長い銀髪を揺らし、別棟へ向かう。漂う異質な空気。空は夜空であって然るべき──けれども、そこにあるのは赤黒い禍々しいものであり、月は黒く塗りつぶされ周りだけが赤く煌めいている。滴り落ちるように、血のような光が降り注いでいた。

 比較的安全な別棟へいった深桜たちを尻目に、友季は銃の安全装置を解除。

「セラ、最悪二本解放することを視野に入れるんだ。こっちへおいで」

 振り返ったセラに、友季はその桃色の唇にキスをする。

「私の罪を背負わせて、済まない。もう少し付き合ってくれ」

「はい、母上。愛してくれるのなら、地獄の底までついていきます」

 友季とセラ、そしてフェイの共通の仇。それは、友季とその姉の上、あの家を去った長女だ。

 愛し合う兄弟姉妹もいれば、憎み合う家族もいる。それが、この世界の日常だ。

 大きな病棟に入り、そして友季は怒鳴る。それこそ極道さえも──鬼さえも震え上がるような、恐ろしい声音で。


「死にたくなければベッドの下にでも隠れていろ!! 聞こえるか、鬼、怨霊ども!! ──この私が、直々にお前たちを迎えにきたぞ!!」


 ぞわ、と湧き立つ霊気。蠢く無数の目。セラが拳を握る。額の右に角が生えた。

「所長」

「ああ。除霊しろ」

 ふっ、とセラの姿が掻き消えた。顔を出す無数の怨鬼、怨霊──食われる恐怖ゆえに対峙した心の中の鬼に縋り、体を明け渡したものたち。既にその主導権も魂も捨ててしまい、救えない。ならばこそ、潔く殺すのだ。

 文字通り瞬殺していくセラ。二メートル近い怨鬼を、正拳突きで消滅させる。背後の死体に受肉した怨霊を後ろ回し蹴りで霧散させ、地面から伸び上がる手を踏み潰して回転、文字通り足を回し、周囲の雑魚を一蹴した。

 次から次へと迫る怨みの塊。友季は哀れだと思い、そこから救い出すために引き金を引いた。



 別棟に入った深桜は、打刀を手に周囲を睨んだ。異様な静けさ。怨霊の類がいない……というより、何かを恐れて遠ざかっているような。

「瑞奈、気をつけろ。なんかおかしい」

 何かが変だ。一体、何を恐れている。そしてなぜ、自分はそれを恐れない? 鬼となったからか?

「深桜くん、ここ……多分、結界が張られてる。しかも、秘匿されてるの」

「秘匿する結界?」

「うん。守る結界じゃなくて、隠す結界。そもそも膨大な霊力を使って強固な結界を張るくらいなら、そもそも攻撃されないよう、見つからなければいいから」

「そういうことか。……つまり、怨霊たちにとってここは、『来るほどの価値なんてない場所』って認識、もしくは『来てはならない』って誤認させてるわけだね」

 なるほど、確かにそうだ。無差別な攻撃であれば守る結界は必至。そして、侵入を防ぐのであれば、それもまた然り。けれど、逃げて隠れることが目的であれば、見つからないように迷彩する結界を張ればいいのだ。

「僕たちがここへ来られたのは怨霊じゃないからってことか」

「多分。でも、警戒はしておくに越したことはないかな」

 深桜はその通りだと思った。狭い階段と通路が多い。深桜は刀を鞘に納めて拳銃を抜く。安全装置を解除し、初弾を薬室へ。ゆっくりと階段を上る。瑞奈も拳銃を手に側面と背後を警戒。後ろ向きに階段を上る、何気ないように見えて訓練されていないと困難なことを平然と行う。

「クリア。瑞奈」

「クリア。……上から声がする。人の声……霊力が弱い……? いや、隠してるのかな」

「凄いな、僕はほとんど感じなかった」

 四階に生き残り──そんな気配がなかったから、もう死んでいるのかと思っていた。

 隠す結界、その能力だろう。

 だとしたら、術師の能力は相当なものだ。多分、既に鬼を受け入れている。

 と、メインの病棟から轟音がした。二階の廊下、その窓から見る。

「セラ……!」

 友季を抱えたセラが空中に渡された廊下の天井を走っていた。そのまま隣接する入院棟へ向かい、後ろから大蛇が──風間周子の上半身を持つ化け物が追い縋る。やつが、姦姦蛇螺。その化け物は渡り廊下を締め上げてバキバキ音を立て、へし折る。セラは瓦礫を蹴って跳躍を繰り返し、入院棟の窓を叩き割って中に入った。

「えぇぇぇぇぇええええええんんんんんんんかぁぁぁあああああああああああああああ!!」

 それは怒号──というよりは、求めるような声。

 一体、なんなんだ、どういう意味で──。

「怨禍と姦禍は、元々は夫婦だったのさ」

 突然背後から声がして、深桜は反射的に銃を向けたが、

 即座に締め上げられて気付けば床に転がっていた。それから、スーツを着た青年は銃を分解する手を止めて、大人しく返してくる。

「ごめんね、職業柄反応してしまう。俺は滝沢。滝沢健だ。神崎探偵事務所の探偵だよ」

「天城探偵事務所、月乃深桜」

「同じく、八坂瑞奈」

 まるで気配を感じなかった。それに、鬼としての自分が一瞬で負けた。

「姦姦蛇螺……それは後々、悪ガキの手で刺激された。その時は理由はわかっていないが、巫女だけが現れるだけで済んだが、その後封印が緩んだんだ。ネットでは、その黎明期の少し前だとかそういう扱いだが、実際はもっと昔だ。そして、晴れて現世を追いやられるに至り、あいつは冥界の王になった」

「怨禍と夫婦になって、だから夫と交わった結果、巫女の血族に宿っていた姦禍の血が……ってこと?」

「そう。君も知っているだろうが、冥界はこの世界と少し重なっている。だから姦禍の因子が強くなるほど冥界からの干渉も大きく、強くなる。それこそ最悪なのは、この現世に夫婦揃って冥界の王が揃う可能性だ」

 ややあって、ヘリの音。

「安心して。味方だ。俺の昔のツテ。怪奇専門の、民間軍事警備会社」

 さっきまでいた病棟で、上の階に戻る姦姦蛇螺。セラたちはその反対に逃げていたため平気だが、まだ残っていたであろう生き残りの悲鳴が聞こえてくる。その上で、判断したに違いない。

 ヘリから、一斉にロケット砲や誘導ミサイルが放たれた。

 噴き上がる爆炎と轟音。病院が爆撃を受けるという、現代において決してあり得ない状況。

「ガァァァアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 姦姦蛇螺が上げたのは悲鳴ではなく、怒号。

「くそ、まずいぞあれは」

 直後、病棟から大蛇が飛び出した。ヘリから次々傭兵が脱出。しかし、大蛇はそれらを丸呑みにし、ヘリを腹部の巨大な口で噛み砕いた。

 ずん、と音を立てて落下する姦姦蛇螺。けれど、そこに──。

 もう一体の、王が現れる。

 ラフな格好の青年。落ち着いた顔の、──深桜の、大切な人。今は怨禍に飲まれていないだろう。

 両者が睨み合う。

「え、んか……えんか……わらわの、いとしき、はんりょ」

「俺の伴侶は、お前じゃない」

 兄の頭に、二本の角。髪は白銀に染まり、両目が金色になる。

「悪いが、死んでもらう。俺の愛する人を傷つけた報いを受けろ、風間」

 そして、禁忌の鬼の殺し合いが──大切なものの奪い合いが始まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る